青春18きっぷの旅 2021年新涼 Part1 旅立ち前の準備
コロナ騒動の中。鉄道での旅は昨年12月以降自粛してまいりましたが、2回目のワクチン接種も終わり抗体もできたようなのでボチボチ出かけてみようかなとの気持ちになってきました。

ただ今年の夏は雨の日続きで、青春18きっぷを買おうとするにも中々5回分の日程が組めません。5回は消化できないのでバラを探していますと、8月下旬になった25日に長岡京駅前のチケットショップで2回分バラ(4,800円)が見つかりました。即決で購入です。
【 難航した行程・日程選考 】
帰宅後、コロナ感染者数の少ない鳥取、島根、山口県を目的地に選びWeb時刻表から行程を組んでいきますが、ここで初めて中国・山陰地区では大雨被害による運休区間が多発しているのが分かりました。主要幹線の呉線(糸崎〜竹原)や山陽本線(厚東〜厚狭)でも運休区間があり、山間部の支線はもっとひどくズタズタ状態です。特急等の優等列車は殆どが運転取り止めとなっています。徐行運転による遅延も各線区で発生しています。これらは関西のTVや新聞では報道されていなく、詳しい運行状況はJR西日本のホームページやネット記事で確認するしかありませんでした。復旧運転再開日が不明な区間が多くこれでは確実な行程が組めなくなりました。
続きを読む
ここはどこ?私はだれ?ー第3お彼岸臨時列車ー
意外にもお客様が殺到して列車が混雑しておりますので、急ぎ第3臨時列車を増発致します。席は余裕がございます。押し合いへし合いしないで、ゆっくりとご乗車願います。今回はこれで最終列車となります。
米手作市氏 中国新聞に登場
総本家青信号特派員殿から、米手氏が奥出雲の方にお忍びで出かけられたことが中国新聞の知るところとなり、同紙に載ったらしいので至急調査願うとの連絡が入りました。早速ここ1週間ほどの紙面を探しましたが、備後地方と出雲地方では紙面が異なるためか見つかりません。そこで中国新聞デジタル版で探しましたところ、9月6日の地域ニュースに米手氏の名前を発見しました。画面コピーを添付し、ご報告に代えます。
昭和の電車 改訂版(210)ー京王電軌500号ー
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (28)
旭川区 C55 ③ さよなら北海道の蒸機
しばらく続けていました区名板ごとに見る北海道の蒸機、少し積み残しもありますが、今回で最終としました。旭川区のC55、番号ごとに残ったC55を見ていきます。
▲初めて渡った北海道で最初に撮ったC55、夜行急行「利尻2号」に鉄鈍爺さんと一緒に乗って、6時41分に稚内に着いた。さすがに最北の駅は寒いぐらい。例によって線路に下りて見るとC55 50〔旭〕の牽引だった。初めての稚内は、予想よりウンと小さな駅で、島ホーム一本に側線が数本あるだけ、ごく平凡な駅だった。ただ、この日は稚内駅にとって特別な日で、開道百周年記念式に臨席の天皇・皇后が、この日の午後に初めて稚内駅まで来る歴史的な日だった。駅前はチリひとつなく、キレイに掃き清められていた。かつては、連絡船の発着場まで線路が伸びていたが、いまはあっけないほど線路がポツンと途絶えていた。(昭和43年9月)
ここはどこ?私はだれ?ー第2お彼岸臨時列車ー
DRFC探偵団の皆さんがすばらしいのか、それとも私の知識が乏しいのか、出題した車両の出自が瞬殺で解明されてしまいました。そこでさっそく波状輸送と言うことで、第2お彼岸臨時列車を増発することにしました。なぜか第1で連結し忘れた車両も繋ぎます。
昭和の電車 改訂版(209)ー玉電デハ80型ー
ここはどこ?私はだれ?ーお彼岸臨時列車ー
夏休み臨時列車に続いて「秋の臨時列車・ステイホーム号」のご案内です。
前回もそうでしたが、乙訓の長老様は撮りためた写真を鉄道毎にひとまとめにしていたようなのですが、実際はごちゃごちゃになっていて区分けに時間がかかりました。その中でどうしても所属会社・車種・場所などが判別できないものが出てきます。それをまたDRFC探偵団の皆さんに解明していただこうと思いました。
