客車廃車体訪問記 北海道編34 最終回

【豊富駅前】

オエ61 67  45.104986, 141.772305  1993年10月14日撮影
◆ナハ34631→ナハ22795→(1954年鋼体化改造 日支)マニ60 21→(電暖追設)マニ60 2021→(1978年改造 旭川)オエ61 67→1990年廃車。
種車はオリジナルのマニ60で若い番号である。いちばん前位寄りの窓に特徴がある。4位寄りの窓が1個埋められている。
履歴票によれば、自重29.2t(現車標記は29.0t)、荷重14t、台枠UF218(平台枠)、台車TR12、基本12t長軸、空気ブレーキAV、連結器柴田式、信越線通過の可否・可、また所属欄には、北見53.6.10(到着)、稚内61.11.11(到着)とある。
ぶんしゅうさんの【86706】(2017年7月23日)に最近の状況が掲載されている。補修を受けていない車体が痛々しい。恐らくこれが客車廃車体の北限であろう。
現役最後の地は稚内客貨車区で、【92218】オエ61 59の後任の救援車であった。

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計呂地の不思議

2018年2月5日【93286】で旧計呂地駅跡の茶色の客車2両を紹介しましたが、
堀 淳一『北海道 地図の中の廃線』亜璃西社p.103に、平成2(1990)年9月に著者が旧計呂地駅跡を訪問した時の様子として
「ホーム側にまわってみたら、ホーム、枕木、レールが三拍子そろってまだ残っているばかりか、ダークブルー一色の古くなつかしい旧型客車のスハ形とオハ形車両が二両連結されてホームに着いていた。またホームの前後には、信号柱や踏切の柱やレールの分岐器なども残されていた(ここは『計呂地交通公園』となっているそうだ)。」
と記述があります。計呂地の旧駅舎も残存していたそうです。
ということは、30年近く前に「ダークブルー一色」の時期があったことになります。
また、何故かC58 139の記述が無いのが不思議です。鉄道友の会『RAILFAN』1989年№428 別冊:保存車・廃車体一覧1、同1992年№466によれば3両とも旧計呂地駅跡で保存されていることになっています。

どなたか、この件についてご教示いただけませんでしょうか。

客車廃車体訪問記 北海道編33

【丸瀬布いこいの森】

スハ43 703  43.930536, 143.334588  2017年10月8日撮影
◆スハ43 324(1953年新製 日支)→1966年近代化改造 後藤工→(1973年改造 旭川車セ)スハ43 503→(1976年改番)スハ43 703→1983年廃車。
言わずと知れた雨宮21号が走る線路(画面左鉄橋)のすぐ近く、駐車場前に鎮座している。充分過ぎるくらいの上屋があり良い状態で保存されている(893-2さんの2016年11月23日【78113】に少し写っている)。3連休の中日で天気も良くさすがに人と車が多かった。

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客車廃車体訪問記 北海道編32

【湧別町北兵村二区 五鹿山公園キャンプ場】

スハ45 31(左)  スハフ42 518(右)  44.183125, 143.613367  2017年7月16日撮影
◆スハ45 31(1954年新製 日立)→1966年近代化改造 旭川工→1984年廃車。
◆スハフ42 114(1952年新製 近車)→1964年近代化改造 幡生工→(1976年改造 五稜郭車セ)スハフ42 518→1984年廃車。
客車は移動機と連結してオートキャンプ場の隅にあり、バイクで行っても宿泊できるようである。他にテントが張れるキャンプ場やログキャビン、キャンプファイア広場等なかなか規模の大きなキャンプ場である。
約2㎞西に中湧別駅跡があり、道の駅になっていてヨ4430他が保存されている。

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客車廃車体訪問記 北海道編31

【紋別郡湧別町 旧計呂地駅跡】

オハ62 91(左)  スハ45 17(右)  C58 139  44.103542, 143.728402  2017年7月16日撮影
◆スハ45 17(1952年新製 川車)→1964年近代化改造 旭川工→1986年廃車。
◆ナハ23414→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 91→1984年廃車。
旧計呂地駅跡周りは計呂地交通公園と称する公園になってC58と2両の客車を保存し、簡易宿泊施設としても活用している。
オハ62はオハ61の北海道版で130両在籍した。ラストナンバーのオハ62 130を改造したキハ08 3が加悦に保存されているが、釧路の「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」(第23回【92713】)のオハ62 95は台車だけになって、計呂地のオハ62 91は、いまや現存する唯一のオハ62であろう。C58にだけ上屋がある。

