クローバー会 春の特別凸凹列車 「春の奈良ハイク大仏鉄道の遺構めぐり」号 発車 

 5月9日 天気が少しあやしいのでしたが、クローバー会春の特別運行「春の奈良ハイク大仏鉄道の遺構めぐり」号が出発しました。ほんとうは天気があやしい方がよいのです。参加する車両たちのほとんどは製造から半世紀以上も経っているので、動力機関がオーバーヒートを起こしたり、足回りに異常が発生して走行不能となる可能性が高いのです。

_MG_4442

大仏線はこの加茂駅より奈良に向かって走っていた。

 

 ポンコツ13両編成の凸凹列車が10時30分に関西鉄道加茂駅を出発して大仏駅を経由して、大阪鉄道共用の奈良駅に向かったのでした。到着予定時間は大仏駅に15時11分、終着奈良駅に15時40分であります。途中、梅美台燃料補給所には12時51分の到着という運行計画です。さて、だいたい予定時間に加茂駅を出発して最初はtsurukameさんの『C5756急行「大和」を曳く』で有名な保存機C5756のところへ、そしてのどかな田園地帯を通って「観音寺橋台」に到着、説明板を見ながらヤンヤ、ヤンヤとうるさい凸凹列車であります。

_MG_4454

赤橋を見上げるポンコツ車両たち。この赤橋を関西鉄道の列車が走っていた。

これから先も各遺構のポイントでにぎやかのことでありました。適度な量の天空から降り注ぐ冷却液がよかったのか、ほぼ運行計画通りに梅美台燃料補給所に到着となりました。現地調達した燃料を補給する車両や所属する車両基地より特製燃料を補給する車両、そしてパワーアップを図るべく液体アルコール燃料を追加補給する車両もありました。補給場所は本線から離れた見晴らしのいいところで、本線のルートが平成元年と現在と周辺がどのように変わったかわかる表示板もありますので、補給場所としてはたいへんよいところでありました。ここから2か所の遺構を経由して最大の難所である黒髪山トンネル跡のサミットへと突入するのであります。鹿川隧道に寄ってから足回りに少し不具合が発生した1両の車両が最新鋭内燃機関を登載した無軌条車両で奈良駅へ回送したのでありました。12両編成になった凸凹列車は何とか黒髪山トンネル跡サミットを無事通過、さすがこのサミットはきつくもうすぐ大仏駅というところで列車運行の安全を考えて少しばかり運転停車となりました。出発してからは大仏駅に向かって一気に坂を下って行くのであります。そして大仏駅到着です。大仏駅で12両の凸凹列車の編成写真を撮り、終着奈良駅に向かったのであります。

大仏駅のポンコツ車両たち-調整済み-1

大仏駅に着いた凸凹列車。編成写真はなぜか半世紀以上も前の写真のようになってしまった。

奈良駅で、途中で回送した車両と京都よりやって来た製造から四分の三世紀とちょっとたった車両を連結して、特殊アルコール燃料補給所へと回送となったのであります。ここの特殊アルコール燃料補給所でこのような特別運行に味をしめたのか、次は有馬線での特別運行をしようという計画が出てきたのであります。しかし、予定は未定なのであります。言うのはタダであります。

_MG_4463

特殊アルコール燃料を補給して、ポンコツ車両はねぐらである各車庫のあるところへ回送して行った。

 ということで、このような冗談、おふざけはさておき、皆さん楽しんでいただけたようで、計画をした者にとってはたいへんうれしく思っています。今回、計画するにあたって調べていく内に関西鉄道の全貌が見えてきたのは私自身予期せぬことでありました。「関西本線」という名前になった関西鉄道は今の草津線である草津から柘植、亀山、四日市への鉄道に始まり、大阪へ進出していった民間鉄道で、名阪間で官設鉄道(今の東海道線)と激烈な競争をしたことは有名なことです。子供の頃は湊町から柏原、王寺、奈良から名古屋への鉄道がなんで「関西本線」というのか不思議に思っていたのですが、とにかく大阪と名古屋を結んでいる関西地区の鉄道路線だから、そのような名前になったというぐらいにしか考えていなかったことを思い出します。今回、いろいろ調べて当時の社長が広軌(標準軌)論者で狭軌から広軌に改軌できるような規格で建設されていたことを初めて知ったのです。また、新幹線の生みの親と言ってもいい島安次郎氏は関西鉄道の社員で、関西鉄道の国有化で鉄道院(その後の国鉄)に入省したことも知ったのです。まだまだ、関西鉄道については知らないことがあるのでぼちぼちと知りたいとおもっているのですが、そのようなきっかけになった「大仏鉄道遺構めぐり」でありました。

