客車廃車体訪問記 内地編58 群馬県-4

【高崎駅前(西口)】 36.321752, 139.012000 1999年9月23日撮影
オハフ61 2542
高崎駅西口にあった、ジパング倶楽部の営業所である。その前は「ボワチュール」という店名の喫茶店として営業していた。現在この場所は居酒屋と高崎駅西交番になっている。
この日は、西村さんとM助さんのご案内でわたらせ渓谷鐵道で元京王のトロッコ列車に乗って楽しく1日を過ごした。
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 廃駅をめぐる  【3】

阪神高速尼崎料金所の真下にあった尼崎港駅、そのルーツは、馬車鉄道に行き着くという古い歴史を持っていたが、昭和56年4月に旅客営業を廃止し、路線も昭和59年2月限りで廃止となった(以下、昭和56年3月22日撮影)。

続いて同じ兵庫県下の廃駅、尼崎港駅です。福知山線の支線となる、通称「尼崎港線」塚口~尼崎港の終点にありました。尼崎港線は、一日2往復、朝夕のみ旅客運転の線として有名でした。旅客営業は昭和56年4月に終えて、その後も手小荷物・貨物の営業を続けていましたが、昭和59年2月に廃止となり、尼崎港線の歴史を閉じました。

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 廃駅をめぐる  【2】

先の高砂線と同じ日に、三木線も訪れていましたので、続いて載せることにします。三木線も、同じ播州鉄道による開業で、大正5年に厄神~別所が開業、翌年には三木まで伸びて、厄神~三木6.8キロが全通しました。大正12年には播丹鉄道となり、昭和18年には、国鉄に買収されるという、高砂線と同じ出自をたどりました。当初は美嚢川の船運に代わる貨物輸送が目的と言われ、神戸へ向かう人の流れとは逆の方向のため、終始、乗降は望めなかったようです。その後、三木線は第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に、国鉄としては廃止となり、同日から第三セクターの三木鉄道に転換しました。地交線の転換の三セクのなかでは、最小の営業キロを、最初は2両のDCで回していましたが、その三木鉄道も平成20年4月に廃止されました。三木線の終点、三木駅の全景、側線はあったものの、草に埋もれていた。左手の貨物ホームも線路は撤去されて、トラツクが出入りしていた。

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 廃駅をめぐる  【1】

高齢者が何を血迷ったかJR線乗りつぶしを目指すようになりましたが、外出する気力もめっきり減退し、生存中の達成もおぼつかなくなりました。今ごろになって、この思いに至ったのは、廃止された線区に乗らずじまいに終わったことが心の底に残っているからです。昭和の時代、国鉄の「いい旅チャレンジ20000キロ」のキャンペーンにも乗らず、また昭和58年から始まった特定地方交通線の廃止時は、仕事も家庭も忙しい時期で行けるような環境ではなく、廃線ブームに乗じることもできませんでした。ただ、それでも長い趣味活動の間には、特段、乗車目的で訪問したわけでもなく、結果的に廃止されてしまった“廃線”“廃駅”をいくつか記録しました。廃止駅となると、線区そのものが廃止のケースと、線路改良や乗降数減少などの理由で駅のみが廃止のケースがありますが、今シリーズは、その両方を、“廃駅”として見ていきます。

高砂駅の全景、大正3年に播州鉄道の駅として開業した。ホーム一面の駅で、数本の側線があった(以下、すべて昭和59年10月27日撮影)

高砂線は、第一次地方交通線に指定され、昭和59年12月に、加古川~高砂6.5キロが廃止になり、神姫バスに転換している。その歴史を探ると、播州鉄道が大正2年に高砂線の前身となる加古川~高砂口(のちの尾上)を開業、のちに延長された。播州鉄道は、播丹鉄道に譲渡され、昭和18年に国鉄に買収されて、高砂線となっている。
国鉄高砂工場が高砂の手前にあって、出入場には高砂線が使われていたので、高砂線は安泰かと思われていたが、工場そのものが廃止になり、高砂線もあっさり廃止になった。地元の高砂市でも、第三セクターとしての存続を模索するが、加古川市が難色を示し、結局、鉄道としての存続は叶わなかったとされる。

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昭和の電車 改訂版(43)ー南海ズームカー22001型ー

