秋を愛でる

KAWANAKAです。

夏を休んでいたので久し振りの投稿です。夏の風物は色々あるのですが、そもそもロケする気力も体力もオマケに今年は脚力もないので予定とおりパスして秋に移りたいと思います。それで、秋を迎えるくらいにしようかと思ったのですが、彼岸花はきつくて群生していると列車が負けるとか勝手な理屈をつけてイヨイヨ秋という時点から秋を投稿しようと思います。例によってニュース性も話題性もまったくありません、がこれで季節を愛で(←「めで」です。字足らずであいして、ではありません)鉄道の醸し出す季節の雰囲気を感じることができれば、この国の四季はええなあ、となります。そうなれば成功。

という訳で、秋が秋らしくなるのは先ずコスモスが咲いてくる頃、になると思います。その後だんだん秋の色が深くなってススキになり紅葉、雪を迎えることになっていきます。夕暮れの景色もロマンチックやないでしょうかね。1回目はそのコスモスです。コスモスは列車の前面にワーッと咲いていてその向こうを列車がいると言うのが定番です。難点は季節が進むと同じ向きに茎が傾いて行き気が付けば野分のようにみえること、風が思わぬ方向から吹くと花の位置が変わってしまうということでしょうかね。例によって、小生軸重制限痛んでおりますので今年は出場できていません。それで昨年までのを中心にUPします。場所は拙宅の近所xαです。


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初夏を送る

KAWANAKAです。
田圃の水鏡に引き続き、初夏の風物あじさいを。もうそのシーズンは
そろそろ終わりですがこんな投稿があっても宜しいのではないかとUP
しました。今年はINUBUSE氏の水ぬるむ北勢線やWakuhiro氏の鯉のぼり
泳いでいますなどがあり、風物豊かであります。さて、あじさいはモ
コモッとド派手に咲くので列車の前面とかに季節の風物詩として出る
ことはあっても鉄には関係がないので、あじさいを前に出して登場す
ることは少ないと思います。それをわざわざUPするのはド変人と承知
の上でネタを仕入れに出ました。ところが過日の投稿で吐露しました
ように軸重が掛かりすぎて軽量化できるまで動ける状態にありません
。それでも出掛けようと車庫を出たまでは良かったのですが、直ぐに
駅の250‰の階段が無理と悟り結局引き返してきました。という訳
で秋口まで待ちきれず、過去に撮ってきたネタで初夏を終わりにした
いと投稿することにした次第です。賞味期限が1年前ですがどうせNews
性がないのだから、まっええかと言うことに勝手にしたいと思います
。ヘッドマークが違うやん、とかいうのは認識していますが、雰囲気
だけをお伝えします。早いこと線路脇に行きたいワイと思いながらUP
します。

拙宅のある佐倉はほんまに田圃以外季節感の少ないところで、また車
種も多くないので、同じ少ない車種ならいっそのこと日本の原風景の
残る小湊鉄道に行ってやろうかい。そこまで行くなら、もう少し足を
伸ばしていすみ鉄道もええやん、と。そこで、小湊の始発駅である五
井を7:23に出ればいすみ鉄道も効率よく捕れ、結構うろうろして
昼前に上総中野に戻って来れていすみの国鉄色2両(近じか3両にな
るが)も撮れるし・・。
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千葉からも田圃は水鏡

KAWANAKAです。

長い間音なしの状態でありました(佐倉の線路脇で生きております)。13日に宝塚線の田圃の水鏡が出ていました。かなり時間が経って賞味期間切れに近いというより正に賞味期限ですが、小生の篭っている祠(ほこら)の近所も水鏡と言う点では遜色ないと思いますので、またこのまま放っておいたら恐らく画像データがどこかに行ってしまうであろうとも思いますのでUPすることにしました。

場所は総武本線と成田線の分岐前で佐倉駅を出た1.5kmの地点です。小生の祠から、歩いて2分、そこから土手を下って1分の田圃脇です。狙うものは1日2往復の貨物と中心に色取がきれいな成田エクスプレスです。その時間にあわせて通過の10分前に祠を出ます。4月から勤めがなくなったので終日祠にいてゴソゴソ仕事をし、時間や!というときに4回家を出ます。最近は実家高槻でのロケで膝を完全に痛めてしまい、その2分が苦痛になって水鏡以降結構出陣がなくなりましたが、ま、最近までマメに出ていました。そのときの写真です。

まず、5時20頃の貨物です。15分くらいになると遠くからロコのタタン、タタン、タタン・・・というジョイント音とそれに続くタタタタン、タタタタン・・・というコキの音が夜明けの静寂を破って聞こえてきます。本来聞こえない距離にあって聞こえます。ややあって、カーブの影に隠れた列車は田圃の横をモータ音の唸りとともに目の前を通過、小生は足場の悪いのを忘れて1押しだけのシャッタを押します。毎日撮っていると田圃の表情が変わって行き、天気によって景色が変わるのが分かります。今日は風もなくしかも晴れ渡って水鏡は綺麗です。P1506-1

 

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広島の外廻り鉄

KAWANAKAです。

本当に久し振りの投稿をさせていただきます。最近はシルバー世代であるに拘らず副業に追われており中々、出掛けるチャンスがありません。

そんなとき、偶々、福山に副業に行くことになったので、西村氏の広島へ来んさい、の記事に誘われて副業のついでに外廻り鐵をしたということです。内容的には何も大したことはありません。イベントがあるわけでなし、お目当ての車両が走るわけでもないのですが、モタモタしていると広島地区の鉄道が様変わりしそうなので、この機会を逃す手はないと思い、西村氏に声を掛けた次第です。折角ロケするのだからデジ青に投稿して皆さん広島に来てください、と言うてくれ(かどうか忘れましたが)とのことで、貴重な電子データを借用する次第です。

さて多忙な中、暑いのでとの配慮からマイカーでロケに行きましょうと氏の居を構える本郷からスタートしました。特に何を撮ろうというのではなく、来たものを撮りつつ広島で旧車と新車を取り混ぜて撮っておこう位の気持ちで出とこ勝負、気楽に出かけました。ガツガツするのももう歳ですし、来たら眺め蘊蓄を傾けるというのも良いでしょう。という訳で、本郷を出て間もなく郷原信号場跡に車を止め路肩の広い空き地を利用して2,3構えることにしました。信号所の跡の研究ではなく、広島空港行の高速道路の橋を入れて撮ろうということになっただけのことです。

