ハチロク御召が走った日 余話

昭和43年10月の福井国体で運転された御召列車は、福井県内だけではありませんでした。今なら、国体開催県のみで終わる視察が、当時は、国体後に、丹後・但馬地方にも及び、小浜線、宮津線、山陰本線でもC58、DD54の牽く御召列車が運転されたのでした。これで今回の御召の牽引機は、EF58、DE10、EF70、8620、C58、DD54と、すべての動力が揃った6形式にも及ぶという、近年にない、変化に富んだ御召となりました。


越美本線で御召が運転された翌々日の10月4日には小浜線敦賀~上中間で、5日には若狭高浜~東舞鶴間でC58171(敦一)、東舞鶴~豊岡間でC58223(豊)+C5856(舞)の御召が運転された。敦賀第一、西舞鶴、豊岡と、近隣の3区から1両ずつC58が選ばれた。
5日に、同学年のM好さんと牽引機が交替する東舞鶴へ向かった。駅に着いて、裏へ回ると、C58223+C5856の晴れ姿が見えた。後年の御召のように過剰すぎるほどの装飾もなく、ごく標準的な装備だが、それだけに蒸機でありながら隅々まで磨き上げられた2両の姿には目を見張るものがある。3日前のハチロクに比べると、撮影者はうんと少ない。御召到着まで約1時間前、和やかさの中にも緊張感が走る。

待機中のC58を撮ったあと、二人で西舞鶴方面に歩いた。下調べも何もなく歩き出したが、幸い、白鳥峠のトンネルの手前に築堤があり、その横には恰好のお立ち台がある。いま通ると、現場は平行する国道に沿って線路端までロードサイドの店が建っているが、当時は、一面の田圃が広がっていた。
25‰が続く白鳥峠だけに、御召らしからぬ力行ぶりである。重連の場合、次位に日章旗を掲示しないケースもあるが、このように次位にも掲示され、風にうまくなびいて、4本の日の丸がきれいに見えている。今まで何度か写した同機の一世一代の晴れ姿であった。

同年10月6日には、竹野~二条間にDD543+DD541の牽く御召列車が走った。DD54は、昭和41年から製造され、福知山・米子機関区に配置されて、蒸機を置き換えしていたが、故障・事故が絶えず、この4ヵ月前には、湖山駅で急行「おき」を牽引中、推進軸が折れて、脱線転覆事故があったばかりだった。故障・事故の集中していた量産形を避け、比較的安定した試作機1~3を御召牽引に当てたようだ。この日の御召は午後からの運転で、ゆっくりして馬堀駅に降り立った。馬堀に降りたのは、この日が初めてで、それからC57を求めて何度も降り立つことになる駅東方の築堤でとらえる。このあと、梅小路区へ向かい、大役を終えた同機の晴れ姿を心ゆくまで眺めた。もちろんDD54の御召はこれ一度切りで、DD54は短い生涯を閉じてしまう。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part9 富山地方鉄道3

一昨日は、佐竹先輩を通じて購入申込しておりました『日本の客車』復刻版が届きました。
中学生の頃から、神足駅から京都駅まで、国鉄で通学していました。丁度、向日町操作場が、1年生の1961年10月に開業したばかりで、京都駅も含めて、様々な客車を毎日見ていました。掲載されている客車を見ていますと、その頃に見たり乗車した車両もかなりあります。懐かしく、拝見させていただきました。

1961年といえば『鉄道ファン』が創刊された年でもありました。当時は『鉄道ピクトリアル』と2誌だけが情報源でした。発売日は待ち遠しくて、前日からウキウキしていた事を思い出しました。

第7日目 2010年4月23日
今日も雨。めげずに頑張ってきましたが、雨と強風に桜の花びらを散らされては、初期の目的も散っていきます。
桜前線は、東北の福島辺りまで北上していますが、ぶんしゅう7号の車内で見る朝のTVは、満開の桜にふり積もった雪の映像を流していました。本当に今年の春は天候異常です。

