羽村さんが遺したアルバムから 〈14〉

完成した三代目京都駅

平成の終わりが刻一刻と迫ってきていますが、デジ青投稿も積み残しのテーマが多くあって、焦りを感じています。羽村さんから預かった写真だけでも、大急ぎで載せていくことにします。今回は、昭和27年5月に完成した三代目京都駅です。この羽村さんシリーズでも京都駅は多く採り上げられており、〈1〉では二代目駅舎、〈10〉では、焼失した二代目に代わる、三代目駅舎の建築中の様子が紹介されています。今回は、その三代目駅舎が、焼失後わずか一年半で完成し、業務を開始したあとの姿です。
高さ30m、8階建て、真っ白な塔屋が青空に映える三代目京都駅。おそらく当時では、京都で一番高い建物だったのだろう。この塔屋には、以前にも記したが、フロアごとに飲食店が入り食堂街となった。


西側から見た新しい京都駅、二階には京都駅観光デパートが入店する。前にも書いたが、大都市の駅では、東京駅が明治期の煉瓦造り、大阪駅は戦時中に工事が中断したままの無骨な駅舎、対して京都駅の新時代を予感させるシャープなデザインは、何事にも東京・大阪にライバル心を燃やす京都人の自慢だった。
羽村さんは、再び丸物百貨店の屋上に上がって京都駅を撮影している。工事中にも同地点から撮影していて、工事の推移は気になっていたのだろう。工事中は、右下の緑地帯に市電のループ線が見えていたが、京都駅の再建と同時に駅前も再開発されて、ループ線はなくなり、ターミナル式の乗り場に改められた。
新しくできた京都市電の西乗り場の全景。三線式の日本最大級の市電乗り場が誕生した。N電も見える駅前は、最後の整備工事が続いている様子。背後の関電ビルは、戦後、占領軍に接収されてホテルとなった。壁面にHOTEL RAKUYOのネオンが見える。

京都駅にも入場して列車も撮影している。まずは1番ホームに到着した上り特急「つばめ」を撮影。牽引機は、もっともよく「つばめ」牽引に使われた30号機、右手にはスハニ35に積み込むのだろうか、荷物が見える。

 

 

 

 

 

 

 

昭和25年に京阪神地区に80系電車による“急行”が走り始めたが、車両不足で、しばしば“代用急電”が走った。これもクハ68への改番前のクハ55を先頭にした“代用急電”で、大形の羽根形ヘッドサインが取り付けられている。興味深いのは、ホームの途中に渡りがあって電車が進入していることで、向こうにも電車が見えて、二重停車のようになっている。ホーム途中の渡りは、戦前の写真にもあり、ホーム長が順次延長された結果だろうか。

山陰本線ホームへ行くと、キハ41000の2両編成が停車している。初期型のディーゼルカーは戦前から亀岡までの区間運転として使われていた。

 

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