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客車廃車体訪問記 北海道編30

【佐呂間町交通公園 鉄道記念館】

スユニ50 517  44.018906, 143.777033  2017年7月16日撮影
◆オハ46 28(1955年新製 川車)→(1963年電暖追設 長野工)オハ46 2028→(1981年改造 名古屋工)スユニ50 517→1986年廃車。
立派な上屋があり(D51が少しはみ出していて惜しい)、大事にされていて美しい。
スユニ50 517はラストナンバーであり、落成後僅か5年3ヶ月半で廃車になったいわば新品同様の廃車体である。
スユニ50は道内では他にスユニ50 501が小樽市総合博物館、スユニ50 505が三笠鉄道村に保存されている。
佐呂間町はオホーツク海、サロマ湖に近い、鉄道が無くなった山あいの町であるが、町立図書館がありカラオケ屋やパチンコ屋もある。パチンコ屋が商売として成り立っている豊かな地域なのだ。

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客車廃車体訪問記 北海道編29

【旧卯原内駅跡】

オハ47 508  44.014065, 144.111498  2017年7月16日撮影 旧卯原内駅跡 網走市鉄道資料館
◆スハ43 6(1951年新製 日支)→(1963年改造 多度津工)オハ47 132→(1978年改造 旭川車セ)オハ47 508→1984年廃車。オハ47のラストナンバー。
49643と連結しているオハ47 508。なぜか標記が大きい。バックは網走市鉄道資料館。館内に展示があり、カフェもある。
すぐ近くに能取湖に面してサンゴ草群生地がある。一時期群生が衰えたが、最近復活しつつあるらしい。

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客車廃車体訪問記 北海道編28

【北見市常呂町 虫夢ところ昆虫の家】

スヤ42 4  43.971915, 143.883677  2017年7月16日撮影
◆スハ43 579(1954年新製 日立)→(1975年改造 旭川車セ)スハ43 504→(1976年改番)スハ43 704→(1981年改造 旭川車セ)スヤ42 4→1986年廃車。
「NPO法人自然体験村 虫夢(むーむー)ところ昆虫の家」は、子どもが自然の中で色々な体験ができる、ボランティアが運営している施設である。近くに人家は皆無である。
画面右のスヤ42 4は旭川局の保健車であった。北海道には保健車が多かったので、救援車同様、保健車の廃車体も多い。画面左の建物のさらに左にキハ27 113が置いてある。駐車している車は小生が借りたレンタカー。滞在時間は9時から約15分間だったが、人気が全くなかった。

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客車廃車体訪問記 北海道編27

【北見市常盤町 私有地】

スユ15 2033  43.798881, 143.892664  2017年7月15日撮影
◆スユ15 2033(1982年新製 近車)→1986年廃車。
郵政省所有の護送便専用郵便車スユ15は希少である。というより郵便車の廃車体自体が希少である。
個人が私有地で保存しているらしい。他にDD14やキハ27,雪掻き車、車掌車が置いてある。また、すぐ近くの三治公園には、D50 25が保存されている。

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客車廃車体訪問記 北海道編26

【津別町 21世紀の森キャンプ場】

オロネ10 502  スハネ16 510 43.697711, 144.034960  2017年7月16日撮影 津別21世紀の森キャンプ場
◆オロネ10 502(1962年新製 日立)→1984年廃車。
◆スロハ31583(1940年新製 日車)→(1941年改番)スロハ32 34→(1966年改造 土崎工)オハネ17 510→(1968年改造 旭川工)スハネ16 510→1984年廃車。
津別町は北見市の東南、美幌町の南に位置し、まずまず大きな町である。21世紀の森キャンプ場は芝生のキャンプ場が広がり、あたり一帯を自然運動公園と称していて、その入口の看板に「鉄路ハウス」と書かれている。移動機の横にも「ふれあい広場  鉄路ハウス」の札が下がっている。
スハネ16の廃車体は貴重である。以前は現役時そのままの設備(なんと冷房も)で宿泊できたらしいが、車内を覗くととても宿泊出来そうな状態ではなかった。車体にゴテゴテ書いているが、上屋があり、車内外ともに現役時代に近い姿をとどめるこの2両を末永く保全してほしい。

