昭和の電車 改訂版(145)ー京浜急行500系ー 投稿日時: 2021年1月27日 投稿者: 米手作市 しばらく“進駐軍専用列車”というなじみのない電車が続いたので反応がありませんでしたが、ここからはおなじみの車両が出てきます。京急500系に関しては準特急さんが 京急500形・550形 で詳しく投稿されています。ぜひご参照下さい。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(110)ー国鉄モハ40型ー 昭和の電車 改訂版(83)ー阪急200系ー 昭和の電車 改訂版(55)ー小田急デハ1600型ー 昭和の電車 改訂版(51)ー神戸電鉄300型ー 昭和の電車 改訂版(45)ー阪急751号ー 昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー 昭和の電車 改訂版(20)ー阪和電鉄モタ303号ー 昭和の電車 改訂版(8)ー国鉄クハ86型ー
京急通の方 次の2葉の写真について解説をお願い致します。 国電狂の小生がスカ線取材時に京急を『序で撮り』(失礼!)したネガが有りました。 「♪赤い電車に白い帯、京浜、京浜、京浜急行~」から「♪京急ゥフォーユウ~」に変っている今、骨董品ではありますが、どなたか解説をお願いします。 特に、黄色と赤塗装の旧型車の解説をお待ちしております。 返信 ↓
河様 これは京急初のカルダン駆動車だった初代700系(のちの2代目600系)ですね。正面の鼻筋の非常に細い2枚窓とクロスシートが特長です。私は600系となってから一度だけ、それも川崎~品川間ですが乗ったことがあります。(幸いクロスシ-トに座れました。) この中では、正面に貫通扉を開け、2扉のままロングシートに改造して琴電へ行った仲間がいます。琴電でも最近は同じ京急の1000系や700系(2代目、4扉車)が主力で、この2扉車はイベント運転以外は出番も少ないようですが、私はこちらでも乗り、撮りしたことがあります。そのときの写真を添付します。(2013(平成25)年5月5日、琴平線仏生山~太田間にて) 返信 ↓
米手作市様 唐突な『♪京浜、京浜、京浜急行~』の件、大変失礼致しました! 当地方では誰もが京浜急行をイメージする同社のコマーシャル・ソングですが、それが最近では『♪京急ゥ フォー・ユウ~(for you)』へと変り、時代の変化に伝統が押し流されるのを実感しております。 ところで、貴殿の「♪はしーる窓から眺めたら・・・じりりんピリピリポーポ・・・♪」のイワレは何でしょう? 返信 ↓
マルーンさん、 阪急にもこんなコマーシャルソングありましたか? むかし、朝日放送(ラジオ)で「漫才学校」というのがあってミヤコ蝶々が校長先生、秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいし他が生徒、南都雄二の用務員が『では、出席をとります。秋田Aスケ君!・・・男前のゆうさん!』で始まる公開録音番組でした。この提供が「阪急電鉄」で、『♪おー宝塚・・』の歌で始まりました。私はこれが阪急電鉄の歌だと長いこと思っていたのでした。でも、本当の阪急のコマーシャルソングは未だに知りません。 返信 ↓
まほろばの鉄趣味住人様 早速の解説コメント、有難うございます。 カルダンでしたか。そう言えば静かな走りだったような。 クロスシートに「お得感」が有って、パチリと記録した気がします。 それにしても、琴電さんも新車と見間違うようなコダワリ改造をするんですネ。 殆どの地方私鉄は譲り受けた車には金を掛けず、手をあまり加えないで原形のまま使っていて、熊電の青ガエルの最低限の改造には感心したものです。 返信 ↓
これは初代の「京阪特急」ソングですね。歌はマルーンさんの仰る通り楠トシエさん、作曲はなんと三木鶏郎さん(古いですね。知ってる方にはわかります)という豪華キャストでした。淀屋橋延長線開業前までこの歌詞でした。では淀屋橋開業後はどうなったでしょうか? 歌も懐かしいですが映像がまた素晴らしい。3000系が懐かしの疎水堤防を走っていますが、この歌が作られたのは1810系登場の頃でした。 余談ですが、手元にこの曲をブラバン演奏用に編曲した楽譜が残っています。ご希望の方はコピーしますのでお知らせ下さい。 返信 ↓