この電車の現役当時の写真はなくても和歌山電鐵「タマちゃん」や南海「天空」なら写真は出てくるはずです。

客車廃車体訪問記 内地編57 新潟県-1

【湯沢中里スノーリゾート】 36.910900, 138.849201 2020年1月3日撮影
スハ43系17両
国境の長いトンネルを抜けて越後湯沢で降りると、雪が積もっていた。在来線で2駅東京寄りの越後中里駅裏がすぐスキー場で、その食堂・休憩所・子どものスキー教室等としてスハ43系ばかり当初18両、その後1両減って17両が、広大な駐車場とゲレンデの間に南北に連なっていた。17両もの客車が並んでいるのは壮観である。南から1~6号車、8~12号車、13~18号車と、3グループになっていて、番号は次のとおりである。
①スハフ42 2067+②スハ43 2166+③オハ47 2232+④オハ47 2327+⑤スハ43 2326+⑥スハ43 2345
⑦オハ47 2058 … 撤去解体
⑧オハ47 2025+⑨オハ47 2071+⑩オハ47 2300+⑪スハ43 2481+⑫スハフ42 2069
⑬スハフ42 2143+⑭オハ47 2029+⑮オハ47 2027+⑯オハ47 2258+⑰スハ43 2479+⑱スハフ42 2032
車内は、座席間にテーブルを入れたり、座席を撤去してお座敷に変えたり様々で、トイレは水洗式に改造している。
このへんにノツボ(野壺)があったら、I波さんのようにたいへんなことになるが、スキー場なのでその心配はいらない。
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昭和の電車 改訂版(42)ー阪急2100系ー

前回の「京阪2000系」への反応がイマイチだったので、今回も心配しながら投稿します。2300系は河原町延長時に、近代的な「烏丸」「河原町」駅にマッチした衝撃的な電車として印象に残っています。

客車廃車体訪問記 内地編56 群馬県-3

【リサイクルショップてんぐ】 36.673372, 138.984910 2020年1月3日撮影
オロ12 853(わたらせ渓谷鐵道わ01-855)
みなかみ町のリサイクルショップに倉庫のように置いてある。強いて最寄り駅をあげれば上毛高原と後閑である。
現車は元「やすらぎ」の1両で、わたらせ渓谷鐵道「サロン・ド・わたらせ」の中間車わ01-855であった。「サロン・ド・わたらせ」として整備する際、1位の業務用扉を埋めた。後述の西村さんの画像のとおり、ユニットクーラーは全てAU13Aのようである。わたらせ渓谷鐵道にストックがあったのだろうか。
「855」とあるので、オロ12 855かと思ってしまうがそれは55回のスーパーカーミュージアムにいて、これはオロ12 853(2号車「荒川」)らしい。正月休みで門が閉まっていたので、公道から1-3位側を撮影し、2-4位側は撮影しなかった。
西村さんの「北関東に『やすらぎ』を求めて」の最後に、「サロン・ド・わたらせ」時代の1-3位側画像が紹介されている。
◆オハ12 319(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 853→2001年廃車
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昭和の電車 改訂版(41)ー京阪スーパーカー2000系ー

髙加速・髙減速が主題のこのシリーズは中学生時代の思い出と重なります。もともと電車の知識がないのに新しい電車が出来たというと乗ってみたくなるのが悪いくせ。私の基準は阪神のジェットカーなのでこれと比べたら加速・減速が物足りなかった。もっとも曲線のせいなのか阪神と比べたら京阪は最高速に到達するまでに減速していたように思います。ただエコノミカル台車(誰が言ったか犬の骨)は乗り心地が悪かったのも記憶に残っています。

余談ながら、2000系を丁寧に撮っておけば今年の年賀状に使えたのに、とくやしんでいます。

北関東に「やすらぎ」を求めて

井原氏から1月10日に「昆虫のやかた三凱堂のスロフ」、続いて14日には「スーパーカーミュージアムのオロ」についてのレポートが登場しました。氏はどこでこんな珍奇な保存車両の情報を得て、わざわざ関東まで遠征されるのか、凡人には理解に苦しむところでもありますが、それでこそクローバー会員だとも思い、陰で拍手を送っている一人です。一方、「茶色い客車が見たい」と嘆くご仁がおられることも承知の上で、せっかく井原氏がご紹介頂いた「やすらぎ」が、元気で北関東を走っていた頃の様子をご報告することで、氏への御礼とさせて頂こうと思います。もう20年も前のことになりますが、時系列でレポートします。まずは八高線から。

