▲ 11:42 沈阳トラム2号線に乗車して、瀋陽桃仙国際空港(沈阳桃仙国际机场)まで来ました。向かってくる白い車体色の3連接車トラムをご注目ください。Z形パンタは架線から離れてきています。この先からは架線はなく、充電池による架線レス走行となります。反対側の青い車体の5連節車トラムはZ形パンタを上げて加速していきます。これを可能にしたのはスーパーキャパシタと呼ばれる高電圧での急速充電・給電装置です。以前に天津開発区でトランスロールによる同じ一部の架線レス走行をご紹介しましたが、新しく敷設建設された沈阳トラムでは、全線各所で採用されての本格的な走行となりました。勿論、中国にはこれほど先進的な技術はなく、アルストム社からの技術供与のコピーです。運行もフランスRATP Devが3年間契約を締結しています。今回は、全線での乗り鉄、撮り鉄をして参りましたので詳細をご紹介させていただきます。
第5日目 10月14日 その1
9:30 今日は4日間の疲れを取ってからゆっくりの出発です。
宿泊ホテル直ぐの1号線中街から途中2号線に乗換えて奥体中心へと参ります。ここで地上に上がってトラムに乗換えます。▲ 沈阳地鉄の路線図です。沈阳地鉄は、日本統治下の奉天と呼ばれた時代の1940年に、大阪市交通局に依頼して地下鉄建設計画を立てられたのが始まりです。
【奉天地下鉄】
朝鮮からの鉄道が開通し日満を結ぶ重要拠点となった奉天には人口流入が進み人口約78万人になり、新たなる交通手段として地下鉄建設が提案されました。委託された大阪市交通局によって計画は出来上がり、着工を待つばかりとなった1941年12月に太平洋戦争が勃発、直ぐに資材は戦争に取られ、建設は始まらずとなりました。1953年までにはDC750V、第3軌条方式、1435㎜ゲージ、4路線54.1キロ、その後も2路線が開業予定でした。
そして1945年の日本敗戦となり、中国は内戦、朝鮮戦争介入へと進み地下鉄建設は消えていきました。
【沈阳地鉄】
1949年10月1日の中華人民共和国建国後、防空対策として地鉄建設は再開されましたが、文化大革命により中止となります。その後も何度も工事再開が試みられましたが、崩れやすい地質での工事の難しさ、技術・資金不足等で中々進まずでした。
一方、沈阳市は爆発的な人口流入が進み、2013年には人口約826万人となっていく中国東北最大の中心都市となっていきます。慢性的な交通渋滞に悩まされ地下鉄建設が急務となってきました。そして遡る1998年に11路線約400キロの地鉄建設が再提案され、2005年11月18日にようやく本格的な掘削工事が始まり出しました。
2010年9月27日に東北地方初めての地鉄として1号線(十三号街~黎明广场、27.8キロ)が開業、続いて2011年12月30日に2号線(三台子~全运路、21.3キロ)が開業し、市内を十文字形に貫きました。1号線市内中心部は、かつて大阪市交通局が提案した通りのほぼ同じ路線を走ります。
2013年12月30日には2号線が桃仙机场方向に延伸(航空航天大学~三台子間5.3キロ)されました。幾度かの挫折を経ての総延長は、54.4キロとなっています。
投入された車両は、中国地鉄標準B2形(DKZ17型)6両編成(3M3T)です。1号線は、中国北车长春轨道客车股份有限公司製造の17編成と中国北车大连机车车辆有限公司製造の6編成、2号線には中国南车青岛四方机车车辆股份有限公司製造の20編成。
全車共、DC1500Vの架線集電方式、車両長19m、車幅2,800㎜、高さ3,800㎜、最高営業速度80km/hです。
▲ 9:41 かつての奉天城内にある中街歩行者天国の朝です。休日や夕刻になりますと家族連れ、カップル等若者たちで賑わいます。この地下にある地鉄中街站からの乗車です。
▲ 朱赤を基調にした広いB1コンコース。カメラバックをX線検査器に通してからの入場です。
▲ 10:03 ラッシュを過ぎましたがほぼ満員の乗車です。
1号線と2号線が交差する青年大街で乗り換えます。
▲ 10:20 乗換を含めて約20分で奥体中心に到着しました。
站内は駅名通り、奥体(オリンピック)を表す五輪模様の照明で彩られています。
▲ 10:25 地上に上がるとまばゆいばかりの空の下、駅前屋台が連なっていました。
▲ 気に入ったのが香肉蛋堡、香肉とは狗肉ではあるが何だか違いそうです。今川焼(ござ候)と同じ大きさの金型に小麦粉を溶いた生地を流し込み卵を割って乗せます。焼けた頃に裏返して肉のミンチを乗せて火が通ると上にまた生地を流し入れます。表面が固まって来れば裏返します。こうして両面がこんがり焼けたらミンチ肉と卵の中華風”堡(バーガー)”の完成です。美味しくいただきました。どこかでも食べましたが覚えていません。どこが発祥の地なのでしょうか。
▲ こちらは中国のどこでも見かける焼き芋屋さん、後方の緑のワゴンはサンドイッチやホットドック等のできあいを売っていました。バイクTaxiも待機と駅前に見られる光景です。
▲ 窯というよりもデカイ壺と言った方がいい窯に炭を入れて、羊串も焼いていました。こちらもゲットです。
