大阪駅前 65年前と今 (上) ~路面電車あれこれ噺⑳

中央郵便局とJPタワー

一昨日、大阪へ行く用件があり、まず梅田へ行って、先ごろ同時開業したJPタワーやイノゲート大阪を見学して来ました。大阪駅の西側で進められてきた再開発事業で、JPタワーは、かつての大阪中央郵便局の跡地に当たります。まだ市電が大阪駅前を走っていた時代、周囲に大きなビルがなく、中央郵便局は実に大きく見えた(昭和35年4月、中島忠夫撮影)。市電は861形のラストナンバー867号、一部が2601形に改造された。▲▲左は現在の同地点との対比、もう比べるべくもないが、中央郵便局の跡地に建つ地上40階建てのJPタワーで、6階まで商業施設“KITTE”が入居する。

 

 

 

 

郵便は、鉄道の敷設の頃から密接な関係があり、遠距離の郵便物は鉄道で運ばれていました。東海道線の列車では、下り方先頭に郵便車が連結されるため、東京、名古屋、京都、大阪では、中央郵便局はすべて下り方の駅横の一等地に大きな建物を構えました。いま、集配などの業務は別の拠点郵便局に移り、中央郵便局は、単なる駅前にある郵便局になってしまいました。大阪の場合も、跡地再開発の間、局は大阪駅前第一ビルに移転していましたが、JPタワー竣工で、1階のわずかに郵便局が占めて、中央郵便局としての矜持を見せていました。

大阪中央郵便局は、昭和14年に、吉田鉄郎の設計によって建てられたモダニズム建築の傑作だった。壁面、床材などが新ビルでも再利用されている。市電は901形926号、戦前の流線型で、側面も「く」の字になっている。神戸市、熊本市、鹿児島市へ譲渡された。 カーブを通って大阪駅前の電停に着く2001形2032号、昭和44年の全廃時まで活躍した。左手のビルは、旧阪神梅田駅に建つ新阪神ビル、現在はヒルトンプラザウエストが建つ(いずれも昭和31年、藤原寛撮影)。

 大阪駅前 65年前と今 (上) ~路面電車あれこれ噺⑳」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    想い出の「大阪中央郵便局」と大阪市電有難うございます。戦争中に建設が中断した大阪駅の3階建てコンクリート造りの三代目駅舎よりずっと立派でした。
    当時の東海道本線は神戸方に郵便車、荷物車が連結されていたため、各駅の跨線テルハも神戸方にあり、都道府県庁の中央郵便局や運送会社の所在地も鉄道が基準になっていました。東京や大阪の主な中央郵便局はさらに駅との間で郵袋運搬用の地下道もありました。
    大阪市電901形は、806形から続く2扉左右非対称配置車で、車体中央に幅広の乗降扉が設けられた中型車両としては画期的な車両で、その窓配置は戦後最初に中型車として量産された2001形から最終量産車となった3001形まで継承されました。1967年5月28日の鶴町車庫前の2001形と2601形です。

  2. 1968年7月7日、春日出車庫前、2503、「臨」梅田新道行です。
    2501形は、1955年、木製1001形の鋼体化車として僅か4両製作され、小さくて見にくかった方向幕が大型化されました。

  3. 市電が無くなってから、中央郵便局付近を写した写真が出てきました。
    右手が中央郵便局、その奥は大弘ビルで、こちらも国鉄の関連会社が多く入っていました。交通新聞社も入っていて、私も仕事で出入りしていました。左手が新阪神ビル、最初の阪神梅田駅のあった場所で、阪神所有の土地・ビルが多く、背後にホテル阪神も見えます。以前、“書店”テーマで盛り上がった、旭屋書店の看板も左端に見えます。

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