近鉄田原本線は今年で100周年です。田原本線は「たわら・ほんせん」ではありません。「たわらもと・せん」です。元は大和鉄道という鉄道です。大正7年(1918年)4月に新王寺-田原本間が開通しました。いまは標準軌(1435mm)ですが開業当初は狭軌(1067mm)でした。大正12年には桜井まで延伸しました。しかし田原本と桜井間は昭和19年1月に戦争中に不要路線となり営業停止、廃線となりました。そして、昭和23年(1948年)6月には新王寺ー田原本間が改軌されて標準軌になり、電化されました。この時はまだ大和鉄道です。昭和36年(1961年)10月に信貴生駒電鉄と、そして昭和39年(1964年)10月に近畿日本鉄道と合併しました。そして、いまに至っております。今年は開業100周年として田原本線に今年の4月から赤色(レッドマルーン)の復刻色を塗られた編成が走り始めました。そして7月から緑色(ダークグリーン)の復刻色を塗装した1編成が100周年記念第二弾として走り出しました。赤の復刻色編成は撮ったのですが緑の復刻色編成はまだです。少し涼しくなったのでノコノコと写真を撮りに出かけていきました。といっても30℃ぐらいですが、35℃以上に比べれば・・・(なにか、感覚がおかしくなってしまう感じ)
久しぶりに王寺まで歩くことに。JR王寺駅に着いて改札の向う側を見ると、お昼寝している青の117系が見えます。最近はこの位置でお昼寝のようです。
王寺駅の西改札口から新王寺駅へ向かいました。さあ、緑の電車に会えるのでしょうか。ハラハラドキドキです。なかなか遭遇しないのです。赤の電車の時は3本ほど待ってやっと撮れたのです。新王寺駅の改札口のところに着きました。時間を見ると、あと3分ほどで折り返しの電車がやってきます。すぐに会うことができればラッキーです。ドキドキしながら待っていると、あっ!緑色の電車がやってきました。こんなにすぐに来るとは思っていませんでした。2,3本は待たないといけないかと思っていたのです。
正面には大和鉄道の社章をデザインしたヘッドマークを取り付けています。そして以前撮った赤の電車にもヘッドマークが取り付けられています。
これは写真でもわかるようにシルバーの帯があります。これはかつて生駒線の電車にも同じ塗装の820形が走っていましたのでなじみがあります。ただ緑の電車にはなじみがありません。1970年代まで600系に施されていた塗色だそうです。しかし、確認できません。調べると、近鉄HPにある「近鉄資料館」のなかで「鉄路の名優」に関西急行電鉄1型(モハ1形)が緑色をしていて、名古屋線の特急だったので「緑の弾丸」と呼ばれていたそうです。今のところ近鉄で緑色した過去の電車はこれしか確認できませんでした。と思っていたら投稿入力の途中で買い物に行った時、書店で近鉄の本を見つけると裏表紙の写真になんと緑の電車がありました。モ5601形です。南大阪線の電車でした。よくよく考えてみると子供の頃に祖父母のところへ行くとき、阿部野橋から土師ノ里まで近鉄電車に乗っていたのですが、どうもその時の電車が濃い緑色をしていたようなしていないような、うろ覚えでよくわかりません。そうなれば当然よくご存じな方に登場していただいて、教えていただきたいと思っています。と書いてみたのですが、投稿入力中断して風呂に入りながらよくよく考えてみるとデジ青には有力な情報源があったのを思い出したのです。こんなこと(投稿を入力しながらあれやこれや考えたり、調べたりしている。)しているからなかなか完成しないのであります。(そんなことですので、準特急さんに追い抜かれてしまいました。こちらは各駅停車ですので追い抜かれて当たり前ですが)その情報源とは関三平さんの「昭和の電車」なのです。そして電車のイラストが総天然色?です。ということで近鉄の電車を見てみると、ほとんどが緑色でした。今はレッドマルーンが近鉄の色ですが、かつては緑色が近鉄の色だったようです。またもや中断。今はお盆ですのでお墓に供える花を買いに近鉄電車がすぐそばを通っている道の駅へいったのです。そこで近鉄電車を眺めていると子供の頃に線路際で見ていた近鉄電車がぼんやりと浮かんできて、その色が濃い緑色をしていて・・・赤の近鉄電車を長く見てたので、緑の近鉄電車は脳の奥の方にクモの巣が張った記憶の棚に追いやられたのでなかなか掘り出せなかったのです。最初に緑の復刻色で、次に赤の復刻色にしてくれれば。
