老人は向日町に転居後20年ばかり各地の電車めぐりを凍結した。その間、各地の小私鉄が廃止に追い込まれ寂しい思いに浸っていた。それを復活させたのは吉谷さんの一言であった。「電車の好きな君らしくない。ストレス解消には新しい電車仲間を作ることだ」と言って海外鉄道研究会と路面電車同好会への入会を勧められた。氏は1985年に亡くなったが翌年6月に海外鉄研に入会、再び電車にも目配りするようになった。
復活後、海外の電車見学に行くことが出来たが、日本のローカル線めぐりは遅々として進まなかった。その頃に野上電鉄と栗原電鉄が危ないことを知った。共に国や地方自治体の助成金で存続していたのが1993年には失効になり廃止されると報じられた。野上電鉄の調査をと思ったが、内情を知り中止とし「青信号63号:1994-10-1」に投稿、それで栗原電鉄訪問とした。出発は1994年8月12日、帰着は同月16日、実に35年ぶりであった。

35年前の電動車は健在であったが、当時の塗色は覚えていない


















