奈良県立図書情報館に行ったとき、「鉄道絵葉書の世界」のパンフレットが目にとまりました。天理大学付属天理参考館の第66回企画展で7月4日から8月12日までおこなっているそうです。パンフレットによると今回展示される資料は明治から昭和にかけてのものだそうです。詳しくは天理参考館のホームページをご覧ください。これによりますと展示資料はすべて天理参考館の収蔵品だそうです。鉄道模型走行実演もあるようです。ただし、運転日不定期ですので注意してください。写真に写っている案内チラシもPDFで見ることが出来ます。チラシだけではさびしいですのであやしい電気機関車の模型もついでに・・・ OBの方でこれについてご存知の方もおられると思います。なにせ、現役の時、だれかさんから作りかけの車体をいただいて、ありあわせのもので作ったものです。
富山で63スタイル2台で2題
大津の86さんのアメリカ土産話に圧倒されています。63スタイル話も意外な展開を見せ本来、戦時中の「ないない」づくしの中、如何に節約してものを作りだすかに英知を集約した話、これが標準型となっ事など現代人には信じられない話であろう。かく言う老人も気付いたのは終戦の翌年であり、これが国鉄→JRの標準スタイルになるとは夢にも思わなかった。
老人は1961年4月3日から1963年9月14日まで生活の基盤を富山県西砺波郡福岡町(現高岡市)に置いた。最初の半年、隔週毎に富山に出るのが楽しみであった。もちろん富山地方鉄道訪問で当時、立山線と言っていた現上滝線で145、146号と名付けられた2台の63スタイルの制御車が走っていた。さっそく南富山車庫にお邪魔して来歴をお尋ねしたところ、北陸本線直江津駅から浜辺に至る専用線で戦時中使用されていたもので、終戦と共に当線に「配給」を受けたものだとの返事が返って来た。恐らく信越化学の工場引き込み線だったのであろう。1957年9月、熊本電鉄で63スタイルの木造車を見ており、国電より一早く木造で食パンスタイルが「ないないづくし時代」に作られたことに衝撃を受けた。また京阪電車守口車庫のお邪魔虫であった1959年秋、戦時下の車両統制会から、京津線20型6両の車両鋼体化を木造車体とするなら許可する、との簡単な図面を見付け出していた。
こうした下地があったので、昭和19年新潟鉄工所製造だと言うので、木造車体で製作されたものを鋼体化したのかと尋ねたら、以外や鋼製車体で当社に廻送されて来たとの返事だった。ただし台車が貨車用TR26でした、との話には当車が製作された当時、人を人間扱いしなかった一部の階層がいた事に憤りを覚えた。転入当時、附随客車ハフ11,12として立山線に配置され、その後に電気配線と天井整備の上、蓄電池による電灯を設け、更に座席を新たに整備して走らせたとの話であった。これがクハ140形145、146号になったのは1951年のことで、乗務員扉を付け内装も当社の標準並みとしたとの事。その後台車は国鉄中古品の払い下げを受けたが、2両同型ではない。1961年5月撮影の姿を紹介しよう。
以上がクハ140形145、146の2台で1題目。次は話だけの2題目。1962年初夏、電鉄富山駅で客用扉が両開き3か所の片運制御車が目に入った。両端切妻で窓配置から言えば京阪2000形3期車(2025~)同系である。さっそく何物ぞと、南富山車庫に聞きに行った。越中鉄道の戦前増備車は5001系に取り替えられた後、立山線配置となった。その11.5m級のクハ101,102号を当時、本線クハ120形の車体延長工事を発注していた富士重工に送り込み、部材一部流用で18.5m級の制御車に仕立て上げたものだと教えられた。理由は高度経済成長時代を迎え、朝ラッシュ時の上市→稲荷町間救済のために145,146号の3扉に眼を付け、両開き扉にしたのが新車91,92号なのだ、とのお話であった。稲荷町から一駅南、立山線不二越間の朝ラッシュ時は、不二越工業を始め工場地帯で、稲荷町-不二越間には本線接続の出勤日のみ運転の臨時列車が、モニ6570形単行で運転されていた。座席は取り外されていた。クハ90形の写真は38豪雪で焼失、従って2題目は尻切れトンボで御免。
アメリカ鉄道のたび(その4)デンバー2
この博物館はデンバー郊外のゴールデンという町にあります。前回の投稿で紹介したRTDのトリッププランナーに出ており、デンバーのダウンタウンからは直通はないものの、1度乗り換えるだけで、約1時間でいけるバス路線があります。これはいいと時刻を見るとなんと土日は運休になっています。距離が結構あってタクシーでいくらかかるか心配だったのですが、デンバー近郊タクシー料金検索と言うサイトを発見、検索すると$32とのこと、これならまあいいかとダウンタウンからタクシーで出かけることにしました。
全国安全週間のポスタ-
サハ78
5月21日【20523】「モハ63形→クモハ73形」に引き続き、同一グループの「サハ78形」について解説する。
サハ78形はモハ63形の付随車として作られた車両である。戦争末期の昭和19年に14両のモハ63形(63001~014)と共に8両(78001~008)新製された。モハ63形は電装品不足のため全車両「サモハ63形」で落成し、その後も電装されず、最終的にサハ78形3両(78304、306、310)とクハ79形11両(79100、102、104、106、108、110、112、216、242、244、246)になった。
折角新製したサハ78形であるが、翌年4月に001、003、004の3両が戦災で焼失してしまい復旧されることなく廃車になった。
昭和19年から20年にかけて、横須賀線のサロハ66形とサロ45形を、4扉に改造してサハ78形に編入する工事が実施され、サロハ66形は15両全車改造され、78009~023となったが、サロ45形は11両全車改造されて024~034となる予定が、5両が2等車として残されることになったため、025、026、028、029、033が欠番となった。改造車グループも戦災で013、014、019、022、031、032、034の7両が焼失した。
戦後の混乱期を乗り切るため、モハ63形と共にサハ78形も新製されることになり、昭和20年から23年にかけて133両作られ、100番台に番号区分され78100~239(203~209欠番)となった。200~202の3両はジュラルミン製(通称ジュラ電)であった。
桜木町事件後、緊急に車体整備が実施されたが、モハ63形のような改番はされず、戦災廃車による欠番もそのままであった。その際、未電装のサモハ63形96両を正式にサハ78形に編入し、300番台に番号区分して78300~395とする予定であったが、大部分の車両が運転台を取り付けてクハ79100番台に編入された。サハ78となったのは20両に留り、欠番が多数発生した。サハ78形編入車の車号は304、306、310、324、330、335、337、338、339、352、358、363、368、372、375、378、380、385、389、395の20両である。
モハ63形→クモハ73形の時と同様、代表的な車両についてのみ写真で紹介する。後年トイレ取り付けにより車号が変更された車両、モハ72の電装解除によりサハ78形に編入された車両については後日報告する。
サハ78008/昭和19年10月田中車輌製、新製時東神奈川に配置、24年8月宮原、26,年11月下十条、その後仙石線に行き47年2月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化、ベンチレータをグロベンから押込形への取り換えが行われた。49年10月廃車。(48-4-30 仙石線下馬)

