駅名喫茶店(第156回:請願駅は至るところに)

ラブストーリーは突然に、ではなく請願駅は至るところに。

10月12日(日)に近江鉄道でガチャフェス2025が開催されるとのこと。当日は大人が100円で、子どもは無料で乗り放題です。そんなことで、近江鉄道の駅を調べていると水口松尾駅が請願駅であると知りました。これは駅名喫茶店のメニューにふさわしいと思い、早速まとめてみました。

ここに載っていない請願駅もあるかと思いますので、ぜひコメント欄でご教示ください。請願駅って身近なところにあるのですよ。【2025/10/8追記】 続きを読む

夏休み日本縦断の旅 3日目② 冷房の無い電車

青森駅改札内跨線橋の装飾。

青森~新青森間は、特例で乗車券のみで特急や快速<リゾートしらかみ>に乗車できます。せっかくなので<リゾートしらかみ>に乗車しました。

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客車廃車体訪問記 内地編76 福岡県-4

【朝倉市 運送会社】 33.39953415971082, 130.70186699334

2024年1月2日撮影

スハフ42 番号不明

2024年お正月に、朝倉市の運送会社で事務所・ドライバーさんの休憩・仮眠施設として活用されているスハフ42を訪ねた。博多から途中、JRも甘木鉄道も外国人が多かった。皆軽装だったので、日本で年を越したのだろう。

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夏休み日本縦断の旅 3日目① 連絡船の遺構を訪ねて

函館で迎えた3日目の朝。まずは、市電に乗って五稜郭へ。松風町にて

8月23日(金)

函館 10:21 ― 1333M <はこだてライナー> 新函館北斗行き → 新函館北斗 10:43

新函館北斗 10:53 ―<はやぶさ>22号 東京行き → 新青森 11:50

新青森 12:21 ― 649D 青森行き → 青森 12:27

青森 13:52 ― 快速<リゾートしらかみ>4号 秋田行き → 新青森 13:57

新青森 14:08 ― 658M 弘前行き → 弘前 14:44

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黄帯のヨ

先般、北海道の黄帯・道外禁止のH100が紹介されましたので、私は九州の黄帯のヨを紹介します。
ヨ9000形が黄帯を巻いていました。
ヨ9000形はヨ9000・ヨ9001の2両があり、時速100㎞走行を目標にした試作車でしたが、所期の成果が出せず、それどころか65㎞制限付きになってしまったのです。

私が撮ったのはヨ9001で、香椎貨車区の一番端の一番隅に留置してありました。かろうじて後位妻面が見える位置でしたので、窮屈な写真しか撮れず、また、変色も激しいのであいかわらずお見苦しいのはご勘弁ください。1984年3月25日撮影

↑昭和43年東京汽車會社の銘板があります。ヨ9000は川崎車輌製だそうです。

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駅名喫茶店(第155回:第三軌条の路線の駅名(兼近鉄の駅名③))

近鉄けいはんな線をどういった形で登場させようかと考えましたが、結局、第三軌条に落ち着きました。先日、岡山好きの元京都人さんが札幌市営地下鉄南北線にご乗車されたと拝見し、タイムリーな話題にもなったかと思います。https://drfc-ob.com/wp/archives/161574 関西は第三軌条路線の宝庫ですね。相互直通運転も2例ありますし。

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夏休み 日本縦断の旅 2日目② 道南の港町へ

長万部駅の留置線には、室蘭本線の観光列車兼用(石炭車セキ3000風ラッピング)のH100形が停車中。

小樽から4時間かけて“山線”を走破し、14時過ぎに長万部に到着しました。ホーム先端側の留置線には、室蘭本線の観光列車兼用のH100形が停車していました。石炭車をイメージした塗装ですが、一瞬事業用車と見間違えてしまいました。

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大糸線応援隊に加入しませんか。

芸備線、木次線、富山地鉄、名鉄広見線と心配な路線が増えてきました。私は大糸線を応援したく、3年前の2月に大糸線応援隊に加入しました。どなたでも無料で登録でき、登録後は不定期で大糸線関連のイベント連絡もきます。

隊員にも関わらず、残念ながら未乗車で何も貢献できておりませんが、せめてもの罪滅ぼしとして、皆様へ周知させていただいた次第です。https://www.vill.otari.nagano.jp/www/contents/1606267048479/index.html

駅名喫茶店(第154回:鹿児島交通の駅名(枕崎は終着駅でなかった))

多方面でご活躍されているK.H.生様より頂戴したお写真がきっかけで、鹿児島交通の駅名をまとめてみました。若手にとっては、枕崎は終着駅のイメージが強いのですが、昔はそうではなかったのですね。

