ここ数年台湾の鉄道にはまっております。旧型客車、釣り掛け特急、客車急行、トロッコ列車、きれいに整備された古い駅舎などなど個別には言い尽くせませんが、自分なりに国鉄の時代の古き佳き鉄道を追体験しているのかも知れません。
今回は、はじめてTR-PASSを使いました。これは台湾鉄路管理局全線乗り放題の切符で3日間用1800元、5日間用2500元があり、「旧正月には使えません」と書かれています。また高鉄(新幹線)も使えません。高鉄には別途3日間2400元の乗り放題パスがあります。台湾の鉄道はもともと安い(台北-高雄の特急乗車で843元)ため、元を取る?つもりなら結構一生懸命乗ることになります。実際私も、全て計算した訳ではありませんが、5日パスで何とかとんとんくらいだったと思います。でも、優等列車は指定するだけで着座できますし、普通列車や優等列車の立ち席ならパスを持っていれば、いついかなる時でもふらっと乗れる便利さは値段以上のものがあります。
さて、初日(8月9日)は、午後遅くに雨が降ってきましたので、乗ってばかりです。それでも基隆から台北まで釣り掛け特急(自強号)EMU1200にも乗ることができました。翌日、花蓮始発の鈍行ディーゼルカーDR2700に乗るため、花蓮駅前の宿に投宿します。
今回、車両についての説明は、他のインターネットホームページや書籍をご覧いただければと思います。
朝6時花蓮発玉里行きの普快DR2700は、かなりくたびれていますが、カミンズのエンジンは勇ましい音をたてて快走します。非冷房で窓を全開にして風にあたり、肥料の臭いが車内に飛び込んでくるのも懐かしく感じました。
玉里では朝ごはんがてら玉里麺と書かれた店でモヤシとひき肉が少し入った簡単な湯麺をいただきます。なかなかいけます。値段は45元(130円程度)。
玉里からはディーゼルの特急に乗り、大武まで乗ります。ここでついに一往復になってしまった旧型客車をつかまえ台東まで戻るのです。旧型客車は今や、枋寮12時8分発台東14時20分着の3671次普快車とその逆、台東17時25分発枋寮19時34分着の3672次普快車しかなくなってしまいました。
この日の客車は3両編成、インド製はなく全て日本客車でした。沿線での走行写真を撮りたいと思いつつも、つい乗ることに執着して今回も駅撮りになってしまいました。
台東から鹿野までDR2700に再び乗り、その後、旧型客車で枋寮まで。そこから客車急行(莒光号)で高雄まで乗り、駅前のホテルに投宿しました。
その次の日は、釣り掛け特急狙いです。EMU1200は高雄発基隆行のEMU1200運用は7時発と12時発の2本ありますが、この日は7時発に乗り、彰化まで乗り、基隆発彰化止まりのこれまた釣り掛け車EMU300の特急自強113次を迎えることとします。
彰化では時間があったので基務段(車庫)の一般開放ものぞきます。これも以前はパスポートのような身分証明が要りましたが、今では受付で名前、住所、電話を書くのみです。
あと高架工事中の員林のホーム端でも何本か撮影を行い、二水まで足を延ばし、蒸気機関車運転列車の時間を確認しました。翌日、日曜日も高雄から同じEMU1200の7時発、自強112次に乗るつもりで高雄の泊まろうとしたのですが、週末の夜遅い時間、昨日泊まった宿だけではなく近隣の駅前ホテル約10軒ほどみな満室です。かつて他の都市でも夜遅い時間からの飛び込みの宿探しで困窮したことがありましたが、だんだん心細くなるものです。通勤電車で1時間、台南まで下ってやっと汚い安宿に投宿することができました。飛行機が遅くに着くといった条件でもなければ基本は飛び込みで宿を見つけることにしていますが、体力と次の日を考えるとやはり早めに宿を確保する必要があると改めて痛感しました。