P1830281
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人と鉄道と -乗客編

KAWANAKAです。

デジ青の先輩の「人と鉄道と」編の言わば番外編として、まったく車両が写っていない)人と鉄道を掲載しようと思いつきました。tsurukame先輩の格調ある写真の狙いとは違って人間だけの表情を捉えて見ました。

対象はお金を払った人、すなわち乗客に絞っています。なかなかチャンスが来ないのと、肖像権の問題があって、撮っていいものかどうか悩ましいですが、カメラを出して意識して特にNoがなければOKと勝手に解釈し、失礼のないようにすれば良いかなあということで何枚か載せました。デジ青は公開すればその気になれば法的に問うことができると思いますが、そこまで悪意もないので許されると思います。

まず、最近の写真といっても房総にC61が走ったときの写真。発車までの間になにやら話をしていますが、(これは乗客と違いますね。失礼しましたが、きれいな女性はすぐに撮っておく癖があるものですから)でもこれは肖像権に当たらないと思います。

おいでよ房総

きれいと言えば、TVで活躍している知花くららさん。正真正銘の美人でありますが、ミュンヘン駅頭で偶然見かけました。旅サラダのロケをしていて、オクトーバーフェスタのロケだったそうです。スタッフに撮影OKを貰ってから撮りましたが、何と関係のないオッサンが現れ、彼女の腰に手を回し2ショット。

kurara-0

lkurara-1

kurara-2

 

 

 

 

(うまく写真が配置できなくて恐縮)ですが、おっさんの満足そうな顔が印象的です。

ミュンヘンといえばその時期、ぶんしゅう氏の投稿にもありましたが、どーんと人が集まります。そんな幸せそうなカップルを捉えました。腰の位置にカメラを持って撮った1コマですがうまくフレーミングできました。

ミュンヘン

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだありそうですが、国内に戻りましょう。女の子はこれがおしまいです。梅雨が明けましたが、ちょうどウインドウガラスが曇りそうな中に、佇む貴女を見つけました(ごめんなさい)。場所は嵐電嵐山です。

嵐電の女の子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ないが次も女の子(若いですが)。窓が反射して車内が見えませんが、中にはおじいさんがいます。また来てねというとことでしょうか。背伸びしないと車内までまだ見通せません。来年はもう少し大きくなるからね。

またね

 

 

次は、女の子ではなく女の親と子です。場所は九州大村線。子供がこっちを見たりしていたが、きょろきょろして中々決まらない。お母さんは、なにか一生懸命字を教えているのかな。

obenkyou

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに勉強しても、やがては大人になって賑やかな仲間になります。カメラを意識しているのか、どうでしょうか。既に出来上がっているのでしょうか、まったく気にしません。電車で帰る楽しい宴の終わりです。東海道線島田付近にて撮影。老年切符を使ったときの収穫です。

ennkai

賑やかも良いですが熟年の旅も捨てがたい。北陸線内でちょうど老夫婦が旅に出る。特急を使わずに、近場へ行くのでしょうか。画像処理が今ひとつですが、フレーミングが良くないですがまあこんなものでしょうか。

2人連れ

 

鉄道写真はなにも線路に噛り付いて撮るものではないと思いますが、とくに最近、魅力ある列車が減っているなかで、こんなものも被写体として面白いのではないか、と思い、いくつか載せてみました。今度はもう少し車両を入れたものも考えておきましょう。

流鉄流山線「なのはな」撮影記

流鉄のレポートが藤本氏から出たが、その中で小生の撮影記が出るであろうと書かれていた。精々、コメントくらいにしようと思っていたし、藤本氏が殆ど情報をカバーされているので最早出る幕がない、と思ったが、久し振りなので少しばかりHPを汚してみようと思う。

デカンショ祭り号さんが、出没すると公言されていたので、ひょっとすると、同行歩かねばならないかと思ったが、流山線はロケ範囲が限られているので大したことない、ロケ自体は楽かも。そこでもうすぐ無くなるのではないかと思う京成シティライナーをキャッチしてから行くことにしました。
で、小生は車重が重くなった後遺症で、ばねが痛んでおり、あまり遠距離・高速移動はできないので、のんびり撮影しながら流山まで歩いていこうと、鰭ヶ崎から撮影がてら移動をしていました。最終日は大勢の同業者がそこかしこに溢れており、どこを撮っても同じ。仕方ないので同業者を避け鰭ヶ崎の先、流山よりの陸橋の下の柵の隙間から両手でカメラを思い切り差し出して、1枚ゲット。もう少し広角があれば良かったのですが・・・。

P1690440M

そのころ藤本氏、デカンショ祭り号氏、新所沢都民氏が線路反対側の近くに居ようとは想像だにしていませんでした。目指す流山方面に移動するには線路の反対に渡らねばなりませんが、渡るには陸橋があるだけです。しかもその陸橋には歩行者用の階段がなく遥か離れた自動車専用の車線まで移動しないといけない欠陥陸橋でありました。上り下りと大回りして途中で休憩、そのときに来た流星(後追い)を1枚。線路沿いに同業者がいます。

P1690452

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸橋を越えて線路脇を場所を求めて歩いていると、3人にばったり。これから流山に行く積もりとの小生の予定を無視して、皆さん反対の鰭ヶ崎・小金城址方面に行くという。また、人の希望とは関係なく移動するようでありましたが、折角なので、さっき越えた陸橋を超えて同行することにしました。合流時、場所もパッとせず、やけくそで撮った1枚。こんな写真も意外とよろしいかと。

P1690448deji

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に最終列車の時刻になり、哀別+惜別の表示が哀別+最終になって、2カット終了。そのときには同じようにヘッドマークをつけていた流星号のヘッドマークは既に外されておりました。

P1690477

 

 

 

 

 