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“回送”をぶら下げた列車2題

雑誌か何かで読んで、自分で見たくなって行ったのだと思いますが、平日の早朝に2本運転されていた奥羽本線八郎潟始発秋田行の通勤通学列車を、秋田から八郎潟まで回送するのに自力回送ではなく営業列車の後ろに連結して持って行った列車2本+αを紹介します。
2本の列車とは
①秋田(始発)5:20→6時前頃八郎潟着 弘前行1629レ・・・・・八郎潟6:45→7:24秋田2620DとなるDCを連結
②秋田(始発)6:15→6:55前後頃八郎潟着 大館行1631レ・・・・・八郎潟7:05→7:44秋田2622レとなるEL+PCを連結
①は、客車列車の後ろにDC2両が連結され、②は、2列車分の客車の前後にELが付いているという、おもしろい編成です。
1992年8月24日撮影、撮影場所は、大久保-羽後飯塚間です。
画像は撮影順です。変色がひどいのはご容赦ください。

↑ED75 755[秋]が牽く①の1629レです。PC3両全部オハフ50の後にキハ40が2両連結されています。1編成全車に乗務員扉がある点でも珍しい列車です。

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教えてください、北海道のスイッチバック!

我が家のお隣にお住まいの方と仲良くしていますが、この奥様が元天鉄局のスジ屋さんの娘さんで、昨日こんな質問を頂きました。

「50年前の学生時代に北海道を旅行した時、スイッチバックを通った記憶があるが、それがどこだったか思い出せない。北海道にスイッチバックはありますか?」というものです。
ちょうど準特急さんの仁山が話題に上がっていたこともありGoogleで調べたらかつて10カ所近いスイッチバックがあり、常紋信号所や狩勝信号所が勾配型スイッチバックだったが廃止、現在は非勾配型の遠軽のみとなっているそうです。

そこで50年前の記憶を呼び覚ましてあげるために「北海道のスイッチバック」の写真をお持ちの方は投稿して頂けませんか?
私は仁山しか持っていません。

因みにこの奥様は鉄分はお持ちでなく、父君が亡くなった後、家に有った鉄道関係のコレクションはすべて廃棄したそうで、いまは形見の懐中時計だけが残っています。
捨てたコレクションの内訳をここで明記することは敢えて致しません。

駅名喫茶店(第153回:在りし日の北陸本線を駅名でたどる)

敦賀~米原間しか残っていない路線を北陸「本線」と称してよいのか。よいと思います。歴史の生き証人としての役割が路線名にはありますからね。短くなっても北陸本線は本線として堂々と在り続けてほしい。今回は在りし日の北陸本線を駅名でたどってみます。

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夏休み日本縦断の旅 2日目① “山線”の旅

8月22日(木)

札幌 9:33 ― 快速<エアポート>31号 小樽行き → 小樽 10:07

小樽 10:57 ― 1938D 倶知安行き → 倶知安 12:16

倶知安 12:35 ― 2940D 長万部行き → 長万部 14:11

長万部 16:20 ― 2844D 函館行き → 函館 19:26

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坪尻駅

信号場が話題のようなので、元信号場ではあるが、土讃本線の坪尻駅を紹介したい。昨今では秘境駅として取り上げられ、特急「四国まんなか千年ものがたり」号も運転停車することもあってか、多少は小綺麗に整備されているが、乗降客は熱心な秘境駅ファンのみと言っても過言ではないだろう。

▲急行「あしずり2号」(704D)、1978/03/28 土讃本線坪尻駅(信号機の識別標識が、まだ横書きだった頃) 続きを読む

どうする木次線第三部・・・2

木次線は出雲横田~備後落合間が乗車効率が極端に悪く、廃止の根拠の一つとされています。
しかし、この間にこそ木次線の魅力が凝縮されているのですがそれを利用できてないと私は思っています。
三段スイッチバックや鬼の舌震い、たたら製鉄などもっと海外の客を誘致できるものがあるのに活用できていないのでは。
それに追い打ちをかけたのが「おろち号」の廃止でした。
記事にも出ていますが廃止後に輸送密度が激減したことです。予想できたこと、というよりJR西日本は分かっていてそうしたと思います。

愚痴が出てきますのでまずお読み頂きます。

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どうする木次線第三部・・・1

松江在住の友人から山陰中央新報の「どうする木次線第三部」が届きました。
若い会員には「木次線」は遠い存在かも知れませんが、昭和世代の会員にとっては小海線と共にC56が活躍していた線区として忘れられない鉄路です。
その木次線が、いま芸備線と共に廃線になろうとしています。
地元の方々も努力はしているようですが、三江線もあの通りあっけなく廃止されてしまいました。
どうすれば残せるのか、もう一度皆さんも考えてくれませんか?

