次年度の幹部が決定しました

総会に行く道中、団体列車「楽」と遭遇

こんばんは、現役生会長です。

先週日曜日の総会にて、次年度の幹部が決定しました。1月より、新体制に移行します。

今年は、OBの皆さまをはじめ多くの方々からご支援を賜り、会誌『青信号』の復活や4年ぶりのクローバー祭出店をすることができました。また、JR西日本イノベーションズ様やガーネッシュ様、どうりん様のように、新しい交流も生まれました。DRFC65周年にふさわしい年となったのではないかと思います。私も、そのような年に会長を務めさせていただけたことを大変嬉しく思うと同時に、支えてくださった全ての方々に感謝しております。

皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑦

④ 野田

北大阪線の最終は、終点の「野田」を紹介します(書類上は、天六が終点)。4.3kmという短い路線、絵になるような場所もなく、おなじ阪神の軌道線でも、行楽客や女子高生で満員になる甲子園線とはエライ違いでしたが、その分、飾らない日常の大阪を堪能できました。反応はイマイチだと思っていましたが、皆さんから多くの思い出を寄せていただきました。やっぱりコメントがあると嬉しいものです。「野田」を発車、天六へ向けて、4.3kmを走り出す。背後の高架は、阪神本線の野田駅、背後に留置線もあった(Tさん提供)。

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癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part3 内湾線も再訪 

第2日目 11月29日 その2

① 十四張 11:15(MTR環状線)⇒11:24 板橋
② 板橋11:49
(台鉄区間車)⇒11:57樹林12:00(区間快)⇒12:58 新竹

板橋站では来た電車に乗って移動しましたので2駅先では乗継です。
▲ MRTから台鉄へ乗り換えた板橋站前公園のクリスマスツリー側で三脚にスマホをセットしてダンスのレッスンをされているサンタミニドレス姿のお嬢さん、可愛い姿に思わずカメラを向けてシャッターを切りました。 続きを読む

魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その5) 馬路から田野へ

馬路温泉で1泊し、引き続き安田川に沿って南下します。さっそく県道脇にトンネルがありました。

⑰平瀬隧道 【重】 明治44年築造。他のトンネルと同じ構造で、全長70.6m。カーブしている。歩いて通り抜けられます。かつては道路として利用されていたのでしょうが、川沿いに広い道路が整備され、通る人はマニアだけでしょう。写真のように、南側坑口の山側には切石積みの立派な擁壁があります。

平瀬隧道南側坑口  令和5年12月4日撮影

この先には釜ケ谷(かまがたに)橋【重】と釜ケ谷桟道【重、近】があるのですが、整備された県道の下部構造になっていて、気付かないまま通過してしまいました。
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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って

林鉄は魚梁瀬よりさらに奥まで伸びていましたが、今回は魚梁瀬でUターンして安田川線方面に向かうことにしました。ダム湖の水位がかなり下がっていましたので、更に上流に向かえば、あるいは水没した線路跡や鉄橋跡などが姿を見せていたのかもしれません。急峻な谷が続く地だけに、冬場のこの時期は15時を過ぎると日当たりが悪くなりますので、明るいうちに馬路温泉まで行こうと下山を急ぎました。

⑩犬吠橋 【重】 魚梁瀬ダムを過ぎると、林鉄奈半利線と安田川線の分岐点釈迦ケ生です。この辺りに「井の谷橋」という上路式のトラス橋がある筈なのですが、見つけることが出来ずに諦めました。あとで調べると、村道(林道)に入り込まないと行けない地点だったようです。しばらく行くと工事中のう回路に出ました。犬吠橋です。上路式のトラス橋で県道も兼ねていたのですが、桁間が垂れ下がり崩落の恐れがあるため通行止めとなり、大掛かりな復旧工事中でした。

復旧工事中の犬吠橋。あのトラスの上に線路(道路)があった。

大正13年架橋ですから、99年前のものです。重要文化財に指定されていなければ、復旧工事せずに廃橋になっていたのかもしれません。

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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑥

③センターポール区間

中津を出ると、淀川とほぼ平行しながら、南西方向に向かいます。付近は、大小の工場・倉庫が建ち並ぶ地域となり、ある意味、大阪らしい光景が車窓に続きます。

十三バイパスの陸橋に沿って天六方面に向かう。

 

 

 

 

 

 

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東のC59、C62の記録

総本家青信号特派員さんの「西のC59、C62全記録」シリーズが一段落されたと思うのでここで仙台を中心とした「東のC59、C62」を発表したい。特派員さんほど秀麗な写真はないが、わずかな記録であるので、見たことがあるシーンも含まれているのはそれだけ撮影枚数が少ないということでご容赦いただきたい。

まず、C59であるが東北本線のC59は上野から宇都宮、白河、福島あたりで活躍してきたが私が見たのはわずかに残った仙台区の2両で最後の活躍をしていた頃である。

2両は戦前型のC5990と戦後型のC59176 である。何れも山陽路のそれとは異なり予備灯がついていた。仙台機関区は駅の横にありC59~C62の大型旅客用の機関車が狭い場所にたむろしていた。因みに貨物機は長町区が中心であった。1965.9.4 仙台C5990▼

