涙の花巻電鉄

 あれは1972年2月であった。2回生の時に東北の私鉄めぐりの旅を計画し、南部縦貫鉄道、弘前電鉄、津軽鉄道、羽後交通雄勝線、そして運命の花巻電鉄を訪ねる旅に出発した。それは2月25日23時を大阪駅発の東京行ドリーム号での旅立ちである。題名からすでにお察しされた方もおられるであろう。すでに、花巻電鉄は廃止されていたのだ。

 なぜ、東名夜行バスドリーム号に乗ったのか。当時、均一周遊券は名神、東名高速線も経路に含まれているので、バスの指定料金もいらない。それと、とにかく高速夜行バスに乗ってみたかったのである。東北へは上野駅より急行八甲田でいくことにしていた。八甲田の乗車まで何をしていたかというと、交通博物館に行ったことは覚えているが、それ以外の足取りは記憶にない。八甲田ですぐに花巻に行っていない。まず、八戸で乗り換えて久慈へ行った。そこから国鉄バス「白樺号」で盛岡へ、そして山田線と釜石線経由で花巻に行った。このバスの車窓から眺めた平庭高原の白樺林と中間点にあった葛巻の町が印象的であった。この久慈から盛岡へ行く「白樺号」は現在も走っている。調べてみると当時の八甲田が八戸に着くのが4時50分であるので仮に八戸線とバスの時間が現在と同じとすると盛岡に9時40分ごろに着くことになる。そうすると盛岡から山田線、釜石線経由で花巻に行くことは別に無理なことではない。残念ながら写真はないがこのルートで花巻に行ったのはほぼ間違いない。釜石駅を降りた時に目の前に製鉄所の建物が見えたのをいまだに非常に印象強く残っているからである。

 2月27日の午後(時間は不明)、北上山地をジグザグに横断しながら八戸から花巻駅に着いた。さあ花巻電鉄に乗りに行こうと連絡通路から乗り場に行こうとすると、乗り場への通路は閉鎖されて張り紙に2月15日で廃止されたと書かれていた。え~~~という感じで、どうすることもできずにただ写真を撮ることしか思い浮かばなかった。ところで、廃止の日付は最近までわからなかった。今年になって湯口先輩の「花巻電鉄(上)(中)(下)」の本が出版されたので購入し、その本を読んでいて廃止の日付がはっきりとわかったのである。そして、なぜ廃止の時期をしっかりと調べていなかったのかと、今まで大変悔やんでいた。これも「花巻電鉄(下)」にある小早川秀樹氏の「最終列車を2度見送った花巻電鉄」の項を読んでみると小早川氏も廃止5日前の2月10日に張り紙で廃止を知ってビックリしたと書かれていた。2月5日廃止許可、2月15日廃止であれば大阪に住んでいるものとしては知らなかったのも不思議ではなかったと思う。湯口先輩が書かれた花巻電鉄の本にある写真をながめているとその写真の世界に入り込むような感じがする。それは私が子供の頃であった1960年代前後の写真であるからであろうか。

 廃止12日後の花巻電鉄花巻車庫であるが電車が残っていたのがなりよりの救いであった。

花巻電鉄002-1

すでに架線が撤去され、もはや電車のエネルギー源が供給されない。

営業運転終了後の12日経っているが、なんとなく寂しい。廃止されるとアッという間にその存在が薄らいでいくのがよくわかる。そして、隅っこにあった花巻電鉄と言えばこの「ウマズラ電車」であるが、まさか残っているとは思わなかった。

花巻電鉄003

残っていたウマズラ電車(現在も保存されているデハ3)。ところで右隣りはいったい何であろうか。何か電車の車体のようであるが?

そして傷心した状態で花巻をあとにして、この日は平泉にある毛越寺のユースに泊まった。

 2月28日 さてどうするか?今日は七戸のユース(次に泊まったユースで、七戸のユースは青森県で最初にできたユースだと言われた。何でこの七戸のユースで泊まったのかと聞かれたが、むにゃ、むにゃとごまかしておいた。)での泊まりとなる。野辺地から南部循環鉄道で七戸へ行くのであるが、南部循環鉄道は列車本数が少ないのでそれまでどうするかということである。結論として再び花巻へ行き花巻電鉄の写真を撮ることにした。今、その写真を見るといいものはないが、よく写真を見ると新たな発見があるかもしれない。

花巻電鉄006-1

本の写真で見ると営業運転終了後の次の特別運転のあった2月16日はよい天気であったようだ。その後、雪が降り積もっている。そしてこの日も雪が降っていた。

当然であるが昨日と同じである。動いた気配がないのが寂しい。下の写真からわかるが車庫の中はまだ架線が残っていた。

花巻電鉄005

もう車庫から出ることはない。車庫の中はまだ架線が残っていた。

貨車も残っていた。右に目を移すと花巻電鉄花巻駅のホームが見える。よく見るとウマズラ電車の右側に古い車体のようなものが写っている。

花巻電鉄008

デハ3だけが解体をまぬがれた。

その古い車体を拡大したのが下の写真である。

花巻電鉄008-1

この木造車体は何だろうか。右に電鉄の花巻駅ホームが見える。

どうも木造車体のようである。側面の写真があればよかったのであるが、そこまで考えていなかった。これを調べるのはやはり湯口先輩の「花巻電鉄」の本である。調べてみると中巻にあった鉄道線木造付随車サハ1~4の妻面とよく似ている。下巻の「木製車消滅」の項で「旧車体は台枠付のまま放置されており、流用は台車、ブレーキ、連結器等にとどまる。」とある放置された車体なのだろうか。そして、そこで働く人がいなくなると見ている間に朽ちていく。

花巻電鉄011

車庫のトタン壁が崩れて中にある電車の車体が見える。

花巻電鉄012

なんとなく寂しい車庫裏

賢治童話の舞台にもなった岩手の軽便鉄道の終焉である。

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