先日の投稿 鉄道趣味の一つの楽しみ方(YouTube鑑賞)
で紹介したかったもうお一方が、まぼの鉄道ビデオチャンネルさん。前面展望の動画をアップされています。
乗務員室の中から撮影した市販の展望動画もよいのですが、客室から映した動画の方が我々一般客にはなじみ深いと思います。関西を中心に、長距離特急から通勤列車まで幅広く撮影されておられ、旅気分が味わえる鉄道動画です。
今回、ご本人様の許可を頂戴しましたので、以下に動画のリンクをいくつか貼らせていただきます。皆様、ぜひご覧ください。
先日の投稿 鉄道趣味の一つの楽しみ方(YouTube鑑賞)
で紹介したかったもうお一方が、まぼの鉄道ビデオチャンネルさん。前面展望の動画をアップされています。
乗務員室の中から撮影した市販の展望動画もよいのですが、客室から映した動画の方が我々一般客にはなじみ深いと思います。関西を中心に、長距離特急から通勤列車まで幅広く撮影されておられ、旅気分が味わえる鉄道動画です。
今回、ご本人様の許可を頂戴しましたので、以下に動画のリンクをいくつか貼らせていただきます。皆様、ぜひご覧ください。
後祭の宵山の日とは、季節感が異なるサブタイトルですが、この連載も本日が最終回ということで、乃木坂46『サヨナラの意味』の歌詞を使わせていただきました。
2023年3月、ダイヤ改正から数日後のこと。京都の113系と117系が3月31日を以て引退するとJR西日本から発表がありました。普段、京都駅でよく見かけていたので、後悔は無いと思っていましたが、やはり私が一番好きな電車なので、最後にもう一度乗ろうと思いました。

草津駅で折り返し待ちをする113系。
ダイヤ改正から引退までの間、113系と117系の代走運用が組まれ、湖西線や草津線のほとんどの列車が両系列で運用された。
昨年は「湖西線開業50年、江若鉄道廃止55年」として、琵琶湖西岸の各地のさまざまな行事に呼んでいただいて、私にとっても大切な思い出となりました。それから一年後の今月、滋賀県高島市に拠点を置く「江若鉄道を語り継ぐ会」が設立一周年を迎え、また行事に呼んでいただくことになりました。クローバー会のグループLINEでは思わ
せぶりな予告はしていましたが、実を言いますと明後23日(水)からの開催です。いつも通り準備に忙殺されていて、十分な予告ができていませんでしたが、ネットにはなんとか告示してもらいました。 近江今津で「江若鉄道展」 今年も7月23日より開催 | 鉄道ホビダス ▲会場は昨年同時期に「江若展」を開いた今津東コミセン。
「江若鉄道展」 ~ジオラマと写真で振り返る昭和~
会期 7月23日(水)~8月1日(金) 9:00~22:00
会場 今津東コミュニティセンター1階展示ホール
(JR湖西線 近江今津駅下車、東へ徒歩3分)
関西万博もよいですが、こういうときこそ、静かな場所に行きたいものです。
今回は明知鉄道の駅名です。今年は、明知鉄道として開業40周年のメモリアルな日です。関西からも十分日帰り圏内ですので、皆様もぜひ訪ねてみてください。
新潟駅前の北村製作所バス
昭和の時代、バスはシャーシ(車台)とボデー(車体)は、別々のメーカーで製造し上下を接合して、シャーシメーカーの製品として販売されるのが通例でした。ボデーメーカーには、シャーシメーカーと資本関係を持つ大手もありましたが、戦後、軍需産業から転進して、車体製造を始めた地方のメーカーも数社ありました。その代表が、北九州市にあった西日本車体工業で、「NSKボデー」のプレートは、西日本各地で広く見られたものでした。新潟市にも、昭和23年からバス車体の製造を始めた北村製作所があり、新潟県下にネットワークを広げる新潟交通のバスには、ほぼ独占して北村製作所の車体が供給されていました。
▲新潟駅前に立つと、つぎつぎ銀色に青帯の新潟交通がやって来る。ボデーは、一見すると、大手ボデーメーカーと同じように見えるが、側面の窓や雨樋に北村製作所の特徴が見られる。方向幕が前後扉の中間に付いていて、その部分のみ前後の引き違い窓になっているのが新潟交通の特徴だ。「新22か・267」、いすゞBA30、(以下、昭和50年6月、新潟駅前)
鉄道路線図を見て、駅数が少なそうな都道府県はまとめてみようという気になります。
今回は滋賀県です。比叡山坂本ケーブル線、八幡山ロープウェー、近江鉄道本線(米原~八日市間)・多賀線に乗れば滋賀県内路線全線の完乗達成です。
ところで駅名喫茶店は今回で第142回。2022年9月に開店し、まもなく3年が経とうかとしています。実は、なるべく同一日の投稿を控えており、年を跨いでの365日投稿を目指しております。7月18日の投稿は開店以来初めてということです。

