客車廃車体訪問記内地編14 岩手県-1

【小岩井農場まきば園】 39.750181, 141.019215 2018年4月29日撮影

↑手前からD51 68,ナハネ20 352,355,363
D51 68は北海道のカマであった。ナハネ20の3両はラストグループ(ラストナンバーは364)である。
D51と客車にまとわりついているのはLEDのイルミネーションで、11月下旬から「銀河牧場の夜」と称してライトアップされると案内板に書いてあった。
以前はナロネ21で、その後このナハネ20でSLホテルとして営業していたが、10年位前に閉鎖されたらしい。
このSLホテルは、1977年4月29日にオープンし、その時は、
D51 68+ナロネ21 152+ナロネ21 554+ナロネ21 104+ナロネ21 502+ナロネ21 107
と、A寝台車5両の豪華編成であったが、その後、
D51 68+ナロネ21 502+ナロネ21 554+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
と変化し、さらに
D51 68+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
となった。

◆ナハネ20 3両とも(1970年日車 新製)→1994年廃車(最終配置は盛アオ)

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客車廃車体訪問記内地編13 福島県-2

【磐越東線小川郷駅傍のナヤ11】 37.126265, 140.862478 2018年4月30日撮影

小川郷駅の西側、ホームの目の前にある。ナヤ11 2の前半分で、ナヤ11 1と違い、きちんと手入れされていて、近隣の会社の休憩所か地域の集会所のような感じに見える。磐越東線の列車からは、眼前にナハ11が停まっているように見えるかもしれない。
◆ナハ11 60(1957年8月新製 日車)→(1959年電暖追設 大宮工)ナハ11 2060→1969年3月5日近代化改造 大宮工→1972年7月27日体質改善B2 大宮工→(1976年3月改造 郡山工)ナヤ11 2→1987年廃車

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客車廃車体訪問記内地編12 福島県-1

【いわき市戸作田のナヤ11】 37.074152, 140.805767 2018年4月30日撮影

ナヤ11 1
いわき市好間町大利戸作田(よしままち おおり とさくだ)の「とさくだえき」という屋号の、廃業した軽食&喫茶店跡で、ご覧のとおり荒れ果てている。道路から距離は近いがとても近づく気になれない異様な雰囲気である。たとえば車で雨降りの薄暮に走っていて、カーブを曲がった所にこれが現れたら肝を潰すかもしれない。訪問したのが天気の良い日中で良かった。実際はすぐ近くに小学校や郵便局があり、前後に人家も少しある。ワラクロ屋のツアーではこんな所には来ないだろう。
ナヤ11は3両在籍し、 1と2は水戸鉄道学園の交直流電車用教習車であった。
◆ナハフ11 29(1958年9月新製 日車)→(1959年度電暖追設 大宮工)ナハフ11 2029→1972年7月20日体質改善B2 大宮工→(1976年改造 郡山工)ナヤ11 1→1987年廃車

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客車廃車体訪問記内地編11 大阪府-1

【祝!! 甲子園出場  履正社高等学校】 34.775288, 135.479791 1987年6月28日撮影


▲ナハネフ22 1023
履正社高等学校は、今年の夏の甲子園に大阪府代表として出場が決まった。3年ぶり4度目の出場である。頑張ってほしい。ナハネフ22はその学校の入口にあって、生徒の宿泊設備なのであろう。搬入されて間もない姿である。現在はもうない。方向幕は「大阪-長野」・「ちくま」で、テールマークは青で「TRUE DREAM」であった。12系と併結するための改造を受けて重くなり、標記は「ナ」であるが実質「オ」級なので▲マークがある。
◆ナハネフ22 23(1970年日車 新製)→(1978年改造 高砂工)ナハネフ22 1023→1987年廃車

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客車廃車体訪問記内地編10 鳥取県-1

【若桜鉄道隼駅】 35.388747, 134.269693 2011年11月2日撮影

オロ12 6   JR四国でグレードアップされ、客室をカーペット化し、固定窓にして塗装を変更した。定員が20名になったのでユニットクーラーが4台になった。イベント列車からその後ムーンライト高知に使用され、さらに塗装が本来の12系色に戻された。2011年、JR四国から若桜鉄道にやって来て、「ムーンライトはやぶさ」という名称のライダーハウスとして営業しているそうである。「ムーンライトはやぶさ」のサボもある。北陸鉄道のED301と連結されていて面白い編成である。
◆オハ12 6(1969年新潟 新製)→(1988年改造 多度津工)オロ12 6→2010年廃車