2000年4月23日 八高線寄居・折原間にて DD51897牽く回9220レ

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河内長野の話題

近鉄南大阪線ラビットカーの投稿で、どですかでんさまが阿部野橋から”長野”に行けなくなったと嘆いておられましたが、数十年前は吉野口で国鉄と南大阪線は線路は繋がっていたと思います(確証はありませんが、南大阪線も吉野線も貨物輸送をしていたし、車庫で所属不明の貨車を見た記憶があります)。貨車なら長野まで行けたかも分かりませんね。その河内長野の記事が本日(1/14)の毎日新聞に載っていました。ホームの行き先表示板が「フィルムを回す旧型」から「液晶表示」の新型に更新されるそうです。旧型の「字幕回転式発車標」は近鉄286駅で唯一のものだそうです。これまでにもロール式やパタパタ式が無くなることを聞いたことがありますが、今は液晶型が主流ですね。

客車廃車体訪問記 内地編55 栃木県-2

【スーパーカーミュージアム】 36.400226, 139.720857 2019年12月15日撮影
オロ12 855(前位寄り半分切断)
栃木市にあるスーパーカーを集めた展示施設で、特定非営利活動法人ToSCA(トスカ)が運営していて、建物は旧栃木駅舎を移築した。入館は有料である。スーパーカーのことはわからないが、ランボルギーニ カウンタック LP400やミウラ、ブガッティ EB110(説明板によれば1994年式、新車当時価格4980万円)などが多数並んでいる。トヨタ2000GTもあった。
有料だけあってオロ12 855は掘りごたつのお座敷設備が休憩所としてよく手入れされていて、車内の状態は良いが、外部の塗装に一部劣化が見られる。現車は約半分に切断された車体であるが、台車が2つちゃんと付いていて模型のようでおもしろい。53回のオロ12 854と比較して、塗り分けとグリーン車マークの有無・位置が違う。
オロ12 855は、53,54回と同じJR東日本・高崎支社のジョイフルトレイン「やすらぎ」の4号車「吾妻」で、前位寄り半分に切断されている。廃車後、わたらせ渓谷鉄道に移り、部品取り車となった。
◆オハ12 321(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 855→2001年廃車
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昭和の電車 改訂版(40)ー阪神ジェットシルバー5201系ー

近鉄の話をしているうちに阪神ジェットシルバーの登場です。
探したら一枚だけ有りました。昭和34年頃の撮影ですから登場直後という事になります。場所は阪神鳴尾付近です。へたくそで何の価値も無い(準特急氏ならこう言うはず)写真ですがお許しください。

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 思い出の 京都雪景色 【4】

山崎で撮る、雪を載せた列車

昨日は、会社時代の仲間と、愛宕山へ新春登山に行きましたが、雪はありません。例年なら、雪の少ない季節でも、頂上付近では積雪が見られましたが、全く見られないのは、改めて暖冬ぶりをひしひしと感じます。さて、つぎは、近くで写した国鉄・JRの列車です。阪急京都線と同様で、東海道本線も山崎に近づくと、積雪量は、京都市街地より、やや増えることが多く、近くでもあり、雪が降るたびに何度か撮影に行きました。普段なら、自転車で行くところですが、安全を期してバス、徒歩で出掛けました。
雪の山崎で見る列車のなかでも、やはり北陸方面から来る列車は雪の付着具合が違う。前面に雪をたっぷり、こびりつかせたEF81のコンテナ貨物が通り過ぎる(平成6年2月)。

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 思い出の 京都雪景色 【3】

阪急電車編

つぎは、阪急へ参ります。京都線は、西山に沿って走りますから、京阪と比べると、雪が降ることが多かったように思います。家からすぐ駆けつけられることもあって、以前は毎年、写していた記憶がありますが、この数年は出動することもなく、これを見ても暖冬を感じます。通勤で利用していた時、大阪方面に乗ると、大山崎までは一面真っ白なのに、JRを潜って大山崎のホームを通過すると、とたんに雪は無く、晴天のなかを走ったことを何度か経験しています。やはり、天王山が気象の上でも分け目になっていることを感じたものでした。
その大山崎、この日ばかりは、もの凄い雪だった。ダイヤどおりなら、大山崎のホームでは見ることができない特急同士の交換シーンが実現した(以下、2008年2月9日)。

