不順な天気が続いていた今年の秋ですが、ようやく安定した天気になりました。上田電鉄のクローバー会ツアーも好天に恵まれて、参加者とともに楽しむことができました。本日も、準特急さんにコメントを入れると、天気が良くなり日光方面に向かっていると返コメが即座に入って来ました。78歳の後期高齢者には“負けてられへん”とばかりに、私は夕方になってから、以前から目を付けていたBlue Momentポイントへと出かけました。
▲地下鉄の京都市役所前から電車に乗ること40分、京阪石山坂本線のある駅に到着した。しょちゅう来る電車を写しながら待つこと一時間、青い時間を迎えた。
駅のメロディー
この写真の駅名わかりますか。後方の山は信夫山です。そう岩代の国の福島です。列車は私が乘ってきたE6+E5系の17連盛岡行「やまびこ53号」の後追いです。福島は新幹線の駅では最も好きな駅の一つです。理由は目前に迫った信夫山の風景と福島駅の発車メロディーです。新幹線福島駅では甲子園の高校野球でお馴染みの古関裕而作曲の「栄冠は君に輝く」が流れその後に列車の出発案内が放送されます。古関裕而は福島の出身で日本のスーザとも言われ数々の名曲を残しております。この曲は行進曲風で颯爽として若々しく元気が出ます。同駅在来線では岡本敦郎の「高原列車は行く」もありこれもいい曲です。仙台は「青葉城恋歌」です。しんみりとした感じですがもう一つです。その他山形の「花笠音頭」、横手の「青い山脈」、弘前の「津軽じょんがら節」、広野の「汽車」、湯本の「シャボン玉」等の曲はよく知られておりますが、他は新しい曲で若い人向けなのか老鉄ファンにはよくわかりません。仙石線の宮城野原は「楽天イーグルス応援歌」がかかるそうで地方活性化に結構なことと思います。関東では小田原の「おさるのかごや」、平塚の「七夕祭り」、高田馬場の「鉄腕アトム」、メトロ銀座の「銀座カンカン娘」などを聞いたことがありますが、その後変わっているかもしれませんし、まだまだあると思います。大分豊後竹田の友人によりますと同駅では国鉄時代から「荒城の月」がかかっていたそうです。奈良の駅名研究家さんの研究とは少し異なるジャンルでちょっと聞いただけの駅のメロディーもいいなと思ったこともあり投稿してみました。検索すると駅メロディーファンも多そうです。本当はYou Tubeなど録音発信技術があればもっと研究して発表できるのですがそれができなくて残念に思っております。2021.7.6 福島駅▼

次に京王電鉄明大前駅京王線ホームの到着メロディーです。ここは駅名の如く明治大学校歌で上りは「白雲なびく」、下りは「オーオーメージ」です。他校のことになりますが、この曲も勇壮な感じで元気が出ます。内容は例えば下り特急高尾山口行きですと短いメロディーの後に「まもなく1番線に特急高尾山口行きが10両編成でまいります。黄色い点状ブロックの内側にお下がりください」と放送されます。列車頻度が高いのでメロディーは短いですが、各駅停車にも使われています。校歌のメロディーやメロディーそのものについてはいろいろあるかもしれませんがもう3年くらい続いています。初台にはオペラシティがあり、初台駅到着時には有名なオペラの曲がかかっていますが、オペラに疎くよくわかりません。古関裕而は「六甲おろし」も作曲しておりますが、阪神電鉄甲子園駅はかけていますか。昭和2~30年代にラジオで聞いた六甲おろしのメロディーは子供ごころにいいなと感じました。2022.10.8 明大前駅▼