いつもは喫茶店のマスターですが、たまには店外に出て、少しだけお話をさせてください。
鉄道趣味の楽しみ方の一つにYouTube鑑賞があります。コロナ禍で外出が億劫になった時期に私がはまったのがYouTubeです。動画の中には鉄道に関するものも数多くアップロードなされており、最近では鉄道系YouTuberも増えてきました。
いつか湘南色に乗りたい。そう思い続けていたのですが、別れは突然やって来ました。私が高校に進学してすぐのこと。最後の湘南色であったC10編成が緑色になって吹田を出場したという情報を友人から得ました。帰宅後(当時、まだスマホは不所持)、調べてみるとそれは本当のことでした。その時に感じたショックは何とも言い表しようのないものでした。しかし、それからすぐのこと、岡山電車区(当時)に所属する115系のうち2本(D26編成とD27編成)が湘南色を維持することが発表され、それから岡山に魅了されるようになり、現在に至ります。岡山の115系については、また別の機会に書かせていただこうと思います。

C10編成はあっさり緑色に塗装変更された (2015.8.9 京都にて、再掲)
広島のバス
約1ヵ月ぶりに投稿に復帰します。この空白期間でも、鉄道界では話題が続いていますが、いま最も熱いのが広島電鉄市内線の駅前大橋線の開業でしょう。本欄でも西村さんから最新のレポートが届き、クローバー会でもビッグなイベントの企画が進行中です。呉線のC59・C62が昭和45年に終わってから以降も、何度か広島へ行く機会がありました。当時も、広島は路面電車が元気に走る街として知られていましたが、一方では広島は全国有数の“バスの街”でもありました。市内には、広島電鉄バス、系列の備北交通、芸陽バスのほか、広島バス、広島交通、中国JRバスなどが、市内の道路を埋め尽くしていました。
▲なかでも車両数、路線数で圧倒していたのが、中国地方最大手の広島電鉄バス(広電バス)。昭和29年に制定された白にオリーブ色のストライクのデザインは、現在もほとんど変わっていない。いまは先端のバスが走っているが、昭和50年前後、もう京都ではすっかり姿を消した、古いバスがゴロゴロ走っていて、路面電車以上に興味をそそられた。2台とも日野BR系(昭和50年2月、横川駅前)。
2022年7月、デビュー間もなかった近鉄特急「あをによし」に乗車しました。
所用で関西を訪れており、ほぼ一日予定が空いていたため、試しにDRFCの同期と後輩に声をかけてみたところちょうどよい人数が集まったので、あをによしの往復乗車をすることになりました。
だいぶ時間の経ってしまったレポートのため、現在では異なる点もあることをご承知おきください。

前面に負けず、側面も高級感を醸し出している。塗装と帯の色がよく似合うと思い撮影した

貴生川駅にて並ぶ、113系と信楽高原鐵道の列車 (2015.12.20)
前回と同じく中学2年の時のことです。12月中旬に、友人何人かと後輩と一緒に草津線に乗りに行きました。もちろんお目当ては113系です。ただ往復するだけでは面白くないということで、目的地を貴生川にし、往路は京都から奈良線、関西線で柘植まで行き、そこから草津線で貴生川まで乗車、帰りは草津経由にしました。貴生川では、駅から徒歩10分ほどの所にある撮影ポイントに行きました。草津線はもちろんのこと、関西線や奈良線の黄檗以南に乗車するのはこの時が初めてで、結構充実した旅行だったと思います。

この日は117系の団体列車も運行されていた (京都にて)
草津線は草津~貴生川間が毎時2本、貴生川以南が毎時1本の運行で、この日は草津~柘植間の列車に113系が、草津~貴生川間は221系が充当されていました。やって来た113系は全て緑色でしたが、築堤上を行く113系は迫力があり、とても格好良かった印象です。この場所で湘南色やカフェオレ色を記録できなかったことに悔いは残りますが、113系の晴れ姿を見ることができたのは、良い思い出です。(続く)

三雲~貴生川間の築堤上を行く柘植行きの113系

草津~貴生川間の列車に充当された221系 (三雲~貴生川間にて)

草津行きの列車
先月に続いて松江在住の友人から地元紙「山陰中央新報」掲載の『どうする木次線』の第二部が送られてきました。
今回は木次線と接続する芸備線、同じく切り捨てられようとしているローカル線です。
読むと、JR西日本は早く廃線へ持って行こうとしている様子が見て取れます。
でも、地元はなんとしても阻止したい、と頑張っているようですが旗色悪し、と言うところでしょうか。
いつも言うことですが、乗って残そうではダメでしょう。無くてはならない芸備線(木次線)にしなくては。
皆さんのアイデアも聞かせて欲しいものですね。
明日は令和7年7月7日ということで、七並びの記念グッズを販売する鉄道会社もあるようです。ということで、私は寝床で思いついたネタである「駅ナンバリングで77の駅名」を調べてみました。関西私鉄が4社も登場したのは関西人の一人として誇りに思います。【2025/7/7加筆修正済】