サハ78010/昭和6年2月川崎車輌でサロハ66002として新製。20年1月大井工場で4扉化の上、現車号になり東神奈川へ、24年8月宮原、同年9月津田沼、40年4月淀川、同年9月明石、43年10月鳳、49年3月房総電化で津田沼、50年2月廃車。 (上:42-12-7尼崎 下:48-11-3 杉本町)

サハ78012/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66004として新製。20年4月大井工場で4扉化の上、現車号になり津田沼へ、40年4月淀川、49年8月廃車。(48-6-17 住道)

サハ78015/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66007として新製。19年12月大井工場で4扉化の上、現車号になり蒲田へ、25年1月宮原、26年11月蒲田、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、52年4月廃車。(47-5-1 沼津)
サハ78016/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66008として新製。20年2月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、40年10月鳳、49年4月房総電化で津田沼へ、50年2月廃車。(49-1-5 杉本町)
サハ78017/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66009として新製。20年2月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、24年8月明石、25年9月淀川、29年3月宮原、32年9月高槻、35年8月淀川、35年9月岡山、38年11月明石、39年9月岡山、41年8月明石、44年9月松戸、48年2月廃車。(上:40-8-18宇野 下:41-10-11京都)

岡山区在籍時は、17mのサハ17も混じった2.3.4扉、クロス、ロングシートの凄まじい混合編成で、山陽本線の三石~三原間と宇野線のローカルに使用されていた。
サハ78021/昭和7年3月川崎車輌でサロハ66013として新製。20年1月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、40年12月鳳、49年3月房総電化で津田沼へ、50年4月廃車。(48-11-3 杉本町)