さて、田原本線開業100周年を記念してイベントが王寺で開かれる予定だったのですが、前代未聞の東から西へ来た台風のおかげで中止となりました。100周年記念として近鉄から記念入場券と「田原本線1dayフリーきっぷ」が発売されます。記念入場券は販売は終了しています。フリー切符の第一弾は販売終了しましたが、第二弾として9月14日(金)から10月14日(日)まで販売するそうです。ただ、この切符の利用可能日は10月14日で、このときにイベントがあるそうです。記念切手も発売されました。ただし田原本線沿線の郵便局のみの販売です。
私は記念切手を購入しました。クリアファイル付きです。800形の電車がレッドマルーンとホワイトのツートンカラーがあったとは知りませんでした。単端式ガソリンカーの写真もあり、100周年記念の切手としてはよい出来ではないかと思っています。
ところで「大和鉄道唱歌」をご存じでしょうか。奈良県立図書情報館や田原本町役場からユーチューブで公開されています。検索してアクセスしてみてはいかがでしょうか。過去と現在の映像とともに「大和鉄道唱歌」が聞くことができます。
近鉄の路線としては地味な路線ですが、意外と便利な路線です。しかし、あまり注目されません。100周年記念イベントでちょっとは注目されると思ったのですが無粋な台風がじゃまをしておじゃんです。
飛鳥川を渡る田原本線の近鉄電車、このように見ると今のツートンカラーもいいかな。
どですかでん さま
赤と緑の復刻色と聞いて田原本線の緑?と思いましたが、やはり600系に由来していたのですね。どですかでんさまは緑の近鉄電車の記憶が薄れておられただけで、直ぐに想い出せなかっただけだと思いますが。小生はとても関西急行電鉄1型までは遡れませんし、また南大阪線モ5601形も知りませんが、600系の濃緑は奈良電乗入れの天理・橿原急行で随分目撃した見慣れた色でした。ついでに赤・緑で想い出すのは昭和40年代初め頃、近鉄の標準色が赤色化された過渡期に赤+緑の混色編成が闊歩していたことです。当時奈良の寺巡りをやっていたので、行き帰りに京都線でよく乗り合わせました。正直いって「キモイ」編成でした。考えてもみて下さい、赤と緑という原色の混色編成ですよ。京阪の赤+黄、緑+草を見慣れた身には信じがたい取り合わせでした。名鉄のパノラマカー以来、そろそろ原色編成も見慣れてきてはいましたが、原色は原色でも単一色でした。それが相対色ともいえる組み合わせで編成されるのですから、小生など色彩感覚が狂う(元々たいしたものではないですが)のではと不安になりました。今もって何故同色車で編成を組まなかったのか不思議です。確かBOXでの論争で近鉄連に対し「田舎電車」と罵る理由の一つだったように記憶しています。ところで赤色車に銀帯が復活したのは朗報ですね。最近はセンスが良くなってきたようですね。
コメントありがとうございます。次第に薄れていた近鉄の緑の電車がよみがえってきています。ところで、また風呂に入りながら考えていたのですが、緑に復刻した塗装があざやかではないかと思っていまして、これは当時の塗装前の下地処理が今と違っているためではないかと考えてました。色は当時と同じなのでしょうが、今の方が下地が平滑なために鮮やかになったのではと思いました。また、当時と同じ塗料ではなく、今の方がいい塗料なのでしょう。このことは総本家青信号さんも次のコメントで書かれています。これは仕方ないでしょうね。
田原本線、私も先々週、復刻塗装狙いで行って来ましたよ。復刻塗装は、共通運用で、どの線区に入るか分かりませんでしたが、沿線で百周年行事が大々的に行われた翌日のためか、2編成とも田原本線に入っていました。箸尾で下車し、東側の築堤で待ちましたが、1時間で、2編成の往き、戻りも撮れて、たいへん効率的でした。いずれの復刻塗装も、当時と比べると、ちょっと鮮やかすぎるような感じでしたが、いい雰囲気の塗装でした。田原本線は、とくに変化のない、地味な線区ですが、日中、ほぼ15分ヘッドの運転で、そこそこの乗客もあって、地元の生活に定着しているように見えました。
添付の写真は、ベテランファンからもらった写真で、昭和53年の西田原本駅での撮影です。820系で、ちゃんとマルーンに銀色の帯が入っています。まだ狭軌の大和鉄道時代の低いホームが残っていますが、これは、今でも西田原本に残っています。
