第7日目 6月28日
▲ 7:02 昨夜宿泊した『富良野AK STAR HOTEL』です。駅や繁華街からも離れて目立つ看板もなく一見してホテルとは見えません。昨夜着いた時もオーナーがホテル前でお待ちでしたので見過ごさずに入れましたが街灯もない暗い場所ですので初めて宿泊する方が到達するのは難しいでしょうね。
続きを読む
第7日目 6月28日
▲ 7:02 昨夜宿泊した『富良野AK STAR HOTEL』です。駅や繁華街からも離れて目立つ看板もなく一見してホテルとは見えません。昨夜着いた時もオーナーがホテル前でお待ちでしたので見過ごさずに入れましたが街灯もない暗い場所ですので初めて宿泊する方が到達するのは難しいでしょうね。
続きを読む
鬼無駅で駅撮り一時間半
JR四国6000系2編成を撮影した予讃線鬼無駅で、その前後、停車・通過する列車を撮影しました。その一時間半の成果を見ていただきます。時刻は8時から9時30分まで、朝の時間帯とあって、高松へ向かうJR四国の代表的な列車が通って行きます。
▲予讃線で高松から二つ駅の鬼無駅、つぎつぎに列車がやって来る。最もポピュラーなのが普通列車、7200系の2連。6000系も含めて約10分ヘッドでやって来る。国鉄時代の四国初の電車121系を完全リニューアルした。鬼無駅は、複線の対向式ホームで、何の変哲もない構造だが、この時間なら珍しく順光で撮れる。背後にある讃岐地方独特の円錐形の山もアクセント、手前の家や広告さえなければ、言うことなし。

乙訓の老人からの宿題を続けます。
続きを読む
夏が来ても、遠出ができず、家に籠ったままの生活が続いています。つい思い出すのは、直近に行った旅のことです。クローバー会で行った四国〈多度津・琴平ツアー〉から二ヵ月近くで経ちますが、同じ目的を持った仲間と旅することの楽しさを再認識しました。集合前の朝に、ぶんしゅうさんとともに、小さな駅に降り立って、ホーム端から高松へ向かう列車をつぎつぎに撮影しました。JR四国の列車写真を短時間でこれほど撮ったのは初めてでした。なかでも、前から憧れていた、JR四国6000系電車を全編成(と言っても2編成だけ)撮れたのは大きな収穫でした。

▲211系顔をしたJR四国の6000系、この顔はJR各社にさまざまな形式があって、端正な顔立ちで最後の国鉄型電車スタイルを確立した。なかでも6000系の高松方は、「前パン」になっていて、その魅力を倍加している。後部には右のように7000系のTc車7100を併結した4両編成となっている。 伊予西条発高松行き114M快速「サンポート」 6001-6201-6101+7108 予讃線鬼無
京都に祇園囃子が戻ってきました。昨年、一昨年は、祇園祭の巡行は中止、3年ぶりに囃子を耳にしました。京都の人間は、やっぱり心が浮き立ちます。私も昨日、写真展
見学のついでに、四条通へ行ってきました。
高齢者は、無理やり市電と結び付けようとしますが、満員の通行人のうち、市電を知っている世代は皆無に近いほど、若い人たちが多いのに驚きます。市電四条線が無くなったのは昭和47(1972)年1月ですから、ちょうど50年になるわけです。代わりに走り始めたのが京都市バスで、市電の経路に準じた、系統番号200番台の代替バスです。その代表が、市電1号系統の代替バスとなる201号系統です。
▲祇園祭巡行でつねに先頭を行く長刀鉾の横を走る、京都市バス201号系統。みぶ~千本今出川~百万遍~祇園~壬生と、京都の中心部、千本、今出川、東大路、四条通を循環する。市電の1号系統の代替バスとして走り始めて、ことしで50周年となる。市電廃止時に多くの代替バスが走り始めたが、この間、一度も経路が変わらず、京都の中心部を走り続ける、市バスの代表的な系統となった。
第6日目 6月27日
① 釧路8:18⇒10:45根室
今日は前回の旅で食べそこなった根室駅の絶賛の駅そばを食するため、リベンジで参りました。今回の旅の目的の1つでもあります。店の営業開始は11時からと駅員から聞きましたので10:45着の列車で向かいます。
8:07 釧路駅4番ホームに参りましたが、前回はガラガラだった車内はおばちゃま達の団体客で満席です。