なお、以前にも投稿した車両があるかも知れませんが、改めてお教えください。
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (27)
旭川区C55 ② C55 47 322レの旅
前回に、宗谷本線のC55の華の運用は夜行急行「利尻」と書きましたが、もう一往復、昼間に全線を通して走る普通列車321レ、322レの牽引もありました。明るい時間帯ですから、車窓から見る最北の鉄路の絶景は欲しいまま、車内はガラガラ、交換のため途中駅の停車時間も長く、C55の撮影もゆっくりできる、まさに“乗ってよし、撮ってよし”の列車でした。この列車に乗車・撮影すると、なぜか同区のC55 47の遭遇率が高く、それだけ好調なカマだったのか、昭和48年の宗谷本線の完全DL化まで働いていました。
▲宗谷本線と言っても稚内~旭川は約250kmもあり、ほぼ南北に走っているので、気温や積雪量は各所で差があるが、3月ともになれば、南のほうへ行くほど、路盤の雪も消えて、すっかり春の装い。稚内発小樽行き322レを牽くC55 47〔旭〕+客車4両 音威子府~筬島 (昭和47年3月、以下同じ)
こんな時期ですが、また写真展 やってます。
9月に入っても周囲の状況は厳しいまま、活動も制限されて、無為に毎日が過ぎて行きます。老い先短い、やり直しのきかない高齢者にとっても辛い毎日です。こんななかでも、自分の“足跡”をしっかり残していくべきと感じるようになりました。
そんな思いを持って、また性懲りもなく写真展を行っています。「伝言板」では一端を伝えしましたが、「掲示板」読者の皆さまにも改めてお伝えする次第です。今までの写真展の経緯をご存じの方にとっては、“またかいな”と思われるテーマ・会場だと重々承知しています。
そこで、今回は、少しやり方を変えました。今までは自分の写真を中心に構成していましたが、クローバー会の先輩や、お知り合いから貴重な写真を使わせもらいました。写真の幅、とくに年代の幅が広がりました。写真を補足するキャプションは詳しく、またコラム記事も作成してトリビアな話を纏めるなど、文字情報にも配慮しました。そしてニューフェイスにも加わってもらいました。私もぞっこん惚れ込んだイラストレーター8590(ヤゴクレ)さんに「七条大橋」テーマで新作を描いてもらい、ほかの作品も展示、一段と華やかに賑やかな展示になったと思っています。
また実施に当たっては、私なりの“エコ”を実践したつもりです。写真については、新プリントを原則にしながらも、使えるものは再利用を心掛けました。額などの部材は、高価で重い金属・ガラスは一切使わず、リサイクルできる紙と木だけにして、持ち運びの軽量化も考えました。企画や前作業は、全くの一人で、老人にはハードな作業でしたが、その分、自分だけのカラーが出せたと思います。あえて統一感をなくし、ギッシリ感、ボリューム感を出しました。何とか乗り越えて、体力・気力がまだ残っていたことは高齢者にとっては収穫でした。
なお、このような時期のため、開場しているのは、週のうち(木)~(日)の4日のみで、(月)~(水)は休んでいます。ご注意ください。
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉖
旭川区 C55 ①
やっと最終テーマの旭川区のC55に着きました。わらくろ屋さんから、“ぜひやってくれ”とリクエストがあってから数ヵ月が経ちました。やはり、C55そのものの魅力、走っている宗谷本線の魅力も加わって、私も渡道のたびに行きました。なかでも、“抜海現地闘争”と称して、DRFCメンバー約10人で南稚内~抜海の中間地点まで行き、「利尻富士」の標柱の立つ海沿いの絶景地でバンザイ三唱したのは、DRFC時代の最大の思い出となりました。計4回の渡道で旭川区C55を撮っていますのでソコソコの点数があり、機号別に紹介します。