8月12日の日曜日は集集線の「2012南投火車好多節」のSL列車が目当てです。
今年は、7月15、22、28、29日と8月4日、5日、11日、12日の8回運行され、私が行ったのが最終日でした。運行時刻は、下りが(2777次)濁水9時37分発、水里10時8分着、(2779次)濁水13時34分発、車程14時12分着、上りが(2778次)水里10時20分発、濁水10時48分着、(2780次)車程14時15分発、濁水14時55分着となっています。
先ず、一番人が集まる中間の集集駅で2778次を迎えます。日本のイベント列車と同様に相当の人出ですが、SL撮影だけを目的に来ている人の割合は低いようです。白い高級望遠レンズがずらりと並ぶ光景はここではありません。
その列車の構成ですが、昨年復活なったDT668(日本形式D51)と客車(インド製2扉)4連と補機のDLです。その後、2779次を水里の近くで撮影し、折り返しの2780次に乗って濁水まで乗りましたが、これは余裕で座れました。その日は、水里からバスで更に奥に入って廬山温泉に泊まろうと思っていましたが、何でも台風被害であらかた休業中とかであきらめざるを得ません。廬山温泉は心残りですが、気分を変え、嘉義からバスで1時間、山間の関子嶺温泉に投宿することにしました。ここも戦前からの温泉地で、泥水のような湯がなかなか効きそうでお奨めです。
翌日は、台北まで戻り、近郊の汐科駅で撮影をしました。今回だけではなく高鉄(新幹線)とほぼ並行する西部幹線でも、優等列車ですと直前では予約もままならないくらい結構混雑していました。今回の訪問では行けませんでしたが、日本時代からの木造駅舎や、製糖鉄道ゆかりのトロッコ列車も興味深いものです。みなさんも活気あふれる台湾の鉄道を訪問されてみては如何でしょうか?
ブギウギさま
いゃ~、台湾へ行っておられたのですか…。私も、その2週間前に行って来ましたょ。
本掲示板でも、ブギウギさんや、ぶんしゅうさんから、台湾の良さを刷り込まれており、機会があれば行きたいと思っていました。たまたま、知人と打合せに行く用事があり、急遽行くことになりました。確かに、日本の国鉄時代の面影が随所に残っており、感慨を新たにしました。
集集線のDT688運転も行きました。私は、代行バスに乗り、龍泉まで行き、緑道沿いに撮っていました。夏休みの初日とあって、多くの撮影者でしたが、お書きのように、大型三脚、白レンズはなく、みんなカメラ一台で撮っています。この光景も、かつての日本と同じで、同じ装備の私も、違和感なく入って行くことが出来ました。
車輌で印象的だったのは、客車急行「莒光号」ですね。大型電機に牽かれた長編成の客車は、かつての東北本線・山陽本線の風情でした。
今回は、打合せが台北であったため、北半分しか行けませんでしたが、次回は、乗り放題切符も使って、南半分も行きたいと思っています。また、ご教示ください。
定年退職後、そこうの奥方と共に欧州旅行をされた総本家さん、鉄道についての感想が聞こえませんでしたが、今回やっと聞こえてまいりました。蒸機が走るといって大騒ぎの神の国、同じ神でも宗旨が違う国では馬鹿騒ぎなし、今も機関車に牽引されている列車が見られる国がお気に入りのようですが、路面電車が粛々と走る街の景観も、今後大いに眼の肥やしにして下さい。神の国から消えた鉄道の姿がありますよ!