 今回の計画をするにあたって、奈良の駅名研究家さんから「大仏鉄道研究会」のことを教えていただき、また同じく教えていただいた雑誌の月刊大和路ならら2013年11月号(182号)はよくできた内容でさっそくバックナンバーを購入して今回の計画の参考にいたしました。乙訓の長老様より転籍してきた「新日本鉄道史(下)」には関西地区の内容でほとんどが関西線のことで、現在の三重から大阪、和歌山にかけての鉄道のほとんどが関西鉄道線であったことがわかり、これも十分に活用させていただきました。今回、実際に遺構めぐりを行ってみると道案内板と説明板があり、非常にわかりやすく大仏鉄道研究会の方々のご尽力があったから楽しい遺構めぐりができたと思います。このHP上で失礼と思いますがお礼を申し上げます。住宅地開発がされていますが、このような歴史的遺構と残っている周辺の里山と住宅地が共存する地域となると、なかなかいい所になるよう思いました。

 さて、みなさんこれからは加太や三岐鉄道北勢線、四日市あすなろう鉄道内部、八王子線へは関西本線を積極的に利用しましょう。  それではまた。

5 thoughts on “クローバー会 春の特別凸凹列車 「春の奈良ハイク大仏鉄道の遺構めぐり」号 発車 

  1. どですかでん様

    お役に立てたようで嬉しい限りです。私は勤務のために参れませんでしたが、詳細なレポートを拝見でき、とりあえずは満足です。次の機会はぜひ参加したいものです。

    • 奈良の駅名研究家様 コメントありがとうございます。ちょっとふざけ過ぎかなと思いましたが、ガリ版刷りの「青信号」ではこんな感じの記事が多くありました。少し、そのような感じを再現してみたのですが、いかがでしょうか。でも、全てがこんな感じでなくてまじめな記事も多くありました。さて、大仏鉄道について教えていただいたことで月刊なららはたいへん参考になりました。まず、図書館にあったので借りておんでみましたが、これは何回も読むであろうと思ってバックナンバーを購入しました。関西鉄道関係では鉄道史資料保存会が発行した「関西鉄道史」「資料・鉄道時報にみる関西鉄道 明治三十四年~四十年」が図書館にあるようなのでこれを閲覧してみようと思っています。関西鉄道は「春の関西1デイパス」のフリー乗車区間(柘植より東側は除く)に入っているので関西鉄道の名残を見るのに都合がいいかもしれません。また、近いところで楽しめるところが増えました。

  2. どですかでんさま
    少し雨は降ったものの暑くなくおっしゃるように、丁度よかったのではないかと思います。
    わずか9年だったという大仏鉄道、それも100年以上昔なのにいくつかの遺構が残っていてなかなか楽しめた今回のイベントでした。これもどですかでんさまの下見や資料を含む周到な準備のおかげかと感謝しています。遺構めぐりは初めてでしたが、関西には他にもいろんな遺構がありそうで、また、次回の企画を楽しみにしております。

  3. どですかでん様

     この度は企画から実車での運行まで大変お世話になりました。天候が一時崩れたとはいえ、数時間だけの話、順調に行程を進められたことを感謝いたしております。

     ポンコツとはいえ、かつては名車の集合体、ポイントごとでの目の輝きの素晴らしさ、大層重厚な13連でありました。

     駅名研究家さん、ご協力有り難うございました。次は是非ご一緒いたしましょう。

     お陰様で充実した一日でした。ちょっと飲み過ぎましたが・・・!?

     そうそう、かの内田百閒先生を彷彿させる名文、さすがですね。

  4. マルーン様 大津の86様 無事終了してよかったと思っています。マルーン様がコメントを書かれているということは無事帰られたので安心しました。さて、特殊アルコール燃料補給所で次回の特別運行は有馬線でということで、私は知らなかったので少し調べてみました。終点の有馬駅の駅舎は洋風の立派な駅であったようです。こちらも面白いのですがちょっと遠いですが豊岡の手前の江原からそばで有名な出石へ走っていた出石鉄道もいいかもしれません。2月13日から5月6日まで但馬国府国分寺館で「最初で最後の出石鉄道展」という企画展があったようです。今年が休止70年を記念して行われたようです。出石鉄道については1973年6月10日にDRFCのメンバーとOBの4名が探訪したようです。その記事が青信号30号にのっています。終点出石で出石そばを食べるのもいいかもしれません。ここを運行する場合は軽便仕様で運行するのがいいのではと思っています。秋の(安芸の?)イベントまでのつなぎとするのはいかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください