京阪大津線の歴史を調べて(1-4漣駅)

4.漣駅
大正11年5月15日に三井寺までの延伸を果たした大津電車軌道はさらに北への延伸を画策し、昭和2年に太湖汽船、湖南鉄道と合併した琵琶湖汽船鉄道として昭和2年に三井寺-坂本間を高規格で開通させた。
この区間は開通後、駅の名前の変更、移転、休止など目まぐるしく変わったが、漣駅は旧大津電車軌道部分を合併した京阪電鉄が昭和4年10月10日開業し、昭和19年8月15日廃止された。
設置されたのは当時の錦織駅(現在の近江神宮前から南に約200mのところで、屁ノ尻川沿いに県道から駅に行く道が作られ、対面式のホームが作られた。県道から駅に行く道は現在もそのまま残っており、線路を横断する踏切は漣踏切となっていて駅があったことが偲ばれる。資料7:漣駅付近図、県道から駅への取付け道路が屁ノ尻川に沿って作られている。(県政史料室歴史史料、大と50より作図)

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『昭和の電車』突然終了!最終回 新京阪デイ100とC5343

関三平先生の渾身の長編力作『昭和の電車』シリーズが突然打ち切りになりました。
こんな電車があったのか!と毎回驚いた事ばかりでしたが、なにより見たこともない車輌をカラーで見せて頂ける幸福をかみしめて拝見しておりました。

今回、新聞社で何があったのかは分かりませんが、価値の分からない編集者が打ち切ったのだろうと思います。幸い、関先生は他で続けるとのことですからそれを楽しみに待ちましょう。

どうしても見せたかった、と言われる“名勝負”新京阪対省線の決定版です。

癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part9 虎尾糖廠のシュガートレインを撮る

第8日目 3月4日

同行者のchitetsuさん、cederさんは台湾最後の虎尾糖廠のシュガートレインをまだ見ておられません。これはご案内しなければと向かうことになりました。5:00 今回の旅の目的はEMU100系の撮影でしたが、10日後にDR2700系のリバイバル走行が予定されていて893-2さんやデカンショ祭り号さん、クモハ73106さん、千住のヤスベイさん、久方ぶりにNETさんが撮影に参加されます。勿論、不銹鋼號さんと私も再度訪台して撮影しますので当日では入手不可能な移動地へのきっぷ手配が必要です。きっぷの窓口販売は今日の朝5時からと昨夜確認しましたので駅に近いホテルに宿泊しています私に購入を命じられました。
まだ人通りもない站の窓口へ参り、無事にきっぷをゲットしました。
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 江若鉄道展 ちょっといい話 (4)総集編

「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」、4日間の会期を終えて去る24日に幕を下ろしました。4日間の入場者は約300人、ピーク時には十数人が会場にあふれ、賑やかな思い出話に花が咲きました。駅前とは言え京都・大阪からは時間もカネも掛かる立地、ビルの都合で入り口には一切の案内表示なし(にも関わらずアンケートの来場理由の選択項目に「通りすがりに入った」とあったが、絶対にあり得ない話)、そして有料入場と、決して恵まれた条件ではありませんでした。どれほどの来場があるのか未知数でしたが、初日の開場早々からそれは杞憂に終わり、続々のご来場でスタッフは応対に嬉しい悲鳴を上げていました。

言うまでもなく、西村さんの江若鉄道の車両模型、滋賀鉄道模型愛好会の組立式レイアウトでの運転会、Sさんの湖西線写真展、ほか江若鉄道OBや主宰者の孫さんまで協力した多種多様な展示の賜物です。この種の展示会は、会場の賑やかさが成否のバロメーターだと私は思います。初対面の同士でも、写真をネタに会話が盛り上がれば大成功です。京都市電展と同じく、うるさいほどの会話が会場に充満していました。ご来場の皆さんは、やはり地元の大津市、高島市の方が圧倒的で、とくに江若鉄道のOBの皆さんは、同窓会状態が連日繰り返されていました。また鉄道雑誌の記事を見て関東方面からも数名がお見えでした。
最終日では、西村さん製作の歴代の江若鉄道模型を運転し、ラストランを飾った。湖西線の駅で待避する113系、485系「雷鳥」を、江若鉄道DCが追い抜く(!?)というシーンも見られた。

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part8 枋山で撮る

第7日目 3月3日

6:00 今朝はホテルの朝食提供が7時からですのでそれまで坊寮の発車を撮ろうと高雄側の中山路踏切に行って見ました。

◀ 朝の気温は17℃、この時期の台湾の朝は春のすがすがしい気候です。

▲ 6:20 坊寮始発新左營行きの區間快速3042次DR3000系6両編成で発車していきました。以前は両側は更地だったのですが養生壁が出来て何やら工事が始まっています。踏切手前からは撮れず、渡ってカメラを構えました。
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京阪大津線の歴史を調べて(1-3紺屋関駅)

紺屋関駅の歴史は古い。明治22年東海道線が全通し、馬場-大津間の旅客営業は廃止されたが、明治31年に旅客扱いが復活、その後紺屋関には湖南汽船の大津港があり、乗り換えの便から大津電車軌道発足前の明治35年1月1日、鉄道院大津支線の駅として設置された。大正2年3月1日の大津電車軌道開通と同時に、院線の駅であった紺屋関駅は大津電車軌道の駅となって開業した。当初の院線は単線であり、順次待避線と複線化が進んだ。この過程も県政史料室の歴史史料に残されているが、まだ詳しく読み解けておらず、後日別途発表したい。

資料6:紺屋関駅付近図 浜大津貨物駅に分かれる狭軌の線路の分岐も書かれており、この位置は1969年の江若鉄道廃止当時と変わっていない。(滋賀県政史料室歴史史料昭と6より作図)

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part7 太麻里で撮る

第6日目 3月2日

今日は朝から太麻里で撮り坊寮へと向かいます。昨日は曇天でステンレス車体のDCは思うように光ってはくれませんでしたので今日は晴天になる事を祈って朝日が当たる鉄橋下から見上げて撮れる撮影ポイントを選びました。
朝6時に起床、外を見ますと祈りが通じたのか雲はありますが晴天です。宿泊ホテルで無料レンタル自転車を借りて太麻里踏切手前を入った鉄橋下を目指します。所要距離は約1.5㌔ですが、上り坂です。自転車に乗って太麻里の街並みを抜けた後は踏切までの長い坂道を自転車を押
しながら上がりました。

▲ 7:49 朝日を浴びて台東始発新左營行きの自強號304次9両編成が渡ってきました。
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 江若鉄道展 ちょっといい話 (3)

本稿(1)で江若鉄道OBの皆さんが、写真に写っている仲間たちの名前当てに興じていることを伝えましたが、自分の姿が写っている写真に巡り会うOBは、なかなかありません。たしか最初のスカイプラザ浜大津の展示の際に、叡山駅を通過する列車のタブレット授受の写真のなかの駅長が、会場にお見えになり、“自分が写っています”となり、その写真を後日お渡し喜んでいただいたことがありました。本日、なんと二例目の方が来られて、びっくりしました。
この写真、昭和44年11月1日の「さよなら列車」の車内の様子、くだんの方は、この車両ではなく、なんと次位の車両で列車を運転されている方だった。お見えになった途端“これワシやで”となって、会場が一気に盛り上がった。ちゃんと、顔写真入りの動力車運転免許証を持参され、「50年前は若かったなぁ、いま79歳や」と述懐されながら、まだ記憶力の衰えを見せず、つきつぎと当時の思い出話が湧いて出た。

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part6 太麻里、金崙で撮る

前回投稿以来10日間が経過しました。理由はDR2700系がリバイバルランをするとの事でまた台湾に向かいました。無事に帰ってきましたので投稿を再開させていただきます。

第5日目 3月1日

今日は花蓮から列車に乗って太麻里へ向かい、駅前からタクシーをチャータして太麻里の撮影地を回ってから金崙周辺で撮影、夕刻は再度太麻里に戻って普快車を撮る予定です。

9:00 同行者の不銹鋼號さん、chitetsuさん、cederさんとは駅に近い私のホテルのロビーで集合で花蓮駅へ向かいました。

▲ 9:11 東部幹線随一の観光地花蓮、その玄関口の花蓮駅です。リニューアルなった吹き抜けの高い天井の橋上駅は明るく綺麗で広々としています。

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 江若鉄道展 ちょっといい話 (2)

「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」、三日目の土曜日は、今までの最高の入りを記録し、朝から会場は大賑わいでした。クローバー会の皆さんや趣味仲間に来ていただき、有り難いことでした。なかでも元江若鉄道のC111を動態保存に向けて補修中の東武鉄道のHさんがご来場いただき、びっくりしました。Hさんは、同機の移送に最初から取り組まれた功労者で、本日は、修復中の写真をお届けいただいたのでした。
「最後の二日間」では、さりげなくDRFCの告知もしている。営業最終日の前日の晩9時頃、「江若鉄道にDRFCのヘッドマークを付けたい!」と突然思い立った。この時間では材料も調達できない。家にある材料でやるしかない。そこで、妹の使っていた画用紙を使い、マジックインクで下手なレタリングをして「湖国を走り続けて半世紀 さようなら江若鉄道 同志社大学鉄道同好会」と書いて、色鉛筆で縁取りした。写真展に使った木製パネルに貼り付けたが、ちょっと華やかさに欠ける。一計を案じて、押し入れの中から、クリスマスツリーに使うモールを見つけ、周囲に取り付けた。これで材料費ゼロで、ヘッドマークが出来上がった。夜も白々と明けてきた。結局一睡もせず、京津線の一番電車で、浜大津へ向かった。午後から三井寺下機関区を訪れた際に区長に「付けてください!」と直談判した。即座にOKになり、もう少し難航するのかと思っていたのに拍子抜けしてしまった。あまり写真を大きくするのも嫌味なので、少し小さいサイズにしてDRFCへのリスペクトとした。

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