10月3日の【15073】「阪神ジェットカー5211型」の記事からtsurukame先輩投稿の「阪神電車3011および5200系」「阪神ジェットカー、御影-石屋川間高架上」、乙訓の長老投稿の「阪神電車の追加」、河 昭一郎様、準特急様のコメント等を興味深く拝読させていただいた。
私も僅かであるが撮影した記憶がありネガ探しをした。京都から阪神電車までは遠かったのと、我々世代が撮影した頃は魅力の小型車は第一線を退き、ラッシュ時と武庫川線で細々と運行されていた程度で、本線はオール新性能車となっていたことも足が遠のく原因であったと思われる。一方国道線は、運行回数が極端に少なかった上甲子園以西は別にして、北大阪線、甲子園線を含めて割に訪れているのは、元々路面系が好きであったのと、金魚鉢の魅力に惹かれたからであろう。
5108+5201+5202 (昭和40年11月6日/野田)
当時本線普通は早朝、深夜2連、それ以外の時間帯は3連であった。
5236他3連(昭和39年11月3日/野田)
5231形は5201形の増備車として昭和36年~38年にかけて1500Ⅴ昇圧即応車として24両作られ、昇圧後は2両固定編成になった。
5151他4連(昭和52年4月17日/西宮)
昭和39年に1500Ⅴ昇圧即応車として、昇圧後も奇数編成時の単独走行可能車両としてわずか2両作られた。
3512+3511の西大阪線特急(昭和40年11月6日/甲子園)
昭和40年9月から49年11月まで運転され、途中停車駅は尼崎、西宮、三宮であった。現在の近鉄奈良線直通快速急行の元祖とも言うべき列車であったが、乗客が少なく9年で廃止された。
3501形(3501~3520)は両運の3301形(3301~3304)と共に昭和33年から34年にかけて新製された優等列車用の車両である。
7810-7910+7909-7809の特急(昭和40年11月6日/甲子園)
7801形と7901形はラッシュ時の準急、急行に運用されていた小型車の代替として昭和38年から46年に作られ、Mc車の7801形とT車の7901形がユニットを組み、Mc-T-T-Mcの4連で使用されていた。
初期に作られた車両はラッシュ用として割切りから、車体は簡素な作りで、乗務員扉の後ろの窓部分に座席がなく、車内の蛍光灯はカバーがなく間隔が空いており、T車の台車は小型車のものを流用した。完成後はラッシュ時のみならず、昼間の特急、急行にも日常的に使用されていた。画像の7810-7910+7909-7809は昭和38年川崎車輌製である。
7812-7912+7911-7811の急行(昭和40年11月6日/野田)
7812-7912は昭和39年汽車会社製、7911-7811は昭和39年川崎車輌製である。
853単行の武庫川線(昭和39年11月4日)
851形(851~857)は昭和11年日本車輌製で、その後作られた861形(861~867)、881形(881~910)と共に戦後3011形が登場するまでの間、阪神を代表する車両であった。
左側の線路は、戦時中西ノ宮~洲崎間に建設された貨物線の名残で3線式である。
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