「大阪しなの」を送る -2-

60212 576syo先日、JR西日本線が乗り放題の「おとなびパス」が一日分余ったため、近郊の特急に乗ってきました。京都から外国人で満員の「はるか」に乗って新大阪へ、折り返し「しなの9号」に乗って京都へ戻り、「スーパーはくと」の先頭車の展望席を確保し、初めて智頭急行線に乗って倉吉まで向かいました。「しなの」は標準6両編成ですが、この日は60212 583syo10両編成。2両、4両の付属編成で弾力的な増結が可能となりましたが、まだ名残り乗車には日があるため、自由席の乗車効率は10%程度。いつも見慣れた車窓風景も、よく空いた特急の車内から眺めると、また違った光景に映りました。新大阪から京都まで、わずか20分あまりの乗車が、最初で最後の「大阪しなの」の乗車となりました。最後部10号車クモハ383-13の車内、右側に乗客が寄っているのは、単に陽射しを避けたいため 京都駅0番ホームの電光表示
0L3A3012syo▲そして本日、3月24日、最終日の1日前となる「(ワイドビュー)しなの9号」、おなじみ京都駅2番ホームから入線をとらえる。クロ383-7先頭の10両編成。


60323 002sy_R「大阪しなの」の源流、「ちくま」が篠ノ井線を行く 姨捨~桑ノ原(信)の25‰を下って行く、長野発大阪行き「第1ちくま」 昭和43年2月
60323 004sy_R大出力エンジンを搭載したキハ91系が試作されて名古屋機関区に投入され、昭和42年10月から、長野~名古屋の「第2・第4しなの」1往復に使われた。この試験結果に基づいて、キハ181系が新製されることになる。昭和43年10月改正で、キハ181系の特急「しなの」が、名古屋~長野にデビューする。写真は姨捨~桑ノ原(信)の「第2しなの」キハ91系の9両編成
60323 005sy_Rスイッチバックの姨捨駅を通過して行く長野発名古屋行き「第3しなの」。キハ58系急行も、この年10月からはキハ181系特急となる。昭和43年2月

大阪~長野の急行「ちくま」は、特急への格上げの形で、昭和46年4月改正で特急「しなの」、キハ181系となった。この時点で「しなの」は、名古屋発着の2往復を含む3往復体制となった。
重装備のD51が活躍していた中央西線も電化が完成し、昭和48年7月改正から、「しなの」も、新製された振り子式381系電車となり、急行「きそ」格上げも含んで、「しなの」は一挙に8往復体制となった。ただ「大阪しなの」はキハ181系のまま残ったが、昭和50年3月改正で381系となった。
60323 006sy_R写真は山崎~高槻、サントリー前のカーブを行く「しなの」、昭和50年3月、まだ、字幕が愛称名のみの時代、周囲もまだマンションの建つ前で、自然が残っていた。
60323 007sy_R字幕がイラスト入りとなった時代。貫通式の先頭車はクハ381-5、381系もほぼ量産車がそろった時代で、381系にとってはもっとも華やかな時代だった。神足~山崎 昭和55年5月
60323 012sy_R雪煙を上げて疾走する「しなの」 神足~山崎 昭和59年1月
0L3A3027syoそして「しなの」は平成7年から383系化が始まり、翌年には同系に統一された。写真は、京都駅0番ホームを発車して行く、本日の「(ワイドビュー)しなの9号」。10両編成の特急は、なかなかの存在感だった。     

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