さよなら 117系関西急電色   

JRのダイヤ改正が来週3月17日に行われます。近年は列車の改廃もほとんどなく、以前のようなダイヤ改正前の高揚感がありません。ただ、車両面で見ると、改正を機に国鉄時代の車両を中心に淘汰・転用が進展しそうで、首都圏では、115系や189系、また351系に注目が集まっているようです。関西でも、あまり目立たないものの、JRでは車両の置き換えや変更が進んでいます。そのいくつかを報告しましょう。
クリーム1号にぶどう2号の帯を巻き、伝統の関西急電色に塗られた唯一の原色編成、近キト117系T1編成が、ダイヤ改正を待たず、吹田工場へ入場、地域色に塗り替えられた。

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暖かい大地への旅 Part1 トホホ、大失態の第0日目

【難航したチケット手配】
ミャンマー
から帰国してより台湾D51が初めて南迴線を走るので撮りにいかないかと、クモハ73106東ウラさんからのお誘いを受けました。台湾のD51は故障が多く今回は大丈夫かなと心配しながらも行く気でおりましたが、時期が台湾のお正月の春節で混み合う時期なのに航空券を手配するのが遅れました。と、言っても今までJALの航空券を取れなかったことは一度もありません。グローバルクラブの会員ですので大丈夫だと楽観的に予約待ちを入れていましたが、いつまで待っても吉報の電話が来ません。マイレージで確保できたのは2月27日の羽田への復路便だけで何度も会員デスクに往路のプッシュ電話を入れましたがダメです。仕方がないので関空から高雄へのフライトがあるLCCのピーチ航空に空きがあったので押さえることにしました。そしてマイレージなら国内のどこから発着しても必要ポイントは加算されませんので、復路は国内も行きたいと羽田から鹿児島への国内線便もくっつけました。

【 当初の行程 】
2月22日 関空10:55(MM035)⇒13:30 高雄
2月27日 台北09:30(JL096)⇒13:20 羽田 15:55 (JL651)⇒17:55 鹿児島
※ その後は、鹿児島市電撮り鉄、肥薩線乗り鉄を予定、三江線も寄るかも・・で、旅立ちすることにしました。帰宅までの運賃は必要ですが片道が無料になると考えると随分とお得です。
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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑯

市電の全廃
大村昆ちゃんのCM“ミゼット”が評判になったのは昭和30年代の後半の頃でした。政府の提唱する国民車構想が実を結んだのもその頃でした。日本はいよいよ自動車の時代に突入です。京都市電では、北野線を最初に、昭和45年、大阪万博の年に、日本最初の電車が走った伏見線を廃止にしました。以下、昭和47年四条・千本・大宮線、49年烏丸線、51年今出川・白川・丸太町線、52年河原町・七条線、最後まで残った外郭線は昭和53年9月いっぱいで廃止になりました。京電以来の83年7ヵ月の幕引きとなってしまったのです。昭和30年代の京都駅前、「いなり」の行き先幕の烏丸線市電が到着する。京都市電の全盛期のシーン(今回より、当会OBの故・羽村宏さん撮影のカラーを掲載します)

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 50年前の撮影地を歩く -24- 宗谷本線編

音威子府を出た列車は、天塩川に沿って北上を続け、やがてサロベツ原野のなかを突き進みます。途中の駅は、ほとんどが木組みの1両だけのホーム、少しマシになれば車掌車「ヨ」を利用した待合室がある程度で、周囲に人家は見られません。乗車人員もゼロ人台の駅が続きますが、意外なことに、途中の2、3駅では、明らかに土地の人と思われる乗車・下車が見られました。この区間、普通列車は一日3往復だけ、他人事ながら、行き・戻りの列車はどうするのか、列車が遅れた場合の連絡はあるのだろうか、運休した場合は、といろいろな心配をしてしまいます。でも、鉄道を信頼し、一人でも乗る人がいれば、この宗谷本線は存続すべきだと改めて思ったのです。

稚内から普通列車に乗って1時間あまり、幌延に到着した普通列車、みどりの窓口もある、昼間のみ有人駅、かつて羽幌線を分岐していた。

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小田急線ダイヤ改正前夜

沿線で暮らして9ヶ月ほどになる小田急線のダイヤ改正の準備が大詰めになってきました。利用するなかで、細かな変化に気を配る日々です。

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車掌のアナウンスあれこれ

流線形車両-4-で総本家さんや河 昭一郎さんから車掌の案内アナウンスの甲子園、甲子園の連呼が取り上げられた。「何回言うねん、うるさいな」という毎日聞かされる御乗客の皆さんからのうんざり感もあったものと思われる。マルーンさんによると阪急電車でもある時に2回案内していたのを1回にしたと聞く。ところで、最近は落語やコントなどお笑い番組でも出演者に鉄チャンが増えたのか車掌や駅員のアナウンスの真似を得意げにする芸人が増えたような気がする。鉄ちゃんはいろいろな世界にいるようだ。