この後、北陸路を北上して桜前線に追いつきたい思いがありましたが、天候異常が続くと予期せぬ事態に遭遇もします。能登での身体異常発生もありましたので、今年はここが引き際かなとの結論に達しました。
は来春も咲きます。今回は初めての桜前線追っかけで、ミスった事も多かったので、これを教訓に来春は、もっと充実を図れるだろうと2010年最後の桜前線追っかけのとしました。

今日は金曜日で、高速1000円ディには、もう一日あります。明日0時過ぎに京都南ICを降りれば、経費節減です。時間は充分あります。来春に備えて、まだ残っている車窓ロケハンでチェックした撮影地から撮ることにしました。
▲8:35、上市~相ノ木間、宇奈月温泉発、電鉄富山行きモハ16014+16013の118レ。
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桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part8 富山地方鉄道2

朝起きての直ぐの日課は、空模様を見る事です。今日も雨です。九州から数えても、雨が降る日が多すぎます。空が泣いてますが、私はもっと大泣きの毎日が続いています。

第6日目 2010年4月22日
① 岩峅寺13:25(622)→13:55電鉄富山

② 電鉄富山14:40(331・寺田圣由)→15:16岩峅寺


昨夜は、今日の移動を考慮して、国道8号線にある富山東PAで宿泊しました。一般国道のPAですので、高速道路のと比べると設備は数段おちます。それでも温泉に入った後は早くビールを飲みたくなるので、快適より直ぐの快楽を選んでしまいました。

E-Mailのチェックとインターネットで調べておきたい事があったので、朝食をかねて無線Lanができるマクドナルドを探しますが、10分も走ると必ず1軒はあったマクドがありません。撮影予定地の常願寺川鉄橋を越えて先まで行ってしまいました。
店に入って電気も使っていいですかと訊ねると、笑顔でコンセント近くの席に案内してくださいました。多謝、多謝です。

昔は安いモバイル専用PHSがありましたので、遅くとも大概の場所でインターネット接続が可能でしたが、いつしか消えて、石器時代になりました。個人がPCを持ち歩き、情報化時代になっています。
高速道路のPA、道の駅、観光地の駐車場・公園等々公共の場所では、どこでも誰でもがインターネットを無料で使える環境整備を進めていただきたいものです。
高速走行する列車内のように高額費用を必要としません。固定された場所なら費用もわずかで、費用対効果は膨大です。政府指導で義務付けぐらいの政策を望んでいます。

朝からぼやいていてはいけません。腹ごしらえも済み、情報もインプットできましたので、出発です。
9:00、先ほど通過した越中三郷~越中在原間の常願寺川鉄橋で撮影開始しました。
▲ 9:10、岩峅寺発のモハ10043+10044の312レ。 続きを読む

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part7 富山地方鉄道

昨日朝、フジTV系の”とくダネ”を見ていたら、ワシントンホテル秋葉原に本格的な鉄道ジオラマ『クハネ1304』客室が登場したと、取材レポートがありました。客室内で模型列車の運転ができるようになっています。ホテルもいろいろと客寄せを考えるものだとびっくりしました。二番煎じが出そうですね。ご興味のある方は、下記を覗いて見てください。
http://www.wh-rsv.com/wh/hotels/akihabara/

第5日目 2010年4月21日
① 滑川10:42(127)→11:35宇奈月温泉
② 宇奈月温泉13:18(144)→14:31寺田14:58(331)→15:42立山
③ 立山16:14(334)→16:57寺田17:02(155)→17:26滑川

6:30、滑川漁港横のある『道の駅ウェーブパークなめりかわ』にて起床しました。
富山湾には、普段は深海に生息しているホタルイカが、3~6月に産卵のため海面に浮上します。魚津から新湊海岸近くにかけて押し寄せ、滑川漁港は富山湾では主要水揚げ港となっています。深夜には、予約連日満員御礼の観光船まで出航していました。

小型漁船が戻ってきたので見に行きましたが、残念ながら、ホタルイカの水揚げはもっと早い時間だそうです。折角きていますので、駐車場横にある「ほたるいかミュージアム」の開館を待って見学しました。
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桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part6 城端線

昨夜は、早寝して試合開始直前に起きて、TV放映を見だしましたが、途中で夢の世界に入ってしまいました。早朝に感激の再放送を見ながら久しぶりの快感に酔いしれました。ワールドカップ1勝、おめでとうございます。「はやぶさ」の成功といい、奇跡的な歓喜が続きますね。

