木次線ツアーご報告(余話)

今回は落石事故で木次線は楽しい(?)バスツア-に変更となりましたが延命水まで飲むことができて楽しい思い出がまた一つできました。幹事の方々、ご同行の皆様には御礼申し上げます。おかげさまで三段スイッチバックを含む備後落合~木次間はまたまた未乗区間となりましたが、多分この先に乗ることはなくそのことに悔いが残りました。西村さんの余禄に次いで私も余話をご披露させていただきます。

御住職の堀江様のご説明の中にありましたC56108号の今井機関士の姿です。今井式スノープローを考案されたりして現場での指導的立場にあられた方ですが3年前にお亡くなりになられたとのことです。運転台に乗る若きの日の御姿です。 1964.3.31木次機関区 ▼

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「50000人の写真展」応募のお誘い

昨年多数の方に応募いただきました富士フイルム「30000人の写真展」が今年も開催されます。今年はさらにパワーアップし「50000人の写真展」となり「一般展示」、「なつかしいあの頃」、「鉄道のある風景」の3部門で募集されます。「鉄道のある風景」部門の展示は大宮鉄道博物館で722日~30日、名古屋リニア・鉄道館で819日~27日、京都鉄道博物館で1028日~115日に行われます。詳細につきましては添付資料を参照ください。出品ご希望の方は事務局までご連絡ください。

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木次線ツアーご報告(余録)

さっそく大津の86さんがレポートして頂きましたので、私は補足説明的に2日間の印象に残ったシーンをご紹介します。まずは8日 新見から乗車した443D(キハ120単行)の混雑ぶりです。

平成29年3月8日 芸備線443D 車内風景

岡山で伯備線に乗る前にお弁当を買い、新見からの芸備線車内で沿線風景を楽しみながら食べようと思っていましたが、伯備線新見行き849M(2連)の混み具合から考えると、かなりの人が芸備線443Dに乗り換える雰囲気で とても443Dでは座れそうになく、伯備線内で急いで弁当を食べました。正解でした。青春18の期間は避けねばなりませんね。

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木次線ツアーご報告

4月8日、9日にDRFCクローバー会木次線ツアーが催行されました。参加したのは’56年度生から‘85年度生まで、30年の世代を超えた17名です。皆さん思い思いのルートで新見に集まってこられ、備中神代から乗車されたYさんを最後に全員が予定の列車に乗車しました。この日は桜のシーズンで、青春18きっぷの使える最後の土日という事もあり、1両の芸備線の列車は、つり革が埋まるくらいの立ち客でにぎわっていました。列車は順調に走りましたが、東城を出たあたりでしょうか「備後落合から木次線に乗り継ぐ方はおられますか?木次線は落石のため備後落合と出雲横田の間で不通になっています。」との車内アナウンスが入りました。その後代行バスを手配するとのことで、一安心して備後落合に到着しました。
↑ 備後落合にはこの時間三方向から来た列車が集まるはずのところ木次線の列車は姿が見えず。 続きを読む

山陽本線河内駅とシティ電車

先に投稿しました「227系の功罪」に対する1900生さんのコメントで「シティ電車」の話が出ました。当地でも「シティ電車」と書かれた看板を見た覚えがあった河内駅に行ってみましたら、今もありました。

平成29年4月5日 山陽本線河内駅にて

河内(こうち)駅といってもご存知ないでしょう。山陽本線三原駅から広島方面に向かい、2番目、本郷駅の次が河内駅です。歴史は古く明治27年に山陽鉄道によって開業しています。現在は東広島市の東端にあたります。古レールを組んで作られた跨線橋があり、そこに「シティ電車」と書かれた看板が取り付けられています。そもそも「シティ電車」とは国鉄時代の昭和57年のダイヤ改正で広島・岩国間の電車が15分間隔で設定された際に「シティ電車」という愛称が使われたようです。その後昭和59年に広島・西条間と広島・呉間が30分間隔になり、61年には広島・岩国間が10分ヘッドへと増発されてゆきます。昭和62年にJR化されます。