運転席後ろに立って進行方向を見続けるのは大好きですので苦痛ではありませんが、それでも2時間半はちょっとしんどいかなと何とか空席を見つけました。
昭和47(1972)年2月16日 大阪駅
▲581系の特急「つばめ」が大阪駅に4番ホームに到着し、11:37に発車する。「つばめ」は昭和40年10月改正で151系から481系に変わり、さらに昭和43年10月改正で581系に置き換えられた。名古屋~熊本の昼行運転なので車内は座席として使用された。
雑事に追われて、私も投稿ができていませんでした。もちろん毎日閲覧はしていますが、最近のコメントを見ても、8年前の投稿に対して、岩手県にお住いの方から地元ならではの書き込みがありました。検索機能を使って、過去の投稿にも多くの閲覧があることが分かります。「デジ青」が巨大なデータベースに育っていることを痛感しますが、それを継承して行くためには、とにかく「写して、書いて、投稿する」しかないのです。もう停滞はできません。
少し前に昭和40年の大阪駅の「駅撮り」を載せました。それから、7年後に、大阪駅、新大阪駅で、一時間程度の駅撮りをしました。この7年間、国鉄も大きく変わり、その象徴は新幹線の延伸でしょう。昭和40年当時は新大阪まで、その後、山陽新幹線の工事が進捗し、来たる昭和47年3月改正では、岡山まで開業します。新幹線接続も、新大阪から岡山へと移り、ダイヤ改正が実施されます。変動のある列車を求めての駅撮りでした。
早いもので、乙訓の長老様が還らぬ旅に立たれてひと月になります。
パソコンの前に座ってもキーボードに指が届かない日が続きました。
目の前には長老様から預かった写真の山があります。奥様から「放っておくと捨ててしまうので全て任せるので持って帰って欲しい」と言われた写真です。そのうち長老様と思い出話をしながらゆっくりと整理すればいいや、と思今となっては今となっては悔やまれてしかたがありません。
会員の皆様も同じと見えて新規投稿も少なければコメントもしめりがちです。
こんなことでは「デジ青」ファンの皆様に申し訳なく、長老様が楽しみにしていた「デジ青」にも申し訳が立ちません。そこで気持ちを切り替えて写真整理に取りかかりました。長老様に聞いても「しらん、撮ったおぼえもないわ」と言われた写真から掲載しますので、例によってデジ青探偵団の皆様に「車両の特定」「撮影場所」「撮影時期」を教えて頂きたいのです。
おおいにツッコミ頂いて盛り上げてもらい、以前の賑やかさを取り戻して天国の長老様に笑ってもらえたらうれしいと思いますので宜しくお願い致します。

同志社号発車式で檄を飛ばす長老様
第5日目 6月26日 その2
根室本線 東鹿越~新得は、2016年台風10号の影響で集中豪雨となり斜面の崩壊や線路への土砂流入、橋梁の流出など甚大な被害が発生し、復旧には概算で10.5億円の工事費と少なくとも12か月以上の復旧工事期間を要するとの調査結果が発表されました。多大な費用が掛かることから費用の工面が付かずそのままとなっています。このために東鹿越~新得はバス代行で結ばれています。
今日は釧路へと向かいますが問題はルートです。A・B案とも登別から旭川までは同じですがここで東と南方向に分かれます。
登別 8:37(北斗1号)⇒9:50札幌10:00(ライラック11号)⇒11:25旭川
Ⓐ 旭川 12:41(大雪1号)⇒16:31 網走 18:54⇒22:08 釧路
Ⓑ 旭川 11:33⇒12:07 美瑛 13:08(富良野・美瑛ノロッコ号)⇒13:59 富良野
富良野14:19⇒15:04東鹿越15:13(バス代行)⇒16:21新得
新得 16:33(おおぞら7号)⇒18:39 釧路
Ⓐは、前回来た時は平日運休で乗車できなかった特急大雪号と夕焼けの釧網線に乗車できます。ただ網走での乗継時間が2時間23分もあり釧路着は22時を過ぎます。網走でゆっくりと夕食時間にしても良いのですが、22時着は遅すぎるように思えます。
Ⓑは、富良野線のトロッコと根室本線代行バスに初乗車できます。Ⓐと違って釧路着は丁度いい時間です。