第4日目 2010年4月20日
昨夜の温泉は変調をきたしていた身体を解すには最高でした。今日はゆっくりと目覚め、海を見ますが、昨日夕方に城端線では見えた立山連峰は、ここからでは見えません。朝のTVの天気予報は昼から雨です。空は今にも降りそうな重く厚い雲に覆われています。

城端線に向かって伏木駅付近走っていますと、海の向こうに残雪の立山連峰が現れだしました。待ちに待った光景です。急いで、ぶんしゅう7号をUターンさせて、撮影ポイントの雨晴付近まで引き返しました。
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桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part5 万葉線

丁度明日、6月12日(土)は、万葉線電車祭りです。
場所;米島口本社、開催時間;10:00~15:00、行って見てください!
http://www1.coralnet.or.jp/manyosen/news/img/roden.pdf

第3日目 2010年4月19日

① 米島口14:53(万葉線)→15:12高岡駅前
② 高岡15:38(339D)→16:27城端16:34(342D)→17:20高岡
③ 高岡駅前17:33(万葉線)→17:51米島口 
6:00、今朝も立山連峰は見えません。それでは、今日は、昨日の予期せぬ身体の変調を考慮して、ゆっくりとしようと思いました。
▲ 道の駅氷見は、氷見漁港内にあります。月曜日とあって、早朝から小型・中型漁船が戻ってきて、全国でも有数の好漁場、富山湾のとれとれの魚の水揚げをして、種別分けをしておられます。
富山湾は、暖流が流れ込むと共に、水深は1,000mを越えての深層水に、北アルプス立山連峰から6河が流れ込むプランクトンが豊富な環境によって、約500種類もの魚の宝庫となっています。

この時期は、世界中でとれるのは富山湾だけのしろえびをはじめ、ほたるいか氷見鰯と評されるイワシ類が有名で、夏はマグロ、冬は全国一と知れ渡る寒ぶり甘エビ等々季節を問わず魚好きを唸らせます。海流を利用した定置網漁法が主流で、停泊船舶数は小型船中心で、約150隻だそうです。 続きを読む

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part4 のと鉄道

第2日目 2010年4月18日

① 越中国分7:09(525D)→7:21氷見7:29(524D)→7:41越中国分
② 能登中島13:28(135D)→13:41能登鹿島15:16(140D)→15:29能登中島

9:00雨晴駅付近での撮影後、富山湾に沿った160号線を七尾市方面に北上しました。
カーブ高低差の多い道路ですが、ベタなぎの湾内は静かで、運転していてもすがすがしく感じます。
昔、41年前になりますが、この道を能登半島突端の狼煙の灯台まで、歩いた経験があります。それも出発は、京都三条大橋からでした。元気そのものだったのですね。
今は、気持ちだけで身体は正直です。ましてや一人旅、無理は禁物です。今日は朝早かったので、急激に眠気が襲ってきました。眺めの良い所で車を止めて朝寝をしました。

12:17のと鉄道田鶴浜駅着。降りて、駅構内をゆっくり見学しました。
▲ 12:30七尾行きのNT204、134Dが到着。続いて穴水行きのNT202の133Dが到着しました。
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ハチロク御召の走った日 (2)

御召の回送を撮ったあと、少し六条駅寄りに移動し、本番の撮影を田んぼの中の直線区間に定めました。御召の撮影とあって、ありったけの機材を動員します。タクマー135mmを装備した虎の子アサヒペンタックスSVを、パチパチ三脚に着け、ゴム球のレリーズを付けてモノクロ一発必中、得体の知れないマミヤ製のEEカメラには、ブジカラースライドを入れて、手持ちで連写とします。待つこと2時間余り、近くの踏切の警報器が鳴ると同時に、はるか向こうから、赤白の日章旗が目に入りました。胸の高鳴りを感じる一瞬でした。