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癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part2 安坑LRT 再訪

第2日目 11月29日

① 台北 6:40(区間車)⇒6:49 板橋
② 板橋 7:17(MRT環状線)⇒7:58 十四張

今日は前回初めて訪問しました「安坑LRT」安坑軽軌を再訪します。朝6時前には目覚めて身支度です。徒歩直ぐの台北駅へと向かいます。
乗換えの板橋站地下コンコースでは前回同様に朝マックで朝食を取ってからLRTへの乗換のためにMRTで十四張站に着きました。
鉄輪式標準軌道の無人自動走行の車両は日立レールイタリア製です。
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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑤

(2) 中津付近

天神橋筋六丁目を出た北大阪線の電車は、中津方面へ向かいます。すぐに「本庄中通」の停留場で、戦災を受けなかった古い街並みが続き、並びには老舗のツバメ屋模型店があったことも思い出です。つぎの「南浜」では、東海道本線をくぐり、名称は、むかし西成郡南浜村だったことに由来、つぎの「北野」も、かつての西成郡北野村に由来、ここに北野中学があり、戦前に十三駅西に移転し、戦後、北野高校となっています(以下、昭和50(1975)年5月)。そして、阪急の複々線をくぐり、北大阪線唯一の専用軌道を行くと、阪急と国道176号に挟 まれて、梅田貨物駅・梅田貨物線を越す、乗り越し橋脇の「中津」に到着する。

 

 

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 阪神軌道線 北大阪線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺④

(1) 天神橋筋六丁目

“煙”の話が続きましたので、目先を変えて。路面電車シリーズに入ります。先に“アレ”関連で阪神軌道線(阪国)の甲子園線を紹介しました。阪神軌道線には、ほかに国道線、北大阪線がありましたが、昭和50年に全廃され、廃止から50年近くが経過しました。今回は、天神橋筋六丁目~野田の北大阪線を何回か紹介します。目立つことがなかった阪神軌道線にあって、北大阪線は、阪急中津駅の近くを並行していて、阪急電車の窓からも見ることができました。小さい頃、阪急電車に乗って、梅田に着く直前に、チラッと単行の電車が見え、しかも阪急以上に地味な色の電車で、“なんやろ”の思いで見ていたことを思い出します。天神橋筋六丁目から発車していた北大阪線。阪神本線の野田までの4.3kmの路線で、梅田の外縁を半周するようにして連絡していた。

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癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part1 旅立ち

9月に訪台してから約2ヶ月、コロナ騒動で渡航を控えていた海外鉄の仲間達が揃うように台湾へと向かわれました。
聞けばJALが10月29日から来年1月8日までの週4往復の期間運航開始とのことで、待ちに待った運航です。国内線は北海道・九州・沖縄へと搭乗してきましたが国際線は2019年12月以降、その中でもJALには2019年3月以来約4年半も搭乗していません。是非とも搭乗して短距離の海外線ですが、久しぶりに機内食を食べたい思いがでました。

この時期からの台湾は暑さは消えて過ごしやすい気候にもなります。台湾鉄の仲間からは12月になると阿里山でシェイ式蒸気機関車牽引の特別ツアー列車も運行するとの情報が聞こえてきましたのでこれに合わせて行ってみるかと予定を組み出しました。
航空券につきましては貯めていましたJALマイレージ25,000ポイントを利用して、他に燃油サーチャージ・空港利用税の往復 24,030円が出費です。
かつて、必要なマイル数は16.000ポイント、燃油サーチャージはなし、空港使用税のみ追加の時代もありましたので、随分と高くになったものです。

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その3)復元鉄道

魚梁瀬ダムを過ぎて、魚梁瀬大橋を渡り丸山台地に向かいます。ここはダムによって沈んだかつての魚梁瀬集落の皆さんが集団移転してできた新しい町です。そこにある丸山公園に、復元された森林鉄道があります。

令和5年12月3日 森の駅 やなせ

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  西のC59・C62 全記録   (5)

翌日は、山越え区間へ  昭和43(1968)3月

須波付近の海岸沿いで撮影した日は、尾道へ戻ってY・Hに一泊、翌日は、勾配区間の安登付近へと向かいました。安登を頂点にして16‰勾配があり、安芸川尻寄りでは海を入れて、撮影もできますが、途中にトンネルもあり、高校生としては難度が高そうで、トンネルもなく開けた地形の安浦寄りのカーブで撮ることにしました。東京行き急行「安芸」を牽くC59 161 上り列車に対しては下り勾配となるため、見せ場はなく、淡々として通り過ぎて行った。今日も「安芸」は、上下ともC59だった。

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 西のC59・C62 全記録   (4)

