燃える大地への旅 2017年 台湾 Part10 台北雙連市場見学、桃園空港MRTに乗る、帰国

第7日目 6月14日

朝起きますと久々の雨模様です。この旅の撮影中によくぞ降ってくれなかったと感謝、感謝です。今日は撮影予定を入れていません。帰国のフライトも12:15発と十二分の時間がありますのでこれも久しぶりのゆっくり朝食です。

▲ 7:37 宿泊しています台北國宣大飯店の朝食バイキングです。ガッチリと言っても朝食を食べるにも体力はいります。若い時とは比較にはならず家にいる時と同じく口に入れる程度です。

宿泊した台北國宣大飯店は大津の86さんが台北に来る時はいつも泊られている常宿で、周辺にお詳しいのです。今日はあいにくの雨ですが近くにオープンしている青空市場(雙連朝市)に行ってみることになりました。私も海外に行くといつも市場を散策しますので興味津々で見に行きました。

▲ 今日は雨なので出店も少し少ないそうですが、それでも朝から買い物に来られている主婦の方々は熱心に食材を選んでおられました。中国天津駐在時代は単身赴任で自炊でしたので朝には青空市場に買い物に行きましたので親しみが持てます。市場のおばちゃま達とも直ぐにお友達になれましたが、卵を買うたびに安くなっていったのをよく覚えています。ここでも常連になると値段が安くになってくるのでしょうね。台湾は日本人には住みやすいところだと聞いていますのでその内に住んでも良いかなと思いました。

▲ 8:24 雙連市場は台北MTR淡水線の雙連站から始まっていました。

9:00 ホテルに帰ってから荷物を持って空港に向かうことにしましたが朝からの雨が本降りとなって強くなってきました。ホテルはMTR駅の中間にありますのでこれでは濡れます。タクシーを呼んでMTR台北站に向かうことにしました。

▲ 9:20  桃園空港MRTの台北車站に到着。空港への直達車(快速)5両編成が発車待ちしています。

▲ 今まではリムジンバスで1時間以上はかかっていましたので15分間隔での運行、38分での到達はとっても便利になりました。4つ目の第2ターミナルが降りる駅です。

▲ 本来は2010年には完成予定だった空港へのMTRです。直前の開業予定日も延期が続き一体どうなるのかとあんじられましたができてしまうと到達時間の短縮等の快適性は嬉しくなります。デラックスな車両ではありませんが、フリーWifi、荷物置き場や飛行機の搭乗案内等の要十分な設置もあります。鉄ちゃんとしては前面が見えたら良いのですが・・・、中々海外の車両は日本のようにオープンにはなっていません。

▲ 10:10 台北桃園国際空港に到着、大津の86さんから免税店には売っていない台湾名物のお土産があるというので連れて行ってもらいました。

▲ 先にチェックインを済ませてラウンジに入って軽く食事ですが、医者から搭乗時のアルコールは気圧の関係で現在の右目の症状には悪影響があると注意されましたので我慢です。

① 台北 12:15(JL816)⇒16:00 関空

▲ 13:01 フライト45分後に配膳された機内食です。往路と違ってプリントされたメニュー詳細はありませんでした。私の主食のビールは注文せず、こんな搭乗は初めてです。

② 関空 16:14(はるか)⇒17:19 高槻 17:29⇒17:39 長岡京

16:00 往路より10分早い2時間45分のフライトが済んで定刻の関空到着。今回から迎えの来ない自宅への帰路は、高槻に止まるようになって楽になったJR「はるか」ルートを選びました。
自宅後は直ぐにお世話になっています眼科に直行しました。先生からは「手術が必要だが出血は止まっています。このままでは右目は今の失明状態が続くと思われますので、しばらくは様子をみてから手術に望みたい。6月23日~27日に予定されている中国大連・瀋陽へのツアーはどうされますか?強行されるのは患者さんの意思によりますが担当医としてはおすすめできない。飛行機に搭乗した場合、気圧の関係で眼球が内出血を起こして最悪、破裂といったことも予測されます。」と言われました。

大連・瀋陽へのツアーを誘っていただいたT村さんには事情を話して直前に近い状態ですがキャンセルを申し出ました。またその次のツアーも参加申し入れをしていました。日本統治下時代の狭軌軌道(1,067㎜)からルシアンゲージ(1,520㎜)への改軌が進む樺太(サハリン)の鉄道への訪問です。こちらは7月9日~18日と、まだ余裕があります。先生と手術をしてからの状態経過を見ながら相談して考えることにしました。

人生最大の不幸があってから初めての旅は終わりました。いつもと違っての気力がなく行程を立てたりきっぷやホテルの手配は、ご一緒させていただいたクモハ73106東ウラさんや大津の86さんにすべてお願いしました。お手数をおかけしまして申し訳ありませんでした。またお世話になりましてありがとうございました。おかげで悲しみを少し和らげる事ができました。立ち直るにはまだまだ長い時間が必要なのかもしれませんが、それには鉄活動を続けることが1番と分りました。
こういった機会があればできるだけ参加していきたいと思っておりますので、お誘いいただけますようよろしくお願い申し上げます。続いてサハリン紀行記を投稿させていただきます。重ねてよろしくお願い申し上げます。

北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅

 

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