さよなら 近鉄特急色 〈3〉

勾配区間の12200系

近鉄の路線延長は約500キロあって、前回〈3〉で紹介のように見どころは多いのですが、私が特急に乗って、いちばんワクワクするのは、桜井から始まって、伊勢中川付近まで延々と続く山岳区間です。33‰の連続勾配をものともせず、最高速度を維持しながら、グイグイと上がって行きます。以前、本の取材時でしたが、暮れゆく頃、駅のコンビニで買った100円コーヒーを飲みながら、流れ行く夕景を眺めたのは至福の時間でした。

大阪線の前身となる参宮急行電鉄は、昭和5年に上本町~山田が開通しました。長谷寺~榛原の約10キロに33‰の連続勾配が続き、榛原~三本松、伊賀上津~伊勢石橋にも33‰の勾配があります。トンネルも、最長の新青山トンネルをはじめ、12のトンネルがあり、鉄橋、大規模な築堤も連続する、日本最初となる山岳区間を走る電気鉄道でした。当時の2200系の最高速度は110キロであり、当時としてはまさに新幹線の出現でした。今回は、この山岳区間を行く12200系を眺めてみました。山岳区間では、昔から撮影地として有名だったのは、長谷寺から榛原寄りへ行った大築堤だろう。高橋弘さんのビスタカーが代表的な写真だ。手前が段々畑になっていて、高さが自由に変えられるのも魅力だった。その後、耕作がされなくなり、荒れ邦題、樹木も伸び放題になり、撮影ができなくなった。(2001年11月)

現場へは長谷寺で降りて、国道165号を少し歩き、小道を右に折れると近鉄線を潜り、南側に出ることができて、上下列車とも順光撮影ができた。下り特急の場合は、近くの山まで登って、北側の長谷寺周辺まで、俯瞰撮影もできた。(2001年11月)区間には何ヵ所か規模の大きな鉄橋があった。新緑の山々を背景に、オレンジの帯がまぶしい。榛原~室生口大野(2003年4月)手前に桃を入れて、下り特急の通過を待った。この日は、乙訓の老人さん、準特急さんらと連れ立っての撮影で、ひときわ思い出深いものだった。室生口大野~三本松(2003年4月)いま山間区間の撮影地として有名になったのは、この室生口大野~三本松だろう。中間付近の鉄橋を見下ろす小学校の横に立つと、三本松方向が一望に見渡せる。最近、近くの国道に道の駅ができて、ここから歩いてもすぐ。(2003年4月)同じ地点では、築堤への上がる小道があって、ここでも、自由に角度が変えられる。レンズ画角、架線柱に掛かりを考えて、さまざまな走りの撮影ができる。(2003年4月)(2002年3月)

12 thoughts on “ さよなら 近鉄特急色 〈3〉

  1. せっかくの企画に乗りたいと写真を探しましたが、こんないい写真は皆無、さらにカラーでは撮っていません。古い写真でジャマをするようで申し訳ないのですが、割り込ませて下さい。上本町で撮りました。

    • 米手さま
      いつも写真を見せていただき、ありがとうございます。まだ上本町が終点の時代の新ビスタじゃないですか。米手さんのルーツをお聞きすると、大阪はミナミ、近鉄とも縁の深いところとお聞きしています。ライトを点灯させて、名古屋から長駆、終着駅に到着する雰囲気がよく出ています。私は、この時代の近鉄は記録していないどころか、全く乗る機会も見る機会もありませんでした。

      • おほめ頂き、汗顔の至りです。
        子供の頃に叔父に誘われて名古屋まで往復した時に撮りました。
        こんな写真でも時が経てばホメてもらえるのが嬉しくて、恥を考えず投稿しています。
        きっと誰もがついで撮りした写真は持っているはずですが、ここでは恥ずかしくないどころか、見せたらホメてもらえるのですよ。
        これからも恥ずかしげも無く投稿しますのでホメてください!

        • 米手さま
          ついで撮りこそ貴重な記録です。高級な機材に大型三脚で一発必中で撮った写真には、心が伝わりません。“ついで”こそに撮影者の心が籠もっているのです。私も恥ずかしげもなく、ついで写真を投稿しますので、お互いにホメ合いしましょう。

  2. 私も何とか割り込みたいと思っているのですが—、総本家さんの完成度の高さには付いていけません、お手本として拝見しています。榛原~赤目口は名張に引っ越してから身近な撮影場所となりました、四季折々に季節感のある風景が楽しめます。総本家さんの撮られていない場所を捜していたのですが全く見当たりません。多分撮影されているといると思いますが今の季節の一枚です(2017年2月)。

    • wakuhiroさま
      いえいえ、私もwakuhiroさんからは、本の編集の際にもお世話になり、デジ青でも、お住まいの近くの撮影を参考にさせてもらっています。この付近では珍しい雪景色ですね。私は全く雪に出会うことがありませんでした。今日から特急の運休がさらに拡大して、近くを通る近鉄特急の通過音も少なくなったなったことと思います。

  3. 整理中の乙訓の長老様の作品に同じような場所から撮った写真がありましたので貼ります。『この日は、乙訓の老人さん、準特急さんらと連れ立っての撮影・・』と、ある日の写真でしょうか?
    長老様は『勝手に整理して、勝手に使って、勝手に処分してくれ』と言われるのですが、まだまだ先が長いです。

    • 米手さま
      写真、ありがとうございます。“この日”は、三本松へ行った時の思い出ですが、この長谷寺の時は、一人で行ったのか、誰かと行ったのか思い出せませんが、同じ位置から撮っていますから、乙訓の老人さんと一緒だったのでしょう。長老のご先祖が、榛原の奥の出で、とりわけ大阪線山間部にはこだわりを持っておられます。おそらく長岡京~京都~西大寺~八木~長谷寺と、車内ではずっと喋りっぱなしだったと思います。

      • 乙訓の老人の父、私にとっては祖父ですが、榛原から南の方へ10kmほど入った宇陀市菟田野町という所の出身でした。私が幼い頃、夏には家族全員でそこへ墓参に行くのですが、八木乗り換えで着いた榛原の駅前の食堂で昼食をとるのが恒例でした。さっさと食事を済ませた乙訓の老人に促されて線路端で特急車の通過を見る。これが私にとってのビスタカーの原風景です。

        • 乙訓の老人の甥さま
          ご出身地の思い出、ありがとうございます。榛原の駅前食堂のことは、乙訓の長老様からも聞かせてもらいました。昼ご飯を食べ終えて、近くの線路端で、轟音とともに通過して行くビスタカーをみんなで見送る‥‥、数十年前の様子が瞼に浮かびます。

  4. DRFCに入会していた1970年頃に近鉄大阪線朝倉駅周辺で撮っていました。風景ものどかな田舎の風景です。1年上の先輩に誘われて行った時の事です。

    • どですかでん様
      50年前の朝倉周辺の新ビスタ、ありがとうございます。今では朝倉付近も住宅地となっていますが、当時はのどかな眺めだったのですね。取り入れの終わった稲藁もいい味出しています。それにしても、新ビスタは、いいデザインですね。「ひのとり」「しまかぜ」より、ずっと斬新な外観です。

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