サハ78023/昭和6年3月田中車輌でサロ45002として新製。12年3月大井工場でサロハ66015に改造、19年10月大井工場で4扉化の上、現車号になり三鷹へ、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年10月廃車。(49-4-27 沼津)

サハ78030/昭和6年5月田中車輌でサロ45009として新製。19年7月大井工場で4扉化の上、現車号になり三鷹へ、24年8月明石、25年9月淀川、26年11月蒲田、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年9月廃車。(上:43-4-6 沼津 下:49-4-27 沼津)

サハ78106/昭和21年6月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年10月廃車。(49-4-27 沼津)

サハ78109/昭和21年8月近畿車輌で新製。南浦和に配置、46年1月淀川へ、51年10月廃車。(48-7-1 住道)

サハ78113/昭和22年8月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年7月呉線電化で松戸から広島へ、転属時に幡生工場でトイレ設置、46年9月広島工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化、51年4月御殿場線用として沼津へ転属、55年1月廃車。沼津配置の63系サハ78のトイレ設置車は450番台に改番されていたが、広島では改番はされず統一性はなかった。(上:48-1-28 広島 下:52-2-11 沼津)


サハ78119/昭和22年4月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年7月呉線電化で松戸から広島へ、47年1月広島工場でアコモ改善工事で窓の2段サッシ化とトイレ設置、51年4月御殿場線用として沼津へ転属、55年3月廃車。(48-1-28 広島)

サハ78126/昭和21年12月近畿車輌で新製。南浦和に配置、45年12月淀川へ、51年11月廃車。(48-3-21 住道)

サハ78156/昭和22年7月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年4月仙石線へ、46年5月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化とベンチレーターの取り換え。55年5月廃車。(48-4-30 仙石線下馬)

サハ78163/昭和22年8月近畿車輌で新製。蒲田に配置、41年8月高槻へ、50年1月廃車。(49-2-1 大阪)

サハ78167/昭和22年9月近畿車輌で新製。東京地区配置、54年10月東神奈川で廃車。(47-5-1 東神奈川)

サハ78180/昭和22年11月近畿車輌で新製。蒲田に配置、41年9月高槻へ、50年6月廃車。(47-1-20 大阪)

サハ78216/昭和24年2月近畿車輌で新製。東京地区配置、46年12月大井工場でも改善工事で窓の2段アルミサッシ化、青梅線、五日市線で使用後、52年11月豊田で廃車。(50-3-23 拝島)

サハ78237/昭和24年5月川崎車輌で新製。南浦和配置、46年1月淀川へ、51年4月廃車。(47-11-19 住道)

サハ78310/昭和19年12月田中車輌でサモハ63011として新製。昭和26年12月大井工場で乗務員室を撤去して現車号に、東京地区配置後、45年12月松戸から淀川へ、51年4月廃車。サモハからの改造車は扉の開き方が異なる。オリジナル車は← ← → →と開くのに対し、4枚とも同一方向に開く。(49-3-23 住道)

サハ78368/昭和21年12月近畿車輌でサモハ63346として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置後、仙石線へ、46年12月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化ベンチレーターの取り換え、54年8月廃車。(48-4-30 仙石線下馬)

サハ78375/昭和21年9月川崎車輌でサモハ63370として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置後、46年2月南浦和から淀川へ、52年2月廃車。(49-3-23 住道)

サハ78380/昭和21年10月川崎車輌でサモハ63380として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置、青梅線、五日市線で使用後、51年12月豊田で廃車。(50-3-23拝島)

伊予鉄での出会い
いささか古い話で恐縮であるが、昨年末、趣味仲間と車で一畑、伊予鉄、琴電等を訪問したのでその中で伊予鉄との出会いについて報告したい。その時の最大の目的は一つには1963年、1964年にローレル賞を連続受賞した井の頭線3000系、京王線5000系の生き残りを並べて撮ること、もう一つは京都市電であった2000形を撮ることであった。
2011年12月3日伯備線、4日一畑、琴電を撮影後、松山市内勝山町のホテルに投宿。道後温泉も行かずにホテル前で三脚を立てて市内線電車の夜間撮影を試みたが、結局元京都市電は現れなかった。翌日も早朝からねばってみたが、ラッシュアワーに重なったのか2003、2005、2006に出会うことができた。正面の前照灯が2灯から1灯となり、多少面構えが変わっていたが、全体の面影は残っており懐かしい感じがした。JTBキャンブックス「京都市電が走った街今昔」(沖中忠順著、福田静二編)によると京都市電2000形は1964、65年に6両が登場し、1両は保存、5両は伊予鉄市内線で旧番号のまま冷房化の上、活躍中とある。2003、2005、2006の京都時代の同番号の2000形はないものかとネガを探してみたが残念ながら全くなく、唯一、卒業前の1969年2月の雪の降る日に京都駅近くで後姿を撮った2002があったので掲載する。

