横浜線の183系修学旅行臨時列車

横浜でも田植えの季節となりました。この時期毎年神奈川地区から日光への修学旅行臨時列車が運転されます。地元の横浜線でも本日から田町の183(189)系で運転を始めました。本日の編成は田町のH81編成(クハ189とモハ183,182の8連)でした。田町から新宿、八王子経由で小机7:31着で折り返し8:08発で日光へ向かいました。(八王子、武蔵野線経由大宮、宇都宮、日光とのことです。)

眠そうな曇り空の183(189)系8連、横浜線ではめったに見られない国鉄特急色です。小机行きの回送です。(十日市場 中山間)

折り返し 日光へと向かう列車です。先頭はクハ189-10です。(鴨居 中山間)

日光行きの少し前に来た 田町の185系 松本行特急「はまかいじ」です。(中山 鴨居間)

いつもお世話になっている 205系です。(中山 鴨居間)

修学旅行列車といえば昔は専用車があり我々の年代ではお世話になった方も多いのではないかと思います。155系、159系、167系、キハ58-800 28-800などがありました。今でも「こまどり」クハ159-4に名古屋から乗った時のことはよく覚えています。
ハマ線の205系も置き換えが発表され、田町の183(189)系、185系もいつまで見られるか 日常の電車の写真を普通に写していきたいと思っています。犬伏

横浜線の183系修学旅行臨時列車」への4件のフィードバック

  1. INUBUSE様
    新幹線のない遠い昔のことですが、私の中学の修学旅行は155系「きぼう」号で熱海まで行きました。強羅で泊り、始めて見る富士山に感動し、江ノ島、大仏、羽田空港、勝鬨橋、新宿御苑等を見て東大の近くで泊まりました。残念なのは安保闘争で国会議事堂見学が中止になったことです。帰りは夜行の155系でした。
    ところで中学生の修学旅行は関東校は京都へ、関西校は東京に行く例が多いようですが、これが小学生になると関東校は日光、関西校は伊勢が定番のようです。松本の人に聞いたら名古屋の東山動物園に行ったということでした。INUBUSEさんは名古屋でしたね。どこへ行かれたのでしょうか。
    本題に入りますが、横浜線は車種が205系のみで興味が湧かないです。似たような例でいくとかつての山手線はオール103系。全く興味がなかったですが、後年、103系が各地に散らばり、改造を加えられるにつけ、俄然興味が湧いてきました。その時に本家山手線の103系の写真がほとんどないのに気づき悔やんだことを思い出します。そうならないように205系は埼京線を含め今から記録しようと思っております。横浜線は相原のトンネルの前後がよかったですが今は家が立ち並び撮る場所に苦労します。そう言いながら、INUBUSEさんお得意の171系{(157+185)÷2}の水曜日(この日は仕事休み)の運行情報がわかりましたら教えてください。通勤途中で見た時などの情報で充分です。

  2. 準特急様
    コメントありがとうございます。毎日乗っている横浜線の205はどちらかというとイベントなどでほかの車種の走るときのついで撮りになっています。変化にとんだ沿線風景もありますので頑張ってみたいと思います。修学旅行の思い出ですが中学校時代は名古屋にいて「こまどり」159系の12連で東京オリンピックの前年 急ピッチで準備工事の行われている東京、箱根に行きました。京浜東北線の73系と並走し 品川で降り羽田空港や東京タワーへ行き東京泊、翌日箱根に泊まり伊豆箱根鉄道のバスで富士五湖を巡り富士駅から「こまどり」に乗り夜 名古屋に着きました。楽しい思い出です。ちなみに小学校の修学旅行は当時 福岡県の北九州市になる前の若松市にいましたので若松市営バスで別府温泉と高崎山への一泊旅行でした。大分交通別大線の電車を見た記憶があります。171系{(157+185)÷2}は最近は毎週月曜日にホ-ムライナー鴻巣3号に入っていましたが今週は未確認です。そのままの運用で行けば火曜日は草津1号4号ホームライナー鴻巣5号あかぎ3号、水曜日はあかぎ4号の後ろ7両、あかぎ1号の前7両になります。前回ご覧いただきました東十条での写真は5月17日の木曜日でその翌日の運用でした。この週は157色OM08の次の運用に湘南色OM03の運用が追いかけていましたので 併結14連となりました。運用がつかめましたら連絡させていただきます。東大宮の185系は故障が多いようで運用変更も多く大変なようです。