総本家青信号特派員様
コメントをいただきありがとうございます。そうですか台湾にいらしていたのですね。私も客車急行の莒光号は好きです。モノクラスのリクライニングシート客車は、かつて急行銀河や特急しおじが14系PCの座席車で運行されていたのを彷彿とさせます。それはそうと、台湾の夜行列車はこの莒光号で運行されています。今回、何度か座席指定を試みましたが取れませんでした。夜行なので立席覚悟で乗り込む気合はなく、あきらめました。また乗ってみたいと思っています。
ブギウギさんと三回訪台で御一緒させていただきました、デカンショまつり号です。
台湾レポートありがとうございます。
今回は、御一緒できませんでしたが、訪台されたというメールを頂き、居ても立ってもいられず、また、仕事を顧みず、11月29日木曜日発の台北(松山)行きの飛行機を予約してしまいました。帰りの12月2日日曜日の羽田行きは、キャンセル待ちですが・・・(笑)
私にとっての台湾は、国鉄時代を思い起こさせる心休まる場所です。
訪台すると、大学時代、北海道に渡ったときのような気持ちになります。
客車の急行列車が現役バリバリで、それの車内設備・乗り心地のいいこと、シートピッチやリクライニングを考えるとスロ54や62に乗車しているようです。
願わくば、西部幹線に走っている荷物列車のダイヤを入手し、撮影したいです。
台湾のEF58といわれるE300がマニ35や60にそっくりな40BK32400や45MBK80000を7・8両(行李代用車のインド製35TP32850も数両混じっていますが、マニ50と思えば、納得できます。)を連ねた姿は、正に、国鉄時代です。
早く、訪台したくうずうずしてきました。
老人も台湾に一度行ったことがあります。ちょうど日中友好条約のため角栄さんが北京にご出張された時で、「日本人は一人歩きすると危ないからホテルから出ないように!」と言われましたが、台北駅の近くであったので汽笛の音が聞こえてきました。夕食を済ませるや音の聞こえた方角に向け一人歩きです。台湾人は少し肌の色が濃いですが、大陸から侵入してきた「漢族」は日本人と変わるところなしです。まして夜の街を歩いているのですから黙っておれば現地人と一緒です。目指すところは汽車の駅です。キョロキョロすることなしです。10分足らずで駅に着きました。何となく京都駅の改札口のような感じがしました。夕方の1番線は湖東線、草津線の通勤通学列車に混じり東京行きの普通列車が、大好きなC59先頭で発車しました。台北ではC57にひかれたブルーの軽量客車で発車でした。柵にもたれ30分ばかり懐かしい匂いに浸りホテルに帰りました。同室の勤務先の先輩に「どこ行っていたのや?」と言われ、「夢の国や」と言ったのなら出来過ぎやなぁ……
デカンショまつり号様
はじめてご一緒した時、彰化駅に入ってきたのが荷物列車でした。懐かしい記憶です。休暇をぴたっと合わせるのはなかなか難しいところもありますが、また是非ご一緒したいと思っています。客車急行だけでなく阿里山などまだまだネタは尽きません。
乙訓の老人様
最初に訪台した1990年に、地下化なったばかりの台北駅からブルーに白線の鈍行客車に乗った記憶があります。50年前の石原裕次郎主演の日活映画「金門島にかける橋」でも台北から高雄までの列車でDL牽引のブルーの客車が出てくるシーンがありました。また先輩方から台湾の鉄道についてお聞かせいただける機会があれば幸いです。
角栄さんが北京に乗り込んだ?のは1972年9月、調印したのは29日だそうです。その日は台北におりましたが今の中国のようにデモもなく静かでした。もちろん体制が違いますから当然のことです。1972年ごろといえば、山陰線京都口から蒸機が消えたころだと思うのですが……。朝夕の園部ー京都間の通勤通学列車がC57とナハ12だったように思います。総本家さん、卒業前の山陰線を想い出させてください。角栄さん帰国後、台湾鉄道は日本からの車両調達をやめましたね。韓国現代製は日本型の客車でしたが、電化に際し輸入したのがなんと南アフリカ製であるのをピクやフアンで知りびっくりしました。日本が台湾での競争に勝ったのは台北のLRT建設の時のようですが、このLRTが北投温泉方面に延長されたようですが、北投に行ったときはキハ17スタイルの気動車で、唸りとともによじ登って行ったように思います。5日間の滞在でしたが、あとはバスでした。もう一度行ってみたいのは故宮博物館です。日本文化のプロトタイプが108万点あるのだそうです。半日の見学でした。鉄道遺産は何もなしでしたが、後髪を引かれる思いで台北を離れました。