昭和の電車 改訂版(61)ー土佐電鉄クハニ2000型ー

これも乙訓の長老様が撮った一枚です。つれづれ草シリーズで土佐電を紹介した中にありました。
関先生の画の反対側から見たもので、運転席の扉がありません。江若の気動車に似ています。

昭和の電車 改訂版(57)ー京阪700型ー

京阪の600型・700型の現役時代は乗ったことがあると思いますが記憶が無い!
この頃、両親に連れられて大阪へ行くときには省線電車(親がそう呼んでいた)が主で、北浜方面へ行くときだけ京阪を利用していたので1000型以外の記憶が曖昧です。

昭和の電車 改訂版(55)ー小田急デハ1600型ー

小田急には乗ったことは無いが、正面貫通扉にある「転落防止柵?」に記憶があります。これは「転落防止柵」で間違いないのでしょうか?

また、関先生の解説中に「16㍍の車体が重宝されて、各地の中小私鉄で重宝・・」とありますが、その各地の写真をお持ちの方があれば、ぜひとも見せて頂きたい。

昭和の電車 改訂版(51)ー神戸電鉄300型ー

私にとっては生涯(おそらく)全く縁の無い私鉄ですが、一度だけ乗ったことがあります。震災の一週間後、元町の得意先へ見舞いに行くため初発の福知山線に乗り三田へ、そこから神戸電鉄で谷上へ出て神戸高速に乗り換えて三宮まで行きました。地下から地上へ出たとき見た惨状は一生忘れられません。

最近経営を巡ってなにか新聞紙上で話題になったような気がします。

囚人電車はランランラン行くよ♪

汽車の窓からハンケチ振れば~と歌うのは岡本敦郎の『高原列車は行く』ですが、この歌の舞台が沼尻鉄道だと言うことを知らない人でもメロディーはご存じでしょう。
先日の関三平先生との飲み会で南海電鉄の話題が出たとき、突然関先生から『南海に囚人電車があったのを知らんやろ!』と発言があって座が一瞬静まりかえりました。各自の頭の中には「鉄格子窓にしがみつく囚人達を乗せて走り去る電車」や「囚人が運転する電車」だったのではないでしょうか?
関先生から貴重な写真が贈られてきたのでご覧に入れます。

撮影日時:1959年4月10日(何の日?)住之江車庫 続きを読む

昭和の電車 改訂版(49)ー名古屋市電2600型ー

関先生は毎回テーマごとに同種の車輌をシリーズ形式で掲載されています。
今は連接車、私個人的には大変興味のある電車ですが、やはり京都と縁が薄かった(びわこ号を例外として)せいか、読者からの反応がイマイチ少ないのが残念です。前回の西鉄は、かつてなら九州からの会員が多かったので大盛況でしょうが今回は不発に終わりました。では名古屋ならどうでしょうか?名古屋の大僧正にネットが出来ればいいのですがね。代わりに近鉄ファンに代行をお願いします。

昭和の電車 改訂版(46)ー京阪びわこ号60型ー

改めて本稿を読んで気付いたことがあります。それは流線型がこの60型から始まったと言うことです。二枚窓の電車が80系から始まったように、流線型はEF55かC53が始祖だと思っていました。それが反対で、「びわこ号」をモデルにして国鉄がマネをした、とはなんと痛快な話ではありませんか!

この由緒ある電車に乗ったことがある方は、ひとこと思い出を語ってください。

昭和の電車 改訂版(46)ー南海電鉄モハ1号ー

今回は南海の新製能テスト用車輌。
この時期の関西私鉄は、旧型車輌を使った新製能テストを相次いで作っていたことが分かる。それにしても木造車体の新製能テスト車とは思い切ったものですね。

関西私鉄でも「南海」「阪神」への興味はイマイチと言うことなのでしょうか、反響の薄さが気になります。