いよいよ今年の活動も終着駅へ

現役生の出展活動も、あとは同志社EVEを残すのみとなりました。活動を端から見守っている私自身が時の流れを速く感じるのですから、準備に当たっている会員も当然同じ思いを抱いていることでしょう。充実した活動ができている証拠ですね。

さて、今年の同志社EVEの概要を簡単にご紹介いたしましょう。

同志社EVE展示
日時:2014年11月26日(水)~28日(金)
10時30分~20時30分(ただし、28日(金)のみ18時30分まで)

場所:同志社大学今出川キャンパス良心館104番教室(良心館は先日のOB総会を行った建物です。)

出展内容:旅行班による展示、鉄道模型走行展示、写真展、青信号販売
その他、出展企画が盛り沢山。

デジ青をご覧の皆様のご来場を心よりお待ちしております。

同志社大学鉄道同好会
公式ホームページ:http://drfc.web.fc2.com/index.html
公式Facebook:https://www.facebook.com/doutetsuDRFC?fref=photo
公式Twitter:https://twitter.com/doutetsu_drfc

D50、D60磐梯山麓を駆ける-半世紀前-

前回投稿会津(滝ノ原)線撮影の翌日、磐越西線を訪れた時の記録です。この線区の機関車は、若松のD50、郡山のD60、それにD51、DF50と多彩でした。その内からD50、D60中心の写真です。

この日は好天で、残雪の磐梯山を終日眺めることができました。先ずは夜明けすぐの貨物。朝日を浴びてD50の登場。
▼貨1282レ 機D50369【若】磐越西線・翁島--更科信号場間 1965.5.5    10606
10606磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part10 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その3、5号線

DSC_935454▲ 18:14 暫定の5号線奥林中心站で発車を待つ白いトラム(015号車)。いずれ駅周辺が整備されれば、1・2号線と同じ場所でターミナルが建設されると思われます。沈阳の夏は東北らしく乾燥していますので蒸し暑い夏にはならず快適です。その代わり冬は積雪もあり、マイナス20℃前後にはなります。新設ターミナルは待合客のために暖房の効いた待合室の設置が欲しいところです。
撮影地 Google座標; 41.743909, 123.448214

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part9 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その2、1号線

DSC_923536▲ 1号線と3号線とまじ合う华茂中心の架線レスの広い交差点を渡る5連節車(023号車)。いつの日かスーパーキャパシタ搭載車が進化を遂げて全線でこういった光景が見える日も来るのでしょうね。今はまだ第一歩の実用段階と言ったところです。
当初の予想利用者数が元々上積みで達成は難しい地下鉄があります。これからの維持管理・保守にも多額の費用が必要で、負の建築遺産とも言われています。トラム建設の方が全てに便利でエコノミーでした。当初からトラムは都市交通には邪魔として計画が始まった都市計画自体に問題がありました。世界は既に見直しを終えて、新たなトラム活用を実施しています。
日本も遅れず、都市交通のあり方をもう一度考えて欲しいと願います。

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熊本電気鉄道の併用軌道

大津の86さんにリクエスト頂きました熊本電鉄の併用軌道を紹介させていただきます。
鹿児島の花電車の翌朝 熊本駅からJR815系2連の満員電車で上熊本へ行きました。
上熊本駅前に入ってきたのは切妻側を前にしたモハ5102Aでした。7時20分発の北熊本に乗車し北熊本でモハ6238A-6231Aの2連藤崎宮前行で黒髪町で下車 目的地へ向かいました。

↓ モハ5102A 上熊本駅前
熊本電鉄201410DSC_0637

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九州のたび(その3)

熊本で宿泊、3日目は撮影が中心となりました。前日に熊本都市圏の公共交通機関が1日乗れる、わくわく1dayパスを買っていたので7時過ぎにチェックアウトし、上熊本から熊本電鉄の「青ガエル」を撮影することにしました。上熊本の始発は7時20分と遅く、これで通勤通学に対応できるのでしょうか。この日は日曜日とあって上熊本から乗ったのは数人でした。5000形はケロロ軍曹のシールがべたべた貼られたものと、シールなしのもの各1両が運行していますが、来たのは残念ながらシール付の方、その上両運転台に改造され、切妻側を前にして走ったのでは興ざめです。IMG_0597k