一方 現在は東広島市ですが平成17年まではここは賀茂郡河内町でした(余談ながらこの賀茂郡と言う地名は 中世に京都の賀茂神社の荘園であったことに由来しています。賀茂川もあります)。従ってこの看板はJR発足後で、かつ平成17年以前に掲げられたことになります。現在広島から上り方面に西条止りは殆どなく 更に東の白市折り返しとなっています。白市駅が広島空港に最も近いJRの駅のためです。現在の広島空港の開港は平成5年10月ですから、シティ電車が西条折り返しから白市折り返しに延長されるのも平成5年以降です。看板に「延長を!」とあるのは 白市駅まで延びてきたシティ電車があと2駅延びれば河内駅だからです。しかしこの願いは実現していません。そんなことより、ひと昔も前の看板が今も掲げられていて 10年ほど時計が止まっているような感じがします。

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不正アクセスを検知しました。

4/5 11時追記:致命的なPHPエラー等が発生したため、一時的に当掲示板がアクセスできない状態になりました。
データベースやファイルを修復したところ復旧致しました。下記の不正アクセスとの関係は不明ですが、さらにファイアーウォールを見直すとともに、パスワードと管理権限を変更しました。

4/4 22時 本掲示板を設置しているレンタルサーバ業者より、迷惑メールの発信元として不正利用されているとの報告を受けました。サーバ内を調べたところ、不正なファイルの設置やファイル改竄などが行われていたため、当該ファイルを全て削除するとともに、海外からのSSH/FTP/SMTPアクセスを制限しました。
※掲示板記事への改変や不正投稿はされていない模様ですので、見た目は以前と変わりません。
※掲示板を見ることでウイルス感染したり、パソコンを乗っ取られることはありません。
※大量のファイル削除を行ったため、一部動作に問題が出ている可能性があります。何か動作上記になる点があれば、こちらの記事のコメント欄にて報告お願いします。

異形式連結電車ー3ー

扉の数やそのスタイルから明らかに異形式とわかるものを集めてみた。

南海特急サザンは座席指定のクロスシート車と一般の特別料金不要4扉ロングシート車を連結している。

2015.9.6 孝子 和歌山市行きサザン10904~7037 ▼

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異形式連結電車ー2ー

ステンレス車両同士や外観上見分けがつき難い異形式連結電車である。

2017.1.7 和泉多摩川 急行小田原行き 3465~1063 通常よく見られる小田急線のステンレス車同士の連結である。角張って人気のない3000形の後方4両はステンレスながらやや丸みを帯びた1000形である。▼

2015.10.26 南大沢-京王堀之内 準特急新宿行き7425~9756 車体横のコルゲートの有無で形式の違いがわかる ▼

2014.12.7 御影-岡本 特急梅田行き8035~7123 阪急電車は伝統のマルーンカラーで統一されているので見た目には異形式の連結は判別し難いが、編成表などを調べてみると結構ある。ラッシュ時の増結などでそのようなケースが生じるが撮影したこの編成は常時異形式連結のようである。▼

JR東E233+E231も見た目には判別し難いが写真は割愛する。

227系の功罪

広島地区に久方ぶりの新型車227系が投入されて、すっかり定着してきた感があります。中国新聞読者投稿欄にこんな一文がありました。

平成29年4月2日 中国新聞朝刊

私は広島市域から離れた場所に住んでいますので、ときどき広島に出かけるのに227系に当たるとラッキーと思い、115系が来るとガッカリという思いしかありませんでした。227系はMC+M+MCの3両編成かMC+M+M+MCの4両編成が基本だったと思います。一方115系はTC+M+M+TCの4両が基本ですから、改造車のクモハMC+M+TCの異端編成でない限り殆ど4両でした。なので227系投入でサービス低下を招いているのかもしれません。通勤時間帯の広島市域の実態を体験していませんが、この投稿者の言われる通りだろうと思います。

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 カラーで振り返る 昭和の気動車 -3-

キハ20系(2)

キハ20系での派生形式として、寒冷地向けのキハ21・22と、機関2台の強力型のキハ52がありました。当時走っていた多くのDCのなかで、1900生さんはキハ20系、とりわけキハ52が好き、とコメントをもらいましたが、私はキハ22が大好きでした。ドアが車端に寄ったうえ、窓が小さく、控え目ですっきりした側面、乗り込んでも急行型に遜色のない設備で、東北の北部、北海道でしか見られない希少性も憧れとなりました。
最北端に近い、利尻島を望む宗谷本線南稚内~抜海の海岸沿いを行くキハ22 307の338D、後部の運転室から顔を出す人物一人、よ~く見ると、なんとなく1年先輩のTさんに見える。この時は、“抜海現地闘争”と称して、DRFCメンバーの戦闘的な4人が、勝手に保線小屋に泊まり込んだのだったが、日和見会員(?)も日中には多くが参加して撮影会状態となったため、列車で移動を重ねていたのだった(昭和44年9月)。

