サハ78

5月21日【20523】「モハ63形→クモハ73形」に引き続き、同一グループの「サハ78形」について解説する。

サハ78形はモハ63形の付随車として作られた車両である。戦争末期の昭和19年に14両のモハ63形(63001~014)と共に8両(78001~008)新製された。モハ63形は電装品不足のため全車両「サモハ63形」で落成し、その後も電装されず、最終的にサハ78形3両(78304、306、310)とクハ79形11両(79100、102、104、106、108、110、112、216、242、244、246)になった。
折角新製したサハ78形であるが、翌年4月に001、003、004の3両が戦災で焼失してしまい復旧されることなく廃車になった。

昭和19年から20年にかけて、横須賀線のサロハ66形とサロ45形を、4扉に改造してサハ78形に編入する工事が実施され、サロハ66形は15両全車改造され、78009~023となったが、サロ45形は11両全車改造されて024~034となる予定が、5両が2等車として残されることになったため、025、026、028、029、033が欠番となった。改造車グループも戦災で013、014、019、022、031、032、034の7両が焼失した。

戦後の混乱期を乗り切るため、モハ63形と共にサハ78形も新製されることになり、昭和20年から23年にかけて133両作られ、100番台に番号区分され78100~239(203~209欠番)となった。200~202の3両はジュラルミン製(通称ジュラ電)であった。

桜木町事件後、緊急に車体整備が実施されたが、モハ63形のような改番はされず、戦災廃車による欠番もそのままであった。その際、未電装のサモハ63形96両を正式にサハ78形に編入し、300番台に番号区分して78300~395とする予定であったが、大部分の車両が運転台を取り付けてクハ79100番台に編入された。サハ78となったのは20両に留り、欠番が多数発生した。サハ78形編入車の車号は304、306、310、324、330、335、337、338、339、352、358、363、368、372、375、378、380、385、389、395の20両である。

モハ63形→クモハ73形の時と同様、代表的な車両についてのみ写真で紹介する。後年トイレ取り付けにより車号が変更された車両、モハ72の電装解除によりサハ78形に編入された車両については後日報告する。

サハ78008/昭和19年10月田中車輌製、新製時東神奈川に配置、24年8月宮原、26,年11月下十条、その後仙石線に行き47年2月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化、ベンチレータをグロベンから押込形への取り換えが行われた。49年10月廃車。(48-4-30 仙石線下馬)

サハ78010/昭和6年2月川崎車輌でサロハ66002として新製。20年1月大井工場で4扉化の上、現車号になり東神奈川へ、24年8月宮原、同年9月津田沼、40年4月淀川、同年9月明石、43年10月鳳、49年3月房総電化で津田沼、50年2月廃車。 (上:42-12-7尼崎 下:48-11-3 杉本町)

サハ78012/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66004として新製。20年4月大井工場で4扉化の上、現車号になり津田沼へ、40年4月淀川、49年8月廃車。(48-6-17 住道)

サハ78015/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66007として新製。19年12月大井工場で4扉化の上、現車号になり蒲田へ、25年1月宮原、26年11月蒲田、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、52年4月廃車。(47-5-1 沼津)
 

サハ78016/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66008として新製。20年2月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、40年10月鳳、49年4月房総電化で津田沼へ、50年2月廃車。(49-1-5 杉本町)
 

サハ78017/昭和6年3月川崎車輌でサロハ66009として新製。20年2月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、24年8月明石、25年9月淀川、29年3月宮原、32年9月高槻、35年8月淀川、35年9月岡山、38年11月明石、39年9月岡山、41年8月明石、44年9月松戸、48年2月廃車。(上:40-8-18宇野 下:41-10-11京都)

岡山区在籍時は、17mのサハ17も混じった2.3.4扉、クロス、ロングシートの凄まじい混合編成で、山陽本線の三石~三原間と宇野線のローカルに使用されていた。

サハ78021/昭和7年3月川崎車輌でサロハ66013として新製。20年1月大井工場で4扉化の上、現車号になり下十条へ、40年12月鳳、49年3月房総電化で津田沼へ、50年4月廃車。(48-11-3 杉本町)