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客車廃車体訪問記 内地編54 群馬県-2

【昆虫のやかた三凱堂】 36.433722, 139.248727 2019年12月14日撮影
スロフ12 827
スロフ12 828
前回と同じジョイフルトレイン「やすらぎ」の1号車「神流」(スロフ12 827)、6号車「碓氷」(スロフ12 828)である。「やすらぎ」編成6両はJR廃車後、わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、わ01-827、わ01-828になり、この2両(後に中間車1両追加)が「サロン・ド・わたらせ」として営業した(残り3両は部品取り用)。
2両は南北方向と東西方向にL字形に並んでいる。設置後も塗り替えが行われ、大事にされている。三凱堂は、桐生市の「群馬県立ぐんま昆虫の森」の南にある昆虫の店で、昆虫販売と直接関連が無さそうな客車を2両も(2両ワンセットが売却条件だった)引き取って維持保存されている篤志家である。
◆スハフ12 130(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 827→2001年廃車
◆スハフ12 131(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 828→2001年廃車
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 思い出の 京都雪景色 【2】

京阪地上線 最後の雪
京阪は、京都市内の南部を縦断しているだけに、雪は降ることはあっても、積雪することは滅多にありません。それだけに、昭和62年3月のこの日ことは、よく覚えています。土曜日で仕事も休み、午前中は曇り空で、とくに何も無かったのに、午後になって、急に雪雲が広がり、雪が舞ってきました。止む気配もなく、たちまち家の周りも積雪しました。こうなると、行く先は決まっていました。あと二ヵ月後には、地下に潜ってしまって、永遠に雪景色など見られない、京阪の地上線でした。
前面を白く化粧して、鴨川沿いを行く三条行き特急。五条駅の仮ホームから撮影、五条の下りホームは、地下線工事中は五条通南方に仮ホームができて、その端部から、鴨川バックの撮影ができた(以下、昭和62年3月7日)。

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行先板ひっかけ続行

Sさんより続行の話があり追加させていただきます。Sさんは昨年のホームカミングデイでのJR東海社長(旧制同志社中学入学)現鉄道友の会会長須田寛様講演にも参加されております。

例によって原文そのままです。私はよくわかっていません。

阪急板に関する件、青信号でもご紹介くださり恐縮です。
この話にしても、レイルロードのT・Tさん(面識なし)とかであればもっと具体的に
ご存知かと思うのですが、せっかく「実物部品」がありましたので、ご連絡しました。u後、レイルロードの新刊「阪急3300 Vol.1」なども読み返してみたところ、

いくつか追加の発見・自分なりの新たな仮説が出て来ました。

幸い、いずれもデジ青に転載いただいた内容をひっくり返すものではありません。

以下、実車写真は同書より転載。

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昭和の電車 改訂版(39)ー近鉄ラビットカー6800系ー

鉄道雑誌に“ジェットシルバー”“ジェットブルー”のキャッチフレーズが出て阪神の5000型を見に甲子園にあった親戚の家に行きました。同じ頃に近鉄に“ラビットカー”なる新車が出たと聞きましたが見る機会はありませんでした。近鉄南大阪線はそれほど遠かったのです。

右奥の二枚窓の電車はなんでしょうか?

 思い出の 京都雪景色 【1】

京都市電編

暖冬で明けた2020年、京都でも雪の降る気配は全くありません。四条大橋から見ると、北山の連山には少し雪が見えましたが、いつもは冠雪している愛宕山や比叡山にも雪はありません。京都市内では、叡電沿いならさすがに積雪も多かったものの、市街地では、積雪するのは年に一、二回でしたが、“寒波が到来、明日は朝から雪”と天気予報を聞くと、もうワクワクして、翌朝に起きると、果たして外は真っ白、勇んでカメラを持って外へ出掛けたものでした。それも今となっては懐かしい気持ちです。今回は、もう思い出になろうとしている(?)京都の市街地での積雪シーンを集めてみました。

京都に市電があった時代、まだ雪は多く降った。家庭裁判所前の葵橋を渡って行く、雪の日の河原町線。

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