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こんなん走ってます
鉄道150周年記念とかであちこちでイベントが行われているようだが、高齢の趣味人間はそんなことに惑わされず我が道を行っているのではないか。しかし、山手線でこんな真っ黒な電車が動いているのをチラッと見て気になり2022.10.2御徒町ホーム先端に行くと既に人手が多く危なっかしい状況だったので反対側に廻って停車中の車両を撮った外回りクハE234-15がこれ。国電の元祖は甲武鉄道と聞くが、山手線も準元祖のようなもので、そこに陸蒸気の色に変装した235系が現れたのだろう。国電の大家河さんにご紹介しようと思いますが「ええ加減にせい!」とお叱りを受けそうなのでこの辺でやめときます。▼

お城と電車(10)高知城
日本の残存天守12カ所のうち四国には4カ所あり、高知城もその一つ。関ヶ原の合戦の功で土佐二十万石の大名となった山内一豊が築城。現存天守は延享4(1747)年に再築されたもの。桂浜に銅像が立つ坂本龍馬は長宗我部系の下級武士と聞く。
2007.8.26▼

はりまや橋付近と思われるあたりで土佐電最大両数の630形と城を入れてみた。▼

令和4年の鉄道記念日
鉄道開業150年という節目の日にも関わらず、全く盛り上がらない10月14日であったように思います。皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。中国新聞の記事を引用させて頂き、古き良き時代を思い出すことに致します。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-14-
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-13-
秋のイベント「上田電鉄ツアー」も明後に近づいて来ました。楽しみにしていますが、クローバー会では、今まで、みんなで、いろいろなところへ行き、思い出をつくることができました。ここでは、みんなで共有したBlue Momentを紹介していきたいと思います。今回は、2018年5月に行った明知鉄道です。ぶんしゅうさんのお世話で、国民宿舎の「恵那山荘」で一泊しましたが、快晴に恵まれ、新緑のまぶしい二日間となりました。
動く写真 伊賀の里を行く電車
準特急さんが「お城と電車(9)伊賀上野城」を投稿されました。それで思い出したのが、昨年(2021年)の11月に伊賀鉄道の貸切列車のイベントをしたときの集会でご覧いただいた伊賀鉄道の昔と今の映像です。会員の方に写真を募集したところ3名の会員の方から写真を応募していただきました。それを動く写真にまとめてみました。ちょっと見てください。おまけに近鉄特急も出てきますよ。
いかがでしょうか。もう少しうまくできたら良かったのですが・・・
お城と電車(9’)伊賀上野城
大津の86様
貼り付けがうまくいかなかった分です。

お城と電車(9)伊賀上野城
築城の名手藤堂高虎が大和郡山から移された筒井定次の城郭を大改修し豊臣打倒のため有名な高石垣や五層の天守をあげた。現在残る三層の天守は1935(昭和10)年に再建されたもの。伊賀は忍者のふるさと、松尾芭蕉ゆかりの地であり、荒木又右衛門の仇討ちでも知られている。2004.8.8撮影 ▼

2021.11.7 現役生と共に開催された伊賀鉄道乗車会で上野市駅を出発する203で手作りのポスターが左側に掲載されている。元東急で鉄研三田会の荻原さんにはお世話になりました。▼

