高崎駅周辺が騒がしい

KAWANAKAです。

久し振りに投稿します。高尚な記事を持ち合わせていませんが、現住所が大阪、税金は千葉県に納めている関係上、両方に少しづつジャブを入れています。

高崎辺りが騒がしいとコメントが出ていましたので参加します。

23日の用事を済ませて東下りしたのですが、家内が高崎にいる愚息夫婦+孫に会うので付き合えという。仕方がないので折角の休日、高崎(実際は新前橋)の愚息宅へお邪魔することになった。

家内を家に残し、愚息の車で折角来たのだからC58位見せろ!ということで孫を家に放ったらかしで出ました。愚息の運転でとにかく線路脇に行け、いうことで、まず1枚。詰まらん拙写でC58というのがわからん。

 

場所は残念ながら車で移動のため見当がつきません。記録を見ると11:49の時刻がありますので大体は分かります。名古屋からの同業者が1人だけ居て、ススキが伸びすぎているからとハサミでチョキチョキキ切ってごらんのようになりました。最近は脚立を持って大汗かいている御仁が増えているが、はさみはなるほどと感心した次第。

水上では物凄い人。近寄ることもできず、駅の反対側に回って、今度は転車台で回るC58とD51を。ついでに秋の雰囲気と言うことでススキを入れた写真を。人が多くて小生の腕ではこの位しか撮れませんでしたが・・。

 

その後、新前橋の家に戻り、孫の相手をして飽きたころ、帰ってくるD51+C58を撮って終わりとしました。今度はC58というのが分かりますね。

ま、じいじの役は不完全かも知れんが果たして、煙のにおいも嗅げたし良かったと言うべきでしょう。そのほかの戦果もクローバー会のメンバーが補足しているので良いとしましょう。

翌日は帰る前に、今度はC61+D51というので、迂回のカシオペアをキャッチしたから帰阪した。C61は元祖青信号を飾っているので拙写は省略。また、お別れの113系も行きたかったのですが、佐倉にいた関係でゲップが出るほど下手な写真を撮ったので自分を慰めることとします(機会を見て、追悼の平常拙写を投稿します)

また、突然出没しますのでよろしく。

東京から鹿児島までの旅

KAWANAKAです。

そろそろ我が関東の故郷になってしまいそうな佐倉点描でもと思っていましたが、YHや西村氏の投稿に刺激されて九州の写真を探しました。そこに吉都線など南九州があるはずなのですが、引越しを重ねるうちにどこにあるのかわからず、その代わりこんな写真を見つけました。アルバムに整理する途中だったようですが、編成の記録などはどこかに紛れ込んでわかりません。録音テープも行方知れず。

年代の人は、懐かんで見てもらえれば幸甚です。大きな1枚窓を開放し風を全体に浴びて旅の空気に浸り、見知らぬ人との出会いやハプニングを楽しむ。夜明けの寒さに目覚め、ホームの洗面で葉を磨く、こんな古き良き旅を思い出した訳です。

また、いささか汚い写真は多いのですが、何せ写真をスキャン/取り直ししての掲示なのでご容赦を。また、だらだら長いですが、それくらいの旅程と思えば容赦いただけるかなと思います。

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ダイヤ改正が間近に迫った金曜日、大阪から大垣経由で東京着、ここから長駆鹿児島を目指します。今まで乗った桜島高千穂(昔はこの名前ではなかったが・・・)とは違い、食堂車もないので、これからずっと4食駅弁にお世話になります。

東京駅12番ホームです。当時は一般的なゴハチの牽引です。入線した客車の先頭に立ち、いよいよ出発。

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沿線ではカメラを向けている人がいます。車内放送を録音している人もいます。そんな中を東海道をジョイント音も高らかに一路西下します。

熱海を過ぎると興奮は一段落、変化の少ない東海道をひた走ります。

昼になったので東海軒の駅弁を買っています。小生はこの時期が東海道で駅弁の購入した最後位になりましょう。名古屋の中村屋の弁当の包みはいつも面白いですが、このときはそこまで腹持ちがせず途中での購入です。皆さんデッキから降りて買っています。