▲宗谷本線のC55と言えば、真っ先に浮かぶのが夜行急行「利尻」の牽引だ。下り稚内行きで迎える朝の車窓も格別だが、上り札幌行きが漆黒の宗谷本線を走り続けるのも、蒸機の良さをしみじみ感じさせてくれる。停車駅では、ほとんど列車交換があるため、たっぷり停車時間があって、夜間撮影にぴったりだ。眠い眼をこすりながら、三脚を抱えて夜のホームを右往左往したものだ。幌延 C55 43(昭和44年9月)
昭和の電車 改訂版(208)ー京阪電鉄京津線80型ー
前回の投稿時には1900生さんが「ここだけのナイショ話」を書いてくださっています。
また、湯口先輩の投稿もありましたのでリンクを致します。
京津線80型
広島短信
昭和の電車 改訂版(207)ー叡山電鉄デオ300型ー
と、言ってもだれも反応がないのは前回同様です。このデオ300は人気がないのか、あまり写真を見ません。私も撮っていなかったようです。
そこでこんな時の救世主・乙訓の長老作品集をあさってみました。
ところが長老様も興味薄とみえてほとんど見つかりませんでした。それでも数枚ありましたのでご覧下さい。街の風景も味わってみてください。
《特別寄稿》国電の北限を走ったウグイス色電車・・・河 昭一郎
国電研究家・河 昭一郎様より、みちのくを走り去った“ウグイス色の旧型国電”に関しての考察をご寄稿頂きました。なお、添付頂いていた写真は退色とひび割れがひどく、色調についてだけ補正をしましたが、乳剤面のひび割れ・キズに関しては触っておりませんのでご承知おき下さい。
昭和の電車 改訂版(206)ー北陸鉄道モハ5000型ー
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉕
C58④ まとめ
今まで紹介できなかったC58をランダムに紹介していきます。準特急さんが記しておられるように、C57なら番号ごとのスタイルが気になるのに、C58に至っては、十把一絡げで、番号を意識することはありませんでした。北海道のC58をまとめていても、たしかに一両ずつの個体差を意識することは少ないものの、それだけ、中庸で、穏やかで、いかにも日本の風土に溶け込んだ蒸機だと改めて感じました。温暖で純日本的な風景の方が似合うかも知れませんが、北海道の厳しい自然のなかで、逞しく生き抜いたC58に、また新たな魅力を感じたものです。
▲昭和44年8月、青函連絡船で早朝の函館に着いて、カーブしたホームで最初に写したのが、函館発上磯行き751レを牽くC58 213〔五〕だった。上磯まではわずか27分で、わざわざ客車列車を仕立てるのは、折返しの函館行きが通勤時間帯に当たるため。江差・松前線の旅客はほぼDC化されていて、C58が牽く客車列車は2往復のみで、貨物も牽いていた。五稜郭区には、8両のC58が配置されていた(昭和44年8月)。
昭和の電車 改訂版(205)ー旭川電軌モハ1000型ー
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉔
C58③ 最果ての根室本線を行く
釧路区C58のもうひとつの舞台が、根室本線釧路~根室の客貨列車の牽引でした。釧網本線の車窓と似た風景ですが、海岸線を走る区間があるのが特徴です。人口はさらに希薄で、駅周辺だけにわずかな生活があって、ほかは全くの原野・湿原が広がり、さらに最果て感が増してきます。さらに、釧路~根室には、通しの普通列車6本のうち1本だけがC58の牽く客貨混合列車で、あとはDC列車でした。貨物列車も走っているとは言え、駅間距離は10キロ前後のところが多く、釧網本線に比べると、アプローチの難度は高いと言えるでしょう。
▲太平洋に切り立った海岸段丘のうえを行く釧路発根室行き447レ、釧路~根室で唯一の客貨列車だった。吹き下ろす風が強く、黒煙が編成を隠してしまった。いまや水平線まで望めるとして著名な撮影地となったが、懇切丁寧なガイドもない時代、車窓からの印象だけ頼りに、駅を降りて闇雲に雪原を歩いて到着した。別当賀~落石 (昭和47年3月)