どちらを選択しても宿泊はスーパーホテル釧路駅前を予約していましたので着くのが多少遅くになっても電話を入れておけば問題ありません。
旭川に着く直前まで悩み続けましたがそれまで検討時間がとれたのはこのフリーきっぷのおかげです。そして最終的にはⒷプランへの願望が勝りました。
続きを読む
第4日目 6月25日 その2
東室蘭から室蘭支線 7.0㌔に乗り換えて室蘭を目指します。2021年3月13日よりキハ40系から置き換えられたE100形に乗車します。苫小牧運転所では現在18両が運用されています。

続きを読む
第3日目 6月24日
今朝も5時には目覚めましたが、部屋の窓からは雨しか見えません。宿泊している東横インは朝食が付いてはいますがドーミーインやスーパーホテルのような美味しいものではなくおにぎりに総菜が2~3品ほどついた程度です。
6時半からしか出ませんのでホテル周りにある豪華な海鮮物の並べられた朝市を見て回って満足感をいただくことにしました。ホテルからはほぼ軒の下続きで雨を避けて回ることができます。コロナ騒動以前に来た時はインバウンド客、特に中国本土からの客が多く中国語が飛び交っていましたが、今は日本語だけです。それも大声はなくとても静かなものでした。
▲ 7:53 食後部屋でTVを見てゆっくりとしてから街へ出ました。ご覧の通りの土砂降りで時々横風が吹いてまつたけ傘にもなります。
続きを読む
第2日目 6月23日 その2

② 倶知安 12:35⇒14:11 長万部
▲ 12:05 再び倶知安駅に戻りました。ホームには本来今から乗車します長万部行きに接続する小樽発の1938Dが到着していました。乗り継ぐ乗客も多く降りて待っておられます。
そして折り返しでやってきた長万部行きはH100-11号の単行です。車内はご覧のように満席状態となりました。途中駅での乗降客は少なく、ほぼこの状態で終着駅へと向かいました。乗客の多くは鉄ちゃんらしい方々が多く思えました。皆さん北海道新幹線の工事が進む中で今のうちに山線との別れを味あっておきたいと望んでおられるようでした。青春18きっぷのシーズンが近づいています。多分三江線が廃止になった時と同様に乗り切れない客で一杯になるのでしょうね。
続きを読む
第1日目に宿泊したドーミーイン小樽はこのホテルには珍しいカプセル部屋がありました。自慢の朝食と天然温泉が付いの5,500円は格安です。早朝5時前には起きて朝風呂を楽しみました。
続きを読む
「どこかにマイル」で北海道への無料航空券を手に入れて5月16日~20日まで行ってきてより約1ケ月が経ちました。『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の発売を出発直前まで知らず、またコロナ対応での航空券の日程変更が出来なくなってしまっていて消化不良状態に陥りました。お金はないが時間は十二分にありますので、もう一度再挑戦しようと決めました。
と、言っても「どこかにマイル」に再エントリーしても大阪~新千歳便は中々候補ルートには出現してくれません。100回やって1~2回が出てくるのはやっとです。それも4ルート中の残り3ルートの組み合わせが行く気のしない所です。内地が梅雨となった今は北の大地行きが多くなり空席がなくなってきたので候補地には出現しないのだろうと容易に想像できます。しばらくエントリーを続けましたが難しいと諦めました。
確実に行ける方法はLCCのピーチを選択するしかありません。それでも往復となると高くになりますので復路は無料のJALのマイレージにしました。往路発は6月22日、復路は余裕を持っての6月30日と決まりました。

▲ 直近の情報です。「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」をJR北海道では8月31日まで発売する予定としていたが、北海道の補助金を基に発売予定数を算定しているため、6月17日時点であと3~4週間程度で発売終了する見込みになったと発表しています。お出かけになられる方々は早めに出発ください。
続きを読む