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三江線 あと1年

木次線ツアーが来週に迫ってきて 天候や桜の開花が気になります。木次線の前後に三江線に足を延ばそうと思われている方もあるかもしれません。平成30年3月31日で廃止される三江線はあと1年の命です。夏頃には代替交通手段の計画がまとまるそうです。3月31日の中国新聞の記事をご紹介します。(サイズが大きいため上が少々切れました)

平成29年3月31日 中国新聞朝刊

三江線に限らず、木次線、姫新線、芸備線、福塩北線など伯備線以外は同じような状況にあります。今回の木次線ツアーはそれを実感する旅にもなると思います。

元米坂線39685号関連の展示コーナー

さいたま市中央区役所(与野本町駅より約350m)に永年保存され近年解体された同機の関連展示コーナーです。同市浦和区在住のクモハ73106東ウラさんが早速訪問されたのでその様子を報告させていただきます。DRFC-OB会クローバー会のtsurukameさんの貴重なカラー写真も並べられております。

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近江鉄道ハニ2

近江鉄道に蒸気動車があったとは知りませんでした。

異形式連結電車ー1ー

国鉄90系、後の101系以降の新性能電車は同一系列の車両で組成された長編成が基本であり、大手私鉄でも最近は8~10両(一部12両もある)の長編成が当たり前で中には中間に運転台のない固定編成も数多く見られる。ところで最近電車を撮影していると異なった形式で編成された列車を見ることがあり多少気にし始めた。特に鋼製車とステンレス車は異形式連結の典型であり編成美は崩れるがそれはそれで興味深いものがある。その一部を発表してみたい。なお、吊り掛けモーターの旧型電車の時代には元電動車を付随車化するなどして異形式を中間に挟んだり異形式電動車同士の編成も結構見られたがここでは新性能電車の異形式連結を中心にしたい。

まず、ステンレス車と鋼製車の連結である。小田急や名鉄等に数多く見られる。

2011.11.9 相模川橋梁を渡り厚木を通過する急行新宿行き5255~3559 5000形は既に消滅しており鋼製車は8000形が残っているだけである▼

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寒中北海道見聞録-半世紀前の旅 6号車

暖かい車内から北浜駅に降りると一段と寒さが身に沁みる。先ずはユースに向かうことにしました。今回の6号車はここからです。■ 寒い中のロケ

北浜付近(KAWANAKAの昔のアルバムの絵を流用)

ユースは原生花園YHという割と有名なユースらしいです(今は知りませんが)。また駅から近くまことに便利な立地です。ユースで一休みした後、数少ない列車を如何に効率よく多く撮るかということが大事やとなり、その結果、原動力を確保するために自転車を借りることになったのです。このことをペアレントのおばさんに言うと怪訝な顔をします。それでも小屋の中にあると教えてくれたのです。乗れるなら乗ってみろという感じでしょうか。呆れてものが言えんみたいです。雪の積もった中、小屋へ行ってみるとまともなのは1台きり。仕方ないので誰が乗る幸運を得るかということになりましたが、その幸運な人は西村氏に決まりました。結果論ではありますが断れば良かったのに。寒中の自転車はデジ青のネタにしかならなかったわけだからね。以下は西村氏の後悔の告白であります。

:::先ず、上りの貨物を1本撮って一旦ユースに引き返しました。何しろトーフツ湖は南極越冬隊訓練の場所に選ばれたくらいであるので、凄い寒さです。鼻毛は勿論、まつ毛(2号にもあったが眼の毛という意味)まで凍ってしまって息をすれば鼻の奥が痛く、瞬きをすると目がしょぼしょぼし、手袋も今回こそ何の役にも立たないのである。足は感覚がなくなっていく。次に下りの627レと上りの650D 、630Dを撮りに出たが最後の630レだけはどういう訳か小林センセはストーブの傍から動こうとされませんでした。なお断っておきますが写真は確かに北浜ですが2日にわたるロケのどちらの日の写真かは特定しません、悪しからず。ストーリーになりにくいので、イメージとしてご覧ください。

というわけで、自転車に乗ろう作戦は失敗になったのであります。その後、冬の北海道で自転車を走り回るというのは聞きたことはないですね。冬に行かれる皆様、参考になりましたでしょうか? 続きを読む

