ここはどこ?私はだれ?ー第3お彼岸臨時列車ー

意外にもお客様が殺到して列車が混雑しておりますので、急ぎ第3臨時列車を増発致します。席は余裕がございます。押し合いへし合いしないで、ゆっくりとご乗車願います。今回はこれで最終列車となります。

㉜南海和歌山軌道線321型の322号

㉝三八五バ十和田観光線

㉞福島交通1203

㉟福島交通モハ1200形 モハ1204

㊱福島交通1208

 

19 thoughts on “ここはどこ?私はだれ?ー第3お彼岸臨時列車ー

  1. (34)の福島交通1203の晩年の姿を、昨日ネガスキャンしたばかりでしたので、貼っておきます。昭和58年8月撮影。
    ドアが両端に寄った小型電車で、窓が広窓とも狭窓ともつかない独特のサイズで、この電車はどんな経緯で生まれてきたのか非常に気になった1台です。あとは2列型ベンチレータの地方私鉄車は、非常に珍しい気がします。

    • 以下、乙訓の老人の記述を再掲します。

      車両は終戦直後の混乱時代を潜り抜けた後は順調に半鋼製ボギー車を増備している。それらは108(昭和25年6月)、109、110(昭和27年10月)、111号(昭和28年3月の4両で、車体長15,800粍の中型車であった。109、110号の2両は宇都宮車両の製造、他は従前通り日本車両による新造車であった。この4両は昭和32年12月9日付きで1208~1211号に改番された。更に昭和30年11月には日本車両で旧1型3両を鋼体化名義で中型ボギー車として新造、車号は1201~1203号とした。台車を始め主要機器は中古品のたらい回しであり、客室窓寸法は在来車より大きい。

      • ご回答感謝いたします。今回の投稿は大半が福島交通(電鉄)と判りましたが、全コメするのも抵抗があり、1203のみに留めました。
        同日撮影した1202はもっとユニークな台車を履いており、昔の京成電車に使われた雨宮製らしいです。

  2. 1枚目のカラーの画像ですが、南海和歌山軌道線の最後の新造車、321型の322号ですね。南海に合併後の車両なので、当時の阪堺線などと同じ、クリーム色と緑の塗装でした。
    Wikipedia によれば、海南市黒江の室山団地内で集会所件倉庫として使われているそうです。 

    • すみません。「集会所件倉庫」の「件」は「兼」の誤りです。失礼しました。

  3. ㉟南海和歌山軌道線モハ322の現役時代です。昭和46年1月2日、和歌山駅前。

  4. ㉟は福島交通モハ1200形 モハ1204
    モハ1200(1201~205、1208~1211)は戦前製のモハ101~111の鋼体化で生まれたが、車体の大きさや窓配置は様々で5種に分類される。
    ●モハ1201~1203 は1955年日本車両製の15m車、1D9D1で広窓、木造車モハ101~103(1942年日車製)の改造車。
    ●モハ1204・1205 は1948年手塚製作所製の12m車、D10Dで狭窓、モハ104・105の改造車。
    ●モハ1208 は1950年日車東京製の15m車、1D13D1で狭窓、モハ108の改造車。
    ●モハ1209・1210 は1952年宇都宮車両製の15m車、1D13D1で狭窓、モハ109・110の改造車。
    ●モハ1211 は1952年日本車両製の15m車、1D13D1で狭窓、モハ111の改造車。

    • 番号から(35)1204も福島交通だと類推しました。今大阪の家から地方に「私鉄車両めぐり1-3」と「世界の鉄道74-76」の6冊を持ってきているので、福島交通の記事を目を通し、1204の写真が載っていなくて、これは初見かもしれません。
      上の説明の手塚製作所の記憶がなく、ネットで調べると、営団の電車を手掛けており現在も企業は存続しており、東京メトロの復元車両や、丸ノ内線電車のブエノスアイレスから帰還した車両の復元に活躍しており、良い話だと思いました。福島交通の車両も年表に出ていますので、アドレスを貼っておきます。自動リンクではないので、ペースト参照ください。
      https://www.tezuka-rsi.co.jp/company/history.html

