伏見城と伏見桃山城は違うらしい。伏見城は秀吉、家康の時代のもので焼失したり幾多の変遷があったが、今見ることができるのは伏見桃山城で全くの模擬天守である。伏見城は最初のものは指月山伏見城で、その後近くに再築されたものが木幡山伏見城と呼んで区別されている。木幡山伏見城もほどなく廃城となり、部材が二条城、淀城、そして前回の福山城に移築されている。城跡の主要部分は明治天皇の伏見桃山御陵となっており、模擬天守のある遊園地は近鉄グループが運営していた。
走る電車は近鉄京都線竹田-上鳥羽口間の京都行き急行で652+509+649の小型車3連である。撮影は1966.10.4でこの頃ここでは吊り掛け特急も見られた。▼
この界隈は京阪伏見桃山、桃山南口、近鉄桃山御陵前、JR桃山と桃山が多過ぎて不慣れな人間には迷いやすいのではないかと思うが、寄り道先の御香宮神社の近くには戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いか)の傷跡の残る建物も見られる。



