さてかく言う私も若いころによく聴いた車掌の案内放送に旅情を掻き立てられたり格好いいなと思ったことがあり今でも頭の中に残っているものがある。総本家さんには何度も伝えたことがあるが今回はその車掌アナウンスと関係のありそうな時代の車両と共にお伝えしたい。多少の言い回しは車掌にもより、また、私の記憶も間違っているものがあるかもしれないが大体こんな感じだったと思う内容である。間違いをご指摘いただければ幸いである。

まず、阪急神戸線の特急が夙川を出て西宮北口に到着する頃である。

「皆さん まもなく西宮、西宮北口でございます。宝塚、箕面、今津方面はお乗換え願います。宝塚方面は5号線、6号線、今津方面は7号線へお乗換え願います。西宮北口を出ますと十三まで停まりません。」(「大阪方面普通は3号線の電車にお乗換え願います」は案内したとは思うがあまり記憶にない。また、当時は箕面が入っていたが、今津線経由の方が十三経由よりも早く着けたのかどうか定かではない)

1968.04.04 夙川付近は桜花爛漫であるが白黒ではわかりづらい。もうかなり前であるがこの5000系も今でも通用するスタイルである。 梅田行き特急5004 ▼

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 50年前の撮影地を歩く -23- 宗谷本線編

名寄を発車すると、宗谷本線はいよいよ北辺の地へと入って行きます。宗谷本線名寄~稚内の平成28年の輸送密度は364人キロ/日で、昭和50年の1878人キロ/日と比べて五分の一に減少しました。営業係数は618、宗谷本線の開業以来、百年以上の鉄橋など土木構造物が多数あるほか、冬期の除雪費用、また豪雨災害も発生し、維持管理に莫大な費用が掛かる区間です。駅に関しても、一日平均の乗者数がゼロ人台の駅が多く、雪に埋もれた駅周辺は、生活感の感じられない光景が続いていました。
恩根内を通過する札幌発稚内行き「宗谷」、約40分の遅れとなり、対向列車に乗っていて特急通過駅が変更になった。恩根内は交換可能駅ながら、一日平均乗客はゼロ人台、予定外の駅で通過待ちとなり、秘境駅の様子を観察できた。

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江若鉄道近江今津駅が解体される!

昨日の京都新聞Web版滋賀ニュースに江若鉄道近江今津駅舎が解体されるとのニュースが出ていました。ご存知の通りこの駅舎は昭和5年12月に竣工し、江若鉄道が近江今津まで延伸した翌年1月1日から使用されました。
昭和44年の江若鉄道廃止後、今津町農協が引き取り農協の旅行センターなどに使用され、現在は倉庫として使われています。建設から90年近くたち老朽化が激しいためこの度解体されることになりました。解体の日取りははっきりしていないようですが、早ければ今春にも工事に着手するようです。
この写真は一昨年高島で開催された江若鉄道展の折に、クローバー会の皆さんで訪れたときのものです。コンデジでパチパチ撮っただけでまともな写真がありませんでした。唯一残った江若鉄道の駅舎、私も近いうちにもう一度訪れようと思っています。皆様いかがでしょうか。
ところで、著名なレールウェイライターのS様のFaceBookを拝見しているとこの話題について投稿されていました。やはり、プロの方の情報収集はすごいですね。

三江線だより(4)

こんなに毎日連載になるとは思ってもみませんでしたが、おつきあい下さい。代替バスの路線と運賃が認可されたそうです。全線乗り通すと現在の約2倍の料金だそうです。

平成30年3月3日 中国新聞朝刊

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 50年前の撮影地を歩く -22- 宗谷本線編

名寄

旭川から快速列車に乗ると1時間30分程度で、宗谷本線の要衝である名寄に着きます。宗谷本線は、名寄で明確に区分され、名寄までは、旭川の近郊区間として、普通列車以外にも、主要駅のみ停車の快速“なよろ”も運転されています。以前は、名寄本線、深名線を分岐し、機関区もあって、文字どおり鉄道のまちとしても賑わいを見せていました。その後、両線も廃止されて、現業機関も無くなり、宗谷本線の中間駅となりました。市の人口も減少が著しく、いまや3万人を割り込む状況です。駅の乗車人員も宗谷本線のなかではいちばん多いものの、JR北海道が公開したデータでは442人/日に過ぎません。 急に冷え込んだ夜の名寄駅、上下の列車が交換する。稚内から走り通して来たキハ54の後部が、その苦闘ぶりを物語る。

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散歩道で見つけましたー9ー

市電の廃車体が話題になっていました。200型・300型は私も撮っていないので歯がゆいのですが、京都外大のグランドに大量に置かれていたのを見ています。車番を確認できませんでしたが外形から200型か300型と思いました。
さて、藤田さんも市電を撮っておられます。藤田さんの写真はカラーもあって最盛期~晩年の市電が元気に走っています。

ところでこの際、お手持ちの市電の写真があればコメント欄に投稿してみませんか?