「デジ青」での沖中さんの活動の足跡を引き続き見て行きます。人生の糧として、元気にデジ青投稿を続けて来られた沖中さんですが、身体に変調を来たされるようになって来ました。外出も少なくなり、キーボードに向かう気力もなくなり、沖中さん自身の投稿は、2017年2月をもって途絶えることになります。
こんな時、「鉄道介護士」を名乗り、敢然と沖中さんへ救いの手を差し伸べたのが米手作市さんなのです。それまでも、東にデジタル難民がいれば、琵琶湖畔のマンションまで行って訪問介護し、西に投稿をさぼっている会員がいれば、大阪日本橋の歓楽街まで行って、尻を叩いて叱咤激励するなど、東奔西走の介護活動をされていましたが、乙訓地方にも差し伸べられたのです。さらに「こんなモンありまっせ」シリーズや、長期連載「昭和の電車 改訂版」シリーズなど、会の外においても、介護の成果を発表されて来られました。このような背景をもとに、「鉄道、つれづれ草」シリーズが始まったのです。以降、いくつかのテーマに分かれて連載されました。冒頭に当たっての、マイテさんの言葉をスクリーンショットでお見せします。▲沖中さんの個展「ドイツの街角に市電」で来場者に説明される。
いくつかの記事を見て行くことにしました。リンクもありますので記事を見てください。
「鉄道、つれづれ草-“乙訓の老人”からのお願い」◎1981年に廃止された福井鉄道南越線の写真が載せられています。最初は米手さんも疑心暗鬼で出されたのですが、沿線近くで青春時代を送られたマルーンさんや紫の1863さんから、詳細な説明が入り、キャプションも完成しました。私としては、以前に廃線跡を訪ねことがあり、粟田部駅の現役時代の写真もあって、今昔対比をすることができました。鉄道、つれづれ草ー“乙訓の長老”からのお願い その3 | DRFC-OB デジタル青信号
「鉄道、つれづれ草 -吉川文夫氏作品編」◎沖中さんと同じく熱烈な電車ファンとして名高い吉川文夫さん(故人)とも親交がありました。私も吉川さんが関西に来られると、一緒に酒席に入れてもらうこともありました。吉川さんと沖中さんは、写真交換が長く続き、多くの写真がストックされていました。そんな吉川さんから送られてきた、秋葉線など、貴重な写真をまとめたもの。鉄道、つれづれ草 ー吉川文夫氏作品編ー | DRFC-OB デジタル青信号
「乙訓の老人 鉄道、つれづれ草 〈三八豪雪のこと〉」◎三八豪雪とは、昭和38年に北陸地方での記録的豪雪のこと、北陸本線は長期間不通になり、閉じ込められた列車の救出劇などがニュースになりました。沖中さんはちょうど富山の勤務時代で、目の当たりにした豪雪の様子を写真で伝えています。さらに湯口徹さんらも迎えて、記録を続けます。乙訓の老人 鉄道、つれづれ草 《三八豪雪のこと》 | DRFC-OB デジタル青信号
いっぽう私のほうも、沖中さんの写真・原稿を何回か発表しました。これは“介護”と言うより、“これ、載せといてんか”と頼まれた、原稿転載の類いです。
「◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑧」◎“た~ちゃん”とは、沖中さんの幼名です。このシリーズは、沖中さんが業界紙に載せられた「路面電車から街づくりを考える」の再録です。京電の歴史から、欧米のLRTまで、沖中さんの幅広い蘊蓄が満載です。再録に当たっては、同じくクローバー会会員の故・大西友三郎さんの資料、カラーも併催しました。◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑧ | DRFC-OB デジタル青信号
「◆ た~ちゃんの電車めぐり ③和歌山電気軌道」◎沖中さんから託された写真の中からテーマを設定して、連載を始めます。これは、昭和32年12月、翌33年5月に訪れた和歌山地方の私鉄です。ここに載せられた和歌山電気軌道は、見たこともなく、沖中さんの撮られた鮮明な写真に、ため息の連続でした。湯口さんからスキャンの技術を褒められたのも、嬉しいことでした。◆ た~ちゃんの電車めぐり ③和歌山電気軌道 | DRFC-OB デジタル青信号