錦秋箱根版 投稿日時: 2012年11月24日 投稿者: 準特急 総本家さんの錦秋の叡電たより-1-[26504]を拝見。チャレンジ精神旺盛な夜間撮影にはとても及ばないが、私も毎年紅葉の時期には箱根登山電車の大平台付近を徘徊しているので、11月21日に撮影したものを載せてみる。 ↑ 宮ノ下を下り上大平台信号所に向かう箱根湯本行き108 ↑ スイッチバックの上大平台信号所を出て大平台に向かう箱根湯本行き 2005 関連記事: 広島電鉄昭和38年 老いて益々意気軒昂 伊予鉄での出会い 連接車2 雪景色・番外 長野電鉄2000、600型
準特急さま 箱根の紅葉、拝見しました。毎年、行っておられるとは、その行動力には再脱帽です。紅葉と青空に、電車がよく映えています。とくに108号の、いかにも登山電車らしい無骨なスタイルが好きです。また金太郎の腹掛け塗装がいい味出していますね。最近、この塗り分けが少なくなりましたね。 返信 ↓
準特急様 ごぶさたしております。 毎年 行かれているというのは、本当にすばらしいことだと感じております。 箱根登山について、私のほうは、どうやら2004年に訪問したのが最後のようです。 そのときは、モハ1型の正面の塗り分けは直線だったのですが。。。。 まだ、吊掛け車も残っているのでしょうか はがゆいほど 活動力が落ちており、恥ずかしい限りですが、 今後とも よろしくお願い申し上げます。 返信 ↓
総本家青信号特派員様 年金退屈男、朝起きて快晴で富士山でも拝めれば、徘徊に出かけます。総本家さんの地元を愛する気持ちに少しでも近づくことができればと考えております。箱根登山はアジサイ電車、それもライトアップが有名ですが、紅葉の頃もいいものです。富士山は朝10時ころより雲が湧いてくるとその日はアウトになります。朝、例えば小田急新松田の酒匂川橋梁の富士山を撮影し、午後大平台に行くのも手です。 新所沢都民様 相変わらずフィルム代のかからないカメラで乱写しております。箱根登山の旧型モハ1形~3形は元を辿るとブリルやブラウンボベリーの木造車と川崎国産半鋼車で、廃車されたものありますが、カルダン車に改造されたものと吊り掛け車が混在しているようです。ところで箱根登山はスイスレーティッシェ鉄道と姉妹提携しており、車内にはそのベルニナ線ブルージオの模型鉄道のような世界遺産のスパイラル線の写真が出ておりました。実はこのブルージオまで友人Sさんと行ったことがあるのですが、俯瞰撮影するお立ち台がわからず諦めて引き返したことがあります。もうリベンジは無理でしょう。 返信 ↓
以前、上京の折は小田原で下車、一度強羅まで上がり、国道をぶらぶら歩き踏切で電車を撮りました。秋が一番良かったですね。湯本の手前の鉄橋、あのあたりの紅葉が一番お気に入りでしたが、駅名も忘れました。小涌谷の駅長さんと話し込み、別れる時に「絵葉書」をたくさんいただきました。旧型車ではからっぽのロングシートから前部を見ていたら、運転手さんの下りこう配の速度調節が面白く、マスコンハンドルめがけて「バッシャ」とやっていたら、またたくまに1本上りとなりました。それほどにノッチオン、ノッチオフで下りのカーブでの速度調節をやっているのです。新型車のマスコンハンドルは路面電車用のように大きくないので、ツマラン! 返信 ↓
乙訓の老人様 さすが電車少年、否電車中年ですね。よく運転士の仕種を観察されていましたね。いつ頃のことでしょうか。絵葉書をくれる駅長さんはもういないでしょうね。時代が違うのでしょう。強羅と言えば修学旅行専用電車「きぼう号」で熱海で下車、その晩宿泊した場所です。旅館の前を登山電車がゆっくり走っていたような記憶があります。登山電車はスイッチバックの出山信号所で「下に見える鉄橋が今渡ってきた早川を渡る橋梁で、代表的な箱根登山電車の風景です」とアナウンスがあります。紅葉名所はここらあたりでしょうか。さらに「箱根は二重式火山」との説明がありますが、外輪山のはっきりした阿蘇と異なり、箱根はどれが外輪山でどれが中央火口なのか素人にはよくわかりません。しかし、雪化粧や紫陽花のころには再訪したいと思っております。 返信 ↓
準特急さん、それ、出山信号所から見える鉄橋です。出山と湯本の間の駅はなんと言いました? 2連で運行していたのが3連にするという工事が始まっていました。この頃中心に東上のたびにのぞきました。紫陽花を絡め撮ろうとして歩いていたら天候不良となり振り出しました。このときはものにならず、そのあと吉川文夫さんと会った時、そのことをぼやいたら数枚の写真を送ってくださいました。箱根登山のあとは小田急特急で新宿へ直行、趣友との出会いは池袋、西山書店でした。息子が横浜転勤後、孫ができてからは息子宅に直行、急行で町田に出ました。小田急に急行と銘打っているのに早い便、遅い便の2種あるのを知りました。それが小田原連発で、空いているのに乗ったら遅い便でした。準急と名づけられないのなら、関西並みに区間急行とすればよいのにと思ったものです。 さて準特急さん、特急への改名は何時ですか?あなたのエネルギーなら特急が相応しいよ! 返信 ↓
乙訓の老人様 塔ノ沢ですね。トンネルとトンネルの間にあったと思いますが交換設備のある駅で、写真はほとんど撮り難いです。山の中と都会の違いはありますが、井の頭線の神泉もトンネルとトンネルの間にあるような駅で実際はトンネルの中にホームがあり駅舎部分が顔を出している感じです。以前は3両分しかホームがなかった駅です。 吉川文夫さん!話し方が穏やかで紳士でした。老人様の影響でしょうか吉川さんは同志社=京阪というイメージを持たれていました。吉川さんが書かれたJTBキャンブックス譲渡車両が気に入っており、個人の力ではどうしようもないですが、私の撮った譲渡車両をそのうちにデジ青で発表したいと思っております。 準特急というのは昔、小田急にあり、近鉄にもあったように聞いておりますが、何れにしましても早いのか、遅いのかよくわからない列車種別で、そのうちになくなると思っていました。正しく私にぴったりです。次も訳の分からない名前にします。派手なのは好きではありません。 返信 ↓
準特急さま
箱根の紅葉、拝見しました。毎年、行っておられるとは、その行動力には再脱帽です。紅葉と青空に、電車がよく映えています。とくに108号の、いかにも登山電車らしい無骨なスタイルが好きです。また金太郎の腹掛け塗装がいい味出していますね。最近、この塗り分けが少なくなりましたね。
準特急様
ごぶさたしております。
毎年 行かれているというのは、本当にすばらしいことだと感じております。
箱根登山について、私のほうは、どうやら2004年に訪問したのが最後のようです。
そのときは、モハ1型の正面の塗り分けは直線だったのですが。。。。
まだ、吊掛け車も残っているのでしょうか
はがゆいほど 活動力が落ちており、恥ずかしい限りですが、
今後とも よろしくお願い申し上げます。
総本家青信号特派員様
年金退屈男、朝起きて快晴で富士山でも拝めれば、徘徊に出かけます。総本家さんの地元を愛する気持ちに少しでも近づくことができればと考えております。箱根登山はアジサイ電車、それもライトアップが有名ですが、紅葉の頃もいいものです。富士山は朝10時ころより雲が湧いてくるとその日はアウトになります。朝、例えば小田急新松田の酒匂川橋梁の富士山を撮影し、午後大平台に行くのも手です。
新所沢都民様
相変わらずフィルム代のかからないカメラで乱写しております。箱根登山の旧型モハ1形~3形は元を辿るとブリルやブラウンボベリーの木造車と川崎国産半鋼車で、廃車されたものありますが、カルダン車に改造されたものと吊り掛け車が混在しているようです。ところで箱根登山はスイスレーティッシェ鉄道と姉妹提携しており、車内にはそのベルニナ線ブルージオの模型鉄道のような世界遺産のスパイラル線の写真が出ておりました。実はこのブルージオまで友人Sさんと行ったことがあるのですが、俯瞰撮影するお立ち台がわからず諦めて引き返したことがあります。もうリベンジは無理でしょう。
以前、上京の折は小田原で下車、一度強羅まで上がり、国道をぶらぶら歩き踏切で電車を撮りました。秋が一番良かったですね。湯本の手前の鉄橋、あのあたりの紅葉が一番お気に入りでしたが、駅名も忘れました。小涌谷の駅長さんと話し込み、別れる時に「絵葉書」をたくさんいただきました。旧型車ではからっぽのロングシートから前部を見ていたら、運転手さんの下りこう配の速度調節が面白く、マスコンハンドルめがけて「バッシャ」とやっていたら、またたくまに1本上りとなりました。それほどにノッチオン、ノッチオフで下りのカーブでの速度調節をやっているのです。新型車のマスコンハンドルは路面電車用のように大きくないので、ツマラン!