サハ78023/昭和6年3月田中車輌でサロ45002として新製。12年3月大井工場でサロハ66015に改造、19年10月大井工場で4扉化の上、現車号になり三鷹へ、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年10月廃車。(49-4-27 沼津)

サハ78030/昭和6年5月田中車輌でサロ45009として新製。19年7月大井工場で4扉化の上、現車号になり三鷹へ、24年8月明石、25年9月淀川、26年11月蒲田、東京地区内を転属後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年9月廃車。(上:43-4-6 沼津 下:49-4-27 沼津)

 サハ78106/昭和21年6月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、42年12月御殿場線電化で松戸から沼津へ、54年10月廃車。(49-4-27 沼津)


サハ78109/昭和21年8月近畿車輌で新製。南浦和に配置、46年1月淀川へ、51年10月廃車。
(48-7-1 住道)

 サハ78113/昭和22年8月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年7月呉線電化で松戸から広島へ、転属時に幡生工場でトイレ設置、46年9月広島工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化、51年4月御殿場線用として沼津へ転属、55年1月廃車。沼津配置の63系サハ78のトイレ設置車は450番台に改番されていたが、広島では改番はされず統一性はなかった。(上:48-1-28 広島 下:52-2-11 沼津)

 

サハ78119/昭和22年4月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年7月呉線電化で松戸から広島へ、47年1月広島工場でアコモ改善工事で窓の2段サッシ化とトイレ設置、51年4月御殿場線用として沼津へ転属、55年3月廃車。
(48-1-28 広島)


サハ78126/昭和21年12月近畿車輌で新製。南浦和に配置、45年12月淀川へ、51年11月廃車。
(48-3-21 住道)


サハ78156/昭和22年7月近畿車輌で新製。東京地区に配置後、45年4月仙石線へ、46年5月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化とベンチレーターの取り換え。55年5月廃車。
(48-4-30 仙石線下馬)


サハ78163/昭和22年8月近畿車輌で新製。蒲田に配置、41年8月高槻へ、50年1月廃車。
(49-2-1 大阪)


サハ78167/昭和22年9月近畿車輌で新製。東京地区配置、54年10月東神奈川で廃車。
(47-5-1 東神奈川)


サハ78180/昭和22年11月近畿車輌で新製。蒲田に配置、41年9月高槻へ、50年6月廃車。
(47-1-20 大阪)


サハ78216/昭和24年2月近畿車輌で新製。東京地区配置、46年12月大井工場でも改善工事で窓の2段アルミサッシ化、青梅線、五日市線で使用後、52年11月豊田で廃車。
(50-3-23 拝島)


サハ78237/昭和24年5月川崎車輌で新製。南浦和配置、46年1月淀川へ、51年4月廃車。
(47-11-19 住道)

 サハ78310/昭和19年12月田中車輌でサモハ63011として新製。昭和26年12月大井工場で乗務員室を撤去して現車号に、東京地区配置後、45年12月松戸から淀川へ、51年4月廃車。サモハからの改造車は扉の開き方が異なる。オリジナル車は← ← → →と開くのに対し、4枚とも同一方向に開く。(49-3-23 住道)

 サハ78368/昭和21年12月近畿車輌でサモハ63346として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置後、仙石線へ、46年12月盛岡工場でアコモ改善工事で窓の2段アルミサッシ化ベンチレーターの取り換え、54年8月廃車。(48-4-30 仙石線下馬)


サハ78375/昭和21年9月川崎車輌でサモハ63370として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置後、46年2月南浦和から淀川へ、52年2月廃車。(49-3-23 住道)

サハ78380/昭和21年10月川崎車輌でサモハ63380として新製。昭和26年12月大井工場で現車号に、東京地区配置、青梅線、五日市線で使用後、51年12月豊田で廃車。(50-3-23拝島)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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