2012.12.5 勝山町 2003↑

2012.12.5 大手町2006↑

1969.2.28 京都駅近くの烏丸通と思われるあたり2002↑
元京王3000系、5000系の出会いであるが、当日の運行状況から大手町駅で離合することがわかったので光線状態を考えて同駅の松山市駅側に陣取る。時間になりやって来たのは横河原行きクハ3506(元井の頭線クハ3775)で高浜行き後部のクハ765(元京王線クハ5777⇒クハ5857)と並んだところをキャッチ。朝陽に輝く出会いはよかったが、朝の斜め光線は架線や電柱の影の処理が難しい。それに元京王5000系自身いつまで残るのか予断を許さない時期に入ってきたように思う。古い写真は1968年5月27日聖蹟桜ヶ丘を出て多摩川橋梁に向かう京王八王子~調布間の各駅停車デハ5107+クハ5857吊りかけ車で松の木の影になっている後ろの車両が伊予鉄クハ765になるクハ5857である。新しい写真は2008年11月16日井の頭公園駅に進入する急行運用に入ったクハ3775で現在の伊予鉄クハ3506である。伊予鉄の3000系は譲渡に際し、VVVF化されて井の頭線時代よりも性能のグレードアップ化がなされている。京王線と井の頭線は明大前駅で上下交差しているが、路線の生い立ちやゲージの違いによりお互いが同じ会社の車両でありながら顔を会わせることはない。もっとも井の頭線の1800、1700、1710、1400、1200等は改軌して京王線に転属していった時代がある。その一部も伊予鉄に譲渡されており、京王と伊予鉄は縁の深い関係がある。本年5月1日に彩流社という出版社から発行された「京王線、井の頭線昭和の記録」の編著者三好好三さんは井の頭線と京王線の接点という項目の中で伊予鉄の同じ線路を走る元京王3000系、5000系のことを「本家でも実現しなかった夢の競演である」と述べられている。譲渡車両の今昔を記録してみたが、同じ車両を対比することは大変興味深いものがあり、私のような老人ファンならではの楽しみである。

2012.12.5 大手町横河原行きクハ3506と高浜行き後部クハ765↑

1968.5.27 聖蹟桜ヶ丘~中河原 デハ5107+クハ5857↑
2008.11.16 井の頭公園 3775先頭急行渋谷行き↓

名鉄モ400
アメリカ鉄道のたび(その3)デンバー1
デンバーを訪れた一番の目的はビッグボーイのあるフォーニー博物館に行くことだったのですが、数年前に博物館が改築されて、ビッグボーイは室内展示になり、写真が撮りにくくなったということを聞いていました。ただ、デンバーにはトラムも走り、郊外にはグースが走るコロラド博物館などの見所があります。2泊して駆け足でしたがこれらを回りました。
関三平先生とはこんな人!
岳南鉄道の機関車

デキ1+デキ2 (43-4-6) 岳南江尾
HPを開けると飯田線119系に変わって、3月16日で運行を終了した岳南鉄道の電気機関車と貨物列車の名場面が表示されるようになった。
最後まで残った機関車は、元松本電鉄のED402、403、元上田温泉電軌→三河鉄道→名鉄のED501、休車の元豊川鉄道→国鉄のED291の4両である。製造年の新しいED402、403は工事用に残るかも知れないが、古いED501とED291は稼働する機会は少ないと思われるが、由緒ある機関車であり是非残していただきたい。
岳南鉄道に足跡を残した機関車を入線順に紹介する。但し、昭和24年11月、開業時に駿豆鉄道から譲り受けた元国鉄アプト式電機のED4012、ED4013と26年5月駿豆鉄道から譲り受けた木製電機デキ3は廃車時期が早く写真が無いため割愛した。
デキ1・2(形式デキ1)
昭和27年3月、国鉄から譲り受けた、昭和2年ドイツA.E.G社製のB型機。当初は宇部電気鉄道のデキ1、2として誕生し、宇部鉄道との合併により同社のデキ1、2、18年5月鉄道省に買収されたが車号は変わらなかった。44年9月架線電圧1500Ⅴ昇圧時に廃車となった。/上:(43-4-6) 岳南江尾、下:(44-8-30) 岳南富士岡

ED301(形式ED3000)
昭和28年帝国車両製の唯一の自社発注の新製機である。屋根の庇がデッキまで伸びた独特のスタイルであったが、出力が80KW×4と弱かったため、48年に廃車となった。当初はED3011を名乗っていたが、後日ED301に改番された。/(49-2-17) 岳南富士岡

ED291(形式ED29)
昭和34年、国鉄から譲り受けた。昭和2年日本車輌製(電気機器は東洋電機)で、飯田線豊橋~大海間の前身豊川鉄道デキ52として誕生。鉄道省買収後、27年の改番でED291となり、34年3月廃車となった。かなり以前から休車中であったが、昨年再塗装され、外観は綺麗になった。/上:(43-4-6) 比奈、下/(49-2-17 比奈)


ED321(形式ED32)
昭和35年国鉄から譲り受けた。昭和2年三菱電機製で、飯田線辰野~天竜峡間の前身伊那電気鉄道デキ10として誕生。鉄道省買収後、27年の改番でED321となり、35年廃車となった。昭和51年水害で岳南江尾に取り残されて以来、留置されたままであったが、63年10月廃車になり解体された。/(44-8-30) 比奈

ED311(形式ED31)
昭和42年3月、伊豆箱根鉄道から譲り受けた。書類上は昭和28年西武鉄道所沢工場製であるが、前歴を遡ると旧国鉄アプト式電機ED4011に辿り着く。22年伊豆箱根鉄道の前身の駿豆鉄道が譲り受け、28年西武鉄道所沢工場で大改造して、機器、台車を取り替え、普通のB-B型になり、アプト式時代の面影は僅かに車体に残るのみとなった。42年3月に入線したが、5年後の47年廃車になった。 /(43-4-6) 吉原

ED281(形式ED28)
昭和44年8月、小田急から譲り受けた。昭和5年川崎造船所製で元小田急101として作られ、東急合併後デキ1021に改番された。側面の丸窓が特徴で、戦前では吉野鉄道→近鉄デ51、52以外に例は無い。63年まで在籍したが、60年頃からは休車中であった。/上: (45-9-14) 西武鉄道所沢駅/西武所沢工場入場時、下:(60-8-11) 岳南富士岡


ED271(形式ED27)
昭和44年9月、国鉄から譲り受けた。昭和3年日立製作所製で元南武鉄道1000形(1001~1004)の1002号機として新製、昭和19年8月1日戦時買収により鉄道省になったが、車号はそのままであった。27年の改番でED34形(ED341~4)のED342となり、昭和31年の再改番でED27形(ED2711~14)のED2712となった。私鉄時代から引き続き南武線、青梅線で使用されていたが、昭和43年に11と12が廃車され、翌年12が岳南鉄道に譲渡された。国鉄時代に側面の乗務員室扉が埋め込まれ、正面の扉から出入りするようになっていたが再度復活した。48年に廃車となり、僅か4年の在籍であった。/上: (44-8-30) 国鉄から入線直後のED2712→ED271、下: (45-3-11) 吉原


ED501(形式ED50)
昭和45年3月名鉄から譲り受けた。昭和3年川崎造船所製で、貨物営業最終日まで現役で稼働していた。経歴は複雑で上田温泉電軌デロ301として新製。予想外に貨物が少なかったため15年三河鉄道に売却して同社のデキ501となり、昭和18年名鉄との合併により同社のデキ501となった。主に比奈駅の入れ替え、小運転に使用されていた。/上:パンタグラフ1個時代 (45-3-11) 、下:比奈 (49-2-17 比奈)

ED103(形式ED10)
昭和45年9月大井川鉄道から譲り受けた。昭和24年日立製作所製で、大井川鉄道電化時にE103として新製した。同時期のE101、E102が作られたが、こちらは三菱電機製であった。貨物量の減少により、岳南鉄道が譲り受け、本線貨物列車を牽いて活躍した。貨物量の減少により61年2月廃車になり、元の大井川鉄道に譲渡した。/上:大井川鉄道 E103 (43-4-6) 新金谷、下:
(49-2-17) 岳南富士岡

ED402、ED403
昭和47年1月に入線した元松本電鉄のED402、403で、東京電力の梓川3ダム(奈川渡、水殿、稲核の各ダム)建設工事の資材輸送用として、402が40年10月、403が41年5月日本車両で作られた。ダム建設の主体となるセメントは、八高線高麗川駅の日本セメント埼玉工場から出荷され、D51の重連で八王子まで行き、EF64の重連で南松本へ、南松本からは再度D51で南松本~松本~渚まで行き、ここで松本電鉄ED40にバトンタッチされ赤松(現在の新島々)行き、トラックに積み替えられ建設工事現場に運ばれた。ダム建設工事が終了すると、仕事がなくなり岳南入りして貨物列車の主力として活躍した。上: 松本電鉄時代 (45-3-18) 森口、下: (60-8-11) 比奈

【借入車】
44年8月30日に訪れた時、名鉄デキ401が入線していた。架線電圧1500V昇圧時に改造工事で一時的に機関車不足になるため、名鉄から借り入れたものと思われる。
名鉄デキ401は昭和5年日本車輌製(機器はウェスチングハウス)で現在も健在でバラスト輸送に使用されている。/ (44-8-30) 岳南富士岡

岳南鉄道は営業収入の中に占める貨物輸送により収入のウエイトが高かったため、地元富士市では早くも廃止問題が話題に上がってきたようである。営業距離が9.2㎞と短く、沿線に目ぼしい観光地があるわけでもないが、今後とも地元の足として頑張っていただき、最悪の事態にならないように祈る次第である。
万葉線紀行 連節車と除雪車
万葉線 いつの間にか加越能鉄道から第三セクタ-の万葉線株式会社になっていました。5月12日土曜日 久しぶりに降りたった高岡駅前は新幹線工事で何がなんやらわからない状況で 万葉線の停留所に行き着くのに一苦労しました。七夕で有名な駅前の通りも普段の土曜日でひっそりとしていました。高岡駅前の電停は昔のままの風情で7070形は似合っていましたが、MLRV1000形「アイトラム」は26年3月にJRの駅前広場に電停が移転すれば似合うと思われます。

デ7070形 7076号です。
デ7070形は1967年製で デ7071(冷房車)、デ7072(初代アニマル電車・・・籍なし)、デ7073(アニマル電車 冷房車)、デ7074(非冷房車)、デ7075(非冷房車)、デ7076(非冷房車)の5両が在籍しています。

MLRV1000形「アイトラム」1006号です。
2004年から2009年にかけて作られた、1001号から1006号の6編成が在籍しています。
ボンバルディア社の技術提供により、新潟トランシスで製造された2車体連節の100%低床車です。
後方が工事中のJR高岡駅です。
この電車に乗り 市内線の併用軌道の単線区間を通り米島口の車庫へ向かいます。車内放送は立川志の輔さんの声で車内アナウンスがされていました。

事務所で撮影の許可を頂き 車庫での撮影となりました。
車庫では数人の社員さんが電車の入れ替え中で、もうすぐバスツア-の電車の撮影会が有るので 写しやすいように並べているとのことでした。左から 7072,7073,1001,5022です。

庫内でお休み中の車両達 左から 1003,6000,7074です。
初めて見た6000がいったい何者か この時はわかりませんでした。

1001号です。2003年12月導入2004年8月から営業運転開始です。
当初はフランジの問題での脱線事故やブレ-キ故障など大変だったようです。
右に少し顔をだしているのが1002号です。

1002号です。2004年1月導入1001号と同じ2004年8月から営業運転開始です。

その1002号の右は元デ5010形5022号です。1950年元富山地鉄デ5022、車籍は無く除雪に活躍していましたが 後任の6000が出来たため引退とのことでした。保存の予定とのことですが 最後の5010形ですのできちんと保存をお願いしたいところです。

デ7072号(初代アニマル電車・・・車籍なし)です。どちらかというとネコ電車として有名です。

デ7073号 二代目のアニマル電車(ネコ電車) 冷房車です。
デ7070形は5両の在籍です。1000形は乗り心地やバリアフリ-の点ではすぐれていますが、ハイテク車で安全装置がたくさんあり運転しずらいとのことで、乗務員としては7070形の方が思うように走り 運転しやすいとのことでした。特に雪の日や、架線が凍った時は困るそうです。

