6:00 沖縄に来て初めての朝を迎えました。ホテルの朝食は7時からです。その前に大浴場にも入れますが温泉でないので今回はパスしました。
7:00 朝食開始です。一般的な簡単バイキングですが、モズク入りのお味噌汁、フーチバーなる沖縄料理のお粥があったりで沖縄風のおもてなしがありました。
※ 写真はホテル紹介のHPからの転載です。2日間とも同様の献立が提供されました。
今日は名護市のテーマパーク「名護自然動植物公園ネオパークオキナワ」へ向かい、戦前の沖縄に路線網を張り巡らせていた沖縄軽便鉄道(沖縄県営鉄道)を模した復元鉄道を見学乗車します。その後は国内で一番に咲き始めた桜を見るために「今帰仁城跡」へ向かう予定です。
食後、名護市へ向かうために「ゆいレール牧志駅」から県庁前駅まで乗車、長距離バスに乗り換えます。
① 牧志 7:40(ゆいレール)⇒7:45 県庁前
② 県庁北口 8:15(エアポートシャトルリゾートライナー)⇒9:25 名護市役所前
③ 徒歩6分⇒ 沖縄県北部合同庁舎9:35(沖縄バス72系統)⇒9:43 大北二区
④ 大北二区 9:43(徒歩15分)⇒9:58 ネオパーク
7:50 県庁前駅まではスムーズに着きましたがオンライン予約(1,600円)をしましたバス停が分かりません。待っておられる方もいなく不安感が出ました。道を歩いて来られる方を捕まえて片っ端から聞きますがハッキリとここだと言っていただける方が見つからずでしたが、数あるバス停教示版から乗車するエアポートシャトルリゾートライナーの表示を見つけました。
ここで間違いないと確信したら後から見えられた同じバスに乗るお客から逆に尋ねられます。
待たれたのは10人ほどで皆さん初めてのようで同じように「エアポートシャトルに乗りますがここで待つので良いのでしょうか?」と、聞かれました。
8:10 待ったバスの到着です。運転手が今日の予約された乗客名簿を見ながら確認して乗車を認めていきます。結構時間がかかる改札作業でした。
発車したバスはしばらく那覇市内を走ってから高速に乗りましたが渋滞、工事で対面区間もあって遅れ続けです。名護市役所前には定刻より21分遅れの 9:46になりました。
当然乗り換える路線バスには乗れません。沖縄県北部合同庁舎前のバス停には行ってはみましたがバスは出た後で次は1時間後です。他の交通機関はTaxiだけですが電話をしないと来てくれないとバス停近くの地元民に言われました。タブレットを見ますと、ネオパークまではGoogle地図では 3.3㌔もあって徒歩45分かかるとの表示です。
歩いていくにはしんどいなあと思っていますと運良くTaxiが来るのが見えましたので手を上げて止めました。徒歩では大変な上りの坂道を走り約10分弱で到着です。料金は 1,050円でしたが十分価値がありました。
10:13 ネオパークオキナワに到着です。ネオパークは、東京ドーム約5個分の広大な敷地の中に沖縄を中心にアマゾン、アフリカ、オセアニアといった世界中の熱帯地方の環境を再現しています1992年(平成4年)12月1日に開園した名護市立の動植物公園です。パーク内にはかつて走っていた機関車を模して再現した列車が一周(全長1.2㌔)しています。
▲ 入場料と合わせて軽便鉄道乗車券はじゃらんでネット予約で購入済みです。平日は1時間ヘッドで運行されています。今回は余裕を持って11時30分発を予約しましたが1時間早めて乗車することにしました。バウチャーを見せて無事入場です。
▲ 10:18 すぐに軽便鉄道駅へと向かいましたが待合室にはなぜか中国鉄道の前進形蒸気機関車の大きな模型が展示されています。ネット記事ではかつてはこの前に9600形の模型も展示されていたようですが今はありません。改札口のおばさんは知っていそうもないので謎です。
待合室には戦前に走った軽便鉄道の歴史が展示紹介されていました。
▲ 沖縄には762㎜ゲージの軽便鉄道、那覇市内の路面電車、馬車軌道の3種の鉄道が走っていましたが太平洋戦争で壊滅しています。戦後に復旧要請はありましたが道路建設が先行されて「ゆいレール」(2003年8月10日開業)が出来るまで鉄道はありませんでした。
【 沖縄県軽便鉄道 】
最初に開業したのは、那覇~与那原を結ぶ与那原線 9.4㌔で1914年(大正3年)12月1日に開業しています。
続いて、1917年(大正6年)7月1日 海陸連絡線那覇 ~桟橋荷扱所 1.0㌔が開業。
1922年(大正11年)3月28日 嘉手納線古波蔵 ~ 嘉手納 22.4㌔が開業。
1923年(大正12年)7月11日 糸満線国場 ~糸満 15.0㌔が開業。合わせて47.8㌔が開業しました。
当初は、1914年ドイツ・ヘンシェル社製のB1型タンク機関車3両が運用につき。1921年には日本車輌製造製のB型タンク機関車が増備されています。
1920年には、仙北軽便鉄道から改軌で余剰となったイギリス・エイボンサイド社製のC形タンク機関車4両が譲渡されてきました。1942年には富山にあった本江機械製作所製のC1型タンク機関車が導入され、最大14両が従事されていました。
▲ 10:23 少ないながらも白い煙を上げて軽便鉄道の1号車であったドイツ・ヘンシェル社製B1型タンク機関車(実寸の4分の3模型)に牽引されたトロッコ列車が入線してきました。おばさま団体が20数名程同乗されましたが他に観光客はありません。
▲ ゆっくりと列車は走行します。ゲージは推定600㎜程度、第3軌道からの集電で電圧を聞きましたが運転手は分からないと言い電源ボックスを開けて60Vぐらいかなと不確かな返答でした。各ブースで停まって観光案内をしながら1周1.2㌔を約20分をかけて走りました。
▲ 途中の機関区にはD51とB形機が予備機として留置されていました。
▲ 走行写真も押さえておきたいと下車後はパーク内を徒歩で見学しながら撮影です。
各ブースは「人と動植物の共存を体感してほしい」との理念から、ネットをかけた日本最大のフライングケージ方式と呼ばれる方法で分けられています。鳥好きな愛好家の皆さんにはたまらないでしょうね。
▲ クジャクがこんなに近くで羽を広げているのは初めて見ました。鳥が好きな愛好者にはたまらんでしょうね。
11:55 一通り見学できましたので次の訪問地今帰仁城跡へと向かうことにしました。バス停まで1.4㌔はありますが下り道ですので負担は少なそうです。Part 4 へ続く