      • 手塚車輌工業株式会社の情報、ありがとうございます。沿革にも「1948年(昭和23年)福島電鉄株式会社に電車車両2両(1204、1205号)を新造納入」と明記されていますね。
        ㉟の写真は老人が1959年9月14日に訪れた時のものと思いますが、「昭和23年4月、東京手塚製作所(実態不明)製造による104、105号を導入している。半鋼製車両であり、モーターを始め台車はもちろん、手持ち機器を洗いざらいかき集めた産物だと車庫では言っていた。主要要目を列記すると、定員80(座席40人)、床面積24.96㎡、車体寸法:長12,840、巾2,720、高4,050粍。自重18頓。出力:85(750V)Kw×4、代価7,200,000円(1両か2両分かは不明)であった。」「書面上は廃車となった筈の1204号車が残っていたが理由は不明。」と記しています。
        消滅したのは何時か分からないのですが、ネット上で発表されている同車の撮影年を見ると風間克美さん撮影の1204、1205は1966.12.31撮影となっており、他にも1967.1.22撮影の1204なども見られ、この頃まで現存していたようです。

  5. ㉝の推察です。
    バスは三八五バスで線路は十和田観光線ではないでしょうか?

    福島に引きずられ何となく東北と目をつけて、バス会社を調べてみました。バス側面の二つ目の文字が「八」に見え、右から「三五八」と見えないこともありません。同社は三沢にも拠点があり、また逆三角形の社紋も似ています。
    http://www.miyagobus.co.jp/misawa.html

    北海道の行き帰り、弘南、南部縦貫には毎年寄りましたが、十和田に行きそびれたのが今となっては後悔です。

    和歌山軌道線の保存車は和歌山城内にもありましたね。

    • 宇都家さん、西村さん
      解読、ありがとうございます。本当はあきらめていました。長老様が曰くありげに残しておられたので気にかかり、お尋ねしたのです。その部分を拡大しましたのでご覧下さい。

  6. 宇都家様
    ㉝は難問でしたね。三八五で間違いないですね。お見事です。車体側面の5文字のうち3文字は「三八五(みやご)」ですが、残る2文字は「バス」には見えず、「交通」か「産業」なのか判然としません。三沢地方では有名な企業グループのようです。昭和25年5月に発足した「三八五貨物自動車」がルーツのようです。手前の線路は十和田観光電鉄ですね。昭和26年6月20日に762mmから1067mmに改軌していますが、写真は改軌後でしょう。三八五グループのHPに鉄道模型展のポスターがあったので添付しておきます。

  7. おかげさまで日を待たず、すべて解明できました。
    これもひとえにDRFC探偵団の皆さんの知識の賜物です。10月になると乙訓の長老様のお宅へ参上して、写真類を担ぎ出してきます。そして、また整理、そうしたら新しい疑問が出てくるのでそれまでお待ちください。

  8. 西村様 米手様

    ありがとうございます。
    せっかく「三八五」を解明できたのに「三五八」と誤記してしまっておりました。失礼しました。
    三沢、八戸、五戸、のことでしょうか?
    ともあれ、次の宿題を楽しみにしております。

    • 「三八五」の「三」は三戸です。三八五バスは、現在は貸切のみ営業しています。路線に関しては、営業地域がバッティングしていた南部鉄道→南部バスとの間で何かあったのではないかと思っています。

  9. 藤本様
    ご教示ありがとうございました。
    南部バスはググってみますと2017年からは会社としては県境をまたいだ岩手県北自動車になっているのですね。
    確かに青森市よりは岩手県北部の方が近いようですが、、、

    ※日本交通公社 最新旅行案内「東北」(昭和43年刊)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください