【105262】 江若鉄道展 ちょっといい話 (2)

「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」、三日目の土曜日は、今までの最高の入りを記録し、朝から会場は大賑わいでした。クローバー会の皆さんや趣味仲間に来ていただき、有り難いことでした。なかでも元江若鉄道のC111を動態保存に向けて補修中の東武鉄道のHさんがご来場いただき、びっくりしました。Hさんは、同機の移送に最初から取り組まれた功労者で、本日は、修復中の写真をお届けいただいたのでした。
「最後の二日間」では、さりげなくDRFCの告知もしている。営業最終日の前日の晩9時頃、「江若鉄道にDRFCのヘッドマークを付けたい!」と突然思い立った。この時間では材料も調達できない。家にある材料でやるしかない。そこで、妹の使っていた画用紙を使い、マジックインクで下手なレタリングをして「湖国を走り続けて半世紀 さようなら江若鉄道 同志社大学鉄道同好会」と書いて、色鉛筆で縁取りした。写真展に使った木製パネルに貼り付けたが、ちょっと華やかさに欠ける。一計を案じて、押し入れの中から、クリスマスツリーに使うモールを見つけ、周囲に取り付けた。これで材料費ゼロで、ヘッドマークが出来上がった。夜も白々と明けてきた。結局一睡もせず、京津線の一番電車で、浜大津へ向かった。午後から三井寺下機関区を訪れた際に区長に「付けてください!」と直談判した。即座にOKになり、もう少し難航するのかと思っていたのに拍子抜けしてしまった。あまり写真を大きくするのも嫌味なので、少し小さいサイズにしてDRFCへのリスペクトとした。

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【105258】イチローついに引退

あまり野球に興味の無い私でもイチローの名は肝に染み込んでいます。
常に謙虚で、ひたすら我が道を追求する姿には比叡山の千日修行を経た大阿闍梨にも似た気高さを感じます。
最後の瞬間まで超一流であり続けたのには感銘しました。開幕戦で見せたライトから三塁へのレーザービームはとても引退とはつながりません。でも求道者であるご本人には打撃不振が我慢ならなかったのでしょうか。
歌手で言えば、古くは『藤山一郎』『美空ひばり』『三波春夫』ぐらいでしょう。引退まで声量・音程ともに落ちなかったように思います。相撲なら『双葉山』に尽きます。力量・精神力はもとより教養も高く、引退時の見極めもすばらしかった。

さて、こう考えていると『鉄道』では何が超一流だったのか?と考えました。

特急でいえばなんでしょうか?
引退まで超一流であり続けた特急は何でしょうか?
長い歴史があるだけではダメです。生涯を常に幹線のみで活躍して、地方へは都落ちせずに廃止された特急。だれが見てもその時代を代表する特急。
『つばめ』と言いたいが九州で地方巡業している。
『はと』はどうだろうか?
『あさかぜ』なども超一流の人生を送ったのでは?

機関車では何が超一流に値するでしょうか?
頭に浮かぶのは『C53』ですが、これは3気筒という機構が使いにくく、地方線区には向かなかったと聞く。『C62』も出自に問題があります。D52からの改造ともいえて、終盤には軸重を軽減して北海道へ転封させられています。
私は『C59』を機関車のイチローとしたいですね。

他にも電車では?私鉄では?気動車では?など切り取り次第ではいろいろなジャンルで『イチロー』が認定できるのではないでしょうか?

ここで述べた基準と候補は私の個人的好みです。基準を含めて皆様の『イチロー』を認定してみませんか?

 


【105250】京阪大津線の歴史を調べて(1-2大橋堀駅)

2.大橋堀駅
大橋堀駅は現在のびわ湖浜大津駅の東隣にあった駅である。当初大津電車軌道が路線申請した時は、現在の浜通りを拡幅して、石場から旧東海道を走る併用軌道で予定していたが、拡張費用がかさむことから、馬場より西側は明治22年東海道線が全通して枝線となった鉄道院の大津支線を借用することとなった。この区間が大津電車軌道として開通したのは大正2年3月1日である。大橋堀駅も資料は少なく、開通と同時に駅ができたのかどうかは諸説あり、大津市歴史博物館の大津市制100周年記念企画展「大津の鉄道百科展」図録には駅の開業時期が記載されていない。資料3:大橋堀停留場附近平面図(滋賀県政史料室歴史史料「昭と大6」より作図)大橋堀を渡る鉄橋と坂本町、橋本町(いずれも旧町名)の境界線から場所が特定できる。

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【105244】 江若鉄道展 ちょっといい話 (1)

「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」、二日目の本日、平日のため出足はゆっくりですが、その分、皆さんは時間を掛けて、写真・模型と対話されて、ご自身を50年前にワープされています。地元の無印不良品さん、Tさん、デジ青コメンテーターの紫の1863さんら関係者も来られ、また以前の江若鉄道展でお目にかかった方とも久しぶりの再会を果たし、旧交を暖めることができました。
会場で見つけた、“ちょっといい話”をいくつか拾ってみました。廃止前の江若鉄道では朝夕一往復「快速」が運転されていた。主要駅のみ停車で、晩年は総括制御の3両編成が運用に就いていた。通過する叡山駅では、駅員、助役の二人掛かりでタブレットの授受を行なっている。運転するほうも、機関士以外に、タブレットの授受だけに機関助士も乗務していた。もちろん車掌も乗っているし、ずいぶん人手が要った快速列車だった。通過速度もマチマチで、最徐行で進入することもあれば、遅延の時など制限速度いっぱいで通過することもあり、素手での授受は、時には危険な目に遭うこともあったと、会場に参集された江若鉄道OBが言っておられた。OBの眼は、さらに二人に注がれて、すぐ「○○さんや!」となった。受け手の駅員の「手の形が決まっとる」ともおっしゃった。なるほど、絵になるポーズだ。

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【105229】桜井線便り

ダイヤ改正後の桜井線に行ってきました。といっても227にはお目にかからず、105が変わりなくのんびりと走っていました。桜井線についてはその名前(万葉まほろば線)が示すように、沿線には、古墳や山之辺の道といった古代ロマン溢れるものが数多く見られます。このような背景の中を走る列車を撮りたいと常々思っており、先日の三輪山をはじめ、105の居る間にと、出掛けています。巻向から三輪~桜井~畝傍の区間で大和三山が狙いです、まず最初は箸墓です。桜井市「箸中マップ」によりますと、この古墳は3世紀中~後半に初めて日本に出現した前方後円墳(全長280m)で、卑弥呼の墓とも言われています。第7代孝霊天皇の皇女ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの大市墓に陵墓指定され、立ち入りが制限されています。 記事の続きを読む


【105222】京阪大津線の歴史を調べて(1-1)

京阪大津線は京津線の前身、京津電気軌道が大正元年に三条大橋~札ノ辻間が開通、石坂線の前身、大津電車軌道が大正2年に大津(現在のびわ湖浜大津)~膳所(現在の膳所本町)が開通し、その後延伸、路線の変更があって現在の形となりました。総本家青信号特派員さんからお誘いを受けて、旧東海道線の遺構を調べた後に、京阪大津線についてもその遺構を調べたくていろいろな書物、地図を見ましたが、本によって記載の異なるものが多く、また、不明な点もあったため、滋賀県県政史料室の歴史的資料を調べてこれらを解明したいと考えました。先にご報告したように、県政史料室の歴史的資料は項目ごとに分類されており、そのリストも公開されていて調べやすくなっています。この宝の山の中から、まず、石坂線で廃止された駅について順に報告したいと思います。 記事の続きを読む


【105212】 本日から「江若廃止50年 写真展&鉄道模型運転会」

江若鉄道が昭和44(1969)年に廃止されてから、今年でちょうど50年を迎えることになります。そして、来年は江若鉄道が創立されて百周年となります。それを記念して、またまた江若鉄道の写真展・模型運転会を行なうことになりました。