というわけで、ばねが痛んでいる小生としては、2回陸橋を超えてのロケとなりました。来る前に京成も歩いたのであ~疲れたという1日でした。
また、行こう。

晩秋風景

KAWANAKAです。

準特急先輩に神戸電鉄を取材せよとも取れるコメントを頂いたというわけではないのですが、冬を迎える風景には良いかも知れないねえ、と思って休みの度に出かけた。その月の内なら日曜4回乗り放題1800円というのがあって、三宮から新開地までも料金に含まれるから安い。大阪までの定期があるので、三宮までの休日を金券ショップで買うと片道240円(安い!)。みなさんも利用してはどうですかね。JRを使わずにかなり広い場所まで遠征ができますよっ。

神戸電鉄は紅葉の名所はないと思うが、それなりの原風景が大都市の景色とごっちゃ混在しているので、イケルかも知れない。行ってみると意外と残り柿子があったりして、しかし中々、線路と良い位置関係にはないのですが、探してみるとそこそこありました。場所を言うと面白くありませんので、興味があればそのうちコメントなどに載せようかと思います。

晩秋といえば残り柿子でしょう(と勝手に決めました)。いくつかあるうちの2枚を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑バックがクサイので少しぼかしてみました。

次に、線路脇に残った柿が撓わに残されている場所がありました。近くに古い民家もあり、そこにも1本残った柿の木がありました。晩秋の日本の秋と思います。このような風景が好きですねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1つはススキでしょう。ススキは誰でも撮ていますがここまで枯れてくると、秋も終わりという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり散歩をしていると野焼きをしているおばさんがいました。断って何コマか撮りましたが恥ずかしがって、ケツを向けます。仕方がないので、これでもどうぞ、というところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで秋の仕事もお納めになり、いよいよ冬へと向かっていきます。晩秋の日本の風景です。

PS: WAKUTA氏がハルカスの写真をいっぱい発表されています。ついででなんですが、阪堺線松虫あたりはよく見える場所で好きですね。もっといっぱい紹介して欲しいと思います。発展する街と古い街が混在していい雰囲気を醸し出す場所が他にないかなあと・・。

オマケです。

KAWANAKAです。

錦秋版が2つ発表されて、まだ1つ叡電が出るのかも知れないが、そろそろ見納めなので、小生も休みを利用して小さな外回りをしているので、こんなことをしてまっせ、とお披露目したいと思います。

拙宅は高槻なので、休日の金券ショップに行けば200円で河原町か嵐山まで行けます。嵐電は乗り放題500円。

また近江八幡まで同じく金券ショップで900円くらいで近江鉄道の乗り放題は550円。この辺がリーズナブルに行ける範囲かと思います。そうそう京津線も500円やから安いわねえ。という訳で箱根や叡電ほどではないが、ぶらりと出かけました。嵐山から嵐電は桜と思いますが、いやいや紅葉もいけますのやでえ、というところを。第一、春の鳴滝みたいに押すなおすなの人出はありません。

まずは200円で嵐山へ。駅の線路脇のフェンスからできるだけ長焦点にすれば桜のあいだに存在感を出そうと頑張っているモミジが・・・。マルーンが同化していて鮮やかさは今ひとつかもしれませんが、確かに紅葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に嵐電で500円払って鳴滝を通って宇多野まで。

宇多野の陸橋から仁和寺(かな?)が見えます。枝と車両の関係が上手くいかずですが、遥かにお寺が望めるのが如何にも宇多野らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここでウロウロとしていますと、宇多野で下車する若い二人連れに出会いました。断る時間もなく、距離も離れていたので数カット撮りましたが、如何にも京都、なにかポスターになりそうな写真になりました。撮ったでー、ということで目的達成の感がしましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、鳴滝は桜の名所ですが桜の紅葉もモミジのケバさがなく捨て難い。幸い同業者は皆無。落ち着いた色彩の中から電車が現れてきます。落ち着いてじっくり味わえる時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京津線は紅葉は難しいのでまたの機会にして、550円で死ぬほど乗れる近江鉄道の無名の晩秋を載せて最後の投稿写真とします。場所はお分かりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

梅田の外回り鐵

KAWANAKAです。

HCDでJRFの志水氏から、梅田の貨物駅は3月にオシマイになりますで、ほいで貨物線も地下にするか検討してるので梅田の貨物駅の福島寄りの踏切がなくなるかも知れまへん、という。梅田の貨物駅跡はものすごい変貌で、4~5億の億ションが完売になったり(うっかり買い忘れた??)で、この光景は今しか撮れないということや。

以前から少しづつ時間を作って外回り鐵をしていたが、あと、4ヶ月程と聞けば、ピッチを上げるしかない。というわけで先日撮った写真と併せてUPしましょう。

先ず、市内を訪問した時にチョイと回り道。先ほど言った福島寄りの踏切から東海道線の下を潜って環状線の外回り線の外に至る貨物線。ここを安治川口から梅田駅に入る貨物を撮るのは注目の写真であるけれど、ここでは余命少ない381くろしおを載せましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

安治川口は貨物はまだ扱うそうなので、しばらく撮れるが、環状線野田駅では安直に捉えることができるので、場所の移動に制約がある外回り族にはありがたい。これです。

 

 

 

 

 

 

 

 

環状線の電車をすり抜けて貨物がやってくる。

次に、遠隔地からやってくる人が梅田貨物駅を見渡せる場所があります。有名な空中庭園からでも良いが、ヒルトンホテルが特等です。この写真はエグゼクティブフロア(滅多に泊まれないが)からの写真で、併せて大阪駅を発着する列車も見ることができます。ちょうど特急はるかが通過中。夜は夜で素晴らしい夜景が見れるので懐に余裕がある人や出張旅費で賄える人は泊まってみると良いと思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、梅田貨物には入れ替えのDE10が張り切っていて、運がよければ走り回っている姿を目の当たりに見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが夜になると、梅田貨物ならではの風景を堪能できます。貨物駅の脇には道路があってフェンスになっているので、この上にカメラを上げると写真が撮れるという訳です。時々同業者に会うけれど数は多くないので、撮り放題。ちょうど381くろしおが来た。コンテナ貨物に光が当たって綺麗です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何といっても、梅田貨物駅の主人公は貨物機。ここから出発する列車は丁度撮影に好都合な場所にいることが多いので、存分撮ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週の週は丁度、撮影に適した天候でありました。梅田の光が雲に反射していい雰囲気です。

この列車を反対側から撮ろうとしていたら旨い具合に、283くろしおが来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

