2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part36 ルーマニア最古の鉄路 Oraviţa(オラビタ)~ヤム(Iam)に乗る

DSCN0733028▲ ヤム(Iam)駅構内でも現地民からの ”一緒に写真を撮って欲しい” との催促がありました。帰り際には俺たちも撮ってくれとのオーダーも出ます。
写真を撮ったり、撮られたリが大好きなルーマニア人の皆さんです。何処に行っても毎日の恒例行事になりました。 


第16日目 2月26日 その1
① Oraviţa  7:15⇒8:07  Iam 8:30 ⇒9:22 Oraviţa
 

今日は朝1番の列車でルーマニア最古の鉄路に乗車してセルビア国境のヤム(Iam)へと向かいます。

DSCN0645010DSCN0648011▲ 6:55 今日も小雨が降る寒い朝を迎えました。まだ夜明け前のオラデア駅前はTaxiが客待ちをしています。小さな田舎町ですが利用客は結構あるようです。

昨日は閉まっていた切符販売窓口は、今朝は開いていました。いつものように行先と時間を書いたメモを提出、「I want this tiket 」の呪文を唱えて切符を受取ります。
01_Oravita--▲ オラデアからヤムへの切符です。乗車距離は27㌔、運賃は4.5Lei(約140円)です。

06_時刻表Iam▲ Oraviţa ~ Iam の時刻表です。毎日、同じ編成が朝・夕・夜の3往復をします。

DSCN0652_100▲ 6:59 乗車する列車は昨日止まっていたのと同じ編成、発車直前まで室内灯は点かず真っ暗でした。

▲ オラデア寄りの車両には荷物室が付いていますのでキハ+キハユニの編成です。先頭車に乗車しましたが乗客は私を入れて、5名のガラ空きでした。
上の駅舎はヤムまでの途中駅です。ルーマニア最初の鉄道としてのかつての栄華は失われ、使われなくなった屋根は崩れ落ちて崩壊を待つのみです。

DSCN0684_100[googlemap lat=”45.006466″ lng=”21.400851999999986″ align=”undefined” width=”550px” height=”350px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]ヤム(Iam)[/googlemap]
▲ 8:07 定刻にヤム(Iam)到着。Google地図で見ますと集落があるようですが、付近は耕作地か牧草地だけですので農家なのでしょうね。

▲ 折返し時間は約20分後です。遠くまでは行けませんが、行けるところまで行く事にしました。雑草の中に車止めが見えましたのでレールがあるのはここまでなのでしょうね。セルビアとの国境までは約1.5㌔、この先は進めなくとも迂回すれば国境までは普通に行けそうです。
※ 路線跡についてはGoogle地図の衛星写真モードから線路があった軌跡を見る事が出来ます。
05_最古の鉄道00_01▲ 廃線跡は、ヤム(Iam)から耕作地の中を抜けて行きます。
”Jasenovo”手前で現在のセルビア国鉄線と合流してこの地の中心地 ”Бела Црква”(ベラ・ツルクバ=白い教会)の町に入ります。ここからはドナウ川支流のネラ川(NeraRiver)に向けて南下して、”Vračev Gaj””Socol(ソコル)に架かる橋を渡って、終点の”Baziaş”に着きます。

【 ルーマニア最古の鉄道 】
オーストリア帝国時代にアニーナ炭鉱で採炭される石炭及び沿線で伐採された木材ををドナウ川沿岸のバジアシュ(Bazias)に運ぶために計画され、1847年に建設が始まりました。
1954年8月20日に最初の区間、オラビタ~バジアシュ(Oraviţa – Iam – Iasenova – Vracevgai – Baziaş)の62.9㌔が開業して貨物輸送が開始されています。2年後の1856年11月1日には客扱いも開始されています。混合列車はオラビタ7:02⇒10:02バジアシュ13:30⇒16:38オラビタ、所要時間は約3時間で1往復が走っていたそうです。牽引したのは
ウィーナーノイシュタットで製造された蒸気機関車でした。

順調に運行されてきた鉄路でしたが、1918年の第1次大戦後はオラビタ~ヤムソコル~バジアシュがルーマニア、真ん中途中はセルビアに分断されて直通運行は一旦停止しました。その後ルーマニア側のオラビタ~ヤムは復旧されて現在まで運行が続けられていますが、セルビア内とルーマニアのソコル~バジアシュは他路線と併用された区間外は1950年を最後に廃線となりました。
そして積荷の船への積替えや税関等で交易都市として発展してきたドナウ川沿岸のバジアシュ(Baziaş)は、多くの建造物遺産を残して衰退して行きました。記念碑たるバジアシュ駅舎はドナウ川に建設されるゲートダムによる水位上昇のため1960年以降には取り壊されて、当時の痕跡を残すものは見当たりません。歴史に翻弄された鉄路でした。

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▲ ヤム駅舎は残ってはいますが内部はご覧の通り1部は崩落しています。ただ駅事務室内を見まますと綺麗なピンク模様のクロスを貼った壁がまだ残り、かつての栄華を知る事が出来ました。
名称未設定 1▲ 帰りの切符は車内で買い求めました。駅売りとはサイズがちょっと違っています。

9:20 オラデアに戻りましたが列車を降りますと、ポリス2名が私を出迎えていました。
地球の歩き方にはルーマニアは偽ポリスの多い所で首都ブカレストは何かと金銭を求める不逞之輩が横行しているので身分を確かめるように、十二分に注意するようにと書かれていました。この2人は大丈夫かなと用心しましたが、身分証を提示しての対応で、本物のようです。
雨が降っていましたので駅舎横に隣接するポリボックスへと連行?されることになりました。
Part37に続く

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