乙訓の老人様
さすが電車少年、否電車中年ですね。よく運転士の仕種を観察されていましたね。いつ頃のことでしょうか。絵葉書をくれる駅長さんはもういないでしょうね。時代が違うのでしょう。強羅と言えば修学旅行専用電車「きぼう号」で熱海で下車、その晩宿泊した場所です。旅館の前を登山電車がゆっくり走っていたような記憶があります。登山電車はスイッチバックの出山信号所で「下に見える鉄橋が今渡ってきた早川を渡る橋梁で、代表的な箱根登山電車の風景です」とアナウンスがあります。紅葉名所はここらあたりでしょうか。さらに「箱根は二重式火山」との説明がありますが、外輪山のはっきりした阿蘇と異なり、箱根はどれが外輪山でどれが中央火口なのか素人にはよくわかりません。しかし、雪化粧や紫陽花のころには再訪したいと思っております。
準特急さん、それ、出山信号所から見える鉄橋です。出山と湯本の間の駅はなんと言いました?
2連で運行していたのが3連にするという工事が始まっていました。この頃中心に東上のたびにのぞきました。紫陽花を絡め撮ろうとして歩いていたら天候不良となり振り出しました。このときはものにならず、そのあと吉川文夫さんと会った時、そのことをぼやいたら数枚の写真を送ってくださいました。箱根登山のあとは小田急特急で新宿へ直行、趣友との出会いは池袋、西山書店でした。息子が横浜転勤後、孫ができてからは息子宅に直行、急行で町田に出ました。小田急に急行と銘打っているのに早い便、遅い便の2種あるのを知りました。それが小田原連発で、空いているのに乗ったら遅い便でした。準急と名づけられないのなら、関西並みに区間急行とすればよいのにと思ったものです。
さて準特急さん、特急への改名は何時ですか?あなたのエネルギーなら特急が相応しいよ!
乙訓の老人様
塔ノ沢ですね。トンネルとトンネルの間にあったと思いますが交換設備のある駅で、写真はほとんど撮り難いです。山の中と都会の違いはありますが、井の頭線の神泉もトンネルとトンネルの間にあるような駅で実際はトンネルの中にホームがあり駅舎部分が顔を出している感じです。以前は3両分しかホームがなかった駅です。
吉川文夫さん!話し方が穏やかで紳士でした。老人様の影響でしょうか吉川さんは同志社=京阪というイメージを持たれていました。吉川さんが書かれたJTBキャンブックス譲渡車両が気に入っており、個人の力ではどうしようもないですが、私の撮った譲渡車両をそのうちにデジ青で発表したいと思っております。
準特急というのは昔、小田急にあり、近鉄にもあったように聞いておりますが、何れにしましても早いのか、遅いのかよくわからない列車種別で、そのうちになくなると思っていました。正しく私にぴったりです。次も訳の分からない名前にします。派手なのは好きではありません。