段々、寒くなってくるのでキツイが機会があれば通っていく積もりである。みなさんも如何でしょう。なお、三脚は使えませんので重い目をして持っていかないよう。

ついでですので、このあとは環状線に回って紀勢特急と環状線を纏めて撮ることがあります。小生は鉄橋がある大正が好きで良く帰りに依る。付録で申し訳ないが、ここも貨物はないけれど捨て難い。丁度283が通過したのでその一コマを。丁度お月さんも出てきて何とも言えない雰囲気を醸し出した。撮りようによっては、天王寺からきた列車を止めることができるのでやってみては?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広電三昧(撮影編-完)

KAWANAKAです。

広電撮影の完です。メモも取らずに只管撮り続けていたので橋を間違えた??申し訳ないです。

さて、広島駅を出た電車は半分以上、原爆ドームを経由しています。ここでの写真はもはや定番ですが車が被って中々思うように撮れません。ロケ中でも三脚を据えたお兄さんがいましたが、ここは機動力を発揮した方が楽です。また、歩道の端には潅木が植え込んでありますのでガツガツ撮るのではなしに無機質な舗装を和らげてはどうでしょうか。ドームを入れた写真はおもい切って橋の渡り切るくらいまで引いて撮りました。では、どうぞ。京都市電は景色にマッチするのは当然と思いましたが、新型の連接車もよく合いますね。

 

 
その先は十日市町です。江波・西広島へのルートと横川へのルートが分岐します。本数・車種が多いのでいっぱい撮るにはぴったりです。ただ、今回の掲示板の趣旨に合いませんので写真は割愛します。

江波方面は次は土橋。ここで西広島行と分岐。ここも本数が多くまた十日町方面も遠望できます。ちょうど101が来ましたので乗って江波へ向かいます。

独特の前後が上下に揺れるのり心地を味わって江波に。通常のダイヤに割込むのですから江波-横川がピッタリなのでしょう。しかし乗客はまばら。これで2人乗務員がつき、贅沢な乗り物となっています。

101号車は市民にも珍しい。携帯でパチリ。
車庫風景。ひまわりが夏の名残?ちょいと花をあしらってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、700が出てきました。この続行でさっきの101が出来てます。西村氏の写真を参照ください。

こんどは戻って、広電本社千田を訪問。

そ、そのまえに、鷹野橋でのカーブが一興であるので駄賃にとっておきました。ご覧ください。橋の階段から撮影したもので、2枚は互いに反対方向である。

        

車庫での様子です。既に西村氏がUPしていますので少し補完しておきましょう。

そのあとは、広島港です。3線あるホームは広大です。ただし周囲の雰囲気は海が見えるわけでなし、平々凡々。色々試みましたがあかんものはあかん。

 

左は駅ナカ。右は駅に入線する連接車。このあと一旦停止し、大きく右に曲がって駅に到着します。

ここから駅に戻るには皆見町六丁目から的場までバイパスするルートがあります。ショートカットであるが本数は少ない。1カットあるのでUPします。

あまり良い場所はなさそうですが、それなりの雰囲気は、まあこんなものでしょう。

さて、土橋から西広島に行く途上に間違った天満があります。その前の電停は道路にフレームを印しただけのもので、何か阪堺線の雰囲気がある。こんどこそ天満の橋を通ります。

 

このつぎは白島と行きたいのですが、わずか1.2km。投稿の夜も遅いのでUPしないことにしました(スミマセン)。

さて、何といっても市内電車の魅力は人です。広電は(大体、地方鉄道は親切な乗務員が多いのですが)親切です。それと意外と言っては失礼ですが美人が多いのです。

土橋で車窓越しにであった人はハッとする美形でした。プライバシーに関わるので、画像処理をしました。これで。

 

←画像処理をしています

 

 

 

次の写真は横川駅頭です。京女が京都市電に乗ってたびに出ますといったのがピッタリ?します。

 

 

 

やはり、白島線も載せておきましょう。ただし車両ではなく、そこの風景です。親子3代、幸せそうな雰囲気で下車してきました。八丁堀は街の中心、ショッピングでもお楽しみください。いや、ご老人と若い家族かも知れませんが・・・。

最後に幸せそうな家庭の雰囲気で締めくくりたいと思います。

如何でしょう。広電はしばらくすると旧車は淘汰されていきます。今がまさに色んな車種を見ることができる最後のときと思います。これを見て行かれる気になれば幸甚です。

広島には中国支部長?がガイドしてくれると思います。

広電三昧-続き(撮影編)

KAWANAKAです。
1日遅れになりましたが大人しくしておく筈が西村氏の投稿で出さない訳には行かなくなりました。何をどう巡ったかは大体検討がつくと思われるので、読者の方を広島へ誘うために3日(といっても初日は夜に到着、2日めは時間があると決め込んで日和り、最終日に西村氏と合流した)の成果というものでもないが、開陳しましょう。それにしても600円のフリー切符で初回日の乗車回数12回(単価は市内で150円、宮島線は別途)、歩いた距離は3日めの西村氏万歩計でお昼過ぎで既に1万歩だったのですから、この歳で還暦を過ぎた重車体の小生はかなりばてました。

広電のMapを掲載しますので、撮影場所の参考になるかと。

宮島線

鈴楽女子前から歩いて1分のところに広電鉄橋と並行して山陽線鉄橋がある。この写真は並行する道路橋からのものでグリーンムーバーを撮ったもの。宮島線は移籍組の車両は輸送力の関係から見ることはできないけれど、その代わり、休日にはマリンビューも見れるし、JR山陽の色の変更過程にある国電、貨物が平行して撮れる。広電ホームからでも撮り放題。    こんな具合です。

   

続いては、有名な阿品の瀬戸内海を入れた駅の陸橋からの写真、と言いたいのですが溢れているので割愛して、広電の中では季節感のある風景を紹介。高須辺りと思います。気が向いたら降りて撮るのを信条にした旅なので記録をしていませんが、夏の風景と秋の始まりの風景がいっぺんに取れました。ただし花にフォーカスしていますので、それは好みに合わんイヤやという人がいるかもしれません。ただ、ひまわりはしょぼいですねえ。