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客車廃車体訪問記 北海道編25

【旧北見相生駅跡】

スハフ42 502  43.545072, 143.980904  2017年7月16日撮影
◆スハフ42 111(1952年新製 近車)→1965年近代化改造 小倉工→(1974年改造 旭川車セ)スハフ42 502→1984年廃車。
相生線終点旧北見相生駅跡は、西側に隣接して「道の駅あいおい」があり、同一の施設のように一体化していて、観光バスやマイカーで道の駅に来た人が、カフェを営業している駅にも自然に来られるようになっている。
相生線は、1972年に来たことがある。北見相生駅舎は、その時撮った写真と比べると、入口ドアと窓サッシを取り替えて煙突が撤去された位で、当時の閑散線区の標準的な駅舎がよく保存されている。

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客車廃車体訪問記 北海道編24

【川湯温泉駅近く ホテルのカラオケ施設】

スハフ42 522  43.617180, 144.453426  2017年10月7,8日撮影 川湯温泉駅すぐ ホテルパークウェイ
◆スハ43 435(1954年新製 汽車)→(1961年改造 大宮工)オハ47 23→(1966年改造 大宮工)スハ43 435→(1976年改造 旭川車セ)スハ43 716→(1978年改造 旭川車セ)スハフ42 522→1984年廃車。
丹頂の里から約80㎞、着いたのが16時40分で、日が沈みかけていた。ホテルのカラオケルームとして利用されているようであったが、訪問した時は閉まっていた。夜に営業するのかもしれない。ホテルからこちらの側面は見えないので、青い塗装のままである。

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客車廃車体訪問記 北海道編23

【釧路市 炭鉱と鉄道館 雄鶴駅】

オハ62 95の台車  43.143821, 144.140966  2017年10月7日撮影
◆ナハ23412→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 95→1986年廃車。
釧路市丹頂の里温泉・道の駅 阿寒丹頂の里クレインズテラスの西隣の阿寒自然休養村野営場に「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」という建物があり、雄別鉄道関連の資料が展示されている。その裏手に赤茶色に塗られた一組の台車(TR11か)がある。以前は国鉄から雄別鉄道に譲渡されたC11 65と車掌車ヨ8057と連結して保存されていたが、痛みが激しく車体はスクラップになって台車だけが残り、野ざらしで置いてある。C11 65と車掌車は見たところ状態は良好である。「廃車体」とはいえないが紹介する。

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客車廃車体訪問記 北海道編22

【帯広駅 ツーリングトレインおびひろ】

スヤ42 1(左)  スヤ42 2(右)  1987年9月20日撮影
富良野と同様、駅ナカの簡易宿泊施設であった。1987年7月1日、釧路・根室駅と同時にオープンして間もない頃の様子である。バックは帯広駅舎である。その後帯広駅高架化計画によりツーリングトレインは廃止された。
マイネ40は、戦後外国人観光客用に製造された旧一等寝台車である。2両とも美瑛のスヤ52と同じ保健車であった。この2両は、形式は同じでも種車は別系列で、寝台車と座席車の違いもあり、外観に顕著な相違がある。
◆マイネ40 5(1948年新製 日車)→(1955年改番)マロネ40 5→(1968年改造 旭川工)スヤ42 1→1986年廃車。
◆スハ43 14(1951年新製 日車)→1964年近代化改造 土崎工→(電暖追設・時期不明)スハ43 2014→(1979年改造 旭川車セ)スヤ42 2→1986年廃車。

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客車廃車体訪問記 北海道編21

【旧新内駅跡】

59672寄りから  ナハネ20 132 ナロネ21 551 ナロネ22 153  43.158903, 142.814318  2016年8月15日撮影  最寄り駅:新得
◆ナハネ20 132(1965年日車)→1978年廃車。
◆ナロネ21 51(1958年日立)→ナロネ21 551(1970年大船)→1978年廃車。
◆ナロネ22 53(1960年日立)→ナロネ22 153(1969年大船)→1978年廃車。