本務機88635、補機28651、2両のハチロクに牽かれた1号編成の御召列車は、音もなく近づいて来た。逸る心を抑えながら、まずレリーズでモノクロ一発、続いてカラーで連写する。秋の陽を受けて、御料車がまばゆいばかりに輝いているのだけは覚えている。
実は、この昭和43年に、別のところでハチロクの御召が予定されていた。それは、5月にあった秋田県の植樹祭での花輪線大館~十和田南間の御召である。ところが、その一週間前に発生した十勝沖地震で、すべては中止されてしまい、ハチロク御召も幻となってしまった。
それだけに、今回は、最後の蒸機御召ではないかとの噂が、多くの撮影者を集めた一因となった。ところが、案に相違して、その後も毎年のように各地で蒸機御召が運転される結果となり、ハチロクに至っては、翌年の松浦線でもさっそく御召を牽いた。

後を向くと、近所の人たちの歓迎の人波があった。写真撮影の準備をしている時だったが、ひとりの婦人から声を掛けられ、写真をあとで送ってほしいと言う。聞くと、御召の28651の正機関士である北さんという方の奥さんだった。その後、機関士の北さんとは何度か写真を交換し、御召運転の苦労など、いろいろな話を聞かせてもらった。

御召は福井まで運転されたあと、牽引機は福井機関区まで回送された。下車駅の越前花堂に機関区が隣接しているので、歩いてすぐに機関区へ駆けつけ、回送到着後の区員の記念撮影などから見ることができ、そのあとは、撮影用に開放された。ロッドが揃えられなかったのは残念だが、撮影には邪魔のない好適な角度である。
この本務の88635(御召では先頭を本務、次位を補機とする位置づけになっているようだ)は、前照灯以外は、完璧なハチロクだ。今まで、越美北線の貨物牽引の地味な仕事に従事していた同機だが、一世一代の晴れ姿を披露していた。

 

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part3 氷見線

第2日目 2010年4月18日

① 越中国分7:09(525D)→7:21氷見7:29(524D)→7:41越中国分
② 能登中島13:28(135D)→13:41能登鹿島15:16(140D)→15:29能登中島

5:00、空が明け始めた頃に目覚めました。直ぐに洗面を済まし、車のオートフリートップを格納、宿営地の「道の駅氷見」を出発し、雨晴駅方面の海岸沿いを走りました。
氷見6:08に発車する始発列車の回送があります。撮影地予定地の雨晴~越中国分間を通過する前に着いていなければなりません。急ぎますが、安全運転で、向かいました。立山連峰が見えれば、絶景が広がっているはずです。しだいに朝日が昇り始めました。

5:20、現地に到着。急いで車中からのロケハンをしますが、残念ながら絶景は、朝霞の向こうで、全く見えません。そして、完全逆光で、撮っても列車は風景の中に黒く埋没します。抜ける場所はありません。何とか撮れないかと撮影地点を探している途中で、5:39、回送列車は来てしまいました。シャッターは切りましたが・・・・。
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ハチロク御召が走った日 (1)

【8427】でぶんしゅうさんが、昭和43年の福井国体で運転された御召列車について述べられています。その時のネガが所在不明と聞いていますが、無事見つけ出していただくよう祈っています。
実は、私も一緒に福井へ行っていました。ただ、一緒に行ったのは、一年上のS井さん、T城さんの2人とばかり思っていましたが、当時の写真を引っ張り出して仔細に見てみると、ぶんしゅうさんも写っていることを発見、一緒に行っていたことを確認しました。
福井城のすぐ近くにあるK先輩の実家に厚かましくも上りこみ、昼をご馳走になったことも覚えています。あの時の寿司はうまかったなぁ。
さて、福井国体で運転された御召列車は、昭和43年10月2日に越美北線の越前大野~福井間で、8620形重連で運転されたものでものでした。
私の記憶では、事前に御召列車ダイヤが鉄道雑誌に公表された初のケースでした。現在では考えもつかないような、オープンで寛容な時代なればこそで、そのため、書かれているように全国から多くのファンが集まりました。ただ、その数たるや、今から見るとホントにささやかな数で、何日も前から徹夜して三脚で場所取りすることなど、まるで無用、通過直前でもほんの数人の同業者でした。
昭和43年10月2日、歴史的なダイヤ改正として記憶に残る”よん・さん・とお”の2日目、天気は快晴、その日を朝から追いました。