さて、市内線と宮島線の接続口である西広島に戻ります。広電では数少ないトイレがある(八丁堀の交差点にもあります)ので、ほっとする駅でもあり、整然としたとは言えない線の配置は写欲をそそられます。ここでは移設組の単車車両も来るので、乗り降りする人と共に絵になります。飽きません。古き良き時代を彷彿させる駅頭風景をどうぞ。
ここから、土橋を通って横川に戻ります。そのついでに日本離れした街路樹の茂った欧州風の場所があります。小生が勝手に思っているのでそうではないかも知れませんが。

その広島工大前の西観音町で、雰囲気がよろしいのでここで、数カットを撮ることにしましょう。
連接車を撮っても絵になりますが、ここは余命短い車両にするべきでしょう。

西広島で会った旧大阪市電762が電停を離れていきます。旧京都市電1905が西観音町の左L字カーブを曲がります。   

ところで横川駅はJRと連絡していますが、大屋根のある2線の駅頭は風情があります。昼と夜とそして西村氏の待ち合わせで朝とよ~け撮影しましたが風情のある夜景をUPします。この写真の1分後、京都市電が入ってきて2ショット!!となるはずでしたが、入線する直前に発車してしまい、粘るもついに2ショットは取れませんでした(大阪+京都の2ショットは撮れましたが・・・)。どなたかチャレンジしてみては如何でしょう。この写真は35mm換算400mmでの望遠で交差点の対面からです。車に被るかどうかは運次第。
横川駅を少し下ったところに天満橋(だったかな。大阪と違いまっせ)があり、並行している橋から走行写真が取れます。はしは上に凸なので車さえなかったら橋の上を向かってくる電車が撮れます。写真はそのサイドの昼と夜です。雰囲気が違っていて面白いですね。
なお、その先、別院前には電車は橋の坂を下っていきますが、線路のカーブがきれいにはいる場所で旧車が来るのはここです。橋は車が通ると揺れるので被られることと横を大型のバスなどが通らないことが条件です(小生は重い三脚を持って行きませんので振動は関係ないですが・・・)。

ここは単車のオンパレードなので面白い写真が撮れるかも・・。夜は雪景色と同じように見苦しいものが映らないので好きですが、皆様はどうでしょうか。

カーブを強調するためにうんと長いタマを慎重にブレないよう使いました。
JRとの主要な接続ターミナルは勿論、広島駅です。駅から的場町までが経路廃止になるので撮っておいたほうが良いのでしょうとは西村氏の言。ただし、旧車は来ないし連接車の西鉄3000は昼は来ないようです。

ターミナル風景2枚とタクシー乗り場からタクシーの頭越しに超望遠で狙った風景、途中電停の風景をUPしました。

     

      

と、ここまで写真を拾い上げてきましたが、ファイルも大きくなり、明日の仕事に差し支えるので、続きは追って。

車庫の様子と沿線の風景、乗客、お目当てだった100系や車内をUPしてオシマイとします。

なお、車両の解説はタイトルの趣旨からありません。クローバー会のメンバーには不要でしょうが、
http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/index.html
を見て頂くとわかります。
では次回に続きます。

京阪旧3000特急車最後の夏

KAWANAKAです。

夏も終わりですが、京阪旧3000特急車最後の夏の続き。

I,W両氏と澤村氏の墓参を済ませた後、3人京阪で大阪都心へ。おかげでシールラリーが満印になりました。ここまで来たら、富山地鉄と大井川に詣でて締めくくりをせねばなりません。

9月の1,2日、富山に遠征しました。ちょうど富山は風の盆の時期であり観光客で混んでいたが、それを横目に京阪色3000に会いに行きました。夏の濃い緑に京阪色はよく合います。立山駅で念願のプレミアムカードをゲット。暑い中来た甲斐がありました。帰りの駄賃に旨い具合に475急行色に出くわし、それに乗車して帰途につくというオマケまでつきました。折角ですので定番の場所での1コマを。

次に、9日に大井川。早朝出発の老年18切符利用の日帰りです。同じ行くならカマも撮ろう、そしてカードを貰わないとあかんので、金谷から新金谷まで暑い中、真昼間歩き。新金谷で汗まみれになってプレミアムカードをゲット。シールが完成しました。

ただ、やっぱりというか予想とおり、3000は運用に入っておらず、ひっそりと新金谷に留置されていました。しばらく動かないとのことで、シールラリーに協賛するのであれば、「最後の夏」に走らせてもエエのではないかと、残念でありました。同じ思いをした同業者もおりました。折角なので福用まで出向き1コマとって帰途に着きました。走っている写真は撮れませんでしたが、走りたそうな3000が片隅から寂しそうに覗いています。

ついでに、8月に撮った旧3000もどうぞ。

これで小生の夏も終わりになりました。

澤村君の新盆墓参

KAWANAKAです。

本隊に遅れること約2週間。仕事でお参りが出来なかった3名(Inubuse、Wakuta各氏、小生)がお参りをさせて頂きました。我々が殿(しんがり)を勤めたと思いますので報告をします。

10:00に出町柳に集合し、墓参。華と線香を手向けました。折角来たので澤村君も一緒に行きたかったであろう叡電を撮影して帰ることにしました。

鞍馬まで一旦上り、二ノ瀬で下車してロケしたときのこと、Wakuta氏の様子がおかしい。バッテリーが電源喪失。カメラが動かない。今朝ぱんぱんに充電し動作を確認したのに、という。あ~ら不思議!

このとき撮った小生の写真。写らんでも良い影が写っており、何でしょうね。

更に、市原。さすがにWakuta氏、転んでも唯では起きない、携帯で撮影するという。写真は構えるInubuse氏と何とかならんのかと苦闘するWakuta氏。結局、どうもなりませんわで退散することになるのだが、今度は小生のカメラの設定が動かず同じ設定でしか撮影することしかできなくなり、ついにメシのあと京阪で退散することにしたのでした。

Inubuse氏は関東に戻る前に旧3000特急を撮って帰るという。すると俄かに掻き曇り猛烈な雷雨。澤村氏の因縁か?Inubuse氏は雨のええ写真が撮れたと言っていたが・・・。