新しい除雪車 6000が庫内から出てきました。軽いエンジン音、畳んだままのパンタグラフ 異様な感じです。

右のボンネット内にエンジンがあり単純な下回りは模型のようです。メンテナンスを簡単にするためだそうです。
平成24年 新潟トランシス製で 後で知ったのですが車籍を有する鉄道車両とのことです。主に米島口から越ノ潟方面の専用軌道で使用されるとのことでした。パンタグラフはトロリ-コンタクタ-用です。

元デ5022号も少し前に移動です。若い係員(運転手さん)が屋根に上りパンタグラフの鍵を外し(下からベテランさんが 架線に気をつけろよ- と言っていました)自走して 移動です。車内は機材がいろいろ置かれていました。

5両がきれいに並びました。左の3名の社員さんで移動を行っていました。もう一名女性の運転手さんがいましたが途中で乗務に向かいました。(後でその運転手さんの運転する電車に乗りましたが 思いっきりのいい みごとな運転でした)

ようやく少し晴れ間も出て、きれいな5両の並びとなりました。
左から 7072,7073,1001,6000,5022です。貴重だ体験でした。
その後 越ノ潟方面に移動しました。

米島口での1006号です。(2009年4月営業開始)
この角度 きれいです。いい電車です。

反対側から海をバックに 7076号です。夕日の時がきれいだそうです。

1004号です。(2008年3月営業開始)
庄川口から越ノ潟まで乗車しました。

越ノ潟終点です。1966年富山新港の工事で線路が途切れてしまいました。今は無料の県営フェリーでつながっています。後ろの橋ができればまた状況が変わりそうです。
フェリーボート 「こしのかた」 自転車も乗れます。5分ほどで対岸に着きます。
船の中から見た工事中のつり橋 さわやかな船旅でした。
対岸の堀岡発着場に着きました。