橋本駅にて
最近は若年層の投稿・コメントが増えており嬉しく思います。私はいつも通り、備忘録も兼ねてデジ青投稿を続けてまいります。もちろん、Facebookでの365日連続投稿も引き続き頑張ります。駅名喫茶店も今回が節目の第140回。数字シリーズは、本投稿で7回目です。

先日はクローバー会の交流会お疲れ様でした。
自分の発表は判り難いテーマだったかもしれません。
先だっての芸備線の存続に関する米手さんの投稿に関して、芸備線奥地の現状や先行きは悲観的な観測が強いかもしれません。
これを広島地区全体として見ると、間も無く開通する広電広島駅乗り入れ新線の開業と合わせて、鉄道全体で応援したり盛り上げていこうという動きが、ネット鉄全体の中では、「宮島線探索チャンネル」という個人なのか、組織なのかが盛り上げて行こうとしています。
https://x.com/Miyajimasen/status/1940402759846522917

「池」、「海」ときて、今回は「湖」です。暑い日は、涼しそうな漢字をみて暑さを和らげましょう。
調べてみたところ、そこまで数が多くないことが分かりました。では、早速まいりましょう。

初めて113系に乗車したのは、中学2年の5月でした。京都から湖西線の近江舞子まで友人と出かけました。往路は117系に乗車、近江舞子の一つ手前の比良で下車し、しばらく列車の写真を撮って時間を潰していました。その後、117系の旧塗装の電車に乗って近江舞子まで移動。再び比良に戻り、昼過ぎの電車で京都まで帰りました。京都まで乗車した電車が他でもない113系です。緑色であり、車内もリニューアルされていたものの、初めて113系に乗車できたことが本当に嬉しかったことを覚えています。

初めて乗車した湖西線の113系 (2015.5.31 比良にて)

比良から近江舞子まで乗車した117系 (2015.5.31 近江舞子にて)
それから約2ヶ月後の夏休み、友人と京都駅に行き、列車を撮影していた時のこと。偶然、113系の湘南色を見ることができました。後に分かったことですが、この列車が湘南色を纏う最後の1本でした。

湘南色の113系C10編成。今であれば4番のりばへ移動して撮影していただろうか
(2015.8.9 京都にて)

うだるような猛暑の京都駅に佇む113系。夏の日差しを浴びるその姿は風景によく映えていたことと思う
(2015.8.9 京都にて)
さらに1ヶ月後のこと、部活の練習試合で唐崎まで出かけました。唐崎駅で集合し、移動していた時のこと。後ろで電車の音がしたので振り返ると、8両の113系 (堅田行きだったと記憶)がちょうど発車した所でしたが、なんと前4両が湘南色でした。もしその列車に乗っていれば遅刻は必至でしたが、それでも「湘南色と分かっていたら迷い無く乗っていたかもしれない」そう思いながら走り去る列車を見送りました。(続く)
本日のクローバー会サロンでは、駅名クイズを披露させていただきました。その中の読み方クイズに関しては、デジ青内でこれまでに計60駅名を紹介してまいりました。本投稿では、サロンで出題した計20題を再掲します。
梅雨が明けて、いよいよ夏本番を迎えます。暑くならないうちに、ぜひ読み方クイズにチャレンジしてください。
駅名喫茶店(第111回:たまには駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ))
駅名喫茶店(第112回:蒸し暑い日こそ駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ2))
中学校に入り、バス通学を始めたこともあり、これまでより少し行動範囲が広くなりました。そして、同じクラスの鉄道好きの友人と、主に定期考査明けの休日に関西の電車に乗りに出かける、ということを始めました。様々な場所へ出かけましたが、中学1年の12月には、福知山へ行きました。この時、初めて113系の姿をカメラに収めたのでした。

福知山を発車する豊岡行き普通列車
二条から嵯峨野線の快速福知山行きに乗車。当時、園部以北にも221系が乗り入れる運用があり、その列車に乗車しました。時雨模様の福知山駅で、113系に何度もシャッターを切りました。113系は舞鶴線の直通列車を除いて、福知山以南では運行されておらず、この時は乗車できませんでした。

福知山駅に到着した221系の快速

特急はしだてに充当された「丹後ディスカバリー」

北近畿タンゴ鉄道(当時)宮福線のMF200形

福知山で見られる特急列車4本並び
4本中3本が381系だった

数を減らしたとはいえ、まさか現在でも見られるとは
(写真は全て2014年12月25日撮影)
当時の福知山駅では、381系や「丹後の海」改造前のKTR8000形のように、今では見られない列車が多くありました。まさか福知山の113系がそれらの列車よりも長く残り、しかも復刻塗装の列車が走るようになることなど、当時の私は知る由もありませんでした。(続く)