暑い最中に来られたのですね。私も箸尾の東側にある築堤で撮りましたが、陰になるところもなく暑かったと思います。私も同じように復刻色は鮮やかだと思いました。そして、最初に感じた印象は明るい緑に感じました。私は田原本線で乗っていて好きなところは大和田から新王寺の間で、間もなく新王寺というところをゆっくりと築堤を下っていくところです。王寺の町を眼下にみて関西本線をオーバークロスして新王寺到着です。この区間でもいいところがあり、何回か写真を撮りに行きました。近場でいいところです。西田原本駅で思い出すのは解体された旧駅で出入口近くに売店があり、木のモールで旧漢字で右から左に売店と書かれてありました。次に来るときに写真を撮っておこうと思ったのですが、その時は旧駅舎は解体されてしまいました。西田原本駅周辺はいい雰囲気でした。きれいに整備されました。西田原本駅と田原本駅の乗り換えは好きな乗り換えで名古屋方面からの帰りはいつもここで乗り換えて帰ります。
どですかでん様 総本家青信号特派員さま
確かに昔の600系の塗色はいずれももう少しくすんだ感じでしたね。塗料や下地が変わったのかどうかはわかりませんが、旧型電車にはやはりケバケバしくて、余り似合わない色合いだったように思います。写真の現在の復刻色の方が似合っていると思います。
速攻のコメント、ありがとうございます。はい、暑かったですね。田圃のなかに納屋があって、その軒先から写していました。私も新王寺の手前の立派な築堤が大好きです。下には関西線、桜井線が絡んで、複雑な立体交差も魅力です。こんな情景を、故人のNさんの写真を3点連続で見ていただきます。
▼関西線の客車列車が王寺に到着すると、反対に桜井線のDCが出発する。右手前には現・田原本線のレールが見える。
▼つぎは関西本線の上り列車、牽引するは、奈良区の名機、C51、ただ火の粉止めを付けているのが、惜しい。
▼近鉄電車のルーツとなるデボ1形を改番したモ220形は、大和鉄道(現・田原本線)に貸し出されて活躍していた。腕木信号機は国鉄関西線のもの。(昭和35年)。なお、この写真はJTBパブ「近鉄電車」の中扉として使われている。
追伸:どですかさん、私はその後、王寺から生駒まで生駒線に乗車して、お宅の近くまで行きましたょ。例の土砂崩れ現場も初めて通りました。まだ徐行していました。発生当時は近鉄とモメていたようですか、その後の“奈良判定”はどうなったのでしょうかね。
謎のそうほさん、すごい写真ありがとうございます。関西線の腕木式信号機が田原本線の築堤に土台があったとはしrませんでした。今度、その土台が残っているか調べたいと思っています。ところで生駒線勢野北口ー竜田川間の土砂崩れですが、奈良県が原因調査は行ったようです。毎日新聞のデジタル版(2018年2月7日地方版)に「県は調査結果を公表し、大量の雨水による土の重みと上昇した地下水位の水圧が加わって宅地部分の盛り土が押し出され、擁壁の崩落につながったと原因を結論付けた。」とありました。3月末には復旧工事案を提示するとありますが、見逃しているかも知れませんが広報などで見たことがありません。どうなっているのですかね。崩れたところは東信貴ケ丘の住宅地が出来てから、その後に一角だけ残っていた雑木林を宅地に造成したところです。本格的に復旧工事をすればすぐにできると思いますが、責任問題や工事費用などで進展していないのかもしれません。列車本数が減っているので王寺駅でのJR線との接続が悪い時間帯がありちょっと困りものです。元山上口の土砂崩壊はちょっと時間がかかると思っていましたが、意外と早く復旧しました。やればすぐできるのに困ったものです。
どですかでんさま コメントの皆さま
田原本線の記念復刻塗色列車からモ200まで楽しませてもらいました。濃緑の近鉄電車の記憶がないとのことですが後期高齢者なるのを実感しました。濃緑と濃赤の近鉄色ですが、現役時代の標識灯を保存してましたのでご覧ください。保存者に似て風化が激しく、色の片鱗しかわかりませんが何かの足しにしていただければ、戦後働いてくれた近鉄旧型車両のお盆供養になることと思います。
王寺駅の国鉄風景なつかしいです。東京からの下り夜行急行列車大和が王寺駅の広い構内を出発するのを撮影に行きましたね。