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客車廃車体訪問記内地編9 東京都-1

【京成関屋駅西方のスユ37】 35.743419, 139.808338

 

スユ37 2004
◆オユ36 4(1949年日支 新製)→(1961年電暖追設形式変更 大船工)スユ37 2004→1971年廃車(現車の銘板と不一致の可能性がある)

前回に続き、何が写っているのかわからない画像で恐縮である。京成関屋から上野方面へ向かって発車してすぐ南側の築堤下に見える。
車体は2つに切断されている。幕板の採光窓がわかる。廃車になって間もなくここへ来たようで、現役の廃車体としてはたいへんご長寿であるが、老朽化が進んでいるようで将来が気になる。

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客車廃車体訪問記内地編8 宮城県-1

【東北本線田尻駅ホームから見えるマニ44】 38.597664, 141.059331

↑マニ44 2065 2019年6月27日撮影

配置は盛モカ、じつに短命で、たった7年半しか在籍期間がなかった。
田尻は東北本線小牛田のひとつ一ノ関寄りである。小牛田から北はワンマンカーで、駅員はいない。ホームの靑森寄り草ぼうぼうの所から見ただけでナンバー等の確認はしていない。樹木の葉や雑草が茂り、見えない部分が多く、一目見て客車だとはわかりにくい。アルミ電解コンデンサのメーカー工場の駐車場線路側にある。倉庫であろう。同時期に廃車された経年の浅い車両が他にも売却された可能性がありそうであるが現在のところここ以外に知らない。
◆マニ44 2065(1979年富士重新製)→1987年廃車

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客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3

【加悦SL広場】 35.481148, 135.092510

↑キハ08 3(2-4位側) 2019年4月5日撮影
台車はDT22AとTR51A、乗務員扉は1・4位側にしかない。後位側(画像手前)にあった便所・化粧室は加悦鉄道入線時に荷物室にした。外妻に銘板が3枚あり、右上は「日本国有鉄道」、右下は「昭和30年盛岡工場鋼体化改造」、左は「昭和37年苗穂工場」である。
◆ナハ24972(大正11年汽車新製)→(昭和3年改番)ナハ22459→(昭和30年盛岡工鋼体化改造)オハ62 130→(昭和37年苗穂工気動車化改造)キハ40 3→(昭和41年改番)キハ08 3→昭和46年廃車→昭和47年加悦鉄道で営業運転開始
オハ62 130はオハ62のラストナンバーである。

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客車廃車体訪問記内地編6 京都府-2

【京都鉄道博物館】 34.986724, 135.743411

↑オハフ50 68  梅小路の扇形庫脇「客車休憩所」この時はB20 10が連結されていた。 2018年7月10日撮影

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客車廃車体訪問記内地編5 京都府-1

【JR嵯峨嵐山駅前】  1997年5月28日撮影
嵯峨嵐山駅南側のレンタサイクル店「トロッコおじさんのレンタサイクル」

↑右(北側):オハフ50 223 受付兼車庫  2位寄り窓2個分を切り取って入口にしている。
左(南側):オハフ50 241 車庫。

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客車廃車体訪問記内地編4 徳島県-1

【上板町 子供体験学習館】 34.132359, 134.395771
スハ43 275  2010年11月20日撮影
板野郡上板町の上板町立歴史民俗資料館の北隣の「子供体験学習館」として利用されていた。
風の便りでは、2016年に撤去されたらしい。

◆スハ43 275(1953年日支製)1965年2月7日蛍光灯化 幡生工→1966年7月16日近代化改造 幡生工→1969年12月10日FRP窓枠試験車 幡生工→1971年3月25日体質改善B3 幡生工→台車TR47A化 幡生工→1985年廃車

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客車廃車体訪問記内地編3 青森県-2

【津軽鉄道芦野公園駅裏】 40.912294, 140.4516

オハ31 1  1986年9月24日撮影
オハ31 1のまわりは松ばかりであるが、芦野公園はゴールデンウィークの頃には多数の桜が満開になってたいへん美しい。
今はこの車両は番号を国鉄時代のオハ31 26に戻して、鉄道博物館で保存されている。

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客車廃車体訪問記内地編2 静岡県-1

【浜松市西区入野町(いりのちょう)】 34.698070, 137.696580  2019年6月17日撮影  最寄り駅:浜松(強いて言えば高塚)
マニ50 2032とマニ50 2164(といわれている)