おかげで京阪のシールラリーは満印。やっと墓参が出来て肩の荷が下りた3人でした。折角なので前日に撮った3000とシールの表紙を載せます。

*この投稿は、帰ったらすぐにせよ、車中決定によりおこなったもので3人の報告とするものです。

夏の外回り鉄ー早起きは3本の得

暑い毎日が続いております。

暑がりなので藤本氏やINUBUSE氏のようには取材ができていません。先日もINUBUSE氏の紫陽花に触発されて藤本氏の南海/阪堺も出かけようとしたら、花は萎れているし暑いし、上手くはいきません。やっぱり夏は外回り鉄に限ると腹を括りました。18切符もさらっぴんのまま、京阪旧3000シールラリーもさらっぴんのままで残っています。

小生は原則外回りは仕事にそんなにないのでもっぱら通勤を利用しての範囲です。盆前後は定期から外されたきたぐに、日本海が申し訳程度に復活するので、それを外回りで狙います。

さて、この時期、夜が明けるのが早く少し頑張れば佐川EXPが撮れます。拙宅前あたりで05:00目安です。今日は頑張って起きます。休み時期でなければこの時間先ず誰も出会いません。さらにここはフェンスが出来てから誰も撮らないでしょうから当然1人です。新聞配達のお兄さんとすれ違いました。フェンスの上に片手でカメラをいっぱい持ち上げて、1発決めうちです。貨物にあるまじき速度でアッと言う間に通過して行きました。

急いで自宅に戻り、出勤の身支度。

普通は07:20に自宅を出ますが、今日はきたぐにを狙うので少し早く出ます。きたぐには06:30に高槻を通過しますので場所を変えて今日は高槻駅から大阪よりの芥川鉄橋にしました。ここでも早朝のランニングかワンコの散歩しか出会いません。川床にいるので、いつ飛び出してくるか分かりませんので、しばらくシャッターに指を当てて待ちます。

架線柱の位置が良くないのですが、まあ良いか(暫くは色々撮れるから)と腹を括りこれも1発。いまいちですが、とにかく撮れました。

これと、日本海を合わせて朝は3本の得となります。今日は日本海を撮ると遅刻なのでまたの機会とします。

通常は朝に183こうのとりの回送を駅までの途中で1発撮れます。国鉄色なので見逃せません。駅に着くと丁度の時間でホームの男子トイレから回送の381くろしおが撮れます。撮り終わると急いでホームに下りて普通で次の摂津富田に行き、ホームの大阪よりの先端からきたぐにを捕捉、すぐ後にくる普通で茨木まで行き、ちょうど併走してくる快速に乗り換えて始業時間に滑り込むというわけです。きたぐにが走るときだけ3本の得となります。摂津富田のきたぐにはちょくちょく同業サラリーマンがいますが、こうのとり回送、トイレのくろしおは会ったことがありません。男子小用の横からの撮影でかなり度胸が要りますが昔、祇園階段下の万歳三唱で鍛えてあるのでどうということはありません。これが3本の得です。なお下の写真は183だけ撮影日が違います。

さて、勤務が終わると18:50少しまえに大阪駅にたどり着けます。適当に残業をしての時間です。

大阪で振り子こうのとりを撮るか、新大阪まで出るか迷うのですが、新大阪に出ると381くろしお(新大阪止)、それが向日町へ回送で出た後に入れ替わりに始発283くろしおが入線します。更に30秒後にこうのとり(新大阪止)が着きます。くろしおのドア扱いとこうのとりの到着と殆ど時間差がありません。撮影後、上り新快速ホームに走れば反対ホームから編成写真が取れ、直後に入ってくる新快速で高槻に戻れます。先ほどのトイレで待機すれば、先ほどのこうのとりの回送がすぐ新快速の後を追ってきます。さらに2分後、だれも取らない281はるかがこうのとりを通過追い抜きます。トイレに入らずにホームで1枚、その後急いでトイレに駆け込むという手もあります。これは3本の得以上です。撮影終了が19:15。これで安心して帰れるというものです。今日もちゃんと撮れたので折角なので用を足して帰宅します。良い写真ではありませんが、今や貴重な列車なのでまあ良いでしょう。

まずは新大阪での写真。新大阪に到着時に既に回送とされており、詰まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に高槻。左はホームからですが、はるかの通過追い抜きがあるので、回送こうのとりはゆっくり側線に入る。この写真以外に後追いも撮れる。右はトイレからの写真。

まだまだ、外回り鉄は続きます。

 

「また来てね」の写真

KAWANAKAです。

しばらく東京で仕事をした後、関西に戻って和歌山にいましたが、高槻のトレインビューの我家に無事戻ってきました。

何の記事かな?と思われますでしょうが、小生気になっていたことがありました。実は前の写真展で、「また来てね」というタイトルの写真を出しました。この写真は昨年の秋に仕事の帰りに小港鐵道を訪問し、日が暮れるまでの僅かの時間を海士有木の駅(ここまでしか時間的に行けなかった)でロケ/その間の時間つぶしをしたときに撮ったものです。

そのとき時間があったので、駅の業務委託を受けているおばさんと世間話、打ち溶けましたが、帰りの車窓から見ると手を振っているのが見えたので、瞬間的にシャッターを切りました。準特急先輩がこの写真は写真展決まりや、と言い、福田氏などの選定もあって「また来てね」の写真となったのだが、せっかく写したのであるのでお渡ししたいとずっと気になっていました。

たまたま出張で午後に時間ができたので、6ツに引き伸ばした写真を海士有木まで持って行きました。行ってみるとおばさんがいません。「このおばさんは?」と写真を見せて聞くと「交代でもうすぐ来ます」とのこと。待つこと10分。中村さんというおばさんが現れ、話すうちに次第にそのときのことを思い出してきました。写真を撮られるのは好きではないが、だいじに額に入れておきますとのこと。販売機からジュースやコーヒーを買ってきて精一杯の接待?をしてくれました。

たった、それだけのことです。次の上り列車で五井経由都内に戻りました。また手を振っていましたが、今度は写真を撮りませんでした。半日使いましたが、肩の荷が降りたような気がしました。今度は本当に「また来てね」と言っていました。

投稿するような高尚な内容ではありませんが、鉄道を通じて触れ合ったひとつの出来事としてUPしました。掲示板には写真展の写真がありませんが、「また来てね」を掲示します。瞬間に撮ったので拙写ですが、家に飾ってもらえているとしたら幸甚です。