列車はいくつかすれ違いをしながら只管、走り続けます。岐阜を出ると次は大津です。

この間のいくつかのすれ違いが写真に残っています。

・上りの桜島と離合

・新幹線が追い抜く

・しらさぎと離合

大阪に着くのは夕方。

これから列車は趣を夜行列車に変えていきます。

「おおさか~、おおさか~。列車がよく停まるまでお待ちください・・・」デッキドアが手動であるので時間に競っている人は飛び降ります。今ではそんな危険なこと、となるでしょうが。

大阪駅では8分の停車。給水をします。

その間に弁当を仕入れたり、まあ色々あります。鉄道は出会いと別れがつき物。このころのよき風物でしょうか。お婆さんが車内の人に挨拶をしています。

・8分停車

・さようなら、お気をつけて

・スチームはよいか。いよいよ夜汽車に。冷えるので十分な暖房が必要。懐かしいSGの湯気。

・夜行列車

昔は、このように過ごすのが普通でしたね。寝台車なんて高嶺の花。学生は普通列車でごろんと行くのが当たり前でしたなあ。

山陽を西に向かってひた走ります。途中停車駅で特急寝台に通過追越されていきます。

まだ、乗客が眠りの中にあるころ、本州と分かれていよいよ九州に。

長駆がんばってきたゴハチとお別れです。

乗務員もご苦労様でした。

九州に入った列車は小倉で分割、それぞれ別の鉄路を歩みます。熊本廻りの桜島を見送り、高千穂単独となります。列車の各としては、まあ、準急なんでしょうね。

列車は長旅の乗客を乗せて日豊路を南下します。

途中でほとんどの人が入れ替わります。もっとも東京から通しで乗ってくる人は誰もいませんが、さすがに単調な列車の旅は疲れます。

みどりと離合。単線なので格上列車に進路を譲ります。ヒマな乗客は気分転換、通過列車を見送ります。発車したってデッキから乗れますからまあ暢気なものですね。

・青井岳通過。こんどはこっちが格上です。

・長旅はさすがに疲れる。

いよいよ最終コース。桜島が見えると終着です。

車内はガラガラ、つり広告の「新しいひかり」の掲示が皮肉です。

・焼くムラがあって、どうもこのときは焼きをミスったみたいです。桜島が見えてきました。

1.5メガメートルの旅はこれで終わります。西鹿児島に着くと、旅情もなくあっという間に回送です。西鹿児島の写真は手元にないのでこれで終わりとします。

小生はこれから、鹿児島をふらついて、博多まで夜行で北上、つばめで帰阪することになりました。しんどかったが面白かった、また行こう、と言いたいのですが、もうあの列車は居ないのですね。九州ではこういう事態がまたすぐ起こります。しかし、こんな旅があってもええではないですか。

なお、この取材の前に高田氏も単独で走破されており、小生は京都から大阪まで併乗しました。弁当でも差し入れすればよかったかな(古い話ですが、高田さん、覚えておられたらごめんです)。南九州の記録は写真が見つかれば掲示するかなと思っています。

なお乗車は3月1日と記憶します。

鉄道スケッチ

重い腰を起こして漸く青信号に投稿しようという気になりました。 先輩諸先生や同期のF氏のような奥深い記事、K氏のような外国の紀行は書けませんが、幼い頃に鉄道に憧れたそんなプロモートが出来たら、ええやないかと思うに至り、またやはりJ氏の尻叩きもあって、拙写を披露するところから始めることになりました。 ヨロシク!! 暫くは、鉄道の季節を追っていきます。1年くらいはクオータリー+臨時便を出して行き、その後、色々書いていこうと考えています。 なに、大した学術的なものは一切ありませんから、適当にあしらって頂いて結構と思います。 さて、もう季節は冬に突入ですが、ちょうど秋が終わったので秋からの風景。目的も無く、思いつきで感じた写真を投稿します。 本格的に秋が深まるころ、同期のJ氏に声を掛けました。小生は長らく関東に勤務していて、関西は浦島亀太郎状態であったので、何年ぶりかに加太に行きまへんかと。30年いやもっと経っています。どないなっているやろうかと訪れた写真です。 すでに加太は無人駅で野猿の天下。駅の横になっている柿を食べてホームを我が物に歩く様子に驚きました。あの築堤にも猿の姿が・・・。 この写真は、昔よく通った場所から少し高い禁断の場所から捕ったものです。