 「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」
3月21日(木・祝)~24日(日) 4日間 10:00~17:00(最終日16:00まで)
江若交通ビル5階会議室(JR湖西線堅田駅下車左手すぐ)
入場料 おとな500円

西村さん製作の模型・ジオラマに、私の写真も加えた江若鉄道展は、これまでスカイプラザ浜大津で2回、大津市歴史博物館でも2回、びわ湖大津館、旧大津公会堂、伊香立香の里史料館、琵琶湖グランドホテル、藤樹の里文化芸術会館(高島市)と、江若鉄道ゆかりの地で、形を変えて、写真、模型・ジオラマを展示してきました。“江若をおかずに、何杯メシ食うのゃ”と言われそうですが、江若は何度食べても忘れられない味なのです。ただ、従来と異なるのは、いままでは公立、またそれに準じた公的施設での展示でした。今回は、展示企画に賛同した同好団体、個人が手弁当で集合、実行している点です。いちばん大きな問題だった会場も、江若鉄道の後継となる、江若交通さんのご理解をいただき、ゆかりの堅田で行なうことができました。中心になって奔走いただいた滋賀鉄道模型愛好会の事務局様には、感謝申し上げる次第です。

会場はJR湖西線の堅田駅の真ん前、ホームからもよく見える江若交通本社ビルの5階です。ただ、一階の入り口が奥まっていて戸惑います。コンビニの右側の奥に5階へ通じる江若交通本社ビルの入り口があります。

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【105157】 存廃に揺れる北海道の駅を巡る (4)

釧路・根室付近 50年前といま ①
根室本線の釧路・根室付近へは、50年前に均一周遊券を握りしめて行った時は、京都・大阪から、急行を乗り継ぎ夜行2連泊して、釧路には午後、根室には夕方にやっと着いたものです。半日で行くことができる現在から見ると、まさに最果ての地の思いがありました。しかも、夜行のあと、駅で降りて、10キロも20キロも歩いて、駅間で写したものでした。今から考えるとよくぞ行ったものだと思います。
そこで、釧路・根室付近の駅で写した“50年前”と“いま”を対比してみました。
釧路から西へ30分の白糠、昭和58年まで北進に向けて白糠線が分岐していて、釧路以西の中枢駅だったが、いまは静かさだけが支配する駅になっていた。

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【105133】 存廃に揺れる北海道の駅を巡る (3)

もう一昨日実施のダイヤ改正で廃止されましたが、根室本線の廃止3駅のうち、残る初田牛へも、直別・尺別を訪問した翌朝に行きました。初田牛があるのは、“花咲線”の愛称のある釧路~根室であり、同じ根室本線ながらも、釧路以西とは、別の運転体系になっています。輸送密度は帯広~釧路が約2300人に対し、釧路~根室は約450人と格段に少なく、「JR北海道単独では維持が困難な路線」の一つに数えられています。できれば初田牛に下車したいところですが、一日6往復、中間の茶内で上下が交換するネットダイヤになっていて、次の列車とは2~3時間の空きがあり、どう考えてもロスが大きく、釧路~根室を往復して、車中からの撮影にとどめました。3月16日に廃止された根室本線初田牛駅、駅名標とプレハブ造りの駅舎があるだけの棒線駅。 記事の続きを読む


【105127】広島から小ネタ(続報)

3月16日ダイヤ改正に伴い新駅開業や新旧車両の交代劇などいろいろなニュースが飛び交いました。広島地区からは「タクアン」が姿を消し、すべて227系レッドウイングに世代交代しました。山陽本線は今まで115系Tc+M+M+Tcの4連が基本でしたが、227になるとMc+M+McとMc+Mcの組み合わせが基本となり、多くの列車で4連が3連に代わりました。さっそく不満の声が聞かれます。

平成31年3月16日 中国新聞朝刊

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