大阪通信員さま これで完全に近鉄の緑の電車がよみがえりました。緑の電車と言えば南海電車というイメージが強いのです。学文路へ行くのに利用したからです。学文路の話も知れべないといけないことがあります。某所からある密書が届いて・・・(・・・をちょっと多用しすぎるようですが)また、田原本線についても追いきれていないことがあります。それは鉄橋の話なのですが、それはいずれ後にということで。しかし、貴重なコレクションですね。単体で見たらガラクタですが、関連付けると貴重な資料となることがわかりました。ありがとうございました。
大阪通信員さま
いやあ凄いコレクションですね。ホントに色んなものをお持ちなのですね。まさにこんにちコメントが飛び交っている一連の話題が持ち上がるであろう事を予想して残しておられたような証拠の数々です。標識灯のお盆供養ですか。保存者の方の信心深さには頭が下がります。折角なので厚手の布地でゴシゴシ磨けばもう少し緑と赤色がハッキリするのではないでしょうか。いや、後期高齢者の方にこのクソ暑い中、無理強いをする気は毛頭ございませんのでお聞き流し下さい。次は何が飛び出すかを楽しみにしている、4年後に後期高齢者に編入予定の者からでした。
どですかでんさま
訂正です。濃緑の近鉄電車の記憶がないとのことですが「小生が」後期高齢者なるのを実感・・・が正しいです。失礼しました。
さて、60周年と100周年、記念同士で田原本駅に停車してくれませんかね。田原本線から生駒線で大阪へ帰りたいんですけど。どですかでんさま応援ねがいます。
田原本に停車出来ればいいのですが、そうはいかないでしょうね。なんせ、現役生の企画ですから、勝手はできないと思います。ちなみに京都駅18時ごろに解散ですので18時31分の天理行急行で平端乗り換えをして、西田原本経由で新王寺着が19時59分になります。18時16分発の樫原神宮前行ですと新王寺着が19時41分着です。急行が混んでいるかも知れませんが、私はこれで帰ろうと思っています。ちなみに西大寺経由よりは8分はやいです。いろいろ調べてみると西田原本経由が一番早くつくようです。そこから生駒線で難波ですとちょっとおそくなりますね。
どですかでん様、コメント皆様
大和鉄道と近鉄塗装が話題となっております、私も便乗させてください。近鉄の緑については、今の復活色は確かに明るい感じがします。「緑」の頃は小学生で頭の中のイメージしか残っていませんがもっと濃い印象が残っています、車体の感じも異なりますが今のような「ツルット」したイメージではありませんでした。旧型車での印象は異なるようですね。この前伊賀線でも「緑」の復活色が登場しましたが私のイメージよりはやはり明るい印象でした。また、南大阪線では「緑」から「赤」に変わる途中で6600でオレンジ(ラビットのオレンジ)の試験塗装車が走っていたと思います。田原本線の古い写真を探していたのですが「そうほ」さん程鮮明ではないのですが1969年の西田原本駅近くの写真がありました。660(663)+360の2連で、EXPO70のキャンペーンシールを貼り付けています。ちなみに復活色は奈良線とも共通運用のようですね、奈良線ではどんな組み合わせになるのでしょうか興味の沸くところです。
wakuhiroさんの言われるように私も小学生ごろの印象ですので、なかなか鮮明に緑の電車がよみがえりませんでした。今の電車で近い印象は阪堺電車の濃い緑色ではと思います。補機に蒸機を撮りに行こうとして雨が強くなったので、王寺からぐるっと回って西田原本から乗った電車がwakuhiroさんの写真にあった電車ではと思います。その補機の記事には池部で駅に腕木式信号機が見たと書いていました。たぶん、使われていなかったのでしょうが。
王寺駅には北口に2本の私鉄行き止まり式ターミナルがあり最初に見た時驚きました。こんなの他にあったのかと考えてみました。立川は青梅電軌と南武鉄道は多分南北別々であったと思いますし王寺のはとにかく珍しく感じました。2本のうち生駒線は撮影したので近々田原本線に行って来ようと思います。これもどですかでんさんや総本家さんの最近の情報が刺激になったからです。wakuhiroさん古い珍しい写真有難うございます。どですかでんさん、117系の昼寝まだ健在なようでもう1回くらい行きたいですね。ただ、あの色はどうも苦手です。
どですかでん様
締めの写真、いいですね。和みます。 お地蔵様と近鉄電車。
今日はお盆。地蔵盆ももうすぐですね。つくつく法師、赤とんぼ・・・秋か!
昨日の夜、新王寺駅をのぞくと緑の電車が。カメラを持っていたので1枚いただきました。赤の電車も走っているよ。新王寺21時05分発西田原本行でした。