さて、貸し切り列車を見送った後は西大手-新居間で105の伊賀上野行きを撮影。▼

青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて-12-
おトクなきっぷの旅 九州編 Part6 帰路
往路ではまだ西九州新幹線は未開業でしたので博多からは乗換なし直通で長崎へ向かえましたが、開業後は武雄温泉での同じホームでの対面乗換方式となっています。
今日は博多から再び長崎へと向かい戻りは新鳥栖で降りて九州新幹線に乗り換えて鹿児島へ向かい、今度は志布志港までリムジンバス、フェリーで帰る予定です。
関西の蒸機を巡る ~小浜線~ ③
お城と電車(8’)
福知山線列車の車窓に現れた福知山城です。貼り忘れですが、項目をおこしました。2018.9.8 ▼
お城と電車(8)福知山城
福知山は山陰、福知山線のジャンクションで昔は北丹鉄道も出ていた。大阪、京都から長い旅(少なくともC57やDF50が牽引するオハ61系客車の頃はそのように感じた)を終えて福知山に到着する寸前に右手の丘に見えてくる。織田軍の丹波・丹後の基地として明智光秀が築城した戦国期の城で天守は1961(昭和36)年に復興された。ここも石垣に石塔や墓石が使用された粗野な野面積みである。3年間在城した。光秀は3年間在城し、善政で福知山の人々に慕われたという。尚、近くの商店街のような所にC5856が保存されていたがまだあるのかその後確認はしていない。
2013.8.30 福知山に到着する新大阪発城崎改め城崎温泉行特急「こうのとり15号」クロ181-14。左側に微かに復興天守が見える。▼
おトクなきっぷの旅 九州編 Part5 祝!西九州新幹線開業
おトクなきっぷの旅 九州編 Part4 4年ぶりの長崎市電に乗る
第3日目 9月23日 その1
昨夜ホテルへ戻ってから長崎のホテルの空室問い合わせを行いましたがどこもありません。これは参りました。今日は西九州新幹線に乗車して博多に行きます。博多ならホテルも多いと検索していましたらいつも宿泊するスーパーホテルに空室が見つかりました。ただ宿泊料金は15.800円といつもの倍以上します。それでもないよりはいいかと納得して予約を入れましたが・・。
11:30 一応、ホテルが決まったので西九州新幹線が開業した早速長崎駅へと向かいました。
▲ 駅前広場には開業式が行われたようでテントやブースが設営されていましたが工事中で雑然としているためなのか長崎駅からは離れた出島方向の長崎水辺の森公園がメイン会場になっていました。
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関西の蒸機を巡る ~小浜線~ ②
小浜線は、京都からは直線距離では、それほどでもないものの、アクセスは良くありません。どちら側から列車で入るにしても、遠回りを強いられて、着くのは昼ごろになります。走っているのも汎用機のC58では、訪問の優先順位は低くなります。近くの舞鶴線、宮津線も、よく似た路線ですか、そちらは、D51やC57、9600が見られるとあって、よく撮影に訪れたのとは対照的でした。
アクセスの悪さを救うために一計を案じたのが、夜行列車の利用でした。当時、北陸本線には、まだ大阪~新潟の夜行の鈍行が走っていました。京都23:48発、敦賀には深夜の1:37着、待合室で仮眠して、敦賀4:50の始発に乗れば、5時過ぎには撮影地に到着ができて、まるまる1日を有効に使うことができたのです。
▲前稿のなかで、「十村に来たのは、あるミッションがあって」と記した。私が行く直前、仲間のI原さん、T田君が、小浜線を訪れていたのだった。彼らが目指したのが、この十村の近くの小高い山の上の神社で、“十村はエエでぇ”と吹き込まれていたのだった。聞いたままに、くだんの山に登ってみた。なるほど! 素晴らしい展望ではないか。敦賀方からの線路がずっと見渡せて、右に見える十村駅の到着も見える。二人が言うのは間違いなかった(以下、昭和46年8月)。
おトクなきっぷの旅 九州編 Part3 西九州新幹線開業前日
第2日目 9月22日 その2
12:40 長崎駅は在来線・新幹線のホームとコンコースは完成したものの駅前は新しい駅舎ビルは建築中で駅前通りには迂回を余儀なくさせられます。駅前のアパホテル、ドーミーイン等々を回って空き室があるかどうか問い合わせをしますがことごとく今日は満室と振られました。そして東横インでようやく1部屋だけキャンセルが出ましたと案内されました。ただ取れたのは今日だけで明日は満室です。
駅前で長崎市電の撮影を開始しましたが今日は車が多く歩道からの撮影には難儀しました。駅前電停は歩道橋で連絡しているのですがなぜか多くの市民の方々がおられます。新幹線開業前日のイベントでもあるのかと上がって聞いてみますともうじき航空自衛隊のブルーインパルスによるアクロバット飛行の予行練習が見られるというので待つことにしました。
▲ 13:30 真っ青の空の下、轟音をあげて6機の国産T-2超音速高等練習機が飛来してきました。