ここからバスで 富山ライトレールの岩瀬浜へ向かいます。土日の限定連絡バスです。以前は射水線廃止後の代行バスが有ったようですが今はありません。

乗客は 私一名でした。せっかくの射水市企画のバスですが 観光客の少ない季節でもありさびしい限りです。右のサイクリングロードは射水線の線路跡のようでした。

20分ほどで岩瀬浜の駅前に着きました。
ちょうど富山ライトレールの電車が到着です。
車庫で遊び過ぎ後の時間が迫ってきましたので、この折り返し電車に乗り富山に向かいました。
高岡の万葉線 車庫でいろいろな話を伺ったり きれいな電車を見たり乗ったり写したり 楽しい時間でしたが、経営は厳しい状況が続いているようです。JR高岡駅内に延長されると利便性はかなり良くなると思います。車庫でお世話になった皆様ありがとうございました。みなさま頑張って乗りに行きましょう。
犬伏 孝司
アメリカ鉄道のたび(その2)アムトラック
アムトラックの予約は時刻表の検索とともにインターネットで簡単にできます。チケットは駅員のいるところ、またはQuik-Trakと呼ぶ発券機のある駅から乗車する場合は予約票をプリントアウトすれば発券できるのですが、駅員も機械もない駅からの乗車の場合はチケットが郵送または、宅配便のようなもので送られます。ところが、これはアメリカ国内とカナダにしか対応しておらず、海外からは購入できないので注意が必要です。私もグランドキャニオンからロスアンゼルスまでの切符を購入しようとしたところ、グランドキャニオンの連絡バス、グランドキャニオン鉄道の駅の両方共駅員も機械もないため購入できず、駅員のいるフラッグスタッフからの乗車にして何とか購入できました。プリントアウトした予約票のバーコード部分を、駅においてあるQuik-Trakの読み取り機部にかざすとチケットが印刷されて出てきます。
鳩マークについて
教えてください。天下茶屋のTORI
京阪特急3000のオリジナルカラーで西村さん、INUBUSEさん、乙訓の老人さまから投稿があり、うれしく思っています。特に乙訓の老人さまの投稿で、はるばる越中に京阪3000が再就職した時、すべて塗り替えたのではなく京阪特急の現役時代の塗装のままで走っている写真を見た時は驚きと、またうれしく思いました。
さて、フィルムで撮影した写真のデジタル化を行っています。総本家青信号特派員さまの「写真整理学-3-」に書かれていたビネガーシンドローム症状のフィルムがあり、このフイルムからデジタル化を行っています。症状はひどくないのでホットしているしだいです。このなかにINUBUSE様とW氏と一緒に行った九州の蒸機の写真があり、これがだめになるとかなりの痛手となります。なにせ、九州の蒸機の写真はこれしかないのです。このデジタル化をしているフィルムの中にいつ撮ったかわからないが、南海天下茶屋車庫で撮った写真で入換用だと思いますが、「TORI」と車体側面にかかれた機関車があります。これはいったいどのようなものなのでしょうか。ご存知の方は教えていただきたいと思います。
アメリカ鉄道の旅(その1)
6月5日から19日までの2週間アメリカの中西部に行ってきました。
この旅行の主な目的は3つ、アムトラックに乗って大陸横断鉄道の雰囲気を味わってみたい、SL保存鉄道を訪問したい。世界最大といわれるBIG BOYを見たい。これに加えていくつかの博物館を訪問したいと言うことでした。ところがアメリカの場合、公共交通の面で制限があります。アメリカはご存知の通り車社会で移動はフライ&ドライブという、空港でレンタカー借りて旅行するのが一般的です。アメリカの都市部をレンタカーで走る自信はありませんので、レンタカーでの移動は田舎に限り、それ以外は公共の交通機関が使えるところと言うことで計画を立てました。その結果BIG BOYを見るのに比較的アクセスしやすいデンバーを選び、サンフランシスコからアムトラックのカリフォルニアゼファーでデンバーまで移動、そこから飛行機でデュランゴに飛び、デュランゴでレンタカー借りて、デュランゴシルバートン鉄道を訪問。また折角アメリカにいくのなら一度見てみたかったグランドキャニオンを入れ、この移動にフラッグスタッフからロサンゼルスまでサウスウエストチーフを使い、ロスアンゼルスからサンフランシスコに戻るのにコーストスターライトを入れると言う盛りだくさんな計画となりました。
ふるさとへ帰る岡山電軌3010
6月25日の中国新聞に「岡山から栃木へ路面電車”帰郷”」という写真入り記事がありました。調べてみると 今年4月に岡電の100周年記念として「路面電車を無料で差し上げます!!」という表明をしていたことを知りました。対象車両はもと日光軌道線の3010号です。発表後には公開説明会もあり、2ケ月ほどで引き取り先が決まったようです。今年の秋にふるさとの「日光霧降高原チロリン村」に引き取られてゆくそうです。もともと10両あった3000型も 今では3005,3007,3010の3両になってしまっています。昨年9月に車庫をのぞいたときには、3両が仲よく休んでいました。
富山の京阪特急
まだあるロクサン!京成電鉄モハ109
富山地方鉄道の元京阪3000型
どですかでん様 西村様
私も先月(5月12日)電鉄富山駅で京阪特急色の元京阪3000型を見ましたが、4月27日からの運行とは知りませんでした。主に路面電車を写していましたので鉄道線はあまり見ておらず、たまたま駅で写した中に一枚ありました。やはり見慣れた色はいいですね。次回はきれいな景色の中で撮りたいと思います。
15時少し前駅に行くと ちょうど休日のみ特別仕様に改装したサハ112を挟んだ アルプスエキスプレス(元西武特急車レッドアロー) 16013+112+16014の編成が宇奈月温泉から到着するところでした。(平日は 16013+16014の2両編成だそうです)

朝8:55発で立山まで普通電車で往復し11:05電鉄富山到着 折り返しは12:14発 特急うなづき5号で宇奈月温泉へ、折り返し14:56着の特急うなづき10号で電鉄富山に戻り、その後普通電車で立山往復の運用のようでした。

レッドアローいやアルプスエキスプレス到着です。
ホームには 3本の元京阪3000型が待っていて 東西の元特急車4本並びです。
いかつい顔のレッドアロー号と、優しい顔つきの京阪3000の並びです。

その後 右の10041+10042の編成に乗車して南富山へ向かいました。

モハ11042の車内です。なつかしい京阪特急ですね。
市内軌道線、富山ライトレール、万葉線も行ってきましたので 連節車(連節車)を中心に紹介させていただきたいと思っています。
犬伏