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客車廃車体訪問記 北海道編20

【富良野駅 ツーリングトレインふらの】

スハ43 711(左)  スハフ44 15(右)  1987年11月3日撮影
◆スハ43 580(1954年新製 日立)→(1976年耐寒耐雪改造 五稜郭車セ)スハ43 511→(1976年改番)スハ43 711→畳敷きに改造(1984年9月5日旭川車セ)→1987年廃車。
◆スハフ44 15(1952年新製 川車)→1964年近代化改造 五稜郭工→カーペット敷きに改造(1985年)→1987年廃車。
富良野駅の簡易宿泊施設であった。駅至近距離というより駅ナカである。車歴のように畳敷き・カーペット敷きで、入口に照明を付けている。『鉄道ピクトリアル』485号89頁に写真があり、1泊800円とある。その後、派手に塗り替えられた後、富良野駅改築の為立ち退きになり、駅近くの某飲食店で利用され、さらに富良野市麓郷市街地の「拾って来た家」に2両とも引き取られた。

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客車廃車体訪問記 北海道編19

【美瑛町幸町4丁目 ライダーハウス】

スヤ52 2  43.587131, 142.476125 2016年8月16日撮影
◆スロ51 8(1950年新製 近車)→(1951年度改造 五稜郭工)スロ52 4→(1970年改造 旭川工)スヤ52 2→1986年廃車。
美瑛神社鳥居の交差点西にあるライダーハウス「蜂の宿」で「電車式 大衆居酒屋 安宿付」と看板をあげている。「蜂の宿」の宿泊客のサロンである。日が暮れたら営業開始で、飲み放題90分1000円の由。ちょうど夏のシーズンで、この日も若者のバイクが多数駐まっていて賑やかだった。西村さんの【92202】「いなでん」のように鉄道車両は何でも「電車」というのには複雑な気持ちがあるが、オーナーは若い気さくな人で、車内の撮影も快諾を得られた。現車はシートピッチが狭く評判の悪かった特ロで、その後診察室・レントゲン室・暗室等を備えた保健車に改造され、最初は釧路局のち旭川局で職員の巡回検診をしていた。スヤ52のうちでは珍しく出入台を増設し、1-3位側中央の窓が一部塞がれている。保健車時代にあった出入台下の大きな踏段は撤去されている。

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客車廃車体訪問記 北海道編18

【上川郡東川町北町12丁目】

オハ51 6  43.715465, 142.476868  1999年8月8日昼食を挟んで2回撮影。
戸袋窓が側窓と比べてやや小さい。これはオハ51とオハフ51の1~10の特徴である。
木工会社の倉庫のようで、1999年には手前が広々としていたが、現在は木材がギリギリまで高く積まれ非常に見えにくい状況になった。ここは旭川の会社の同僚の車で走っていた時に偶然見つけたもので、たいへん幸運であった。オハ51初期車の廃車体は貴重である。
◆オハ51 6(1978年新製 富士)→1991年廃車。

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客車廃車体訪問記 北海道編17

【深川市納内町3丁目】

オエ61 59  43.729724, 142.136050  1996年8月4,6日撮影
納内町3丁目のセイコーマート(当時はローソン)の東隣にあったガソリンスタンドの倉庫であった。今はガソリンスタンド共々現存せず、「ふるさと」という食堂になっている。

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客車廃車体訪問記 北海道編16

【旭川市 永山北二条11丁目】

オエ61 80 1997年8月24日撮影
宗谷本線永山駅から近い、道道761号のローソン旭川永山北2条店隣の某会社の倉庫のようである。【91093】、【91771】と同形式のオエ61であるが、こちらは生え抜き(?)の鋼体化客車である。オリジナルのマニ60後期車からオエ61に改造され、名寄機関区の救援車であった。
◆ナハ23876→(1954年鋼体化改造 輸送機)マニ60 410→(1959年電暖追設)マニ60 2410→(1979年改造 旭川車セ)オエ61 80→1986年廃車。

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