休みの日にふと、同期のM氏の大和川での阪堺電車の写真を思い出し俄かにどないなっているか見に行きたくなりました。その写真とは40年前のものですので、60前後の人は見たことがあるかもしれません。すでに高速道路の橋が架かっていて往年の風景はありませんでしたが、空が高く、秋やなあ!という天気に恵まれました。歩くのが面倒くさいので、橋のたもとで、空を撮ってみました。

住吉さんへ戻ってみました。ちょうど神輿が練り歩いていました。そんな日本の風景を境内からスナップしました。 メタボになって膝が弱っているのでタイコ橋からの撮影は怖かったですが、神輿の向うにちょうど電車がきました。そんなこととは関係なしに神輿は通過していきます。

秋は抜けるような青空が魅力です。仕事で帰ったときについでに寄りました。 1つめは、ひたちなか海浜鉄道。田んぼの中にある中根駅辺りの風景です。 何?国鉄色ではない?ま、あまり気にしない、きにしない。次の那珂湊には、「たま」ほどではなけど、駅員のねこがいます。そのおさむ君に餌をやって家路につきました。 北関東で天気が良いときは、赤城山がよく見えます。上毛電鉄の赤城山は有名ですが、JRだって裏赤城?が見えます。 快晴の中を115系が走ってきました。 *赤城山と思いますが・・・。違えばばゴメンです。 せっかくここまで来たのですから、吾妻線に行かねばなりません。ちょうどダムの建設場所辺りが川原湯温泉です。車中のおばさんは、この温泉も客が減ったねえ、と言っていました。その近所、渓谷を見下ろす鉄橋に来ました。日本最短のトンネルのあるところにはあと2kmくらいのところです。おりしも湘南色の185系がくるので、写真を撮っていた観光客にお「どうせ撮るなら電車もどうですか}と一緒に撮りました。ちょうど一陣の風が吹いて山間で残り少ない紅葉を散らせて行きます。

関西は秋がもう少し長いようです。 またまた休みの日に。能勢電鉄を訪れました。1時間ほどで大阪に仕事で戻ってきましたが、4連でワンマンなのですね。びっくりです。光風台から坂を上って見ましたが、季節を感じさせるものはkの黄色い花くらいです。あとはポジションがあいません。まあ、これでも秋かな、と1枚撮りました。

さて、小生の自宅は、東海道線、トレインビューの場所に ありますが、実は関東勤務の時に無理して購入した自宅が佐倉にあります。写真は今年(ということにしたかったのですが)ではなく1年前ですが載せます。我が家は丘の上にあり、総武線と成田線の分岐近くにあります。そのためにバラエティーには富みませんが、やはりある意味でトレインビューです。佐倉は朝霧が多いのですが、ちょうど通勤時、霧が上がりかけた中を今はなき初代成田エキスプレスが成田からの客を運んで来ました。乗客はまだ寝ているかも。霧が明けたら晴天です。手持ちのエクスリムで来た瞬間をスナップしました。

こちらは東海道の秋。自宅は線路脇なので、いつでもふらりと出かけることができます。このときも天気が良かったので、JRと阪急を撮りにチャリンコで出ました。ススキがきれいです。

まもなく、ススキの季節が終わり白い冬になります。 冬も鉄道はいろんな表情を見せてくれます。 そんな、景色を拙写ではありますが、お届けしたいと思います。