 

京都駅に集結したDRFCメンバー4名は、米原へ。ここから、米原発福井行239レに乗り換える。交直接続区間の米原~田村間を牽くのは、DD503+DD504であった。この接続で名を馳せた蒸機のD50も、”よん・さん・とお”改正で消え、DD50、DE10に替わって、ようやく無煙化が実現した。数奇な運命をたどったDD50であるが、その後、米原~田村間を最後の働き場所として、昭和53年に廃車になっている。

“よん・さん・とお”改正で、裏日本縦貫線を通す寝台特急が誕生した。それが「日本海」で、従来の急行「日本海」は、「きたぐに」に改称されてそのまま存置された。このように、”よん・さん・とお”改正は、急行を廃止・格上げして、特急を新設するのではなく、純粋の新設であるところに、ダイヤ改正の勢いを感じる。この「日本海」は、青森を1日の晩に出発した処女列車で、湖西線開業前だから米原回りである。DE10に牽かれて米原に到着し、EF58に替わるところだが、なにせ初日のこと、操車掛けが集まって、ホースの確認などに大童のシーンである。左端に脱兎のごとくホームを走り回るのが、若きぶんしゅうさんだ。

DD50に牽かれた237レは、田村でEF7015+EF701006に替わり、敦賀からはED702に替わった。この写真は、今庄駅を発車した直後の237レ、因みに、メモによれば、編成は、ED70 2+オハフ61 2712+オハ35 2021+オハ35 3239+ナハ10 2047+ナハ10 2022+オハフ33 2573+マニ60 2618であった。構内のバラスが真新しいのは、敦賀~今庄間が北陸トンネルの開通で新線に移り、かつての旧線の基地であった今庄の機関区設備が撤去され、構内配線が敷き直された結果であろうか。

前記のように、先輩宅で昼をいただいたあと、まず御召の回送を撮るために、福井から一駅目の越前花堂駅で降りた。他のメンバーは、さらに乗り続けて山間部へ向かったが、私としては無難にまとめたかったため、田圃の中の越前花堂を選んだ。御召の回送は、基地のある南福井から、天皇の乗車する越前大野まで、1号編成を、8620重連が逆行で運転した。北陸本線と分かれ、左へ大きくカーブする地点で回送をとらえる。今も北陸本線に乗ると、この撮影地点を確認するが、今は、工場などが建ち並び、雑然とした雰囲気である。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part2 越美北線

第1日目 2010年4月17日
都合で出るに出られず、越美北線ロケハンから1週間が経過してしまいました。この間、春の嵐が雨を伴い、吹きまくりました。もう桜の花は散ってしまったのか。しかし、もしかしたら、まだ撮れるかもとの淡い期待を抱いてぶんしゅう7号と一緒に出発しました。
名神から北陸道へと入り、福井インターで降り、越前東郷駅を目指しました。

13:501960年(昭和35年)越美北線一部開業時に設置された越前東郷駅着。
▲ 車窓から見るのとは違って、広い駅前広場があります。かつては地域の中心駅だったのでしょう。期待のレール側の桜は、残念ながら半分以上散っていました。これでは、写真になりません。 続きを読む

ご無沙汰です

関係者のご苦労で投稿環境を正常に戻していただき感謝申し上げます。
さて、私こと、掲示板に投稿しなければの強迫観念にとらわれて続けて数ヵ月、もがけばもがくほど、手はキーボードから遠ざかっています。
そんな時、先週末上京した際に、準特急さんと、元気に病後復帰されたT田さんの2人ともに、京浜急行・江ノ電へ行く機会がありました。
ここで、掲示板を思う準特急さんの並々ならぬ情熱を聞かせていただき、痛く心を打たれました。
掲示板が内部のツールだけでなく、斯界のオピニオンリーダーたちも熟読されており、クローバー会の重要な発信源として機能していると言われます。おっしゃるに、投稿も大事だが、コメントはもっと大事と言われます。本掲示板の特徴でもある、双方向のコミュニケーションを発揮することが大事なのです。
準特急さんは、今後の掲示板のテーマとして
・定点撮影-昔と今の同一地点を対比
・譲渡車両-同一車両を譲渡先ごとに比較
・思わぬ出会い-譲渡先であり得ない車両の出会い
を挙げられています。これらは、一朝一夕にはできない、準特急さんのように半世紀以上に渡って地道に記録を続けられてきた人間のみに可能です。
最近の新参趣味者の物量攻撃に辟易している特派員にとっては、一筋の光明を見た思いでした。
何か勇気づけられた気がした一日でありました。要は気負うことなく自然体で掲示板に立ち向かうことが大事なのでしょう。今回は、ひとまず当日の成果をご覧いただきましょう。