KAWANAKAです。

報告が1日遅れましたが、4月7日、ぶんしゅう氏の地元である長岡京駅前のアジトで長期取材の報告、裏報告がありました。参加は地元のメンバーというのも止むを得ませんが、乙訓の老人、福田、ぶんしゅう氏と小生でありました。

詳細は紀行に詳細に記されているので書きませんが、一堂ぶんしゅう氏のエネルギーに改めて感嘆するとともに、氏から「あんたらもいきまへんか?」の誘いがありました。みなケツの穴が小さいのでモゾモゾしておりますが、会員の皆様は如何でしょうか。

老人から高尚な薀蓄がありましたが、皆さんDLになって、詳細は記憶していません。

燃料補給の状況をUPしておきます。なお、時々、この穴倉に集まろうということが決まったのだけ覚えています。

年初めの外回り鉄はじめ

KAWANAKAです。

七草粥を食べる時期が終わったので、あけましておめでとうではないですが、仕事を利用した外回り鉄の初めです。会社恒例の豊川稲荷詣でが毎年年初めの週末にあり、小生は2回目の参加です。幹部が夜にホテルアソシアで新年会をして、あくる日ゴルフをするというものです。嫌味を聞かされますがタダ酒飲めるのとタダゴルフ(小生は参加しない) ができて休日勤務になりますからそれなりの価値はあります。

今年は豊川からどのようにして帰宅しようかと思いましたが、準特急先輩の記事を見て、中津川経由(経由といえるかどうか)で帰ることとし、中津川まで行くなら長電に立ち寄ろうと思って立寄り外回り鉄をしました。豊川までの新幹線が老年切符に化けて追加費用なしです。

中津川: 準特急先輩に貨物の時刻をお聞きしてお稲荷さんのパワーでイザ出発。ところが中央線は休日ウヤが多く、中津川で丁度時間を持て余していそうな赤線帽子のエライさんに、時刻を聞き午後から外回り鉄をはじめました。聞けば1325上り、1525下り、1630下り、同時刻1630に遅れている上りが来るかも知れない(中津川通過時刻)とのこと。予定していた釜戸は諦めてスーツにコート、かばん、革靴で落合川から少し中津川寄りに戻って撮影することにしました。かつて若かりし時に訪れたときとは様変わりであるが、それでもすかたんを幾つかしましたが外回り鉄としての使命を少し達成しました。

御なじみの場所での見飽きた写真なので、ちょっと違った写真を掲載。股覗き状態での山が新雪を被って綺麗です。

長野: 夜遅く、帰宅途中の長野で途中下車。お宿は少しロケには高いかと思った朝付き5000円のホテルの投宿。手違いから部屋がなく、スイートで勘弁? してくれと言う。応接セット、広いバス、クローゼットがあり、こんなことならもっと早くチェックインすれば良かった。

翌日は、長電2000系で、HPによれば206レ(須坂0801→長野0829)、203レ(長野0847→須坂0913)とあります。バイキング朝食を大急ぎで流し込み(沢山食べておくと昼食のコストと時間が省略できる)、昨日と同じくスーツにネクタイ(寒いから)、革靴、コート、かばんで現場へ。

かなりの人出であったが、3月に本当の最終であるので、意欲のある人は廃線になる屋代線の撮影を兼ねて行かれてはどうであろう。

写真は朝陽を出たとことの203レの1枚であるが、英語のヘッドマーク。後尾は当地で有名なトンガラシ屋の八幡屋磯五郎の広告のヘッドマークで同じく英語版、トンガラシの絵入りである(実際に行って見てください)。何でも売ってしまいそうな長電であるがようやる。

(こんなこととはイザ知らず、走り去る電車の逆光写真を超トリミング。ぼやぼや写真で恐縮)

外回り鉄はここまで、鹿渡、屋代線・・・と興味はあるが、後の祟りを恐れて老年切符で帰ることにした。カバンには持って行っても良いというホテルのパンがわんさか。かじりながらのエコノミー帰路となりました。

ところが・・・、篠ノ井線を通過中、姨捨に下りたくなって下車。知らんうちに姨捨公園というのがあって安易に写真が撮れるという。あやかって次の電車までの時間を使って1枚。あまりに安易。あまりに来る車両が詰まらんし、寒い。帰ることに。

なお、下の写真は2人は何の関係もなく、前後の写真から判断すると偶々そういう場面になっただけ。小生は電車が来ても鉄でない人は、みんな反対の景色の方を見ている、というのを撮ろうとしただけであります。

人を写したのでついでに1枚。

長野駅での見送りの風景。子沢山になった奥さんを置いての別れ風景。子供はお父さん?がどこに乗っているのかわからなくて単に手を振っている。奥さんの里が長野で、旦那が名古屋かどこかに行くのかな?、しかし明日はまだ休み。てな、ことを考えて、あんまり高給ではなさそうな奥さんの風貌を見て色々想像した。苦労かけるねえ・・・。がんばろう。いやー、鉄道は良いねえ。

・・・で、脱線しましたが、外回り鉄初めはこれにて終了。久し振りの中央西線であるが考えてみれば、JJR東海の合理化も流石であるが金は持っているんでしょうね。富の再配分を何とかならんものかと。不当に高い(と小生は考えている)新幹線でシコタマ儲け、殆ど国鉄の車両を駆逐し終わって(次はどうしようというのでしょうか)、只管、鉄を無味乾燥なものにしている東海。

年明け、色々考えさせられるよそ道帰宅2日の外回り鉄でありました。

年末の広島

KAWANAKAです。

暮れも押し迫ったときに如何にも内容の乏しい投稿で申し訳ないが、仕事の合間をみて老年切符など利用してうろついています。ぶんしゅう氏には遥かにスケールが及びませんが、今月の初め広島にふらりと行ってきたのでお付き合いを。

実は関東支部の会合でI氏の広電写真に触発されて俄かに京都市電に会いたくなり出かけた次第。

そのことを西村氏に伝えたところ、多忙な中、三原でミニロケをご一緒することになった次第。氏は三原に居を構えられているが糸崎でお会いすることにした。昔、40年以上前2人で夏のくそ暑い中、降り立ったのが印象に残っており、会うなら糸崎ということにした次第。糸崎は知らないうちに無人になり、あまりの変貌振りに驚いたのであるが最近の人件費削減は凄まじいものがある(東京地下鉄でも長大編成のワンマンが進んでいるのでびっくりすることはないかもしれないが)。