↑上熊本駅付近で5000形

IMG_0615k

↑打越付近遠くに熊本城が見えます

打越で下車し、撮影しながら北熊本まで歩きました。北熊本ではシールの無い5000形と元南海22000系の200系、遠くにモハ71型を見ることが出来ました。 続きを読む

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part8 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その1、2号線

DSC_917732

▲ 13:51 美しい白い車体を折り曲げて交差点を90°曲がる3連接のトラム(012号車)、Z形パンタは下ろしての架線レス走行です。沈阳では広い道路が交わる交差点では架線レス、直進道路では中央を走りセンターポールにしています。こうすれば車高の高い大型トラックの走行に支障が出ません。またトラムが渡る交差点は架線が目立ち都市景観も損ないますが、これならスッキリと景観を守れます。スーパーキャパシタ活用の1つの例です。わずかな距離での架線レス走行ですが効果は大きく、都市交通でのトラム運行の成功例でしょう。
日本では長距離架線レス研究開発が進んでいますが、高価になるのは否めません。安価な簡易的採用でも十分に用は足します。
来年1月には台湾の高雄市でも同じ仕様での架線レストラムが運行されます。あえて欲ばりしないのも必要かと思いました。

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part7 沈阳地鉄、奉天地下鉄、奉天路面電車、沈阳有轨电车

DSC_897906▲ 11:42 沈阳トラム2号線に乗車して、瀋陽桃仙国際空港(沈阳桃仙国际机场)まで来ました。向かってくる白い車体色の3連接車トラムをご注目ください。Z形パンタは架線から離れてきています。この先からは架線はなく、充電池による架線レス走行となります。反対側の青い車体の5連節車トラムはZ形パンタを上げて加速していきます。これを可能にしたのはスーパーキャパシタと呼ばれる高電圧での急速充電・給電装置です。以前に天津開発区でトランスロールによる同じ一部の架線レス走行をご紹介しましたが、新しく敷設建設された沈阳トラムでは、全線各所で採用されての本格的な走行となりました。勿論、中国にはこれほど先進的な技術はなく、アルストム社からの技術供与のコピーです。運行もフランスRATP Devが3年間契約を締結しています。今回は、全線での乗り鉄、撮り鉄をして参りましたので詳細をご紹介させていただきます。 続きを読む

鶴見臨港鉄道の4扉車と仲間たち(模型)

2014年4月関三平先生のイラストで紹介された日本初の4扉車 鶴見臨港鉄道モハ220型とクハ260形は電装品が間に合わずサハとして使用され昭和18年国鉄に買収されたのち両形式ともクハとなりましたがモハにはなれなかったようで、イラストではクハ260形262とモハ220形の2連で描かれていますが、実際には実現しなかったようです。
今回の模型はモハ221とクハ262の2連で制作したものです。国鉄に買収されずに戦後鶴見臨港鉄道で電装され、その後地方の小私鉄に払い下げられたという想定です。
青森模型という小さなメーカーのキットを組み立てたものです。
↓ クハ262とモハ221
運転会201411DSC_0422

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置き換え進行中の南武線

9月7日デジ青[51006]「私の撮った南武線過去車両」の中で10月からのE233系8000番台の登場について触れた。総本家青信号特派員さんが、11月4日デジ青[53101]「秋は気ままな一人旅-5-」で上越線EF64牽引の甲種輸送列車新津製作所製造の南武線E233系8000番台をご披露いただいたこともあり、新旧南武線車両の近況を発表させていただく。E233系は10月に投入されたが見た感じでは11月中旬で20%くらいが置き換わった。横浜線の例では凡そ半年で置き換わっているので南武線205系、209系を記録されたい方はお早めに。

2014.11.4 府中本町~南多摩 10月から投入されたE233系8000番台 川崎行きクハE233-8004 後方にあるのは武蔵野貨物線▼s-14.11.4南多摩233-8004