京急を訪れた目的は残り少ない1000形をとらえること。大師線、逗子線も回ってみたが、車庫に休んでいるだけで、昼間の稼動車はなかった。そこで、地元お住まいのT田さんのご案内で、京急線南部の撮影へ向かった。横浜を過ぎると丘陵部を走り展望は開けるが、住宅が建て込んで撮影には不向きだ。ホームからの撮影に切り替えスタンバイしたのは、京急富岡駅。短いトンネルを突き抜けて快走する2100形の快特をとらえることができた。

つぎに訪れたのは、逗子線の六浦~神武寺間。先日の京急の改正で、逗子線では新逗子から羽田空港へ直通する「エアーポート急行」が日中20分ヘッドで走るようになり、羽田シフトがより鮮明になった。この区間、横浜市と逗子市の境の山間区間に当たり、人家がほとんどない。とくにトンネルの神武寺側には池沿いに走り、背後の山も米軍池子住宅の用地で自然のまま残されている。準特急さんはこの池を入れて数十年前に撮られたことがあるそうだ。

午後からは久しぶりの江ノ電訪問となった。都会的ではあるが、どこか田舎の風情を残したこの沿線の風情はいつ来ても清々しく迎えてくれる。製造後50年となった300形の残る1編成305+355も、「江ノ電開業100周年」のヘッドマークを掲げて元気に走っていた。江ノ電・嵐電提携を記念した嵐電カラーの1000形1552+15021も走っていた。

この日の締めくくりは定番の鎌倉高校前である。目前は江ノ島、傾きかけた陽を受けて初夏の海がキラキラ輝いている。直前まで大渋滞していた道路だったが、急に両方向とも車が消えた。見通しがよければ、ちょうどこの向こうに富士山が見えるはずだ。冬の寒いとき、冠雪した富士山を撮りにもう一度訪れてみたい。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part1 旅立ち前のロケハン

2010年4月10日

① 長岡京7:54(快速710T)→8:05京都8:15(新快速湖西レジャー号)→9:50敦賀9:53(239M)→11:25加賀温泉11:57(338M)→12:31福井
② 
福井12:49(727D)→14:15九頭竜湖14:33(730D)→15:58福井16:28(356M)→17:35敦賀17:49(新快速)→19:42京都19:53(快速831T)→20:04長岡京 

桜前線2010年九州・四国を一旦終えて、立て直しのために帰宅しました。インターネットで桜前線の進行状況を見ながら、出発のタイミングを見計らっていましたら、駅前のチケットショップで明日までの使用期限の青春18きっぷが1枚ありました。2000円です。迷うことなく買って、翌日はロケハンに出ました。

目指すは、越美北線です。越美北線と言えば、学生時代に初めてお召し列車を撮影した思い出があります。1868年10月2日、福井機関区の88635号機と28651号機が重連で、福井~大野間で一世一代の栄光の任務にあたりました。

その時は、DRFCのメンバー数名で一緒に撮影に行きました。1学年上に福井出身の久我先輩がおられ、福井城近くの大邸宅に全員をご招待いただき、熱き歓迎を受けた事を覚えております。勤務時代に職場が近かったので、時々お邪魔していましたが、今はどうしていらっしゃいますでしょうか。

撮影場所は覚えていませんが、皆と別れて山間からふかん撮影したと思います。この時まで、鉄道撮影と言えば多くとも数名でしたが、その時は、沿線に無数のファンがカメラを構えているのを見て、こんなにも鉄道ファンがいるのだと驚きましたと同時に勇気づけられました。
と、いうのも当時は、汽車好きだと言うと、変人扱いされました。今は鉄道ファンが大臣にもなっておられますが、当時は日陰者にも似た気持ちを持っていました。また、異性にもてたいと思う年頃を迎えています。趣味は何と聞かれ、ストレートに汽車とは言えませんでした。越美北線で、志を同じくする同士がこんなにもいるのかと、むしろ感動しました。