こちらは何やら広げて小物を売っていました。孫の土産に何かないかと見てみました。
▲ 一目でバチモノと分かりますが、よくできてはいます。さすがコピーとパクリの国です。サンリオの担当者が偽物摘発に回っていますが、これだけ種類があると頭を抱えるでしょうね。
▲ 10:35 さて路面電車の乗り場は何処にあるのかと見渡しますが姿は見えません。必死で探しますと「乗有轨电车前方200米」の案内標識を見つけました。
▲ 中々スタイリシュな正面です。さすがフランス生まれだけあります。しかしホームがありません。なぜここに止まっているのか見上げるとここだけ架線があります。充電中でした。前面には目線に2号線との表示があります。
▲ 乗降電停はまだ先の交差点手前に位置していました。5連節車が向かいました。
▲ 電停に着いた白い車体は3連接車です。こちらも中々のフォルムです。1号線との表示です。
取りあえずは直ぐに発車する2号線の青いトラム乗車して終点までの乗り鉄を楽しむ事にしました。
地鉄で使用しているICカードが使えそうです。タッチして支払完了です。運賃は2元(約33円)でした。
▲ 車内に掲示されていた路線図です。この電停(兴隆大奥莱)からは1号線と2号線が発着して、途中(新松智慧园)で分岐して会展中心(1号線)と桃仙机场(2号線)へと向かいます。
【奉天路面電車】
奉天に路面電車が敷設され出したのは1924年3月、翌1925年10月には怀远门(大西門)~太清宫~小西边门(小西門)が完成しました。当時、小西边门には満鉄奉山線(奉天~山海関)の起点、瀋陽総站がありました。瀋陽総站と奉天站をつなぐ狙いもあったようです。
1925年11月に小西边门~西塔段が延伸され、1926年には奉天站から小西边门(瀋陽総站)までがつながり、路面電車が運行されました。それまでに日中合弁の馬車鉄道があったようですが詳細は不明です。
1930年には第2期計画として小西边门~大北门の支線が開通します。1931年満州事変が勃発し、市民の奉天脱出が相次ぎました。
乗客は1930年の約310万人から約191万人に半減となりましたが、直ぐに盛り返し、1933年には元に戻りました。
1934年には倍増となり、以降も増え続けて市民の足となっていきました。
最盛期には6路線18.7キロの営業でした。
※ 表で”--”になっておりますのは資料が探せず不明です。地図は1939年2月発行を参考にしています。
【沈阳路面電車・戦後】
1945年の日本敗戦後、沈阳は国民党軍と共産党軍との内戦に巻き込まれ運行に大損害を受けます。1946年1月12日には全市停電により有轨电车は停止。一旦運行再開なりましたが1947年11月国民党軍惨敗の混乱によって、当時の6系統全路線24.6キロが運行停止となりました。しかし懸命の復旧作業が続き、その後の1948年12月12日には6系統全路線の復旧がなりました。
中華人民共和国建国後の1949年10月1日での保有台数は170両と全国一を誇りましたが、ここでトロリ-バスが登場します。軌道は剥がされて天津が辿った道と同様に1974年8月1日に終焉を迎えました。
【沈阳有轨电车】
2011年12月、市内中心部から離れて流れる浑河の南側、浑南新区開発インフラとして有轨电车採用が決定し、5系統総延長60キロ(平均駅間;820m)の建設が始まりました。
そして2013年8月15日に1号線(兴隆大奥莱-会展中心、18.7キロ)、2号線(兴隆大奥莱-桃仙机场、15キロ)、5号線(奥体中心-沈抚新城)21.1キロの系統営業距離計54.8キロが同時開業しました。3号線(世纪大厦-会展中心、15.1キロ)も調整中で、続いて開業予定です。以降も7路線がルート調査中ですが総延長は139キロとなり路面電車のネットワークが形成されます。建設場所が違ってはいますが、中国計算では40年ぶりの路面電車の復活がなりました。
車両は、車両長34.8m、定員368人、100%低床車の5連節車と、車両長28.8m、定員301人、70%の3連接車の2タイプが投入されました。営業最高速度はどちらも70km/hです。
トラム建設費は地下鉄の1/4~1/8、建設期間は1/2~1/4、車両寿命は3倍、おまけに汚染ガスで悩む中国としては排気ガスを出さずエコとの理由で、現在中国の各省市において建設計画が立て続いています。
完成しますと総延長は4,000キロを越え、数100ものトラム路線となります。高速鉄道がそうであったように驚くべき速さで開業していきます。今回の沈阳トラム路線はその試金石となるのは当然で、2タイプの車両とスーパーキャパシタ採用は大いに研究されて進化した形で採用されていくと思われます。
日本でも鉄道総研のHi-Tram、近畿車両のameriTRAM、川崎重工業のSWIMOと研究が進んでいますが、長距離実用実験としては遅れをとった感が否めません。これからが勝負です。技術大国日本に恥じないテクノロジーを発揮してもらいたいものです。
前置きが長くなりましたが、これより乗車記を投稿させていただきます。 Part8に続く