飯塚
筑豊本線には、飯塚、新飯塚と二つの駅がある。
新飯塚のほうが、飯塚の官庁街、繁華街に近く、乗降客数はずっと多い。また西鉄の飯塚バスセンターの最寄りでもあり、筑豊訪問の常宿としていた八木山ユースへ行くのは、新飯塚で降りて、遠賀川を越えてバスセンターへ行ったものだ。ただ、歴史的にも、運輸上においても、飯塚が鉄道としての要衝であった。事実、特急「みどり」(のちに「いそかぜ」「かもめ」と名称は変化していく)は、飯塚のみの停車だった。
飯塚のシンボルは、駅の跨線橋から見えるボタ山だ。筑豊富士とも呼ばれる形の良い旧住友鉱業忠隈炭鉱の4つのボタ山だったが、列車と絡めて撮ることは叶わなかった。いまは自然に還り、草木が茂って、ふつうの山と違いはない。
▲本屋側の1番ホームに到着する、原田発若松行き744レ、C5511〔若〕。客車列車のほとんどは原田発で冷水峠越えをして飯塚に到着した。左は若松発上穂波行き739レ、D5145〔直〕牽引。筑豊のナメクジは、あとは42号機で、2両だけという比較的珍しい存在だった。(昭和43年)
▲詰襟学生服の高校生が待つ2番ホームに到着する、門司港発原田行き1735レ、C5519〔若〕。背後にD51の牽く貨物列車が待機する。(昭和44年)