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最後の飯山線狂化合宿とC56111

準特急先輩と、どですかでん先輩の飯山線狂化合宿の投稿を拝見して、私も飯山線狂化合宿の記憶をたどってみました。私が行ったのは昭和47年2月18日~21日やはり鹿渡館に宿泊しました。この年は雪が少なく、初日に替佐で撮影した時には日陰に残雪があるくらいで、上滝、横倉と進むほどに雪は多くなってきましたが、それでも豪雪地帯と聞いていたのとは程遠い風景でした。img480k

↑1972.2.20替佐にて
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珍説飯山雪合戦騒動 上境合戦の段

 準特急さんが飯山線越後鹿渡での狂化合宿のことを「保存蒸機とその現役時代(33)」で雪合戦の写真とともに述べられておられるのを読んで、私も1971年(昭和46年)の2月20日から22日にかけて行われた狂化合宿のことを思い出しました。この時に撮影したC56は111号機でありませんでした。しかし、この時の合宿で珍事というか、とんでもないことが起こったのであります。それは上境駅周辺で撮影していたのですが、列車が来るまで時間があったので例によって雪合戦を行ったのであります。ちょうど小高くなった小さい雪山があったので、上と下に分かれて雪合戦を行ったのです。その時のことが「青信号26号」に書かれてあるので引用いたします。ただし、今となっては不適切な表現があるので一部をカットさせていただきます。

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新幹線試作車

大学へ入った年(昭和39年)八月のこと、新幹線の試運転に乗せてやる、との連絡があり、喜び勇んで集合しました。確か、京都と米原への往復だったような記憶がありますがどうだったでしょうか?さすがDRFCと感心しましたが、乗ってみると家族連れや子供の団体などで満員でした。挙げ句の果ては、誰かが非常ボタンを押したとかで近江八幡付近で急停車!今から考えてもおもしろい試乗でした。
ちょうど50年前の出来事です。

新幹線試作車_NEW 新幹線試作車(文)_NEW

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part6 復州湾塩田ナローを撮る その4

DSC_883618 ▲ 14:35 復州湾ナロー鉄路五島運輸站路線にはもう1つのハイライトがありました。14基の橋脚に支えられた鉄橋です。本土側から海の中道へは1992年に建築された比較的新しいコンクリート橋でした。中国鉄路を撮影してきていつも戦前か中華人民共和国建国後かを判断する1つの基準として、鉄橋は戦前の日本統治下または列強各国が建築したもの、コンクリート橋は建国後だろうと思っています、そう考えるとこの鉄橋は日本統治下時代に大日本塩業㈱によって建築されたと思われます。ここまで塩田開発が進んでいたとは驚きです。今のように機械化はなかったでしょうから数千人もの作業員が塩の採取、製塩作業に従事していたのでしょうね。
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保存蒸機とその現役時代(33)

11月11日米手作市様より広島の保存蒸機C11189についてお問い合わせの投稿があり、そう言えば最近保存機今昔が途絶えているので久しぶりにデジ青へ投稿させていただく。11月9日のホームカミングデイには現役生を交えてOB会クローバー会の総会・大宴会が開催され盛況のうちに終了したが、その翌日、宝塚市にある雲雀ケ丘学園に保存されているC56111を訪ねてみた。この機関車は当時の当会恒例行事である冬季狂化合宿に参加するため飯山線列車に乗車した際に途中駅で撮影したものである。併せて狂化合宿の一端もこの場を借りてご報告したい。

C56111  1937年 三菱 製番211

新製後、門司、木次に配属されたようであるが、1955年飯山機関区に配属されてからは雪深い飯山線で活躍し、1973年に九州吉松機関区に転属し翌1974年に廃車された。

説明板には当学園の創立25周年(昭和50年)を記念し宝塚市と国鉄のご好意で永久保存するとあり、僚機がタイ、マレーに90両送られたこと、大半を長野県下で過ごしたこと、宮崎植樹祭でお召予備機になったこと等適切に書かれている。また、貴重な文化遺産であるから大事に保存したい旨書かれており、保存状態は極めて良好であった。