① 祇園石段下を西へ向かう7号系統1600型(九条車庫)

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三江線だより(3)

三江線写真展についての紹介記事です。

平成30年3月2日 中国新聞朝刊

会場の「江の川カヌー公園さくぎ」は香淀・作木口の丁度中間地点で、かつ江の川の対岸にあるため、クルマでないと行きづらい場所にあります。クルマで撮影に行かれる際には休憩を兼ねてお立ち寄り下さい。

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西鉄大牟田線600系

故人となられたが、大牟田出身の松村君が見たら喜んでうんちくを語ってくれただろう。なつかしい電車です。

コメントに画像添付できるようになりました

DRFC-OBクローバー会の皆さま、このサイトをご覧の皆さま、いつもご愛顧ありがとうございます。
さて、会員の方よりご要望がありましたので、コメント欄にて画像を添付できるように致しました。ご利用下さいませ。使用方法は以下の通りです。

1.コメント欄の選択ボタンをクリックする。
2.PNG、JPEG形式(3MB以内)の画像を選択し、開くをクリックする。
3.コメントを入力し、コメントを送信をクリックする。

三江線だより(2)

3月17日から最終日まで全線直通列車が2往復増えるそうです。

平成30年3月1日 中国新聞朝刊

江津発浜原止まりの425Dと431Dを三次行きに、三次発口羽行きの428Dと三次発浜原行きの432Dがそれぞれ江津行きとなります。乗りに行かれる方、撮りに行かれる方は17日以降のダイヤをご確認下さい。

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 50年前の撮影地を歩く -21- 宗谷本線編

塩狩

旭川を出ると、比布、蘭留、塩狩、和寒、士別、風連と好ましい響きの駅名が続きます。そのなかで、塩狩はいちばん再訪を望んでいた駅でした。塩狩峠の頂点にある駅で、50年前は、20‰勾配に挑むC55の力闘もさることながら、駅前徒歩1分にユースホステルがあり、ここに宿泊したことが最大の思い出でした。旅館に併設された民営ユースホステルで、なんと言っても温泉を引いた浴場が、ある意味で名物でした。残念ながら、その恩恵に預かることはできませんでしたが、泊まった翌朝、食事前の散歩を兼ねて、ユースのゲタを借りて駅周辺で撮影したことが思い出されます。50年ぶりの塩狩での下車、峠の駅だけあって、深雪に覆われ、物音ひとつ聞こえない、乗降客ゼロの静かな世界が広がっていた。

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三江線だより(1)

廃止まであと1ケ月となった三江線ですが、これから先いろいろな報道や情報が飛び交うのではと思います。あまり関心のない方もおられるかとは思いますが、適宜デジ青に載せてゆきますので、現地訪問の参考にして頂ければ幸いです。なお三江線以外の中国地方ネタも便乗させますのでよろしく。

平成30年2月28日 中国新聞朝刊

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 50年前の撮影地を歩く -20- 宗谷本線編

旭川

今年は、各地の積雪量が例年になく多いようですが、“こんな時にこそ”と北海道へ行ってきました。3月になってからの北海道は何度か行きましたが、厳冬期は初めてのことです。おもに訪れたのは宗谷本線、LCC利用客限定のフリー切符が発売中で、これを使っての訪問となりました。宗谷本線は、本欄でも何人かが記されていますが、DRFC時代には、多くの仲間と一緒に訪れた思い出の地ですが、それ以降、北海道へ行くことはあっても、この地を訪れることがないまま50年が経過しました。各駅で今昔対比もしながら、ゆっくり一人旅を楽しんで来ました。
始発の旭川で発車を待つ宗谷本線のキハ40、規模の大きな立派な駅構内には不似合いな単行列車の姿は、宗谷本線の現状を象徴していた。

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散歩道で見つけました 8

今回は江若鉄道、南海電鉄、水間鉄道です。
江若は、特派員さん、西村さんの専門領域で、南海は村尾さんの専門です。なにとぞお手柔らかにお願い致します。

江若鉄道

① 浜大津駅 キハ5122+ハ5010+キハ5121「快速比良」

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流線形車両-4-

総本家青信号特派員さんの京都市電600形云々についてコメントに書き込んでいたら思い出した車両があった。総本家さんが写真集や鉄道ピクトリアルに数多く出された金魚鉢の愛称で親しまれた阪神電車71形でこれぞ路面電車の流線形である。本来流線形車両-3-に入れるべきを忘れていたので追加させていただく。製造はやはり流線形流行時代の1937年(昭和12年)で汽車東京71~75、川崎76~80の計10両あった。

1969.02.18 甲子園  72号 ▼