肝心のその時に撮影したフイルムを探しているのですが、50本近くの初期の貴重なネガを保存した、ケースが見当たりません。どこかにあると思いますが、生きている内に見つけられるか問題です。

桜前線ですが、直前に見たインターネット情報では、まだ5部咲き程度が多かったのですが、ロケハンに来てみると、福井市内はほぼ満開近しでした。天候も最高で、このまま撮影に入っても良い状態でした。
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桜前線追っかけ2010年 Part10 徳島線、土讃線 2の2

第9・10日目 2010年4月4・5日

朝起きても道の駅大歩危には、ぶんしゅう7号だけが宿泊客でした。ここは、吉野川渓谷にあって、対岸は土讃線が走っていて、大歩危駅は、直ぐ近くにある有名観光地なのに珍しい事です。

今日は、日曜日で高速道路の料金が1000円デーですので、夜に帰宅します。まだまだ行きたい撮影地はありますが、疲れも溜まってきていますので、一旦立て直しの帰宅です。
四国最後の一日ですので、しっかりと思い出に残るショットを撮りたいと意気込んで、いつものように朝食と夜明けの熱いコーヒーを飲んで、出発しました。

大歩危駅は、昨年2009年春の青春18きっぷの旅で四国を回り、最後に通りました。桜が満開で、次回は是非とも撮影したいとの宿題でした。まずは、大歩危駅に向いました。
▲ 8:27、大歩危駅は、民家風の駅です。ホーム中央に対岸からの道路橋がありますので、どこからとっても画面に入ってしまいます。
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昭和45年、40年前の久大本線 日田駅

K・H生さんから、豊後森の写真投稿をいただきました。ありがとうございました。
昔の豊後森駅や機関区の写真を撮っていればと探しましたがありません。代わりに、今回行きたかった久大本線日田駅で撮影したSL時代の写真がありましたので、ご紹介させていただきます。撮影日は、40年前の1970年(昭和45年)4月9日と10日です。

日田駅前です。タクシーは、コロナとブルーバード(手前)、駅横の電話ボックスも懐かしい光景です。
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桜前線追っかけ2010年 Part9 徳島線、土讃線 2の1

第8日目 2010年4月3日

佃14:06-(4466D)→15:06阿波川島15:30-(457D)→16:49阿波池田16:55-(476D)→17:02佃

昨日は、18:00佐賀関港から九四行動フェリーに乗船して、19:10に四国の佐田岬三崎港に着きました。豊後水道を横切る航路距離は31km、わずか70分の乗船時間で、運賃は、九州~四国間フェリーでは最も安い8400円でした。
日豊本線側は、高速道路が未整備なので、四国に渡るには、高速通行料、燃料代、運転時間や疲労を考えると、こちらの方が早く楽なので選択しました。

三崎港からは、東へ向かい松山高速道路に乗って、松山市内が眼下に見える伊予灘SAで宿泊し、朝を迎えました。昨日までの雨模様とは違って、晴天の撮影日和です。
今日の撮影地は、琴電旧車両運転時にお世話していただいた、高松にお住まいのK氏に前もって桜と鉄道を取りたいとお聞きしましたら、徳島線小島駅、土讃線箸蔵駅と黒川駅付近を勧めていただきました。

伊予灘SAを早朝に出発し、小島駅には9:05の到着です。駅前からして、桜満開で期待が持てます。
▲ 9:12、小島駅を発車するキハ471097+キハ47118、437D。

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桜前線追っかけ2010年 Part8 久大本線

今日は、注目のIpadの発売日です。我が家にも、Jr.がインターネットで注文したIpadが届きました。早速触ってみましたが、画面が明るく鮮明です。動作も早い。書籍や新聞を見ましたが、とても見やすい。いずれペーパーレスの世界になるだろうと思っていましたが、実際に見てみると、現実化を実感しました。

