他の記事掲載や自分の怠慢によって、ずいぶん間隔が空いてしまいましたが、再開します。九州の駅めぐり、まだ続けます。
佐世保
現在は、高架化された近代的な駅になっているそうな。佐世保へはもう40年以上も行っていない。私のなかの佐世保は、蒸機の煙で満ち溢れていた、狭い地上駅へとさかのぼる。
佐世保での興味は、早岐~佐世保間で運転される、蒸機の運用の多様さにあった。鳥栖・肥前山口方面から、佐世保へ向かう列車は、早岐で逆行となる。牽引機の機回しとなるところだが、早岐~佐世保間はわずか8.9キロ、また佐世保駅は狭くて、機回しの余裕もない。そのため、早岐に着いた列車は、後部に別の機関車を付け、佐世保へ向かう。佐世保発は逆の編成となった。
▲その代表がC11の牽くブルトレとして有名になった特急「さくら」だ。本務はもちろんDD51で、早岐~佐世保間のみC11がアタマに付く。以前にも記したが、通常はヘッドマークは付かなかった。次位は電源車マヤ20。右手に停車中は、呉発佐世保行き急行「出島」で、かつての軍港同士を結ぶ列車だった(昭和42年)。
▲東京行き「さくら」入構シーン。昼間、早岐で整備を受けた「さくら」編成は、DD51+20系+C11で、夕方、佐世保へ回送され、ホームに据え付けされる(昭和42年)。
▲急行列車も、牽引機は、「さくら」と同じ運用だったが、こちらはハチロクがアタマだった。大阪行き「西海1号」(43・10改正で大阪行き急行は「平戸」から「西海」に変更)、58648〔早〕+客車+DD51573〔鳥〕で、早岐へ向けて発車していく(昭和44年)。
▲佐世保からは、京都・大阪・東京方面に優等列車が運転されていた。42・10改正で見ると、特急では大阪行き「いそかぜ」、東京行き「さくら」、急行では京都行き「平戸」、東京行き「西海」で、ほかにも九州各地へDC急行が多く運転され、鉄道としては要衝駅だった。これは臨時急行「第二平戸」。C57111〔早〕。早岐区のC57は、当時13両配置で、ほとんどが門鉄デフの装備で、区名板の〔早〕ともあいまって、本当に軽快で早そうな印象だった(昭和42年)。
▲この2点は普通列車、上は58648〔早〕+C11194〔早〕重連の早岐発佐世保行き527レ(昭和42年)、下はC57155〔早〕牽引の佐世保発諫早行き841レ(昭和44年)、旅客駅の中心としての佐世保、車輌基地としての早岐、という関係のため、早朝・深夜にも客扱い列車があった。早岐が早朝4時32分発、深夜は1時00分着の各普通列車があり、地方としては、異例の早朝・深夜だった。今なら、回送とするところを律儀に客扱いを行っていた。