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駅名喫茶店(第152回:特殊狭軌の路線の駅名)

151回も開店すると、どこかでテーマが被ってくることもありますが、意外と今回の「特殊狭軌」の路線は初めてでした。3社4路線で762 mmの体験ができます。その中で黒部峡谷鉄道では現在、終点の欅平駅までは行けないものの、普段は下車できない猫又駅に降りることができる貴重なチャンスが提供されています。

私は、四日市あすなろう鉄道線に乗車すれば三重県の全路線を完乗することになります。念のため伊勢鉄道の鈴鹿~河原田間も乗っておこうかと(物心ついてから乗れていません。)

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仁山スイッチバックその(2)

同じく1966年9月12日函館から40分くらいで行ける仁山の続きで今回はこれまであまり投稿などに使ったことがない気動車である。飛行機が今ほど発達していない時代に特急のキハ82系、急行のキハ56系等が道内では長距離運転を行っており改めて北海道列車輸送の重要な位置を占めていたものだと感じた。非効率なスイッチバックでの撮影対象は当然蒸気機関車であったがついでに撮った気動車群も脇役であったが旅客輸送では主役であったことは間違いない。

最初は3D特急「おおとり」で室蘭本線・千歳線経由釧路行き7連+網走行き5連の12連である。この列車は青森6時18分着急行「八甲田」と特急「はくつる」6時40分着を受けて青森7時5分に出港して函館10時55分に着く連絡船3便と接続する特急で函館11時15分発である。因みにこの「おおとり」は函館を出ると洞爺迄停車しない速達特急列車であるが石北本線の網走到着は21時58分、根室本線の釧路着は22時3分となる。上野から乗り通したお客さんはどれほどいただろうか。▼

次は函館13時45分発特急「北斗」室蘭本線・千歳線経由旭川行きキハ82系9連(旭川着20時27分)で勿論食堂車キシ80が入っている。同じ様にこの列車は青森8時40分着急行「第1十和田」と9時15分着特急「ゆうづる」を受けて青森9時35分出港函館13時25分着の連絡船5便と接続している。この様な旅はもう少し体力があるのならもう一度経験してみたいと思う。▼

もう一つ偉大な(?)長距離急行があった。特急「おおとり」の10分後11時25分に函館を出発する小樽まわり稚内行きキハ56系9連の急行「宗谷」である。当時の時刻表では684.5Kmを11時間45分で走破して稚内着は23時10分である。ほとんどの優等列車は平坦線の室蘭本線・千歳線経由であるがキハ56系の急行「宗谷」、「ライラック」と途中C62のダブルヘッダー(重連)になる客車急行「ていね」は小樽まわり(所謂山線経由)であった。この山線は今は見る影もなく廃線のうわさがあるという。▼

北海道は九州とともに旅行シーズンには観光列車が設定されていた。臨時急行北海道観光号「エルム」は大きなヘッドマークを付けたキハ56系6連であらわれた。9113D急行「エルム」は函館9時5分発小樽まわりで終着札幌は14時10分の到着であった。▼

北海道の気動車と言えば耐寒耐雪設備完備のキハ22が普通列車の主力で一部急行列車にも使われていたが函館本線には長距離の普通客車列車があったためかあまり見かけることはなかった。森行の625D はそのキハ22系と暖かい道南や苫小牧地区に多かったキハ21系との混成であった。▼

D52やD51の大型機が多い中で夕刻39655がこの日の補機担当である回送の逆D51710を従えて下ってきた。両機共に五稜郭区所属であるがどこから来たかは不明である。▼

前回の「スイッチバックその(1)」で少し触れた急行「ていね」105列車札幌行きの後ろ姿でC6230[小樽築港]+客+D52201[五稜郭]が上ってきた。加速線には入らずそのままスピードを上げて札幌方向に向かって行った。セノハチの特に特急「かもめ」を彷彿させるものと勝手にこじつけたが食堂車を連結する急行列車に山陽路の難所を行く看板列車を重ねてみた。▼

今よりもずっと不便な時代であったが私にとってはとても楽しかった時代の一コマである。

 

夏休み日本縦断の旅 1日目② 札幌都市圏へ

1日目のゴール、札幌に到着。

旭川からは函館本線の普通列車に乗車。ここからは電化区間となり、電車が活躍します。隣のホームには、札幌と旭川を結ぶ特急<ライラック>と<カムイ>が並んでいました。

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駅名喫茶店(第151回:近鉄の狭軌路線の駅名(近鉄の駅名②))

近鉄は標準軌路線と狭軌路線を有する私鉄です。昔は特殊狭軌路線もありましたね。同一私鉄で異なる軌間を有するのは珍しいことでしょうか。京王電鉄の狭軌路線(井の頭線)、馬車軌間(井の頭線以外)はぱっと思いつきますが。

ということで、今回の近鉄深堀りシリーズ2回目は狭軌路線です。

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