第7日目 2010年4月2日 
天気予報通り、夜間は風と雨が吹き荒れた朝を迎えました。日田辺りまでは、行ってみたいのですが、この天候では、撮影範囲を広げても見合った結果は期待できません。近場にもロケハンしておいた撮影地がまだまだあります。

7:50、まず、今回は、まだ行っていない斬新な評判を受けている由布院駅を訪ねました。

さすが、無茶な観光開発を押さえ自然と融合するまちづくりを進め、「潤いのあるまちづくり条例」を制定した湯布院町の玄関口だけあって、駅舎もちょっと違っています。由布院の自然を象徴する落ち着いた黒の塗装をした木造駅舎は、品格さえ感じられます。
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桜前線追っかけ2010年 Part7 久大本線

第6日目 2010年4月1日

南由布10:21-(4841D)→11:19大分11:23-(4836D)→12:20南由布 道の駅ゆふいん(泊) 


昨日夕刻からパラパラ降り始めた雨は、朝起きても続いていました。6:20、由布岳裾野から昇る朝日が見えましたが、直ぐに厚い雲の中に消えました。天気予報では、2~3日は雨が続くと言っていますので、当分好条件化での撮影は望めません。

しかし、冷たかった今年の春も例年の暖かさを取り戻したようで、桜前線は急ピッチで北上しています。本当に今年の春は、異常気象続きで撮影マン泣かせです。桜前線に待ったはありませんので、これからは、撮影地を絞っていく事にしました。今日と、明日の撮影地は、久大本線湯布院が中心です。

7:05、南由布を発車した4番目の列車の大分行きの、キハ200系の4829D。
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桜前線追っかけ2010年 Part6 宮原線

もう桜前線は、北海道の末端へ行ってしまいました。旬が過ぎてしまったが、その間いろいろと書き込みをしてしまったので、ご無沙汰になりますが、来年挑まれる方のためにも記録を残しておきたいと思います。

第5日目 2010年3月31日

長陽駅15:15→17:10国鉄宮原線・肥後小国駅跡→17:29北里駅跡→17:57麻生釣→道の駅ゆふいん(泊)

長陽駅訪問後は、外輪山を越えて肥後小国へと向かいました。到着後、さて肥後小国駅は、どこにあっただろうと思い『道の駅小国』に立ち寄ると、駅名版、線路が残されています。地元のおばさんに聞くと、間違いなさそうで、駅跡を利用して道の駅ができたらしい。
▲ ここから、DRFCの1967年夏の合宿地、宮原線麻生釣へと、廃線跡を辿ってみました。郊外へと出ると、約42年を過ぎた今も、築堤跡やアーチ橋がそのまま残っていました。 続きを読む

新緑の赤沢森林鉄道 2010年

新緑のすがすがしい日々が続いていますと、家事ばかりしているのは耐えられません。数ヶ月前に小学校の同窓会旅行の案内状が来ていた事を思い出しましたが、どこに置いたかこの年になれば記憶はありません。
探すより、近くにいる同級生を訪ねた方が早いと行って見ると、来週の土日に木曽の妻籠・馬籠宿に行くが、女性8名に対し、男性は3名で、参加者が少ない。あんたも一緒に来るように言われましたが、即答は避けて帰りました。

同窓会旅行先には、木曽森林鉄道があって、確かごく一部ですが、観光用として復活しています。芦生でのトロッコ道を歩いた好印象が残っています。急いで、インターネットで検索してみると、赤沢自然休養林内に森林鉄道があり、訪問記事を読んでいると、一挙に行きたい気持ちになりました。
しかし、行くために走る名神高速は、丁度5月10日~22日まで集中工事をしていて、渋滞が予想されます。天候も心配です。迷いましたが、天候が良さそうになってきました。幹事に参加したいが、前日は個人行動を取っても良いか打診しましたら、問題ない宿まで来てくれればと了解されました。

それでは、当日朝1番に赤沢自然休養林に着こうと、5月14日夕食後仮眠をとってから出発しました。向かうは、京都南ICですが、着けば何と20時から通行止めです。Uターンして、京滋バイパス久御山淀ICに変更しましたが、本線に入ると、長距離トラック集団が続く大渋滞です。
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