  3. 修学旅行、なつかしいですネ。準特急さんのおっしゃるように京都の私は小学校のときはお伊勢参りでした。かの有名な鳥羽快速で草津まではEF58,草津からはC57だったとおぼろげながら覚えています。当時は伊勢でしか買えなかった 小さな折りに入った赤福餅をお土産に買って帰ったと思います。中学校は東京ではなく豊橋から飯田線を北上し、佐久間ダムを見て蓼科高原、中央線で山梨に入り、富士五胡を巡って沼津に出て帰京という珍しいコースでした。飯田線で初めてED17,ED18,ED19などに出会い、中部天竜では列を離れて写真を撮りまわって先生に叱られた思い出があります。80系4連の準急伊那に修学旅行生が乗り込んだため超満員になったのも懐かしい思い出です。中央線はスイッチバックの駅もまだ多く、また最終日の沼津からは木製の背もたれのスハ32の各停で半日以上かかって京都に帰ったと思います。一般の生徒は文句タラタラでしたが、鉄道好きの何人かにとっては楽しい旅でした。用宗で長時間停車した時 すぐ横で建設工事中の東海道新幹線を標準軌のDD13が通過して興奮したこともよく覚えています。高校は修学旅行がない代わりに各自での旅行を奨励されたため、仲間と奥中山や花輪線などに行ったものでした。ゆっくりと時間が流れる鉄道旅をもう味わえないのは残念でなりません。

  4. 西村雅幸様
    以前の西村さんの名鉄連接車の投稿に対し、コメントで珍しい車両をお撮りになったことへの賞賛と当時岐阜市内線の車両が福井や豊橋に散らばるとは思ってもいなかったので美濃町線しか撮っていなかったこと、黒野付近でDRFCのS氏に偶然会ったことなど書き込みました。デジ青のコメントができない状態でしたのでここに短縮再生してお詫び申し上げます。
    さて、名古屋や京都の修学旅行のコースは意外でしたね。これをご覧になられている皆さんはどんな所にどんな車両で行かれたか発表していただくと嬉しいです。最近は海外へも行くようですが、若い人、超古い人、あなたの修学旅行教えてください。因みに私の小学校の修学旅行伊勢行は近鉄2200で車内でのスナップ写真でわかりました。高校の修学旅行は神戸から別府まで関西汽船で行きました。高崎山から日豊線のDF50やC55を、阿蘇の帰りにバスの中から豊肥本線のキューロクの列車を撮ったりしました。帰りは長崎から大阪まで修学旅行専用列車でしたが、最初はC57牽引でした。鳥栖からは鹿児島方面からの修学旅行列車を併結してC59122が牽引していました。広島県に入り夜が明けましたが窓を開けてもらいあさかぜのC6234や宮島口到着のC5953、瀬野のD52などを撮っております。広島からEF58でしたが、セノハチは補機にD52がついて後ろから押していました。デジ青で発表された須磨の大先輩の修学旅行は長時間停車毎に克明に記録撮影されておられますが、私は先生に怒られるのと他の同級生から軽蔑の眼で見られるのが嫌で我慢していました。それでも朝の山陽線で窓を開けての撮影は10月末で夜露に濡れた窓辺にC59の煤がたまりやはり恥ずかしかったことを覚えています。修学旅行は楽しい反面その往復の車中等でイライラされた方も多かったのでしょう。こんな話、あんな話が聞きたいですね。

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