「びわ湖の銀嶺へ」/昭和22年12月26日の新聞広告

昭和4年12月、琵琶湖汽船の前身の太湖汽船と京阪電鉄が共同でマキノスキー場を開設し、昭和6年、浜大津から海津大崎まで夜行スキー船の運航を開始した。昭和9年、60形「びわこ号」を新製し、夜行スキー船に連絡する天満橋~浜大津間の直通電車を運転したことは余りにも有名である。戦時体制の強化により、世の中はスキーどころではなくなり、夜行スキー船の運航は中止されたが、戦後間もない昭和23年1月に早くも復活したことが判明した。

 大津市内にお住いで、京阪バスを中心に大津地区のバス路線の歴史、変遷を調査、研究されておられる知人の昨年12月26日付ブログに、表題の新聞広告が掲載されていた。昭和22年と言えば、戦後の混乱が未だ続き、板張り窓や座席半減車が走っていた時代であるが、4月1日のダイヤ改正で京阪本線の急行がスピードアップの上、15分間隔になる等、着々と復興しつつある時期でもあった。我が国の高度成長期の原動力となった「団塊の世代」(私も含む)の人達が誕生した時期でもあった。この時期に早くもスキー場の新聞広告が存在したということは、世の中が多少とも落着きを取り戻し、スキーを楽しむことが出来る人がそれなりに存在したということであろう。ご本人の承諾を得てここに紹介させていただいた。

「スキー予約券前売開始」の後は、宿泊券1泊55円朝夕食事付、梅田駅、天満橋駅、三條大橋駅及び現地で10日前発売。京阪バス四條大宮より浜大津まで特別運転スキー船連絡。
「スキー船就航」の後は、1月3日より3月7日まで毎土曜日及び2月10日夜12時浜大津出港後朝7時半到着。定期船奇数日午後1時浜大津発。
  スキー船連絡券(往復)三條より83円、大阪より111円、神戸より127円、浜大津より海津大崎まで38円、往復75円、小人半額
 江若スキー列車 毎日発片道55円、定期船にも通用
と書かれている。

広告主は京阪電鉄分離前のため「京阪神急行」である。阪急沿線の人は四条大宮まで来て浜大津まで特別運転の京阪バスで行き、スキー船に乗換えていたことが判る。江若鉄道もスキー列車を走らせており、乗車券は定期船にも通用となっているが、この時期は未だ京阪の系列ではないため、プール制であったと思われる。四条大宮~浜大津間のバスはディーゼルエンジン車であったのだろうか、江若のスキー列車はC11「ひら号」の引く客車であったのだろうか等想像するだけでも楽しくなる。
また、比良スキー場の場所は「八雲ガ原」ではないと思うが、何処にあったのかも気になるところである。
 ブログの名称は「京阪バス現在完了形」(http://contrapunctus.blog103.fc2.com/)で大津地区のバス路線の歴史を詳細に調査されておられるので、是非ご覧いただきたい。

【参考】JR東日本の数少ないスキー列車「ゲレンデ蔵王号」
583系6連で1月、2月の金曜日の夜、新宿から東北本線、仙山線経由で山形まで片道のみ運転されている。(今シーズンの運転状況は未確認)上りは回送で、仙台を朝出発し一旦東大宮に入るので「ヒガハス」等でも撮影可能である。

「びわ湖の銀嶺へ」/昭和22年12月26日の新聞広告」への5件のフィードバック

  1. 「びわこスキー電車」については、京都新聞23年12月某日(マイクロフィルムのコピーが擦れ判読できない)【スキー電車復活】の見出しで紹介された。それまでは日野トレーラーバスで輸送していた。京阪線では「びわこ」コト60形を用い、天満橋浜大津直通列車で「スキー電車」を運転した。列車は運転された時の最優等列車扱いとされた。従って23年12月~は急行で79分、24年12月~急行65分、25年12月~急行59分、26年12月以降の特急53分時代はそれに従ったが、その後のスピドアップで直通運転はなくなった。ちなみに新生京阪となった25年では「びわこ」は四宮(回送)19:35発、浜大津19:46着、(営業)19:50発、三条20:15着・(回送)20:17発、天満橋着21:16、(営業)21:38発、三条22:37着・22:39発、浜大津23:04着であった。これが臨時列車で、この後に臨時の不定期列車が1本設定されていた。特急のスピードアップに従い四宮→浜大津→三条間は営業、三条→天満橋間は回送として、天満橋21:58発、三条22:57着・22:59発、浜大津23:23着とされた。