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -2-

昭和30年前後、前述のキハ10系に続いて、改良が加えられた新系列のDCが続々投入されることになります。当時の軽量客車の技術を採り入れて、車体断面を拡大の一般車として登場したのがキハ49000(のちのキハ20)でした。走行機器はキハ10系を踏襲しましたが、座席の構造や間隔も大幅に改善されて居住性が格段に向上しました。前回、キハ10系が前に停まれば“ハズレ”でしたが、キハ20系はその逆で“アタリ”でした。昭和32年に登場以来、キハ20系は、一般形DCの主力として、最終、昭和41年までに1126両が製造されることになります。日本一の積雪量を記録したこともある豪雪地帯の飯山線森宮野原付近を行くキハ20系(昭和47年2月)。

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凍える大地への旅 2016年 Part10 札幌市電を撮る その1

▲ 撮影日 1972年(昭和47年)9月6日 札幌の繁華街”すすきの”を行く札幌市電の834号連接車は、金魚鉢と呼ばれた阪神71形電車と同様の側面大型窓やパノラミックウインドーを採用した斬新な北欧調デザインの路面電車です。最近のスタイリッシュな低床式トラムと比べても遜色ない車両です。
私の最も大好きな車両でした。
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39685機の写真、さいたま市中央区役所に到着

先ごろ報告しました39685機の件、送付写真が印刷され、さいたま市中央区役所に展示されました。その様子を送って頂きましたので、ここに掲載させて頂きます。左側、上から2枚です。

 

 

保存蒸機39685と山形の鉄道その一部

さいたま市は浦和、大宮、岩槻、与野の各市が合併してできた政令指定都市であるが、保存機39685が展示されていたのはさいたま市中央区役所で、ここは元の与野市役所である。撮影は2013年4月26日である。

正面アップ ▼

 

後方俯瞰 ▼

 

左横 雨ざらしの展示で機関車の荒れが目立つ ▼

 

説明板 ▼

 

なお、さいたま市にはデジ青投稿や撮影旅行等でお世話になっておりますクモハ73-106東ウラさんが浦和区にお住まいです。

ところで山形地方は関西からは本当に遠くて行き難い所であったが、新幹線ができて便利になり特に東京からは日帰り圏である。このためtsurukameさんの投稿へのコメントで山形方面に出かけることが多くなったことを申し上げたがこの場を借りて山形方面での若干の拙写を見ていただこうと思う。

2016.2.2 雪の日の今泉駅 山形鉄道(元国鉄長井線)荒砥行きYR883とJR米坂線米沢行き1130Dキハ110-224 ▼

 

2014.6.25 初夏の今泉駅 坂町行き1129D キハ112-201+キハ111-201 左後方の山には残雪が見られる 冬場はこの駅からさらに豪雪地帯に入る勇気がない▼

 

2014.6.25 左沢線羽前金沢付近を行く寒河江行き1337D キハ101-5+キハ101-11 ▼

 

デジタル青信号は鉄道情報発信の始発駅

デジ青のシリーズもの特番記事に、準特急さんの『保存機とその現役時代』があります。昨年12月で37回にもなる長編連載記事です。今回その関連記事に、準特急さん以外の筆者が無断で割り込みます。お許しください。

実は去る3月7日、デジ青の管理人・小西さんを通じて、筆者宛にこんなメールが届きました。
発信者は、さいたま市中央区役所・区民生活部総務課・防災総務係の I さんです。曰く『デジタル青信号37606号、人と鉄道と-沿線の人々-に掲載の蒸気機関車39685の写真を使わせていただけないでしょうか。都市合併前の旧与野市時代、1972年から市役所東側に同機が保存されていましたが、老朽化が進み危険でもあり、この程解体されました。ついては同機を偲び市役所内に、39685機の写真、それも現役時代の写真を掲示しようと企画中です。』

早速返信を送りました。『何の制約もなく、ご自由にお使いください』と。それと、指摘の画像は同機が玉川口駅に進入するカラー写真(下の画像)で、他に山中の走行カラー(次ページの画像)とモノクロ写真がありますよと、筆者のホームページを紹介し、拡大印刷用に画像データをCDに焼いて送りましょうかとメールしました。すぐに返信が到着、『こちらからは何もできないがいただいてよろしいでしょうか』とありましたので、3月11日データを送りました。近い内に展示されることでしょう。
▼デジ青37606号の記事(2013年7月21日)内から、39685機の画像を再掲載します。

 

 

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