雲雀ケ丘学園に保存されているC56111 2014.11.10 ▼s-14.11.10雲雀ケ丘C56111-1

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part5 復州湾塩田ナローを撮る その3

第3日目 10月12日 その2

DSC_85022310:26 食後は五島運輸站に戻りこれからの運行状況を聞きますが、まだ指示が来ていない様子で確認できません。

作業車編成を牽引していた06号機が単機で待っています。

DSC_850624▲ 10:35 撮影地① Google座標; 39.469295, 121.483682
ダイヤが分からずとあれば、仕方がありません、一路順風!さんが撮りたいが、今まで列車が来ず撮れなかったといわれる第5~7塩場への路線が俯瞰できる道路橋上に向かいました。道路脇に車を停めて、いつかは来るであろうソルトトレインをひたすら我慢の待ちです。
確かに第8塩場の海の中道を俯瞰できる小高い丘と同様に待つに値する絶景の撮影地です。強風を避けるために車の中でお昼寝しながら待機します。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part4 復州湾塩田ナローを撮る その2

DSC_8450_1▲ 8:27 塩田から採取された塩山が連なる横を第8塩場へと向かう作業車編成。今朝は青空が見えていますが、風が半端ではありません。日本に上陸した台風の影響をこんな離れたところでも受けて、風速20m以上はあります。塩の海も荒れて、塩田には珍しい波の花が舞っています。今日は強風との戦いになりそうです。
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「中朝鉄路 写真紀行」のご紹介

日朝鉄路_小竹直人昨日、Amazonより予約しておいた1冊の本が届きました。
いつも訪中される時にはお誘いいただいております中国鉄路の第一人者の小竹直人先生の「中朝鉄路 写真紀行」です。

内容は題名の通り、日本統治下時代に中国と北朝鮮の間に架けられた国境の橋7本の紹介です。
長年に渡っての中国側から現地取材を重ねられた集大成が掲載されています。7本の鉄橋は1本、1本に分けて建設と目的、その後の経緯、そして現状が幅広い視点から書かれています。

取材旅行の何回かは私も同行させていただき、デジ青に掲載させていただきました。それだけに思い出すものが多く、一気に読み上げました。さすがプロです。私の掲載した記事とは一味も二味も違っての卓越したものがあって、また勉強になりました。

今年末からもご同行させていただき急激な変化を遂げていく中朝国境を結ぶ鉄路を訪問予定です。またご紹介させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part3 復州湾塩田ナローを撮る その1 五島運輸路線

DSC_82850915【復州湾塩場ナロー鉄路・大連塩化集団
大連からは車で約2時間余り、北約90キロにある遼東半島西岸の復州湾一帯は、温帯大陸性季節風気候に属し、年平均気温は10℃、平均年間降雨量は687mm、年間日照時間は2600時間、年間無霜期間は190日です。冬は厳寒がなく、夏も酷暑がなく、古くから汚染なしの海にめぐまれて品質が高い塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。
日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業(大日本塩業㈱)の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
大日本塩業㈱は、天日製塩のために広大な塩田を造り、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道を敷設しました。最盛期には総延長約100キロにもなったそうです。機関車は当初からDLで今も改造を受けながら現役使用されています。小さな木造トロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。
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C11、大川(阿賀野川)を渡る-半世紀前-

1965年5月の会津(滝ノ原)線です。
山間が少し開けた南会津の楢原から北に、弥五島、湯野上、桑原へと、大川(阿賀野川、国土地理院も四文字にしたり、阿賀川と三文字にしたり、いい加減)の橋梁を渡るC11を順に撮影しました。桑原まで凡そ13km、谷合の区間です。

この内、湯野上から少し北、桑原までの中間付近から舟子あたりまで、大川ダムの建設が進み(1988年運用開始)若郷湖となり、撮影した一部区間は水没してしまいました(後図参照)。先ずは弥五島の北、第五橋梁から。

▼第五大川橋梁 貨客混合332レ 機C11 弥五島間-湯野上間 1965.5.4       10421

10421次は湯野上の手前、第4大川橋梁です。天気は良くなかったのですが、日中8本程の旅客、貨客混合に貨物列車と結構な列車に会いました。左手が弥五島方向、右手が湯野上方向。
▼第四大川橋梁 客334レ 機C11 同上区間 同日     C1104

C1104 続きを読む