広島から小ネタ(続報)

3月16日ダイヤ改正に伴い新駅開業や新旧車両の交代劇などいろいろなニュースが飛び交いました。広島地区からは「タクアン」が姿を消し、すべて227系レッドウイングに世代交代しました。山陽本線は今まで115系Tc+M+M+Tcの4連が基本でしたが、227になるとMc+M+McとMc+Mcの組み合わせが基本となり、多くの列車で4連が3連に代わりました。さっそく不満の声が聞かれます。

平成31年3月16日 中国新聞朝刊

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新駅『梅小路京都西』開業!

永らく工事していた山陰線の京都ー丹波口間に新設される新駅・丹波口京都西駅がいよいよ開業する。
思えば、子供のころから遊び場であった梅小路貨物駅や国鉄官舎跡に梅小路公園ができ、さらに水族館や鉄道博物館が開業すると観光客が殺到してホテルと駅ができることになった。理屈は分かるが、青信号特派員氏が時を同じくして報告してくれている北海道の鉄道と比べると個人的には北海道の住民に申し訳ない気持ちで一杯だ。

開業直前の様子をご覧頂く。

昔はこのような官舎が建っていた梅小路公園。築堤の向こうが鉄博。

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 存廃に揺れる北海道の駅を巡る (2)

尺別

夕方の列車で直別を去り、ひと駅釧路寄りの「尺別」へ向かいました。隣り合う二つの駅がともに同時期に廃止されるのも、この地域の現状なのでしょう。廃止後も信号場として残ると思われますが、音別~厚内の15.0キロの間に駅が無くなるわけです。当初は尺別で下車して、約2時間後の後続列車まで写す予定でしたが、乗車列車が、交換のため尺別で10分ほど停車することが分かり、下車は止めて、交換待ちの間に撮影することにしました。
尺別は、1900生さんのコメントにあるように、昭和45年4月まで尺別鉄道が分岐していました。尺別~尺別炭山10.8キロの地方鉄道で、尺別炭坑からの運炭を目的に敷設された鉄道ですが、C12+二軸客車の旅客列車も一日2往復運転していました。ただ国鉄との運輸連絡が無かったためか、全国版の時刻表にも記載がなく、結局、私は乗ることも見ることもなく終わった鉄道でした。青信号「雪中北海道見聞録」に記載のように、1900生さん、kawanakaさん、西村さんの三人が、尺別鉄道訪問され、近年のホームカミングデーでも様子が披露されました。尺別鉄道の紹介記事は少なく、三人の記録はたいへん貴重なものでした。
釧路から直別に向かう時も、尺別で2527Dとの交換待ちがあって、乗車したタラコ色のキハ40 1758を、駅舎も入れて順光で撮影することができた。

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広島から小ネタ 3件

総本家青信号特派員氏と勘秀峰氏の河原町丸太町イベントが盛会裡に閉幕し、ご同慶の至りです。ところで最近は聞かなくなった言い方に「ゲタ電」というのがありましたが、路面電車こそがゲタ電であり、生活密着の鉄道だという思いを深くします。広電では路面電車をより利用しやすくしようと、いろいろな取り組みをしているなかに「信用乗車」があります。ところが、こんな残念な記事が載りました。

平成31年3月12日 中国新聞朝刊

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 存廃に揺れる北海道の駅を巡る (1)

京都市電写真展では忙しくも有意義な日々を送りましたが、その開催直前には北海道へ行っていました。LCCのお蔭で、毎年行くようになった北海道ですが、昨年には関西~釧路も新規就航し、道東へも格段に行きやすくなりました。ただ北海道に着いてからの足となる鉄道は、目を覆いたくなるほどの衰弱ぶりです。支線・駅の廃止と言った話題だけでなく、列車そのものが削減され、もう列車移動による徒歩撮影など全く不可能で、単なる“乗り鉄”ですら、ムダな空白時間ばかりで、移動が困難な状況に追い込まれました。
そんななか、時刻表をひっくり返して、廃止が予定される駅や、50年前に訪れた駅を再訪し、岐路に立つ北海道の現況を見てきました。

今週末のダイヤ改正で廃止される駅のひとつ、根室本線の直別を発車したキハ40 1779 「北海道の恵み」ラッピング車で、エリア別にキハ40の4両に施された。

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ながらくのご乗車ありがとうございました。青の117系は3月16日のダイヤ改正で定期運行を引退いたします。

 王寺駅に12日の日に立ち寄ると発車時刻の案内表示に3月16日のダイヤ改正で和歌山線の117系は定期運行から引退するとの案内がありました。

上の写真は2017年11月11日撮影した王寺発の五条行普通列車です。そして、本日の16時07分の五条行は

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part5 宜蘭から花蓮へ ホテルトラブル発生、名物ワンタンを食う

▲ 宜蘭站に掲示されていました駅周辺地図です。後でGoogleMapを丹念に見ますと真ん中の宜蘭運動公園CT284号機(C57)が展示されているのが分かりました。分かっていましたら行って見たかったですね。

写真はGoogleMapからの転載です。

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part4 EMU100を撮る

第4日目 2月28日 その1

誰もこの付近で撮った事はありません。昨夜、今日の撮影地について
タブレットでネット記事や掲載された場所のGoogleMapを丹念に見ながら皆さんと協議しました。そしてここならと思える撮影地は福隆~貢寮と決まりました。
▲ 撮影予定地の福隆~貢寮のGoogleMapです。撮影ポイント①②③の周りは水田らしく稲穂が実った中を行く列車の写真がありました。行くには福隆站から約2.6㌔、徒歩ではたっぷり30分以上はかかると思いますので駅前にタクシーがあれば乗って行こうと決めました。4人ですので割り勘すれば一人180円程度と安いものです。

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京都・時の証言者「1978年」

京都テレビ(KBS)にて、1969年から2019年迄のトピックを毎週、1年分を5分間に纒て放送しています。
今週は1978年で、市電の廃止が1分半の映像で “毎日” 紹介されています。

今週の放送予定
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 ありがとうございました。京都市電写真展 

本日を持って、勘秀峰さんと二人の写真展「京都市電が出会った街 河原町丸太町」が10日間の会期を終えて滞りなく閉場しました。お世話になった皆さま、会場にお見えの皆さまに、厚く感謝申し上げます。ご来場者の総数は650人、当ギャラリー始まって以来の驚異的な入場者記録で、あの西利でのクローバー会写真展でも250人程度の入りですから、終日、お客様で賑わい、いっときは十数人がご覧になり、コンパクトなギャラリーは立錐の余地もない混雑でした。皆さん熱心に見ていただき、二人も声を枯らして説明し、嬉しい悲鳴を上げていました。大賑わいの会場、停留場ごとの説明に勘秀峰さんが大活躍

河原町通に面してポスター、立て看板を設置、道行く人も多く入場された。▲▲開場前の静かな展示場、11時が鳴ると、すぐに来場客がご入場。

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part3 最後の行李列車を追う

第3日目 2月27日

昨夜。不銹鋼號さんとラインで連絡を取り合い今日は暖暖で合流し、行李列車6901次駅撮りすることにしました。

① 新竹 8:18(太魯閣278次)⇒9:38 七堵 

▲ 7:54 行李列車6901次暖暖を通過する正確な時刻は昨年10月に時刻改正が実施されているために分かりませんが、改正前も前後1時間は運行時間にズレがありました。それほど変わってはいないだろうと、暖暖通過は11:00~12:00頃と読んで11:00前には着けるように新竹站窓口できっぷの購入です。
七堵まで太魯閣の自強278次指定を注文して暖暖までのきっぷ購入としましたが、指定は台北までしか空席はありません。台北~暖暖は普通きっぷの発券になりました。

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市電写真展から桜井線

昨日、終了2日前となりますが市電写真展行ってきました。会場内は大盛況です、4~5人のグループで来られている方もあり、町内会・学校の同窓会の様相を呈していました。そのグループ・個人が福田さん、佐々木さんを取り囲み懐かしい話に花がさいています、皆さん当時の情景を休みなく話されそれぞれの話の中心に、お二人がおられます。来場者は次から次へ来られますので食事どころかお茶一杯のむ時間も無いのかと想像できます。デジ青で話題沸騰となっている写真も大きな実物で見ることが出来ました、さらに来場者のコメントがそれぞれの写真に添えてあり、この写真展を心から懐かしみ、また楽しんでおられることが実感できます、いいアイデアと思います。写真展は今日10日で終了ですが、ぜひ次のステップに繋げて行ってください。京都まで来たので帰りはどですかでんさんの情報で桜井線も今のうちと思い桜井で途中下車し、三輪まで行きました。

