桜前線追っかけ2010年 Part5 高森線1970年時代

南阿蘇鉄道は、40年前にDRFCの竹中君と玉城君の3名で、国鉄高森線時代に訪問しました。1970年(昭和45年)、時期もほぼ同じ4月7日でした。5泊6日で、行程は下記のとおりです。

①4月6日 新大阪20:43-(急行天草)→7:02門司

②4月7日 門司7:16-(1137M)→7:51折尾8:00-(725レ・C55)→8:11筑前垣生11:37-(733D)→11:48直方13:02-(733レ・C55)→14:31原田14:34-(131M)→14:45鳥栖15:06-(急行くまがわ・1117D)→16:26熊本17:35-(1727レ・129レ)→19:56高森(泊)

③4月8日 高森9:43-(2732D)→10:02長陽…(撮影徒歩)…阿蘇下田17:26-(17:26)→17:44高森(泊)

④4月9日 高森6:00-(122レ・C12)6:08阿蘇中川…(撮影徒歩)…中松9:53-(2732D)→11:02熊本13:04→14:11久留米14:40-(639D)→15:56光岡16:43→16:47日田(泊)

⑤4月10日 日田17:40-(738レ・C11)20:35小倉22:23-(248M)→0:14小郡

⑥4月11日 小郡1:32-(急行雲仙2号・212レ)4:06広島5:13-(622レ・C62)→8:18糸崎8:23-(5436M)→10:09岡山13:09-(1446M)14:35相生14:36→15:44三ノ宮15:56-(822M)→16:24

大阪夜行列車で九州に入り、筑豊本線を走るSLを撮影後熊本駅に到着しました。九州は、まだSL全盛時代でC55、C60、D51、D60、9600、8620、C11、C12が、客車・貨物列車を牽引していました。今から思えば、よだれが出そうな美味しいSL天国でした。

熊本機関区でのショットです。
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桜前線追いかけ2010年 Part4 南阿蘇鉄道

第5日目 2010年3月31日
あそ望の郷くぎの7:25→7:35南阿蘇蘇水の生まれる里白水高原駅→7:45阿蘇下田白ふれあい温泉駅→8:25

南阿蘇蘇水の生まれる里白水高原駅→8:43中松駅→10:45阿蘇白川駅→10:55見晴台駅→11:20高森駅→12:10阿蘇白川駅→15:10長陽駅→17:10国鉄宮原線・肥後小国駅跡→17:29北里駅跡→17:57麻生釣→道の駅ゆふいん(泊)

昨夜入った地獄温泉は、約200年以上の歴史を持ち、江戸時代は熊本細川藩の藩士しか入浴が許されなかった格式を誇ったそうです。16もの浴槽があって、ひなびた雰囲気と、硫黄の臭いがする泥湯は、これぞ温泉と堪能させてくれました。関西の人も結構来ておられました。仕事の帰り道で立ち寄られた福岡へ戻るビジネスマンは、いつも帰りに来ます。この湯は、九州でも最高と言っていました。皆様方も是非、お立ち寄りしてみて、下さい。詳しくは、下記をクリックして下さい。
http://jigoku-onsen.co.jp/
宿泊地の『あそ望の郷くぎの』は、温泉で出会った地元民の方に薦めていただいた所で、道の駅として登録されていませんが、100台以上の駐車場があり、道の駅に匹敵します。南阿蘇蘇水の生まれる里白水高原駅からは、書面の外輪山方向に向かって、車で10分。南阿蘇鉄道撮影には、絶好のロケーションです。

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桜前線追っかけ2010年 Part3 南阿蘇鉄道

第4日目 2010年3月30日 

① 道の駅不知火6:00→9:50立野駅
② 立野11:45-(ゆうすげ3号)→12:42高森13:01-(14)→13:27立野
③ 立野13:29-(433D)→14:13宮地14:40-(438D)→15:17立野
④ 南阿蘇鉄道撮影→あそ望の郷くぎの(泊)
 

暖かかったのか、日の出時刻の6:00起床です。昨夜は、宇土半島道の駅不知火に泊りましたが、丸田氏が三角線の夕日に輝く列車も良いよよ言われていた事を思い出しました

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奥出雲の旅

この連休中は好天との天気予報に気を良くして、急遽1泊旅行を計画し奥出雲に出かけることにした。早朝クルマで自宅を出発し 世羅、吉舎、三良坂を経て庄原へ。芸備線に沿って備後落合着8:15。芸備線のキハ120327を撮影後 木次線の次の駅 油木駅に向かう。途中 木次線備後落合行きキハ120206を撮影。
ィ??120206 備後落合・油木間

キハ120206 備後落合・油木間

無人駅の油木駅にクルマを置いて、今のキハ120206が戻って来るのを待つ。備後落合・木次間は極端に列車本数が少なく 列車でスイッチバックを通過するのは容易ではない。急に決めた旅のため 「奥出雲おろち号」の指定は取れないかと心配したが、前日に 最後の2席が取れたので、油木から出雲横田まで定期列車で向かい、おろち号で油木へ引き返してくるプランである。
油木駅 時刻表

油木駅 時刻表

時刻表のように日に4往復。おろち号は季節列車であり、またもう1往復は第二木曜日運休のため朝夕の2往復しかない日があることになる。風前の灯火のような路線であり、どこに存在意義があるのか不思議である。落合から戻ってきたキハ120206に乗り込んで いざ三井野原、出雲坂根へ。学生時代に夜行のちどりでこの区間を乗ったことはあるが、ようやく景色を楽しみながらの峠越えが実現した。時速20から30キロぐらいでくねくねと30パーミルを登る。並行する国道314号のクルマがどんどん追い越してゆく。広島県から島根県に入り、三井野原駅に着く。何と30人ほどの団体客が乗り込んでくる。整理券を取ったり モタモタと乗り込むのに時間がかかる。3分延発。団体客に聞いてみると 読売旅行のミステリーツアーとのことで次の出雲坂根で下車するらしい。団体客が乗ったせいか、若い運転士は国道の奥出雲おろちループが見渡せるポイントで最徐行し、案内のアナウンスもするサービスぶり。出雲坂根のスイッチバックに差しかかる。最初の折り返し線で停車。運転士はブレーキハンドルを持って 反対側の運転席へ 乗客をかきわけて移動。ツアー客が何だ何だと騒がしい。
逆行運転で出雲坂根駅に降りてゆく。
出雲坂根のスイッチバックを下る

出雲坂根のスイッチバックを下る

出雲坂根に入線

出雲坂根に入線

 出雲坂根駅に入線。ドヤドヤとツアー客が下車。ようやく静かになる。坂根駅には「延命水」という名水があり、一般乗客が水を汲みに行きたいと言い出す。運転士は 遅れているのでダメと言うかと思いきや、あっさりOK。出発信号は青になっているが、運転士は列車無線で「団体客のため延発します。出発信号を一旦赤にしてください」と連絡。信号が赤に変わる。なんとものんびりした路線である。水汲み客が戻り ようやく出発。動き出すときは「変」(変速)であったが すぐ「直」(直結)に切換え、あとは「中」 (中立)で軽やかに勾配を下ってゆく。八川を過ぎ、出雲横田に到着。下車して 下り 奥出雲おろち号の到着まで約40分ぐらいあるので 駅に併設された雲州そろばん伝統産業会館の展示を見る。

出雲横田に到着した奥出雲おろち号

出雲横田に到着した奥出雲おろち号

定刻11:06におろち号到着。先頭のスハフ13801に乗り込む。親子連れの子供だけが乗り込み、親はクルマで追いかける(先回りする)という人もある。今来た道を今度はゆっくりと引き返す。八川駅では地元の人たちがホームに出雲ソバ弁当を売りに来ている。弁当を予約している人もいるらしく、ホームから○○さーんとお客を捜す声もする。のどかな風景である。出雲坂根に向けて勾配を登る。坂根駅は延命水やスイッチバック駅ということもあって国道314号のマイカー族などでにぎわっている。定刻発車。のろのろとスイッチバックを登る。途中眼下に今登ってきた線路と坂根駅が見える地点で最徐行し、乗客たちは車窓から写真撮影。車掌が乗車記念の絵はがきを配って歩く。DE10に押されて登ってゆくが エンジン音もほとんど聞こえず、社内の騒々しさだけで 峠越えの実感がわかない。往きに乗ったキハ120の方がよっぽど楽しかった。これがC56やキハ52ならと思わずにはいられなかった。

 とういことで 3時間半かけて 油木駅に戻ってきた。降りたのはわが夫婦のみ。なんでこんな無人駅で降りるの?という視線を浴びる。
 
 午前中は木次線を楽しみ、午後と翌日は野鳥撮影と船通山(海抜1142m)登山で過ごしたGWでした。
ではまた 江若鉄道シリーズでお会いしましょう。

桜前線追っかけ2010年 Part2  くま川鉄道→西人吉

第3日目 3月29日 午前中
くま川鉄道撮影、以降は、西人吉付近、夕刻→道の駅-不知火温泉(泊)
▲ 5:00、ホカロンと湯たんぽで、寒さ対策はしていましたが、起きました。外の温度を測ると、1℃以下です。昨年10月の北海道でも経験しなかった最低温度です。

昨日、A・K氏西人吉の桜満開は、1週間前だったと、写真を見せてくれました。寒い日々が続いたので、今日まで満開状態が続いたとの言葉を実証する夜間の寒さです。

道の駅錦にあった周辺観光案内図を見ると、ここは、かつての湯前線、くま川鉄道の沿線近くにあります。SL人吉号撮影までは、充分な時間がありますので、この沿線にも桜があるだろうと、線路沿いをロケハンしながら、走りました。
最初に訪問したのは、瓦葺屋根のおかどめ幸福駅です。 続きを読む

桜前線追っかけ2010年 Part1 九州編 西人吉

3月19日、桜前線を追いかけて四国へ出発しましたが、開花宣言は、訪中した3週間以前に出たのに、寒い日々の連続で、全く咲いていません。琴電の旧車両運転を撮って、一旦帰宅しました。

毎日のように桜前線の進み具合を見て、スタンバイしていましたが、3月27日に天皇陛下ご夫妻が、我が町に初めて来られることになり、自宅近くを通られる事になりました。天皇陛下万歳で育った老いた母が、どうしても見たいと嘆願します。

日頃、好き勝手に鉄道写真を撮りに出かけていますので、ここで断っては、今後に支障が出るのは、確実です。新たな出発は、通過される日時以降と決めました。

最初の目的地は、芭石鉄道撮影で、出会った大牟田市におられるA・K氏が、薦めていただいた桜並木で有名な『西人吉駅』にしました。日本で初めて量産された8620型が修繕されて2009年4月から『SL人吉号』として、走っています。

8620型を撮ったのは、DRFC合宿で訪れたケ森が初めてでした。その後、何度か撮影をしましたが、大好きな蒸気機関車です。丁度、当日は、同じく芭石鉄道友人のM・O氏が、新幹線に乗って、犬山市から来られるそうです。再会が楽しみです。 続きを読む

早春の中国一人旅 Part11 鄭州→广州→深圳→香港→帰国

桜前線を九州から追いかけましたが、今年の天候は異常で、雨にもたたられ、中々思うとおりにはいきませんでした。富山から、一旦帰京して、これからどうするか考え中です。まずは、滞っていた、投稿を続けさせていただきます。今回が、最終編です。

第13~15日目 2010年3月14~16日

① 3月14日 郑州16:06-(T255)→3月15日9:48广州
② 3月15日 广州11:18-(D7039)→12:36深圳
③ 深圳14:00-(MTR)→15:00香港→3月16日帰国 
 
郑州では、料金とインターネットが使用できる事を優先してホテルを予約しました。ところがこのホテル、駅からかなり遠くて、楽山同様に不便です。
夜行列車に乗るので、充分余裕を持って、部屋を出ましたが、雨も降り出し、Taxiがつかまりません。ボーイに依頼していましたが、折角捕まえたTaxiも、横取りが日常的な現地人に取られてしまいました。約30分を経過してもダメです。

ボーイを引っ張って、雨降る道路に出ますが、空車が来ないのでどうしようもありません。その内、時間の余裕がなくなってきました。仕方ありません、超満員のバスに乗って、郑州駅を目指しました。
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2010年 早春の中国一人旅 Part10 楽山→成都→西安→郑州 鄭西高速鉄道

ベトナムのハノイ~ホーチミン間を結ぶ高速鉄道は、日本の新幹線の採用が、閣議決定されたそうで、東南アジア好きの私としては、嬉しく思っております。

第11・12日目 2010年3月12・13日

① 3月12日 楽山ホテル13:00-(マイカー)→13:15楽山客運站
② 3月12日 楽山客運站14:00-(バス)→15:15成都石羊客運站
③ 3月12日 成都石羊客運站15:20-(Taxi)→16:45成都鉄路站
④ 3月12日 成都21:20-(K6)→12:15西安
⑤ 3月13日 西安14:50-(G
2008)→16:48郑州  

今日は、成都に戻って、夜行寝台列車で、西安に向かいます。昨夜から、インターネットニュースで、しばらく空白だった、世間の動きを見ていました。チェックアウト12:00まで、ずっと世間に合せるまでの準備時間です。
別に、何も知らなくとも生きていけるでしょうが、マスコミ報道に毒された現代人の悲しさを、感じます。在職中にマスメディアに携わった事が、良かったのか、悪かったのか、答えはありません。

ホテル前に出ましたが、結構広い道路なのに、昨日同様にタクシーが走っていません。ホテルの従業員も出てきて、停めようと協力してくれますが、空車が来ないので、どうしようもありません。最後は、支配人まで出てきてくれて、結局、マイカーで近くにあるバスターミナルまで、送って下さいました。今日も、感謝、感謝です。
しかし、ここから乗車したバスは、成都まで約50km手前の、空港近くの石羊客運站までしか行きませんでした。繁華街方面にある楽山肖埧站に行かなければ、来る時に乗車した成都旅游客運中心站行きバスには、乗れなかったのです。

仕方ありません。タクシーで、成都鉄路站まで向かう事にしましたが、高速道路は、事故で大渋滞、站手前も全く動けないほど渋滞で、たっぷりと時間がかかりました。バス代44元=約616円に、Taxi代116元=約1.624円が余計にかかりました。
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2010年 早春の中国一人旅 Part9 沙湾の沫江煤電

第10日目 2010年3月11日

① 安逸158連鎖酒店10:30-(Taxi)→11:10沫江煤電草埧站
② 草埧站13:00-(沫江煤電)→13:15老礦站
③ 老礦站13:20-(沫江煤電)→13:35草埧站
④ 草埧站17:10-(Taxi)→17:50楽山市内繁華街 
今日は、楽山の中心部から、約30キロの沙湾区にある、芭石鉄道と同様のナローゲージ石炭輸送鉄路、沫江煤電を訪ねます。蒸気は、走っていませんが、可愛い電気機関車がいるそうで楽しみです。  沫江煤電へは、先日に芭石鉄道の石渓站行く時に乗った、タクシーを一日貸切しておきましたので、ゆっくりと安心して撮影できます。

ノートにホテル名を書いて見せておいたので、大丈夫と思っていたのですが、参りました。ホテル前の道路には、代わりになるタクシーが走っていません。30分で着くと言う言葉を信じて待つことにしましたが、来たのは2時間近くしてからでした。
▲ 眠江沿いを走り右折、工場の門を越えて、急坂を登ると、沫江煤電草埧站です。駅名版は、立派な石製です。  

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2010年 早春の中国一人旅 Part8 芭石鉄道 菜子坥→楽山

第9日目 2010年3月10日

① 蜜蜂岩站6:32(第1次)→6:47蜜蜂岩站
② 菜子坥站10:20-(バイク)→10:25蜜蜂岩站
③ 蜜蜂岩站11:30-(第2次)→11:40躍進站
④ 三井バス停12:00-(バス)→12:35犍為バスターミナル
⑤ 犍為バスターミナル13:00-(白Taxi)→14:30楽山市
⑥ 楽山市14:30-(自転車Taxi)→14:50安逸158連鎖酒店

蜜蜂岩站で撮影すると言うご両人を残して、始発第1次に乗車して、菜子坥站で降りました。ロケハンでマークした3ケ所での撮影です。
今日は、楽山市のホテルに予約を入れていましたので、余裕を持って、菜子坥站11:28発の第2次下りの乗車する必要性があります。3ケ所を撮るには、貨物列車の運行が必要不可欠ですが、前もっての確認方法が分りません。

芭沟であれば、踏切番か、トンネル番を探せば、少なくとも当日の運行情報は、分るはずです。菜子坥もスイッチバック站ですので、駅員に聞けば、この日の運行ぐらいは、確認できなければおかしいと思いますが、聞いてもはっきりとした返事が、返ってこないのです。

私が中国語堪能でないから、正しく質問して、正しく聞けていないのかと言うと、そうでもありません。1月に来た時に旅行社の通訳が質問した時も、走ると聞いた観光列車が、実際は運休でした。どうすれば、分るのか、今回も課題として残りました。

▲ 7:45 気に入っていた菜子坥站~仙人脚站で、第1次下りを撮った後、登って来るであろう石炭列車を待ちましたが、推定通過時刻になっても汽笛すら聞こえません。蜜蜂岩站にいる、ご両人の通訳の鄧さんの携帯に電話しますと、今日は、登って来ていないとの返事です。

仕方がありません。お腹がへっていたので、菜子坥站近くの部落に入り、麺を美味しそうに食べていたおばちゃまに、同じものを作って欲しいと頼みましたら、『いいよ』と、気楽に引き受けてくれました。
一応、10元=約140円を支払いましたが、家庭料理で大変美味でした。

▲ 10:22、芭石鉄道での最後のカットを撮った後、民宿の主人に電話して、前回乗ったバイクでの迎えを要請しました。
快く要請を受けてくれたご主人のバイクにまたがり、約3.5キロを下りました。途中で、ご両人と通訳に会いましたが、すれ違いで言葉を交わす事ができなく、挨拶だけでした。歩けば、40分以上は、必要ですが、線路横の犬走りを走り、約15分で到着しました


余裕を持って11:30発の第2次に乗車できましたが、これからが、また大変でした。終点の石渓站からバスは遠いので、1つ手前の躍進站で下車しました。楽山に行くバスターミナルのある犍為まで、小型バスが走っています。
バスに乗って、犍為バスターミナルまでは、約30分強です。小型バスので、犍為に近づく度に、乗客が乗り込み、超満員になりました。

1月に宿泊した犍為は、田舎町かと思っていましたが、昼間見ると、通りには、食堂や商店、人も多く、活気のある大きな街です。聞けば、人口約60万人と、言っていました。
着いたバスターミナルは、引っ切り無しにバスが発着して、待合室は大混雑です。丁度、昼飯時なので、ターミナル前のリヤカーの屋台を覗いて見ました。熊笹に巻かれたお餅がありましたので、直ぐにゲットしました。初めて食べましたが、これが中々美味しいのです。追加をして、満腹になりました。

こんな所で、日本人が食しているのは、珍しいのでしょう。周りを取り囲むように、おばさん達がやってきて、いろいろと聞きますが、残念ながら、さっぱり分りません。

白タクの客引きも来て、楽山まで相乗りで、20元=約280円で、どうかと聞いてきます。来る時は、260元=約3,640円でしたので、これは、格安です。直ぐに、荷物を持たせて、車に行きました。車は、しばらくすると発車しましたがゆっくりと走り、相乗り客を探しますが、中々いません。

犍為郊外にある眠江の橋を渡って、運転手が諦めかけた時に、ようやく客が見つかりました。工事中で渋滞する楽山までの国道を走り、1時間半で楽山市内に入りましたが、運転手さんホテルが分りません。
どうするのかと思ったら、自転車タクシーを呼び止めて、乗換えです。約15分の乗車で、14:50に、ホテルに着きました。芭石鉄道も蜜蜂岩站から、約3時間20分の所要時間でした。

このホテルは、インターネットが無料で使用できます。まずは。久しぶりにシャワーで、身体を洗って、衣類の洗濯と、仕切りなおしをしました。

ただ、このホテル、楽山の市内から遠くにあって、周りには、酒屋があるだけで、食堂も商店も見当たりません。C級グルメを諦め、ホテル内のレストランで、夕食を済まし、明日の沙湾行きに備えて、石渓に行く時に乗ったタクシーへ、一日貸切の予約を入れました。 Part9 へ続く

2010年 早春の中国一人旅 Part7 芭石鉄道 芭沟~菜子埧

第8日目 2010年3月9日

① 蜜蜂岩站6:32-(第1次)→7:10芭沟站
② 芭沟站-(徒歩)→焦埧站-(徒歩)→仙人脚站-(徒歩)→菜子坥站
③ 菜子坥站16:10-(第3次)→16:25蜜蜂岩站

昨夜は、大牟田市から来られたA・Kと、犬山市から来られたM・O氏、そして、芭石鉄道を案内してもらうために、遠く寧夏回族自治区の銀川市から、ご両名が呼びよせた、鉄ちゃんでもあるツアーコンダクターの鄧有貴さんと一緒に、中国鉄路の撮影談義に盛り上がりました。

A・K氏は、1993年から中国鉄路に魅入られ、30回以上も訪中して、撮影を続けておられる猛者。M・O氏は、6回目ですが、熱意たるもの相当な方でした。

鄧氏とは、以前からインターネットで知り合い、今回も日本人2名を引率して来られる事を確認済みでした。しかし、お会いするのは、初めてでした。中国鉄路のSL撮影専門のツアーコンダクターで、今まで数多くの日本人を中国各地に、案内されておられ、経験豊富です。

従って、最新現地情報は、熟知しておられますので、もし訪中される方がいらっしゃいましたら、ご指名されると良いと思います。費用は、それなりに必要ですが、何処へでも飛んで来てくださいます。
▲ 馬氏は、英国人の案内人です。英語が堪能な方は彼を、日本語のみの方は、鄧さんをご指名してください。どちらも、甲乙付けがたい熱心な鉄ちゃんです。

ご両名は、上海で合流されて、成都までは、空路で入られ、1週間のご滞在です。お二人ともビール好きで、昼間から水のように飲んでおられました。私も好きですが、今回は、長く歩くので、年齢を考えて、撮影後の楽しみにしました。

▲ 7:22 第1次、芭沟站到着。7:38、折り返しの下り列車、第1トンネルを出る。右側の小屋は、列車が走行する際に、トンネルに人が入らぬように注意するトンネル番人です。踏切番と同様に、通過時には何処からか現れます。

今日も一緒に始発列車で出発、芭沟を目指しました。朝の天気は、いつもと同様の雨です。ご両名とは、芭沟站で別れ、私は、第1トンネルを抜けた場所で、折り返しの石渓行き列車を待ちました。

撮影後は、朝食を食べに、芭沟の青空市場に行きましたら、食堂で、またお会いしました。小さな町ですので、食べに行く所は、まあ決まっています。お粥とマントウで3元=約42円です。昨日の朝食より、雰囲気もよく、美味しく格安でした。
▲ 魚、肉、野菜等々の朝市が広場で開催されます。芭石鉄道沿線の人々は、ここで新鮮な食料品を調達します。

他に、ミシンを持参して、靴や衣類の製造や修理もやっていました。

ご両名が、定番の撮影地、溜池に先に向かわれた後、青空市場を散策していたら、突然にSLの汽笛が聞こえました。どうやら、不定期の貨物列車が、今日は運行されたようです。站へと急ぎ、売店で通過したのを確認後、第1トンネルに向かうと、どこからか、踏切番が現れて、踏切の遮断機が降ろされていました。

折り返しの列車は何時に来るのかを聞きましたが、直ぐに来るだけの返事です。トンネル上に登って、待ちました。

9:18、石炭列車、芭沟を通過。芭石鉄道の踏切遮断機は、全て手動式です。

次の撮影予定地は、上り列車が、第2トンネルを出た所です。少し長い第1トンネルを地元の人と一緒に抜けて、向かいました。ここでは、トンネルも日常の生活道路です。

▲ 10:58 第2トンネルを出る、上り第2次▲ 11:16、第1トンネルを出て、第2トンネルに向かう下り第2次。

今日は、足の痛みが、幾分消えました。しかし、無理は禁物です。ゆっくりと歩き、昨日、休憩した焦埧站に、11:40到着。中国語を教えていただいた雑貨店のおばさんは、近所の人3人で、何か分りませんが、中国版花札のような物で、遊んでいました。この辺りでは、2人寄れば、トランプ、3人寄れば花札、4人寄れば麻雀をする。成都に近づくと、麻雀の音がするというぐらいゲーム好きな人々が多いそうです。

焦埧站から約8分で、観光列車のみ停車する溜池の站に到着しました。
芭石鉄道一の大築堤がある撮影地の山を登ってみましたが、最高部まで行っても、背景に菜の花畑はありません。
そうなんです。菜の花は、種を秋に蒔かないと、咲きません。毎年、菜の花畑の位置は変わっています。残念ながら、今年この地区には、種が蒔かれなかったのです。

今日も撮れる列車は、後3本です。買っておいたソーセージ等で昼食をとりながら、ここで撮ろうか、どうしようかと思案しましたが、今回はパスしました。

再び、徒歩でのロケハンを続けました。気に入った撮影地は、第4トンネルを出た背景に菜の花畑が見える場所でしたが、約2時間半もあります。時間つぶしが必要です。仙人脚站まで歩き、焦埧站と同様に、駅構内の雑貨店前の椅子に腰掛けて、寒くなってきましたので、火鉢にあたりながら、おばさんとの中国語勉強を始めました。

▲ しばらくすると、どこからか、地元のイケメン高校生がやってきて、バトンタッチです。聞けば、今日は学校が休みで、犍為の寄宿舎から自宅に戻ってきていると言います。

芭石鉄道沿線には、小学校が菜子坥站近くにありますが、中学校以降は、石渓站からバスに乗って犍為の町まで行かないとありません。授業時間は、8:00~21:00までですので、自宅からの通学は無理です。学生は、寄宿舎で合同生活をします。

彼との会話は、自己紹介に始まり、何処から何をしに来たか、学校で勉強した日本を、いろいろと聞いてきます。分らない言葉は、電子辞書を開けて、ノートに筆談です。

丁度、撮影に良い時刻になった頃、彼の友達が呼びに来ました。再見と次回の再開を約束して、撮影場所に向かいました。

▲ 15:20 上り第3次の撮影が終わった後、次の撮影地の菜子埧站までの、約2キロ強を約40分余りかけて、ロケハンしながら歩きました。

菜子埧站到着の菜の花畑の下り第3次を撮影後、すぐにその列車に乗車して、蜜蜂岩站に戻りました。

▲ 16:18 蜜蜂岩站到着。この站でのの撮影を忘れていましたので、第4次も含めて、発着を撮りました。

まだ、ご両名は撮影に没頭されているようでしたので、1本3元=約42円ビールを飲みながら、待ちました。今夜も4名だけの宿泊客の民宿です。

もう少しは、芭石鉄道での撮影を続けたかったのですが、既に明日のホテルを予約しています。鉄路切符も購入していましたので、予定変更が出来ません。今回、撮れなかったシーンは、来年に残しておこうと、決めました。

民宿の主人に明日の出発を伝えて、宿賃を支払いましたが、4泊と1朝食4夕食の合計は、210元=2,940円でした。ここに来るには、大変な苦労が必要ですが、短期滞在だけでしたら、多少散財しても、福澤諭吉さん1枚でお釣がきます。

この夜は、撮影した画像を見せ合いながらの昨日にも増して、盛り上がった夕食兼宴会タイムでした。 Part8 へ続く

2010年 早春の中国一人旅 Part6 雨の芭石鉄道

帰国後、桜前線を求めて、九州、四国とぶんしゅう7号と旅にでました。その間、投稿ができずで、間が空きましたが、芭石鉄道の続編を掲載します。

第7日目 2010年3月8日

① 蜜蜂岩6:52-(第1次)→7:32黄村井
② 焦埧15:40-(第3次)→16:04蜜蜂岩

今日も早起きして、英国人親子&通訳と一緒に、6:32発(実際は、20分延着)黄村井行きの始発列車に乗車しました。彼らは、次の菜子埧站で下車しましたが、私は、終点まで向かいます。

▲ どの站も土日を実家で過ごし、寄宿舎へと向かう中高生が、始発の石渓行きを待っていました。左は、焦埧站、右は、芭沟站です。
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黒部上部軌道

                                                                                                                                     山の中に建設された黒部川第4発電所を発車して黒部川本流の鉄橋の手前を通過。休憩中にいきなり列車が顔を出したのでシャッターのタイミングが遅れてしまった。鉄橋の渡った先が有名な高熱隧道である。

2004年11月3日付で旧掲示板【285】に澤村達也氏が小林純爾氏とご一緒に黒部上部軌道を見学された時のレポートを「高熱隧道」のタイトルで発表された。

登山の写真を整理していたところ、昭和56年9月23日、黒部ダムから黒部川に沿って「下ノ廊下」を欅平まで歩いた時に撮影した「上部軌道」の写真が出てきたのでご覧いただきたい。 

旧掲示板【167】と重複する部分もあるが、京都から前夜の「ちくま」で出発し、松本で大糸線に乗換え信濃大町で下車。扇沢まで「北アルプス交通」の路線バス(松本電鉄と川中島バスの共同運行)に乗車した。扇沢から黒部ダムまでのトロリーバスは8両の続行運転であったが満員であった。ダム到着後、乗客の大部分は黒部ダム方面の出口に向かうが、何名かの登山客は「下ノ廊下」方面の出口へ。そこには係員が登山届と各人の行き先と装備のチェック等を行っていた。「阿曽原の小屋で宿泊して欅平に行く」と答えると、「前の2人連れと一緒に行ってくれ」と言われた。途中に危険箇所が何カ所もあり、単独行の場合万一の時のためである。ここで滑洛した場合は絶対助からないし、遺体の収容すら困難である。前の2人連れは、山慣れした20代前半のアベックで、一緒に歩く訳には行かないので少し離れて後ろを歩いた。黒部川の断崖絶壁沿いに危うく取付けられた道は、一歩足を踏み外せば絶対に助からない。何カ所かの難所を無事通過して、十字峡で昼食にした。ここは、黒部川本流と剣沢、棒小屋沢が十字になって合流する所である。更に進むと、山の中に建設された黒部川第4(通称黒四)発電所の送電線の出口が見え、本流を吊橋で渡り少し行くと、仙人谷ダムに到着し、その向こうに上部軌道の線路が見えた。ここで休憩中に3両の客車を引いたバッテリー機関車がいきなりトンネルから顔を出し、欅平方面に結構なスピードで通過し、屋根付きの鉄橋を渡り、高熱隧道に吸い込まれて行った。(タイトルの画像)

ダムの堰堤を渡り、暫く行くと、仙人湯から池の平を経て剣岳方面に向かう雲切新道との分岐で、ここで仙人湯まで行くアベックと別れた。小屋に到着したのは午後2時半頃で一番乗りであった。夕食まですることがないので露天風呂に浸かったり、その辺をブラブラして過ごしたが、今から思うと、仙人谷ダムまで引き返してもう少し撮影すればよかったと思うが、朝から一歩間違えばあの世行きのような所を延々と6時間も歩いたため、とてもそんな気にはならなかったのであろう。

翌日は雨の中、朝6時に出発して、傘をさしながら水平歩道を約5時間歩き、11時頃欅平に到着した。昨日よりは危険度は少ないが、道幅は50㎝位で下まで200mはあろうかという相変わらず断崖絶壁沿いの道で、途中には真っ暗なトンネルが2ヶ所あった。

黒部峡谷鉄道で宇奈月に出て、富山地鉄で富山へ。折角の機会であるので富山地鉄を少しだけ撮影して急行「立山」で帰った。

現在は、鉄橋部分は冒頭の写真の箇所を含めて完全なシェルターで覆われてしまったようで、走行中の写真は無理なようである。それでも走行中を見たいと言われる方は、私までご連絡いただきたい。都合がつけばご案内する。但し、黒部ダム、欅平のいづれから歩いても最低6時間はかかり、それなりの登山経験が必要であるが、欅平からの方が危険は少ない。また、高所恐怖症の人は諦めること。途中の画像も貼りつけたので参考にしていただきたい。

 

下から見た黒部ダム

 

黒部川本流に沿って。右側のくぼみが登山道。

 

黒部川本流と剣沢、棒小屋沢が合流する十字峡。

 

この辺りの山の中に黒部川第4発電所がある。左が登山道。

 

黒部川第4発電所の送電線の出口。

黒部川本流を渡る登山道の吊り橋。

 

仙人谷ダム。昭和11年に着工して15年に完成した。資材運搬用のトンネル建設中に摂氏165度にも達する岩盤を掘削して完成した。

 

黒部川を渡る鉄橋。当時から屋根が付いていたが、現在はシェルターになっている。

 

宿泊した阿曽原小屋。小屋の営業期間は例年7月から10月下旬まで。先の鉄橋の写真共々人物の写っていないものがないので止むを得ずこれを使用した。顔の部分を修正しようと思ったが、今更修正してもしゃーないと思ったので、素顔のままにしておいた。

 

ED24/欅平 昭和55年日立製

 

ED28/欅平 昭和57年日立製

 

ED21/宇奈月 昭和49年日立製

 

ハフ1027/宇奈月

続 ことでん 復刻色走る

早春の中国一人旅の出稿中ですが、帰国後直ぐに琴電に行って参りましたので、ご報告させていただきます。

一緒に行きました、総本家 青信号特派員さんが、用事があるとかで、帰られる事になりました。JR高松駅までお送りした後、高松で活動されておられるK氏に、近くに温泉がないかと、お聞きしますと、仏生山駅近くに評判の温泉があると教えてもらいましたので、行ってみました。

四国で温泉と言えば、道後温泉しか知りませんでしたが、この温泉、私が今まで行った中でも10本指に入ります。泉質は、ナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉で、すべすべ感抜群です。源泉温度は、50度程度あるそうですが、湯船に流される頃は、40度以下になっているので、加熱してあります。勿論、掛け流しです。源泉低温の露天風呂もあって、これが、ゆっくりと身体をほぐしてくれます。

仏生山には、琴電の車庫もありますので、皆様方もご訪問の際は、是非とも行ってみて、浸かって下さい。仏生山駅から、徒歩10分内にあります。私は、当日のみならず、翌日も行きました。ちょっとない、一押しの湯です。
今宵の宿は、勿論、琴電335号が静態保存されている、道の駅『源平の里むれ』です。国道11号線と、琴電塩屋駅と房前駅の中間辺りに挟まれた、絶好のロケーションにあります。

3月21日は、早朝から、長尾線2往復と、琴平線1往復半が走ります。前もって、インターネットや本等で調べはしましたが、ロケハンしないと、気に入る場所かどうか分りません。頼りにしていた総本家 青信号特派員さんは、帰ってしまったので、現地のK氏に問い合わせて、朝の7時半走行は、井戸駅付近に決めました。

出発前に、ナビに目的地をセットするのですが、どう間違ったのか、同じ『戸』の付く、池戸駅を選択してしまいました。普段は、近くの駅によって、駅舎を撮ったりするので、場所確認ができるのですが、こんな時に限って、怠るものです。土地勘がありません。着いた頃は、井戸駅付近と思い込んでしまいました。
それに沿線には、結構、鉄ちゃんもいましたので、疑う余地がありませんでした。まだ、少し時間もありましたので、ロケハンをやりながら、ふとナビを見ますと、駅名表示が違っています。電車が来る直前で、間違いに気づきました。



画像が黄色いのは、何も色調補正をしたわけではありません。大糸線に行かれたのと同様に、太陽は月の様に見え、黄沙の来襲です。私が、中国から運んで来た訳ではありません。猛烈な突風も吹き荒れ、いつもは、簡易三脚で、HDDを撮るのですが、吹き飛ばされますので、止めました。

近くの踏切を探して、何とか正面からのカットを撮りましたが、気に入ったシーンではなく、トホホのスタートでした。やはり、土地勘のない場所での撮影は、前もってのロケハンを行い、自分の目で確認してから、撮影に行く鉄則を怠ると、こういう目に遭います。この日は、この後も道路が渋滞して、希望する場所に行く着く直前に、電車は通過していきました。


実は、今回の撮影旅行は、桜前線を追おうと、この後、四国、そして九州を目指していました。中国に出かける前に、高知で開花宣言があったので、2週間以上経った今は、既に高知では、満開と思っていました。用意もして出てきました。帰国してから、時間が無かったので、桜前線予報を確認していなく、これも完全な思い込みでした。
昨夕、K氏にその事を話すと、『え~まだ咲いてないよ。満開は、1週間後でしょう。』と、言われ、大ショックでした。高知の友人にも確認電話を入れると、同様な返答がありました。

今年の春は、四国と九州の桜前線を追いかけてから、準特急さんが行かれている瀋陽の調兵に合流しようかと思っていましたので、大誤算です。どちらかを選択しなければなりません。困りました。身体が2つ必要です。

残念ながら、今回は、仕切りなおしです。3連休の半ばなのに、四国の高速道路は、大渋滞でした。その殆どが、関西や名古屋ナンバーでした。早く、休日割引がなくならないと、JR四国の経営は大変だと思いました。

ことでん 復刻色走る

季節は巡って、もう桜の開花の季節を迎えました。想定外の多忙な業務に翻弄され、この一ヵ月半は、掲示板の投稿も儘ならない状況が続きました。2月に行った大糸線の投稿も途中で滞ったまま、今さら季節はずれの旅行記を続ける訳にもいかず‥、ということで、つい先日に訪れた琴電の旧型電車復刻色の運転について記してみたいと思います。
今回もお世話になったのは、中国から帰ったばかりのぶんしゅうさん。深夜の京都を”ぶんしゅう号”で出発、途中の高速道路のSAで二人仲良く車上のテントで仮眠。夜明けとともに車を琴平線の沿線まで走らせました。

今回の旧型電車の特別運転は、3000型300号が開業当時の茶色一色に復刻されたことを記念したもの。同車は、琴平線の前身、琴平電鉄が大正15年の開業時に新製した車両。昭和10年代には、グリーン濃淡の2色塗色に改められており、茶色一色は、約70年ぶりの復活になる。3月20、21日の両日運転されたが、とくに20日午前中の琴平線仏生山~琴平間の1往復は、琴電で動態保存されている旧型電車フルラインナップの4両編成となり、パンタ4丁を上げ吊り掛け音を響かせて走った。
せっかく保存車を茶・クリームの2色に統一したのに、編成美を乱す復刻色もいかがなものかとの意見もあろうが、会社の愛着が伝わってくるような渋い茶色の輝きであった。(羽間~榎井)

いま琴電でイベント用に動態保存されている旧型電車は4両。琴平側先頭の3000形300号、写真の高松築港側先頭の5000形500号、1000形120号の3両は、琴平電鉄が創業時に新製した車両で、大正末から昭和初期の製造、残る20形23号は、近鉄南大阪千の前身、大阪鉄道デロ20形を出自とする電車である。行き先の「仏生山」が旧字になっている、芸の細かいところを見せている。(一宮付近)

 

琴平線の撮影地としては、前掲の羽間~榎井間の土器川鉄橋、一宮~円座間の香東川鉄橋、2つの鉄橋が代表的。仏生山から琴平までは、ほぼ東北から西南へ向かってレールが伸びているため、光線の当たり方は一定である。今回の運転は、途中の滝宮駅で7分停車があるため、車だと追っ掛けができる。円座~一宮間の香東川鉄橋を目指して走っていたところ、道が判らなくなり、慌てて鉄橋近くの築堤に掛け上って写した。たまたま背後には、讃岐平野特有の山容も入り、梅の花も入れて工事現場も隠せた。(一宮~円座)

 

昼は地元の高松で活動するKさんと再会し、仏生山近くのうどん店で160円也のかけうどんを食す。Kさんから琴平近くに菜の花畑があることを聞き及び、午後からの1往復は、衆議一決ここで撮影することにした。当初は、桜も開花かと期待して、桜の撮影で有名な、挿頭丘駅へも下見に行ったが、全くのつぼみ状態。沿線では菜の花だけが、春を演出していた。芭石鉄道の菜の花には程遠いが、沿線では唯一両側に菜の花が広がっていた。午後からの1往復の運転は、300+120の2連。これぐらいが、ローカル私鉄には似つかわしい感じがする。(榎井~琴電琴平)

2010年 早春の中国一人旅 Part5 菜の花いっぱいの芭石鉄道

第6日目 2010年3月7日(日曜日)

昨夜のパーティは、深夜まで続いていましたが、英国人親子(親子といっても、20歳台の若者と、初老の方)と私達は、鉄道談義に花が咲きました。聞けば、英国を出発してから、各国を回り、鉄道写真を撮っているとの事。

カバンの中から出てきたのは、何と懐かしいゼンザブロニカで、びっくりしました。日本も行って来たと言っていました。中国には、50日間滞在して、SL撮影に励むそうです。SLを目的に、世界中を旅行しておられます。半端じゃありません。いろいろと、お話ししたかったのですが、疲れから睡魔が襲ってきました。

朝は、夜明け前に目覚めましたが、外は雨。まだ、4日間もあるので、6:32の始発列車のが、上がってくるまで、ウトウトしました。まだ真っ暗です。部屋の窓下を走るC2型機の火床から、放出される真っ赤な石炭ガラが、闇夜を一瞬染めて、印象的でした。

朝食前の一仕事に、始発の折り返し列車が、蜜月岩駅を下る場所で、撮った後、雨があがった民宿前(食堂は、1階屋外)で、ゆっくりと、朝食を食べていると、遠くからドラフト音が聞こえてきます。次の列車は、約2時間後に上がってくる定期列車なのに、どうしてと思っていると、ドラフト音は、だんだんと近づいてきます。



▲ 撮影時間8:52。臨時の臨時の観光列車。時間からすると、8:00頃に石渓站を発車して、躍進站で第2次と交換して、上がって来たと思われます。牽引機は、№09機関車+№10テンダー車と、観光客車4両

時刻の分っていない貨物列車かもと思い、蜜蜂岩站から上がった定番のお立ち台に向かいました。昨夕と違って、後から来て、前に立って邪魔するような撮影者はいません。
撮影場所から見える、蜜蜂岩站でスイッチバックしたC2型機は、一旦上がってきた線路に戻って、石炭ガラを全部捨てます。C2型機は、火床が小さく、直ぐに石炭ガラが溜まってしまいますので、勾配の続く芭石鉄道は、所定の場所のみならず、走行中でも平気で、ばら撒いています。日本じゃ、考えられないですね。

やがて、発車の汽笛が鳴り、ドラフト音が山間に響きわたりました。ちょっと冷やっこい朝です。煙も期待してカメラを構えました。

しかし、
C2型機
が姿を見せ始めると、それまで爆煙は尻すぼみです。止まってしまいました。昨日みた連絡書に記載無かった観光列車です。大勢の観光客が降りて、記念撮影です。
観光列車は、7分停車した後、上へと、上がっていきました。



▲ 10:17 第5トンネルを出る第2次。牽引機は、№14機関車+№09テンダー車と、客車7両(12+19+9+13+11+16+14)。

ここからは、前回、列車が来なくて、悔しい思いをした第5トンネル付近での撮影リベンジです。折角の菜の花シーズンですので、花を入れて撮れる場所は、無限に近くあるのですが、まずはすっきりとしないと、後が続きません。定期の2番列車を待ちました。


11:26、C型カーブを下る第2次の折り返し。白い花を入れたかったので、欲張りすぎました。

11:49、C型カーブを回った観光列車。牽引機は、№7機関車・テンダー車と、観光客車4両(4+6+1+7)

第1トンネルから、随所に菜子埧站間も撮ってみたい、撮影地が続きますが、第2次の折り返しの撮影地は、やはり菜の花畑のC型カーブです。煙は、上下とも期待できませんが、押さえておきたい場所です。約25分で到着しました。

ここで、中国人鉄道ファン多数と遭遇しました。カメラは、やはりNIKONとCANONの一眼レフばかりで、でかい三脚や水準器まで付けています。まさに、『ここはどこ?』の世界です。
▲ 12:01 丁度菜子埧站付近。ロケハンをしながら歩いていたら、突然に朝に上がっていった臨時の臨時の観光客車が、折り返してきました。

撮影後は、菜子埧站を上がった所までロケハンして、午後からの本数の多い蜜蜂岩站から石渓方面へと、歩きました。途中、行ったり戻ったりで、この日は、20km以上は、歩いたと思います。最後は、登り勾配でしたので、一気に疲れが出ました。夕闇迫る民宿のある蜜蜂岩站にたどり着いた時は、もう一歩も歩けない状態でした。

▲ 14:24 第3次上がってきました。牽引機は、№14機関車+№09テンダー車+客車7両。

▲ 15:04 蜜蜂岩で折り返しの観光列車が、一押しの、菜の花畑に囲まれた中を来ました。

▲ 15:41 黄村井からの折り返しの観光列車が下りてきました。

▲ 続いて、15:55、蜜蜂岩から折り返しの観光列車も下りてきました。 

 
▲ 16:15 第3次定期列車です。3本も続けて来ることなんか、通常はありません。菜の花の段々畑と、急坂を猛煙を出して力行するC2型機を撮影したいのですが、こういったシーンを正面から撮るのは、難しい限りです。


▲ 17:53 撮影可能な最終第4次。山を登って撮影しましたが、無理がたたり、下山後、力尽きました。もうろうとして、民宿にたどり着きました。

今夜は、英国人親子と、その通訳、そして私の計4名の宿泊客でした。ビールを飲みながら、昨夜の続きを聞いていくと、JS建設型が走る三道嶺、JS型が走る白銀に行って来たと、たくさんのコンデジの写真を見せていただきました。

明日夕刻には、また何処かに行かれるそうです。通訳の方は、3週間連続で案内されるそうで、牡丹江の旅行社の鉄ちゃんでした。明日は、日本人専用の旅行社の鉄ちゃんが、日本人を引率して来られます。この方は、インターネットで知り合った方で、連絡を取り合っていましたが、お会いするのは初めてです。いろいろと、聞いてみたいと思っています。

明日は、始発列車で、終点の黄村井站まで行く予定です。今夜も睡魔が襲うまで、英国人親子と話をしました。 Part6 へ続く

キハ52ありがとう号撮影顛末記

そもそもの始まりは、3月はじめ、DRFC-OB数人に に三連休に、大糸線「キハ52ありがとう号」を撮影しに行こうと話したことから、物語は始まります。関西組数人と関東組数人が「行こう」、「行く予定がある」と言っていたのですが、一人抜け二人抜け、最終的に参加したのは、関東組の大先輩の準特急氏と小生のみでした。

出発、数日前の週間天気も、三連休中日だけは、雨の予報!

いやな感じはしていましたが・・・

3月20日夜、家でほろ酔い気分になったあと、新宿23:54発の快速「ムーンライト信州81号」に乗車するために、最寄の私鉄駅に自転車で向かいましたが、猛烈な南からの向かい風で、歩いたほうが早いくらいでした。ギリギリ駅に到着。新宿を目指しました。

途中は、何の支障も無く、新宿に到着。

寝酒を確保し、快速「ムーンライト信州81号」の入線を待つことしばし・・・長ナノN101編成が入線してきました。昨年夏、準特急さん・ロギング太郎さんと佐久間レールパークへ行ったときは、E257系でしたので、少し損した気分です。5号車モハ189-28の車中の人となりました。ところが、発車時刻の23:54になっても一向に発車しません。強風で遅れている接続列車の待ちで、5分の延!

夜のとばりが降りた、中央線を一路、西に向かいます。

次のハプニングは、日野駅を過ぎたあたりで、豊田・八王子間に支障物があるということで、徐行運転開始、豊田駅で停車すること30分。支障物の撤去が終わり先行の電車が運転再開し、続いて、わが快速「ムーンライト信州81号」も運転再開です。所定0:40の八王子に30分延で到着。ここで、準特急さんが乗り込んでこられました。

先輩を差し置いて、こちらは、寝酒が体中に回り、酔っ払い状態です。準特急氏も強風の影響でなんとか八王子にたどり着いたとのことでした。

快速「ムーンライト信州81号」は、更に西に向かいます。10分停車する塩尻の手前で目が覚め、塩尻で、ホームを駆け回り快速「ムーンライト信州81号」をカメラに納めました。もうこの頃には、所定の時刻に戻っていました。塩尻駅停車�� 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1525

塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1525

塩尻駅停車�� 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1528

塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1528

ほぼ、定刻の5:40過ぎに白馬に到着。銀箱や三脚を持った輩が大量に快速「ムーンライト信州81号」から吐き出されました。駅の待合室も超満員。その上、強風の影響でしょうか2度ほど停電し、駅の中は、真っ暗! ここで、6:56発の5321Mを待ちますが、待合室のあまりの混雑に、駅前の右手二階の早朝営業の食堂に退避。準特急氏と650円の朝定食を食べながら、5321Mを待ちます。
白馬駅のホームから見た東の空に上がる月の様な不気味な太陽
白馬駅のホームから見た東の空に上がる月の様な不気味な太陽

朝食後、5321Mの到着時間が近くなり、ホームに向かいます。定刻になっても5321Mは姿を現しません。ホームからは、これからの一日を暗示するような不気味な月の様な太陽が望めました。10数分遅れて、5321Mが到着。二両編成の車内は、鉄ばかり・・・南小谷に到着すると、7:51発の423Dは、本日強風のため、運休とのこと。手際よく、糸魚川バスの代行バスが用意されており、南小谷に残る準特急氏と別れ、代行バスの列に並びました。ただ、満員に近い20メートルのE127系二両の乗客を小型バス一台で受けるのは無理があります。やっと乗り込みましたが、車内はすし詰め!つり革につかまるのがやっとです。乗り込めない人は、何時来るかわからないが、バスを手配しているので、そちらを利用してほしいとのこと・・・そうこうしている内に、本日の「キハ52 ありがとう号」は、強風のため運転中止となったことがアナウンスされますと、超満員のバスからあきらめて降りる方がおり、何とか座席を確保。8時10分過ぎ、超満員の代行バスは、糸魚川に向けて出発しました。

大糸線 423D代行バス

糸魚川駅に到着した423D代行バス

 

途中、律儀に各駅に寄り、約1時間で糸魚川駅に到着。運転中止になった「キハ52 ありがとう号」は、JR西日本の粋な計らいで、4番線に据え付けられており、強風と雨の中、撮影会が行われていました。

糸魚川駅 4番線にて「キハ52 ありがとう号」

定刻から大幅遅れ1531M クモハ419-14と並ぶキハ52

北陸本線は、軒並み遅れ、運休続出なので、「キハ52 ありがとう号」を撮影後、早々退散し、帰京する事にしました。これには、昔の苦い記憶があるからです。

大学1年生の夏、青春18切符を使って関東地方と飯田線を追い求めて、893-2氏・大ミハ氏と旅を始めたものの、富士川橋梁の流失で行く手を阻まれ、やむなく豊橋の木賃宿に泊まることを余儀なくされ、退却するにも退路を阻まれ、豊橋から名鉄と名鉄の代行バス、その後東海道線の醒ヶ井あたりでも代行バスにお世話になって、ほうほうの呈で帰宅したことが脳裏をよぎりました。

定刻より大幅に遅れて入線したきた、1531M 419系D14のクモハ419-14の車中の人になり、直江津を目指します。この時点での計画では、直江津10:51発長岡12:21着・12:33発越後湯沢13:50着・15:05発水上15:43着・15:48発高崎16:51着・17:02発上野18:50着の予定でした。

クハ419-4 前面の列車愛称表示部分が埋められている 直江津駅

直江津に約30分遅れの10:10過ぎに到着。駅で聞いてみると10:51発の1333Mは運休。その後の12:16発1335Mも運転の見通しが立たないとのこと、何でも直江津~柏崎間は、9時から15時くらいまで、強風で運転見合わせとのことでした。気を取り直して、仕方なく、ほくほく線経由で帰ろうと、車中のアルコールを売店にて購入していたところ、10時50分過ぎに放送が入り、柏崎・長岡方面に行かれるお客様は、改札前に集合してくれとのこと。行ってみると、代行バスを柏崎まで手配したので、それを利用して欲しいとのことでした。迅速な対応に感謝・・・

駅の南口に誘導され、行ってみると既に頚城バスの大型観光バスが待機。16名のお客さんと直江津駅の主任さんが乗り込み11時20分前に柏崎駅に向けて出発。途中、笠島と青海川以外のすべての駅に停車。潟町は、6名が乗車。柿崎では、柏崎から直江津に向かう代行バスと離合しました。ただ、途中、運転抑止されているのに、不思議なことに踏切で、EF510の単機を待ったり、雨の中、青海川~鯨波の名撮影地では、3人の鉄チャンがカメラを構えていました。

バスが駅前に入れない駅では、雨の中、直江津駅の主任さんが制帽のあご紐を使用して風で、帽子を飛ばされないようにしながら、駅にお客さんが居ないか確認されており、鉄道員の真摯な対応に脱帽です。

直江津~柏崎間代行バス バスの団体名を表示するところにJRと書かれている。柏崎駅

そうこうしている内に12時40分過ぎに、柏崎に到着。接続の長岡行き13:09発1335Mを待つことにしました。この1335Mは、本来、直江津始発ですが、今日は、直江津~柏崎が不通なので、長岡方面から来る列車が折り返すことになるとのことです。ただ、その折り返し列車の到着が遅れ、出発が20分程度遅れるとのアナウンスが入りました。

手持ち無沙汰で、駅のベンチに座っていると、長岡方面に三つの光を発見、目を凝らしてみるとボンネット車ではありませんか?残念ながら写真の撮りやすい2番線には入線せず3番線に入線しましたが、先日、能登を引退した489系H1編成を使用の読売旅行が募集した団体臨時列車でした。帰ってから調べてみると、19~21日にかけて敦賀・舞浜間運転された団体臨時列車で、柏崎は、所定4:37通過のものです。柏崎で抑止かと思っていましたが、しばらく停車の後、直江津方面に向け、静かに出発していきました。また、下りのEF81牽引のコンテナも轟音とともに通過していきました。

団体臨時列車 クハ489-501   柏崎駅

 

同じく団体臨時列車 クハ489-1   柏崎駅

生活の足である定期の旅客列車を運休させておきながら、団体臨時列車や貨物を走らすJRの対応については、????です。

さて、出発が遅れた1335Mで長岡に到着。長岡14:31発115系二連の1740Mで越後湯沢15:51着 16:45発の1742Mまで時間があるので、駅構内の日本酒入りの温泉800円で、時間をつぶすことに。以前夏に来たときは、ほとんど人が居ませんでしたが、スキーシーズンということもあり駅構内は、大混雑!女性用のお風呂は、2~30分待ちのようでした。

16:45発の1742Mは、115系4連のL3編成です。今では、数少なくなった0番台MM`ユニットが組み込まれ、AU712で冷房改造されており珍車です。残念ながら水上駅の到着が遅れ、接続の17:29発750Mの時間もありも、撮影できず残念でした。

750Mで新前橋に出て、6分遅れの750Mを接続待ちしていた3940M快速アーバンのグリーン車二階席に座って、ほっとしたとたん睡魔に襲われ、目覚めたら日暮里を通過。長い一日が終わりました。

2010年 早春の中国一人旅 Part4 芭石鉄道へ向かう

第5日目 2010年3月6日

① シムズホステル8:25-(Taxi)→8:45成都旅游客运中心(新南門車站)9:20-(Bus)→11:15楽山肖埧站11:20-(Taxi)→13:30芭石鉄道石渓站
② 石渓站14:00-(第3次)→14:27蜜蜂岩站

前回1月での訪問は、旅行社に任せましたが、今回は、自力で成都市内から芭石鉄道へと向かいます。中国鉄路の移動なら、何とかできる自信はありますが、レールのない移動は、不安が付きます。
予約をしておいたホステル内で朝食をとって、道路に出ました。ここは、タクシーが掴まりにくいと聞いていたので、もっと広い道路まで歩こうと思っていましたが、運よく空車が来ました。
▲ 市内中心部から離れたところにある、成都旅游客运中心(新南門車站)。
バス乗り場は、改札口があり、その上に発車時刻が、電光表示されます。下は、切符えす。 続きを読む

2010年 早春の中国一人旅 Part3 武漢から成都へ

第3・4日目 2010年3月4・5日

① 武昌17:55-(T246)→11:29成都   今回1回目の車中泊 17時間34分

今日は、夕刻の乗車で、ゆっくりです。ホテル正面には、有名な湖北省博物館があります。普段は、観光見物するより、駅でブラブラしますが、せっかくですので、見に行きました。
長江文明の石器時代からの遺跡発掘品の数々が、時代別に展示してありました。大きな立派な博物館ですが、日本と違って無料です。そして、中身がすごい! 日本では、これだけの物は、見られません。堪能しました。

少し教養も身に付けましたので、ホテル近くのC級グルメ屋で、昼飯を済ませてから、夕方乗車する武昌駅に向かいました。
芭石鉄道訪問後の予定も立てました。成都→西安→鄭州→広州の3列車ルートで、希望列車を第1候補から柔軟にあげて、窓口で空席を聞く事にしました。ホテル手配は、それからです。
▲ 武昌駅は、前々回の訪中時に視察済みです。その時とは違って、駅前広場と切符売場は、大混雑でした。公安(警察)に加えて、防弾チョッキを身に付けた軍人まで巡回している、厳戒態勢です。

この駅には、他の乗車駅からの切符を売る専用窓口がありますが、長蛇の列です。こりゃ、1時間はかかるなと、トイレに行ってから、時刻表を見ながら、ゆっくり並び待つ事にしました。二人であれば、トイレの心配もなくビールを飲みながら、待てるのですが、このへんが一人旅の辛さです。

並んでいると胡散臭い連中が、この切符を買わないかと堂々と聞いてきます。確か10日までに乗車する在来線切符は、中国鉄路初めての名前入り(実際は、身分証番号かパスポート番号)ですので、買っても使えない場合があると思いますが、関係なく売っています。

切符は、思ったより早く30分で、順番がきました。前に並んでいた多くの人は、満席と言われて、脱落していったのが原因です。
私の希望した切符は、すべて第1候補で買えました。これも、インターネットで残席状況をチェックできて、買える確率の高い列車を選択できたおかげです。今まで、結構苦労していましたので、これで、かなり楽になりました。
▲ 切符が確保できたので、安心してビールを飲みながら、待つ事にしましたが、待合室も大混雑です。



乗車するT246の改札の開始は、通常30分前ですが、春運のこの日は1時間前に始まりました。1番ホーム発ですので階段はなく、移動は楽です。乗車する車両は、編成の真ん中ですので直ぐに乗れましたが、硬座(普通車)は大変です。有座(座席指定)客が乗車した後、無座(立席)客が、ずらりと列車ドア前に並んでいます。

今日は学生が多いのか、窓から入る人はいなく、むしろ整然と並んでいます。礼儀が出来ていない今の中国ですが、さすが教養の高い人や、若い人となると、違ってきます。時折、席を譲ってくれたり、荷物を持ってくれたりもします。生活の格差ばかりを話題にされますが、教養の格差も大きいのです。

今日のコンパートメント客室は、孫連れのおばあさんが、下段。上段は、40歳代の男性でした。車両は25K型で、電源コンセントが客室内についていましたので、通電しているかを乗務員に聞きましたが、『没有=ない』との返事です。1月に乗車した、北京西站~成都間のT7&8共、通電していませんでした。
パソコンで映画も見れるので、車窓の見えない夜間は重宝していたので、残念です。どうも、殆どの乗客が携帯電話の充電をするので、何かトラブルがあったのでしょう。通電を止めたのではないかと、推測します。

列車は、定刻よりに10分遅れの発車でした。いつものように、食堂車に行き、今日のお薦めの魚料理とビールを注文しましたら、発車前にホームで話していた列車長から、野菜炒めの差し入れがありました。感謝、感謝です。

食事が終ってから、昨夜切符購入後に予約しておいた、成都の有名なバックハイカー向けのシムズホステルに確認の電話を入れますと、駅からタクシーでのお迎えをしますと言われてびっくりです。いつも、駅からホテルまで行くのに、一番苦労をしているので、助かります。
客室に戻ると、皆さん既に寝ておられましたので、こちらも早々に寝ころび、直ぐの熟睡でした。

朝の車窓を見ると、武广高鐡線にも増しての、一面の菜の花畑の中を走行しています。これでもかと、続き、今回の中国鉄路乗車中、1番綺麗でした。ただ、太陽は見えません。四川省で、太陽が見えて青空が広がる事は稀(マレ)です。

▲ 11:29 翌日、成都駅には珍しく定刻ぴったりに到着しました。ここでも列車待ちの乗客で、駅前広場は大混雑です。武昌駅と同様にテント村も設置されていて、進むにも大変です。

出口には、シムズホステルの小姐が迎えに来てくれていました。一緒にタクシー乗り場で並んで待つと、乗車後は次のお客さんを待ちますと言って、タクシーに行先を告げてくれました。タクシー代の15元は、宿泊代の180元から引いてくれました。

▲ 世界中のバックパッカーに大人気のシムズホステル。アジアティックな庭園もあります。
このホステルには、たくさんの若い欧米人が宿泊していました。さすが、ここに泊るのを目的に来る人がいると言わしめるだけのキャパがあります。YHですので、ドミトリーの部屋が多いですが、私が泊まったような大きなベットの、広い個室もあります。皆様方も若い頃に戻って、こんなホステルに泊ってみられては、いかがでしょうか。芭石鉄道へ行くには、丁度良いロケーションにあります。

部屋から、インターネットがつながらなかったので、日本人スタッフを呼んで調べてもらいましたら、途中で断線していたようです。工事が終わるまで、芭石鉄道へのバスターミナルへの行き方や、どうしてこんなところで働いているのかを聞きましたら、大連に留学後、英語の勉強も兼ねて来てみたという富山出身の男性でしたので、富山地鉄の事やらで、話が弾みました。

夜は、早めに近くのC級グルメ屋で、汗を拭きながら、四川料理を楽しみました。
温度ですが、広州では、30度の夏。ここでは、日本の京都と同様でした。
 Part4 へ続く

2010年 早春の中国一人旅 Part2 武广高鐡線初乗車

第2日目 2010年3月3日

① ホテル8:10-(地鉄・バス)→9:25広州南駅
② 広州南駅10:20-(G1036)→14:15武漢駅
③ 武漢駅-(Taxi)→ホテル

昨日、武广高鐡广州北駅、南駅とも、在来線の遠方駅で乗車する切符を売っていませんでした。中国鉄路主要駅では、全国の乗車切符を購入する事ができますが、できない駅もあります。武广高鐡新駅では、まだ対応できていないようです。仕方がないので、窓口に長蛇の列が続く昼間は避けて、夜に在来線の広州東駅へ行きました。

空いているかと思いきや、学生集団が列をなしていました。しかし、グループが多く、切符を買うのは、その内の数名で、約15分で、窓口に着けました。
武漢駅から先の予定は、今年2月6日開業した、第3の中国版新幹線、鄭西高速鉄道の初乗車です。武漢駅から始発終点駅の郑州駅へは、約4時間で向かう在来線CRHが走っています。

武漢には、他に武昌駅、武口駅と、3つの大きな乗車駅がありますので、CRH列車の空席を聞きましたが、全部満席です。時間帯があう他の列車も満席です。やはり、春節時の切符確保は、難しいです。
急遽、予定を変更。芭石鉄道へ先に行く事にして、インターネットで残席を確認できていた成都までの特快夜行寝台を購入しました。その後の予定は、後で考える事にしました。


▲ 多分、中国鉄路駅では、一番広大な駅です。ホームも多ければコンコースも広い!空港と変わらないスケールです。その代り、市内からは、遠い、遠い!

広州の朝は、飲茶で始まります。ホテル近くの食堂で、飲茶を堪能した後、昨日の逆コースで広州南駅に向かいました。地下鉄は編成車両が少ない事もあって、乗車率250%以上です。1号線から3号線と乗り換えて、漢渓長隆駅に着きました。ここで、地上に上がって、バスで広州南駅に向かいます。直ぐにバスは来ましたが、スムーズに行っても、ホテルからは、約1時間半は、かかります。

既に改札が始まっていましたので、急いで乗り込みました。期待した『はやて』のCRH2C型8両×2本の16両編成です。時速350km/h連続走行は、どんな具合かと期待しました。
ところが、発車時間を過ぎても一向に動きません。約20分後、ようやく車内アナウスがありましたが、全く分かりません。周りの乗客が立ち始めたので、おかしいなと思ったら、隣の席の中国人が、『換乗=乗り換え』と教えてくれました。

どうやら故障で、発車できなかったようです。川重さん、技術供与が上手くできていないようですよ。
他の乗客の後をついて、隣のホームに移動です。降りるのは、長いエスカレーターを乗車する時とは違って逆に下へ動かしてくれましたが、隣のホームへ行こうとすると、列車乗務員が下方向に荷物を降ろしていて、上りエスカは使えません。
たくさんの乗客が迷惑をしているのに、気を使おうとは一切しません。こんなところが、まだまだ、当然の事が出来ない発展途上国と言えます。重い荷物を持って、途中休憩しながら、長い階段を、上がりました。

乗車変更するのは、後に発車する定期列車、CRH3の8両×2の16両編成です。先ほどと同じ後方の、1等車に乗車しましたら、当然この列車の切符を持っている乗客が座っています。これは、困ったと乗務員に聞きますと、前の編成に行けと言います。中国鉄路では、切符を購入する際に、車両番号や席を指定できません。単純に、1両目の1番から順に売っていきます。

どうやら、アクセスも悪く、飛行機よりも料金が高く、故障が多いとの不評は本当だったようです。おかげで、半分も売れていなかったのですね。春節のこの時期で、ガラガラなら、普通の日は、もっとすごいでしょうね。多分、早々に、料金を下げたり、在来線を走る列車を間引きしたりして、乗せる作戦に出るでしょう。
▲ 始発駅からの1等車の乗客は、半分以下でした。そして、ご覧のように、2等車同様に窓とシートは、合っていませんので、丁度良い席に変わりました

発車して、しばらくすると、もう350km/h走行になりました。乗り心地は、どうかと言うと、気のせいかもしれませんが、京津城際鉄路の方が、揺れが少なく感じました。微妙にガタガタします。


沿線は、菜の花が満開で、殆ど山間を走行しますので、とても綺麗です。全線が、在来線とは違って、街中を走っていません。また、トンネルは、山陽新幹線並みに多くありますが、以外は、高架橋の連続で、日本のように高い防音壁がありませんので、車窓は抜群です。堪能できます。

途中で、マンゴウやお菓子の入った箱が配られました。トラブルがあった今日だけかもしれませんが、ジュース、コーヒー類も無料で、何度も注文できました。列車乗務員の服装やサービスは、よく教育できていて、好感が持てました。
▲ 食堂車で購入した昼ご飯です。お粥が5元、焼きそばが、15元で20元(約280円)。電子レンジで、チンでは美味しくありません。
▲ 14:15 G1036列車は、運休なったG1034列車が停車する駅に臨時停車したために、8分遅れで、武漢駅に到着しました。武漢まで乗車した1等車客は、私一人でした。

▲ CRH2Cも頑張っています。途中駅や武漢駅では、無事走行している姿が見えました。

武漢駅も新しく建造された立派な駅で、島式ホーム8本、片面ホーム2本、並行に18線が発着できるようになっていましたが、今は、中央部分のみの使用です。この鉄路は、郑州を通り北京までの延伸工事中です。
▲ 広州南駅と同様に、建設途上の武漢駅ですが、完成度は、こちらが早いようです。  

あと数年で、北京から香港までが、一直線に結ばれます。 Part3 へ続く