  2. スキー船より1年遅れでの「びわこ号」による「スキー電車」の復活のお話、有難うございます。三條から浜大津まで京津線の電車ではなく、日野トレーラーバスで輸送していたとのこと、これまた非常に興味深いお話です。前回紹介させていただいた知人のブログ「京阪バス現在完了形」にトレーラーバスのことが昭和22年12月28日付の京都新聞の記事と共に紹介されています。それによると「新生日本は輸送復興から!」「京阪バスの豪華なプレゼント100人乗りトレーラーバス12月28日より京都~大津間颯爽と運転開始!!」と書かれており、期待の大きさが伺えます。それにしても京津線の電車の話題が全く出てこないのは、車両を中心に復旧が遅れていたということでしょうか。

    「スキー電車」の運転は京阪が初めてではないでしょうか。現在では私鉄の「スキー電車」は東武が浅草~会津高原尾瀬口間に運転している「スノーパル23:55」が唯一と思います。まともに走ると到着時間が早すぎるため、途中の新藤原駅で時間調整をして会津高原尾瀬口に5時33分に到着します。また、初夏から秋にかけては「尾瀬夜行」として運転され、この場合は途中駅の時間調整がなく、到着後尾瀬沼山峠行のバスの発車時間まで車中仮眠ができるようになっています。

  3. ゲレンデ蔵王の反応が遅れました。 m(_ _;)m
     
    今冬も師走には秋田車の「わくドリ」、新春には仙台車の「ゲレ蔵」が走りますね。
    私は先ほど、シュプールの競演(笑) を実施しました。

  4. 日野トレーラーバスは、あの時期確かに希望の星?でありました。山科在住で小学生であった老人は、なけなしの小遣いで乗車はしましたが、客室前頭部の、動力部分上客室は一段と床が高められ、その分天井が低く、座席も低く、居住性は最悪でした。京津線四ノ宮車庫火災・大量の車両焼失直後、京阪社長は「日本で珍しく立派な京津国道に電車を走らせるよりも、むしろ快適なトレーラーバスを走らせる方が旅客輸送面から見ても効果が大きいので研究したい」と新聞に語っています。方向転換にはかなりの広さを要し、そうどこでも導入できるバスではなかったと記憶しますが、京阪バスとしては自慢の車両であったのは間違いありません。

  5. 追加と書けば体裁が良いが、落としていたこと1件。直通列車の所要時分は京阪間のもので、京津間の急行は昭和33年3月ダイヤ改正までは25分であった。
    スキー船連絡バスの事は「隣のおじさん」に聞いたことで、当時おじさんは天六運輸部におり、自宅が下鴨でもあり大宮駅に駆り出されたと言っていました。
    トレーラーバスのトレーラー部の車体は日国京都で造っており、我が下鴨小学校3年生はお披露目乗車会にクラス選抜20×4クラス、80人が招待された。当然、老人もそのうちの1人で、学校前の下鴨西通りには入れず賀茂川右岸、賀茂街道の出雲路橋西端から乗車、大久保の工場往復となった。工場では未完成の車体がずらり並んでいた。これらが京阪、京都市、大阪市バスに分配された。ちなみに京阪は最初2組で、最大5組だったように思う。当初、四条大宮西入る(現ホテル)の2階建車庫が本拠であったが、上層しか入らず、後に追分の国道べりに専用車庫(その後リネン工場に改装、現状は知らない)を新設した。このトレーラーバス、市バスでの転回場所から推して三条京阪には入っていないと思われる。祇園、仁王門、蹴上経由で運転したのではないだろうか。 
    京阪バス50年史では22・12・26 スキー旅客輸送のため四条大宮ー浜大津間運行認可。22・12・28 トレラーバス2両京津国道線に配車運転開始。とある。

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