初めて駅間を歩いて撮影 昭和43(1968)年3月

今までの駅・機関区撮りから脱して、呉線を駅間で撮りたいと思うようになりました。呉線の車窓からは海岸沿いを走る光景は見ているし、鉄道雑誌でも呉線は注目されるようになって「撮影地ガイド」も載るようになってきました。高校3年生の終わりの春休み、北九州への撮影旅行の前後に、呉線の撮影となりました。関西からアプローチしやすい三原寄りで有名な撮影地は須波~安芸幸崎で、ほとんど瀬戸内海に沿って走る。ちょうど中間地点あたりにアウトカーブがあり、まるで瀬戸内海へ飛び出しそうな海岸ギリギリの区間がある。何度も広島からの乗ったことのある徳山発糸崎行き624レは、待望のC59 162が牽いていた。C59廃車説も吹き飛ばす、C62に伍しての活躍が見られた。

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その2)奈半利川線に沿って

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるにはクルマが不可欠です。高知市でレンタカーを借りると土佐くろしお鉄道に乗る機会がなくなるので、なんとか現地調達をと調べたところ、くろしお鉄道安芸駅に駅レンタカーがあることがわかりました。岡山から瀬戸大橋、大歩危を経由して後免へ、そして初めての土佐くろしお鉄道ごめんなはり線で安芸へと向かいました。くろしお鉄道については、別稿でご紹介したいと思います。

(その1)で述べましたように、魚梁瀬森林鉄道は安田川線が先に開通し、あとで奈半利川線が作られたのですが、今回の旅は奈半利川線経由で魚梁瀬に向い、魚梁瀬から安田川線を下るルートで計画しました。では狭い道を考慮して借りた軽自動車で出発です。 続きを読む

魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その1) 林鉄の歴史

学生時代に何かの雑誌で、阿里山で活躍しているシェイ式蒸機が、国内にも数機いたことを知り、それがきっかけで高知県の魚梁瀬森林鉄道の存在を知りました。しかし、木曽森林鉄道以上に訪ねにくい地にあり、気になりつつも半世紀が経過しました。一方、我が家の食卓(冷蔵庫)には「馬路村のポン酢醤油」が常備されていて、生産地である馬路村も気になる存在でした。また、平成13年にはRMライブラリNo.29として舛本成行氏により「魚梁瀬森林鉄道」が詳しく紹介されるに至り、馬路村と魚梁瀬森林鉄道跡をいつ訪問しようかと考えていました。この度、ようやく念願であった現地訪問が実現しましたので、現地の様子をご紹介します。

中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会発行のガイドマップ表紙(折りたたむとB5判、拡げるとB2判の非常に良くできたマップです)

なお「中芸地区」とは、安芸市、奈半利町、北川村、田野町、馬路村、安田町が安芸郡の中央にあることから、そう呼ばれるのだろうと思います。ガイドマップの表紙を飾るのが「シェイ」であるのも素敵です。

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 西のC59・C62 全記録   (3)

昭和42(1967)年3月 九州行きの初日に呉線へ

またまた投稿が途切れてしまいました。言い訳無用、とにかく専念することにします。高校2年生の終わりの昭和42(1967)年3月、いままで夜行日帰り撮影から、一挙に2週間に渡る九州一人旅に出掛けることになりました。例によって、最初の立ち寄り先に糸崎を選び、3回目の呉線行きとなりました。14日間通用の九州均一周遊券を握りしめて、新大阪から博多行き「第2つくし」に乗り込んだ。新大阪9:50発、糸崎13:45着、通い慣れた駅西側の踏切を渡って、糸崎機関区へ向かった。

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広島通信(その3) 広電 駅前大橋ルートの工事状況

その2を投稿してから2週間が経ってしまいました。JR向洋駅周辺の取材のあと広電駅前大橋ルートの工事の様子を見に行ったのですが、報告が遅くなってしまいました。写真はすべて令和5年11月25日の撮影です。

駅前大橋ルートの全体像

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スクラップブック 事件・事故編・第6回

1週間ほど旅行をしていて投稿・チェックが出来なかった。

さて今回は私の人生最大のショックを受けた大事故の記事を紹介する。

三河島事故、若い会員でもこの事故はご存じだろう。
昭和37年5月3日21時37分、国鉄常磐線三河島駅構内で田端発水戸行下り貨物287レ(D51364)が出発信号を見落とし安全側線に入り、停まりきれずに脱線して機関車と次位のタキ50044が下り本線上に飛び出した。これに三河島駅を4分延で出発した上野発取手行き2117Hレがタキに衝突、先頭車クモハ60005と次位のクハ79396が脱線して上り本線上に飛び出した。さらに7分後、上野行き上り2000Hレが進入し、線路上を歩いて避難中の乗客をはねたうえ、上り本線上の2117Hレ先頭車と衝突した。これによりクモハ60005とクハ79396は粉砕され、上りの2000Hレも先頭車クハニ67007が原形を留めないほど粉砕され、二両目のモハ72549と三両目のサハ17301は築堤下まで転落、四両目も脱線した。
死者160名、負傷者296名

1962,5,4

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