桜井駅での、クハ104-510+クモハ105-519です(架線の影が気になりますがご容赦ください)。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part2 基隆⇒彰化⇒新竹

第2日目 2月26日

今日は不銹鋼號さんとchitetsuさんが訪台されますが宿泊地が台北のため合流するのは明日になります。私は新竹と向かい、途中で南海電鉄の「ラピートブルー」塗装のE212号機牽引の荷物列車撮影予定です。ただ、時刻改正後の行李(荷物)列車のダイヤが分ってはいません。クモハ73106さんにラインでお聞きして教えていただきました。いつもながら、ありがとうございました。
◀ 基隆から南下する優等列車(自強號)は午前中4本しかなくどこで撮るかの選択肢は多くありません。運賃は高くない台鐡ですので取りあえず嘉義までのきっぷを購入して車中で下車駅を決めることにしました。
▲ 8:51 きっぷ売り場のある基隆南駅側の改札口です。きっぷを買い求めてからの乗車でした。
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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part1 最後の荷物列車、EMU100系を追う 旅立ち

今年の台湾鉄路では荷物列車の運用が終焉を向かえます、またEMU100系の復活運用が見られますのでみんなで一緒に行きましょうとクモハ73106さんよりお誘いをいただきました。私はこれから迎える花粉症対策の逃避もあって参加させていただくことにしましたが、クモハ73106さんは直前になってご都合が発生、荷物列車を熱心に追いかけておられたデカンショまつり号さんもお仕事の都合で参加が無理になりました。参加できるのは不銹鋼號さんと新たにchitetsuさんとcederさんが加わり4名での訪台となりました。
▲ 2014年1月11日、西部幹線の樹林基隆でリバイバル運行されたEMU100系です。 続きを読む

 京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ③

京都市電の写真展、休廊日を置いて、本日から後半戦となりました。地元の新聞にも掲載されたため、今日も開場を待ちきれずに続々とご来場される方が多く、聞けば10時開場と間違えて来てしまい、近所で時間を潰されたとか。また会場を「河原町今出川」と間違われて、どこを探しても見つからず、交番へ行って聞いて来たと言う方もおられました。展示スタイルも少し変えて、ご来場の方から聞いた話を整理した札を写真の周辺に貼って、ツーウェイのスタイルを採り入れました。クローバー会メンバーも、マルーン会長以下、続々とご来場いただきました。ありがとうございます。
さて、今回の“ここどこ”、入口に掲げている左右1.5メートル程度の大きな写真で、皆さん立ち止まって見ていただいて中に入られます。これは、近くのマンションの屋上から写したものですが、訴求ポイントは、丸太町線、河原町線両方向からレールがあった時代であること、それに交差点にあった、われわれの母校が写っている点ですが、私たちの気づかない点まで指摘があり、皆さんの記憶や観察力には脱帽した次第です。

右上の黄丸、山肌に何かが見える。これは五山送り火のひとつ「左大文字」だ。交差点から見えるのは「大文字」だけで、鴨川まで出れば「妙法」も見えるが、この付近の定説だった。しかし、少し高度を上げると「左大文字」も見えるのは初めて知った。この写真からはよく分からないが、ほかの「船形」「鳥居形」も見えるのだろう。

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 京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ②

ドーム球場? プラネタリウム?

続いての“ここどこ”も、俯瞰写真からの出題です。ただ、“?”ではなく、すでに解明されていますが、来場者からは“こりゃなんや”という声が聞かれました。

俯瞰写真を撮った場所は、荒神口停留場近くの救世会館という世界救世教の施設でした。さすがに無断侵入は気が引けて、受付で許可を求めて、うやうやしく屋上へ上げていただきました。建物の元を正せば、立命館大学の恒心館でした。昭和43年前後の立命館大学の紛争では、全共闘の拠点になり、機動隊との激しい攻防戦が行われました。市電展を見に来られた、この建物の裏側にお住まいの方から、“放水で家がビショビショになって怖かったわぁ”の声があり、300メートルほど離れた私の家にも、深夜まで機動隊のマイクや笛の音が聞こえてきて騒然とした状態でした。この写真は、その屋上から、河原町通りの南側を撮っています。すると中央に、ドーム状の建造物が見えてきます。
私はさすがに地元でしたので、よく知っていますが、これについては、“知ってる派”“知らない派”に二分されていました。実際に行ったことがある人もおられ、ほとんどが町内会の行事と答えていました。
これは市電河原町線が走っていた当時、河原町二条上る東側にあった、“レーザリアム(Laserium)”という名称のアミューズメント施設だった。ドーム内でレーザー光線を発射し、音楽とともにいろいろな図形を描く、いまのプロジェクションマッピングの原型のようなもので、最先端の技術を駆使した、日本初登場の施設だった。運営していたのが、近畿放送で、KBSラジオからCMがしょっちゅう流れていた。