本日、天気がよろしいので、リハビリをサボって浜松へ行ってきました。
時節柄、鮮度の落ちないうちにお届けします。

入野町にある地元の有名な製麺業の会社のものと思われる駐車場に、3両のワキ8000、ワムかワラ1両と得体の知れない謎の車両1両と、合計7両置いてある。全て台車は無い。

▲北東から望む
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客車廃車体訪問記内地編1 青森県-1

客車廃車体訪問記北海道編から暫く中断しましたが、再開して内地編をお届けします。北海道のようにできるだけ調べて訪問したわけではなく、まだ見に行けていない所も多数ありますが、それはそのうちに行くことにして都府県順不同でご紹介することにします。
まず、昔は北海道から本州に渡るのは青函連絡船がメインルートでしたので、その本州側の青森港からスタートしたいと思います。

【青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸】40.831683, 140.736488
◆スユニ50 509  スユニ50 510    2018年5月30日撮影  最寄り駅:靑森
青森駅の旧青函連絡船桟橋に係留されている八甲田丸の車両甲板3番線に、航送時を再現した状態で保存されている。他にキハ82 101やDD16 31等も展示されていた。船内はなんとなく油臭い。

手前がスユニ50 509、奥がスユニ50 510

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国鉄京都自動車工場について

最近、別件で本棚をさがしていたところ、『国鉄京都自動車工場十五年史』(昭和37年8月1日発行)がでてきましたので、米手作市さんの  2019年1月17日投稿 「【103398】西村さんへの借りを返すの巻」  に関連して、ご参考に供します。

全景

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キサハ34

キハ141系、キハ33に続きまして、客車改造の気動車キサハ34をご紹介します。
キサハ34は、0番代の1~2(オハ12 1000番代からの改造),500番代の501~502(スハフ12 1000番代からの改造)の合計4両の小グループでした。
1992年3月14日の時刻改正から運用開始しました。冷房付きキハ58・28とで氷見線列車が冷房化されました。
通常、朝のラッシュ時にキハ58とキハ28に挟まれた4両で氷見線を走りました。
廃車は1996年3月31日で、キサハ34は約4年という短命な形式でした。

左からキハ28+キサハ34 1+キサハ34 501+キハ58   高岡
ドア上のシールは「禁煙車」
日付は全て1993年6月10日

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境線のキハ33

キハ141系に続き、客車改造の気動車キハ33をご紹介します。といいましても1度撮りに行っただけの簡単なものです。
キハ33は1988年後藤車両所でオハ50から改造されて1001,1002の2両が誕生しました。いきなり1000番代なのはトイレがないからだそうです。
2004年に鳥取に移り、山陰本線で走っていましたが2010年廃車されました。朱色に塗られた1001が津山まなびの鉄道館で保存されています。
オハ50 5→キハ33 1001
オハ50 6→キハ33 1002

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救援車銘板の怪

客車に限りませんが鉄道車両には銘板が取り付けられています。外妻や車内クシ桁にネジ止めされている多くは楕円形のプレートで、これによって製造・改造などがわかります。標記されている形式番号の他に現車の素性を知る手かがりにもなります。ですから通常は一度取り付けられたら廃車解体されるまでそのままのはずなのですが、なかにはいつの間にか違う銘板が付いていたという奇っ怪な例をご紹介します。

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札沼線を走っていた頃のキハ141系(6)最終回

【編成いろいろ】

キハ141系の編成がわかる列車写真も少し撮影しました。走行写真は、人工物ができるだけ写らない石狩太美駅から北東方向の踏切付近で何回か撮影しました。初めて行った時、撮影後そのまま石狩当別まで行こうと思って石狩太美駅前のタクシーを呼んだら女性の運転手で驚きました。

【キハ141系だけの編成】

◆2連 キハ141-1+キハ142-1→ 石狩太美-石狩当別 1991年9月16日

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札沼線を走っていた頃のキハ141系(5)

【京王プラザホテル札幌から】

◆キハ141系6連 ←535D 京王プラザホテル札幌2027号室から 1998年9月14日
札幌駅近くの京王プラザホテルに一度泊まったことがあります。部屋は2027号室でした。眼下に札幌駅構内西側(桑園方)が俯瞰できました。ラッシュ時にはこのような141+142の6連非冷房編成もありました。現在は、駿台予備校の左の駐車場の場所にホテル京阪札幌が建っています。

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