昨日KAWANAKA氏と600円の1日乗車券を手に、広島市内を歩き回りました。秋空の下 元気な広電の姿を堪能できた1日でした。
広電本社に隣接する千田車庫に居並ぶ電車たちを撮りたいとダメモトで頼んでみたところ、「ピットにはおりないでくださいね」とだけ念押しされた他は 車庫内を自由に見学させてもらえました。
唯一のガッカリはドルトムント市電改装のレストラン「トランヴェール・エクスプレス」で豪華なランチを予定していたのですが、何と定休日。楽しみは次回回しとなりました。
宮島線以外の各線で京都市電1900型は大活躍です。15両が在籍し、9両が千田車庫、6両が江波車庫所属です。900型の製造初年が昭和30年ですから、還暦に近いわけですが、そんな歳には見えません。広電さんの手入れの良さに感謝です。
京津線が100周年を迎えるのと同様、広電も100周年の節目です。10月20日から12月16日まで特別展も開かれます。広島方面へお越しの節は、是非お立ち寄り下さい。三原ではボランティアガイドも待機しています。
KAWANAKAさま。広島遠征お疲れさまでした。前座はこれぐらいにしておきますので、3日間の成果のご披露をお願い致します。
その昔,大阪市交通局に教えてもらった事を紹介しよう。写真の台車は大阪市電型と言っているもので、日本製鋼所で60両分(1601~1660)、住友製鋼所で40両分(1661~1700)、1601型用として製造されたが、大阪市の設計にかかるためか、製造所固有の型式名はない。見てごらんのとおり戦前型としては珍しいオールコイルバネである。
戦災にあったのが76両、21両が復旧され、戦後45両が天王寺車庫中心に配置されていたから、乗る機会があった。上下動は柔らかくこぎざみで乗り心地は良かったが、保線状態の悪い所でパラレル運転となるとローリングがひどく、ハラハラした。
広島へは先ず4両が2500形連接車の種車用に行った。その後、1601型の廃車になったものから外し1801型に転用したものがあり、それらのうち8両が広島へ行ったと言われていますが、広電で調べた訳でなく、詳細は分かりません。
KAWANAKAです。
西村氏のあとに直ぐに続きを載せれば良いのだが、やはり歳で無理はできません。スグの勤務で少々バテておりますのと撮った下手くそ写真が、2000枚。取捨に時間が掛かっています。明日くらいに大したものではありませんが少し違う視点からの撮影報告をいたします。
西村さん、前回の三原ではランチを頂いたので今回は、と思っていましたが、定休日。道を挟んでの庶民的な中華屋で、定番のラーメン・チャーハン・餃子とあいなりました。次に行かれる方はランチまたはディナーをお願いします。休日は定休なので注意です。
大阪市電型台車をつけていた車両、散水車21~24⇒1581~1584⇒1651~1654の
4両を忘れていた。昭和15年、木南車両で半鋼車体を新造、走行装置を移したものだ。
その後の大阪市電型と言われたデザインの最初のものであった。
配置車庫だが、復旧車を入れ45両そろった後、戦後復興がなった大正区、鶴町車庫に1601~1621が配置替えとなっていた。1651型は都島車庫所属であった。いずれも老人がDRFC現役時代の頃の事である。
広島での話だが、2500型の種車になった4両、使用された台車は6ケ、残る2ケは広島750形のどれかに転用されているはず。761~764は元大阪1651~1654だから大阪市電型台車。765~772は大阪1801型だが、廃車の1601型の台車に履き替えていたかどうか?花電車用51、52は大阪市電型の筈。その他鹿児島に行った2601型⇒800形にも大阪市電型も混在していた。一晩熟睡後、これだけ思い出した。後は哲男君の出番ですぞ。