先日、近鉄京都線の富野荘駅を訪ねました。「荘」がつく駅名は関西の他の路線でも聞き覚えがあるな、どことなく格式高い駅名だな、毎回こんなユルイきっかけから新しいメニューを生み出しています。
ところで、一昨日の11月29日は同志社大学の創立記念日でした。ということは、創立150周年まで一年を切ったということです(創立150周年まで、あと363日(12月1日時点))。駅名喫茶店は今回が第120回。母校と同じタイミングで第150回を迎えたいところです。
羽後本荘 うごほんじょう(羽越本線/由利高原鉄道 鳥海山ろく線)
情報求む。
丹荘 たんしょう(八高線)
「丹荘」という駅名は武蔵七党の一つ丹党の荘園があった地域に由来する。https://www.njg.co.jp/column/morioka-2808/
本荘 ほんじょう(えちぜん鉄道 三国芦原線)
情報求む。
五箇荘 ごかしょう(近江鉄道 本線)
中世に5つの荘園があった。https://e-omi-muse.com/omishounin/qa.html
恵我ノ荘 えがのしょう(近鉄南大阪線)
地名は恵我之荘。荘園が昔あったとの説あり。
富野荘 とのしょう(近鉄京都線)
富野荘村が由来。https://www.city.joyo.kyoto.jp/0000006763.html
現在は城陽市となっている。
西三荘 にしさんそう(京阪京阪本線)
開業当時、駅の下を流れていた用水路の名前が由来。戦国時代末期、門真庄(今の門真市)、九箇庄(寝屋川市)、五箇庄(守口市)が存在した。「この三つの荘園をカバーする水路で、荘園の西を流れていたから西三荘というわけ。だから、読み方は『にしさんしょう』が正しいんです」とのこと。つまり西三荘(にしさんそう)は京阪電鉄の誤読だった。
http://www.kadoma-shisyokurou.org/rensai/nishisansou.100415mainiti.html
鳥取ノ荘 とっとりのしょう(南海本線)
駅のあたり一帯がかつて観心寺領の荘園「鳥取荘」であったことから名付けられたといわれている。https://www.nankai.co.jp/traffic/station/tottorinosho.html
武庫之荘 むこのそう(阪急神戸線)
小林一三の発案による。http://www.amaken.jp/14/1406
荘原 しょうばら(山陰本線)
情報求む。
土佐新荘 とさしんじょう(土讃線)
新荘川に由来。https://www.yukisoft.co.jp/nature/shinjo_river/index.html#google_vignette
荘園を意味する「庄」についても、調査してまとめる次第です。
奈良の駅名研究家様
「情報求む」に対する回答です。
○羽後本荘 うごほんじょう(羽越本線/由利高原鉄道 鳥海山ろく線)
もとは山形城主最上義光の重臣の楯岡満茂が慶長18年(1613年)尾崎山に築いた本城城が始まりで、江戸時代の六郷政勝の代に本荘城と改名されました。
1922年にこの駅が開業された時の所在地は「由利郡本荘町」にあったので駅名を「羽後本荘」と名付けられました。その後1954年に近隣の6村を編入して「本荘市」となり、2005年に再度7町と合併して現在の「由利本荘市」が発足しました。
○本荘 ほんじょう(えちぜん鉄道 三国芦原線)
1928年に三国芦原電鉄の駅として開業した時の所在地が「坂井郡本荘村」でした。この村が1955年に(旧)芦原町、北潟村と合併して、改めて坂井郡「芦原町」となり、2004年に金津町と合併して、「あわら市」が発足しました。
○荘原 しょうばら(山陰本線)
1910年に山陰本線延伸時に終着駅として開設されましたが、その時の所在地が1889年に発足した「出雲郡荘原村」でした。その後1896年に郡の統合により簸川(ひかわ)郡に所属替えとなりましたが、1955年に近隣の6村と合併して「斐川(ひかわ)村」となりました。1965年には町制施行して「斐川(ひかわ)町」となり、2011年に出雲市に編入され現在に至っています。
快速つくばね様
ありがとうございます。
説明を追加します。
「羽後本荘」に『羽後』が付いたのは、高崎線に1883年開設の同音異字の「本庄」があったからです。因みに総武本線の「錦糸町」も1915年までは少し発音が違いますが、「本所」という駅名でした。
快速つくばね様
上の3駅名は地名由来とのことですが、その地名は荘園と関係があるのでしょうか。
「羽後本荘」は、前述のとおり城の名前から「本荘藩」になり、それが地名となったので荘園とは直接関係ないと思います。
「本荘」は荘園とは関係があるようで、あわら市のホームページの中の「あわら市郷土歴史資料館」の文章を転載します。
『東大寺建設のため、朝廷の命により全国に東大寺領の荘園が作られました。あわらでは桑原庄と溝江庄が設置されました。それらは、東大寺勢力の衰えともに興福寺の勢力下におかれ、北陸屈指の荘園、河口庄と坪江庄へと成長して行きます。やがてこれらの荘園の中から在地の豪族、堀江氏と溝江氏が成長し力をつけ、地域を治めるようになります。彼等は戦国時代に越前国を支配した朝倉氏の家臣となり、国境の守りとして、一向一揆と激しい戦いを繰り返して行きました。』
「荘原」はよく分かりません。ただ出雲市に編入される前の簸川郡斐川町という地名の(ひかわ)は、一級水系の「斐伊川」(ひいかわ)を表していて、古くから度々洪水が起こっていました。これが神話の八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の元になったという説もあり、砂鉄の採取により「たたら製鉄」の盛んな土地で古代から栄えたようです。
快速つくばね様
ご丁寧にお返事いただきまして誠にありがとうございます。よく分かりました。
駅名研究は地名研究でもありますので止められません。ただし、最近の駅名はとにかく長い駅名が多く少しうんざりしています。
山陽本線 中庄も加えてやってください。
米手作市様
コメントありがとうございます。荘園を意味する「庄」については後日、まとめる予定ですが、取り急ぎ、
中庄(山陽本線):かつて周辺は万寿庄という荘園でした。中庄の地名はその中央に位置する事から中ノ庄と呼ばれ、転じて現在の中庄とのこと。https://www.okayamania.com/chimei/station/nakashou.htm
ああ「そう」でしたね、書いてありました。早とちり、お許しください。
米手作市様
実は、この第120回をX(旧Twitter)に投稿したところ、「庄」についてのコメントを頂戴しました。多くの方にご関心いただけたテーマを提供できたようで嬉しかったですね。
駅名喫茶店の公式アカウントです。
https://x.com/ekimeikissa