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海南島の鉄道

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平成3年の8月26日、27日中国は海南島の鉄道に八所から三亜まで乗りました。今や海南島も高速鉄道が走っているとのことですので、隔世の感がありますが、当時は蒸気機関車牽引の混合列車で機関車は解放型でした。客車は、往きは硬座車でしたが、帰りは軟座車で、これが公務車GW97380という車で、コンパートメントとマイテ49の展望室のように大きなソファが並んでいました。ネットで検索してみると昭和16年製の日本製で蒋介石の専用車だったという記述もあります。なんとこの車は海南島の省都である海口の鉄道博物館で現存しているらしいのです。そんな歴史的な車両に乗車できたのは僥倖としかいいようがありません。当時は鉄分の薄い時代で、コンパクトカメラで少し撮っただけだったので、今から考えるともったいないことです。ご笑覧いただき、コメント、知見をいただければ幸いです。 続きを読む

 京都市電版 “ここはどこ これはなに?”  ①

本日、正式オープンの京都市電写真展。初日の土曜日、暖かい気候に恵まれ、また午後からは京都府主催の鉄道史シンポジウムが歴彩館であって、その行き帰りに来ていただくなど、多くの皆さんにご入場いただきました。クローバー会会員も、開場前からクシベ・アダチさん、開場直後には、山科の人間国宝、乙訓の老人と大物がご来場、午後からは、無印不良品さん、86さん、玉ちゃん、久しぶりにKoさん、そして、最後は米手さんとデジ青がそのまま会場に移転したような賑わいでした。ほかにも、小学校、中学校の同級生、もとの会社の同僚や、知り合いの趣味人多数、近所のおじいちゃん、おばあちゃん、通りすがりの人びと、その数、約百人、先日の西利での平均入場が30人程度ですから、その数倍の人が、狭い会場にあふれたのですから、その密集ぶりはご理解いただけるでしょう。結局、11時に来て、何も食べられずに、立ちっぱなし、喋りっぱなしの7時間でした。勘秀峰さんと快い疲労感を残して、夕闇の街に消えました。本当にありがとうございました。

山上のナゾの要塞?
こんなことばかり書いて、公共のデジ青を独占して申し訳ないと思っていると、最後に乱入した米手さんから、“そばぼうろ”が食べられなかった悔しさからか、私にさらなる投稿を迫ります。米手さんは、“ここどこ”シリーズで、ボカシや黒塗り画像で臨時列車を増発していただき、私の投稿を待っていただいたのでした。そのご厚意に応えなければと、その返礼の企画を急遽立ち上げました。

写真展に来られた方は、ホントによく観察され、私たちの知らないことまで尋ねて来られます。そこで、話題が集中した、解明できない“ナゾ”について、いろいろ綴っていくことにしましょう。

これは勘秀峰さんの撮影で、河原町二条付近のビルから北を見ている。伸びるのが河原町通、中央を横切るのが丸太町線の市電、この写真のキモは、左側に、我々の出身の春日小学校、その向こうの京都府立鴨沂高校、さらに立命館大学の広小路学舎が連なり、すべてが旧校舎で現在見られないものばかりだ。ところが見る方は意外な方向に眼が注がれた。右上の円内、山の上に、白い建造物が見える。ハテ、こんなところに…と会場で話題になった。方向からすると、下鴨あたりのはずだ。拡大してみると、確かに山の上にあるように見える。左手にうっすらと送り火の「妙法」の「妙」が見えているから、やはり、下鴨、松ヶ崎方面だ。山のように見えるのは、下鴨神社の杜なのかもしれないが、果たして、そんなところに‥‥。ナゾは深まるばかりだ。