西村氏推薦の目玉は、キハ47のマリンビューで電化の呉線を走っている唯一のDC。三原まで下った列車は広島へ向けての発車まで時間が長いので、三原のたった呉線の1線を明けるために忠海まで行って折り返すというスジになっていて(これは後ほど西村氏が確認)都合4本キャッチできる。

西村氏のパジェロでロケをさせて頂いたので、その1枚を掲載。小生は結局、折り返しに乗って広島へ向かうことにした。西村氏は所要のため広島には同行できなかったが、如何にも氏の人柄の丁寧な案内に感謝した次第。ご存知かどうか知れないが氏は野鳥や辻堂の研究でもそれなりの成果を出しており、改めて幅の広いのに感心した次第(その後、ロケで気になって仕方がなくなった)。

広島へは夕刻の到着、宿の袋町まで歩きながら撮影。

駅前ではお目にかかれなかった京都市電にやっと会えた。

あくる日、夜明け、車に被られないうちに撮影。撮りたかった如何にも広島らしい2枚を掲載。

ついでで申し訳ないが、往年の市電の風景を彷彿させる2枚。

約800枚の写真が残ったが、ロケの報告を兼ねて掲示させていただいた。

改めて西村氏に礼を言いたいと思う。

デジ青で外回り鉄

KAWANAKAです。

昔(1966)には、青信号の弟分「補機」が誕生し小回りの利いた発行がされていた。今では関東のDRFC連絡網として、デジ青の弟分というべきe-drfcが会員中で存在している。そのなかで寝台特急「曙太郎」(初代)氏が「外回りをすると、色んな風景に出合います。それがサラリーマンのオイシイところなのか?。最近撮った「外回り鉄」の一部をどうぞ。」と書き込みをされていて、外回りの時にふとであった風景を描写されている。

小生と高校時時代から同期であるF本氏も、仕事が早く片付いたし帰るのには時間があったからと、本人は外回り鉄と称していないがデジ青で掲載されています。

小生もそんなに外回り鉄の機会に恵まれているのではないですが、また内容はアカデミックでもないですが、それでも外回り鉄をします。みなさん停年になった人は別としてやはり外回り鉄と思いますが、小生も先日外回り鉄の機会に恵まれたので、帰るのに時間があったわけではないが回った。

10月3日、五井に出張があって、15時に現場解散となった。みなさん五井から東京へ向かわれれたのですが、小生は別れて何処まで行けるかと小港鉄道に乗ることにした。丁度良い時間に列車があって、海士有木くらいが限界と考えて日が傾きかける時間に動き出した。

海士有木は2つめの駅で、小港の雰囲気が味わえる最短の場所であると思った。

では外回り鉄をどうぞ。

海士有木から歩いて1分。上総村上の踏み切りから次の下り列車。この踏み切りは至って交通量が多く、道路を渡るのが一苦労。

車両が見えてかかなり経ってから警報機がなり、言わば詰まらん写真ですが撮り放題。見ると向こうに彼岸花が咲いている。まだ明るいのでつぎはそれを入れようと・・・。

ところが現場は側溝があり水が溜まっている。小生は大体水に落ちる性質なので諦めて反対側へ、秋の夕暮れが近いなかを捕ることができました。手前に季節の花があればよかったですが。

あとは駅へ戻ります。線路が綺麗です。

帰りの時間まで少し時間があります。もう1本撮ってから。

海士有木の小さな駅に五井行きが入ってきました。乗客は2人、社内には数人がいました。

それまでの時間、平日は有人、休日は無人、土曜は半分だけ有人の駅の業務委託を受けたおばさん駅員と雑談で時間を潰します。乗客とはみんな顔見知りで、帰ってきた客にお帰りと声を掛けたりしている。都会では見えられないこの風景が懐かしい。

いよいよ乗車の列車が来ます。閑散としたホームに入線の単行を撮ろうとしたら年配の乗客が・・・。おばさん「ちょいと写真と撮っているから下がってあげなさいよ」、おじさん、乗ることに一生懸命で聞こえません。

少し先頭が画面から出たところで、ライトのハレーションが起こらないこと確認して1枚。この日最後の撮影です。雰囲気が出たでしょうか。

急いでこの列車に乗って、おせわになったおばさんを1枚。

外回り鉄は仕事の疲れを忘れさせますね。おばさん、またお世話になります。

外回り終了です。

昔の出来事-九州

KAWANAKAです。

引越しを繰り返し、東西に出張所(最近は高崎も追加)を持っているとどこに何を仕舞い込んでいるのか分からなくなりました。整理しなければ・・・と思いネガなんかを整理し始めていますが、準特急先輩が佐土原のC61と言われるので探しました。

ネガはまだどこかのダンボールに入っているのか追跡できていませんが、古いアルバムが書籍の中からでききてその中に写真がありました。ネガが出てきたら改めてとなりますが、今から40年前の出来事を掘り返してみたいと思います。

写真がボヤボヤなのでアルバムの落書きと合わせて撮影しそれをPCの画面で再生しました。鑑賞に耐えない内容ですが、古い時代のDRFC卒業してOBとなったころの出来事としてみていただければと思います。昭和47年の5月の頃と思います。

 

これが、準特急先輩が拘っている場面です。真ん中に準特急先輩が写っています。3人は小生とy川氏、準特急先輩です。青井岳鉄橋の下(だったか)にある国民宿舎での書き込みを掲載しています。このC61が復活することになるとはユメユメ思っていませんでしたが。

 

南九州から始まった旅は中九州へ。準特急先輩の書き込みとその証拠写真。撮影場所もきちんと記録されています。

 

最後は北九州へ、準特急先輩はつばめ→新幹線で帰京され、残りはy川氏の会社の寮に泊まって撮影を続けることに。ところがy氏は休暇は罷りならん、出社せよとの社命。仕方なく小生は単身で冷水を通り熊本から阿蘇経由で大分に戻りフェリーで帰阪することになりました。

昔の話です。鉄道そのものとは余り関係がないかもしれませんが、写真、集めた硬券の入場券や冷水、高森の思い出やもろもろのものが生涯の宝物となっています。