昭和の電車 改訂版(210)ー京王電軌500号ー

さすがにこの電車に関して話をされる方はいないと思いますが、前回の掲載時に準特急さんがコメントを下さっていました。
「文献を見ると昇圧後にも2700系の付随車(スモールTと呼んだらしい)として使われたサハ2503がどうもそれに該当するらしく廃車される寸前の1968年の姿を撮影しております。」

昭和の電車 改訂版(210)ー京王電軌500号ー」への4件のフィードバック

  1. 地元の車輌に1件もコメントが無いのは寂しく、投稿致します。3年前より、小生は「京王帝都電車回顧」と云う写真集を、刊行して居りまして、準特急さまにも御協力頂いています。昨年出した第2巻が、京王線戦前編で、この電車も載せました。ただ同一画像では申し訳ないので、別アングルの写真をお目に掛けます。撮影者は宮松金次郎氏、場所は当時の北沢車庫です。撮影年月日は、昭和6年3月20日で、この日は御陵線の開業式があり、宮松氏は往路の途次、車庫に立ち寄られ500号を撮影された由です。優美さと云う点では、京阪16号には、到底敵いませんが、櫛形の明り窓、窓のカーテン、楕円形の車番プレート等々、この電車がタダモノではない感じは、伝わって参ります。

    • 宮崎繁幹さん、
      またまた貴重な写真をありがとうございます。
      数年前に「ブラタモリ」で御陵線をやっていましたね。ご覧になりましたか?多摩御陵への連絡線だとか。
      もし、お分かりでしたらお教え頂きたいのですが、そもそもこの貴賓車の運行実績はあったのでしょうか?各鉄道会社が競って貴賓車を作りましたが実際に貴賓が乗車して御陵参拝をした事があったのかを知りたいのです。

      • 米手さまの質問に、お答えします。京王帝都電鐡三十年史の記載によれば、省線に東浅川皇室専用駅が出来たため、皇族が御陵線を利用したことは、一度もなかった由です。500号車の利用と云う点では、聖蹟桜ヶ丘駅(旧称:関戸駅)下車の聖蹟記念館へ照宮成子内親王(昭和天皇の第一子)が、女子学習院在学中に学友と出かけた折に、利用されたほか、その前後1~2回、使用されたのみとのことです。これでは、京王の歴史で、最も利用されなかった電車であることは、間違いなしですね!

        • やっぱりそうですか!
          この手の貴賓車は電鉄のメンツで作ったので、利用はなかったと考えていました。それでも二、三回は使ったのであれば役に立ったと言うことですね。これに乗った成子内親王のご学友がうらやましい!ではありませんか。

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