ネットでこの歌を探しましたが、初期の『♪天満橋から三条へ』がなかなか見つかりませんでした。やっと見つけたこの映像も3000系特急で、1700や1800の映像ではないのが残念ですが、大目に見て下さい。 それより「阪急の歌」はまだかっ! 返信 ↓
米手作市様 折角、午前中に回答をいただいてたのに、今日に限ってネガのスキャンに夢中になっており、デジ青を見るのがこんなに遅くなりました。お許しを! 添付頂いたコマソンは軽快なテンポで最高! 中でも『枚方の菊人形』のクダリは、中学、高校の頃、家族で毎年のように行った大昔を思い出して、胸がジ~ンでした。 しかし、『♪じりりんピリピリポーポ』の意味は?なんですけど。(笑) それにしても、漫才学校のミヤコ蝶々、秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいし、みな懐かしいですネ。 「阪急の歌」はまだかっ!・・・はケッサク!! 返信 ↓
河 昭一郎さま ご無沙汰しております。ひらかた大菊人形に何度も足をお運び戴き有難うございました。いまさらですが御礼申し上げます。実は小生、昭和56年から59年までの3年間、ひらかたパークで金庫番をしておりました。河様がご一家でおみえ戴いていた頃は菊人形も最盛期の頃ではなかったかと思いますが、小生はその頃の賑わいをいくらか残した、菊人形末期の頃の赴任でした。最盛期の頃は臨時急行が増発されていましたが、10月の紋日に上り急行が枚方公園駅に着いたものの、パーク入口から駅ホームまで長蛇の人波で、ホームに降りてもらうことが出来ず、そのまま次駅枚方市まで乗って行ってもらい、折返し下り電車で空いている下りホームに降りてもらったという、ウソのようなホントの話が伝わっておりました。 さてお訊ねの「ジリリン~」ですが、これは発車ベル~車掌の吹く笛を模したものですが、続く「ポーッポ」はSLの汽笛で、電車の発車時の音景を代用したもののようです。もちろん電車は昔から音色の差こそあれタイフォンの「プァ~ン」ですが、2度続けて歌うとなると「プァ~ンプァ~ン」では随分間の抜けた歌になってしまいますので、当時はまだ馴染みのあったSL音で代用したということでした。決して当時の京阪電車がポーッポと警笛を鳴らしていた訳ではありませんので、一言申し添えさせていただきます。 ところで最近本の整理をしておりましたところ、平成24年発刊のピク誌「こだまの時代」を発掘、河さまの151系急行「オリンピア」ほかの貴重な写真を見付けて拝見する機会がありました。当時も同誌にご投稿されていた写真等によって河さまを存じ上げたわけですが、半世紀近く経って再びこうして知己を得られることはたいへん有難いことと思うとともに、河さまの当時と現在迄の半世紀に亘るご活動に感謝の念を深くしております。 返信 ↓
1900生様 そうですネ、あの頃は今の様に社会も豊か(を通り越して『贅沢』)では無く、慎ましやかな中での『一大イベント』でした。 小生はと言えば、1963(昭和38)年の春には憧れの京都にフラレタ身を引き摺って、泣く泣く関東に流れ着いた頃でした。 下りの臨時急行の乗客がホームが満杯で降りれず、次駅の枚方市まで行って 上り電車で折り返して来たお話、さも有りなんと頷きました。 ところで、『じりりんピリピリポーポ』ですが、ホトホト自分の勘の鈍さを知って唖然!でした。(笑) ピク誌の件、お褒めにあずかり恐縮です。 とにかく理屈抜きで国電が好きな『国電バカ』を自称しております。 今後共よろしくお願い致します。 返信 ↓
河 昭一郎さん、 スキャンされたネガの内容、気になりますね。 さて、『じりりんピリピリポーポ』は1900生さんの言を待つまでもなく、発車のベル・車掌の吹笛・発車のタイフォンの音でしょう。 この度この歌を改めて聞いてみて、なんというすばらしいCMソングだろう!と思いました。スピード感は鴨川堤をはしる特急のようで、沿線の魅力と季節感を盛り込んだ歌詞も秀逸。楠トシエさんの歌声は軽やかで発声は明瞭で聞きやすい。なんで京阪はこれを使い続けないのか不思議です。 反対に現在使われている「出町柳から」と比べれば天地の差です。営業・広報の能力が劣化しているのでしょうね。 参考までに『出町柳から』を聞いてみて下さい。 それにしても阪急にはCMソングはないのかッ! 返信 ↓
米手作市さま 先のイメージソングをよくぞ発掘して戴いたと驚いていましたら、今度のこれは何ですかねえ。初めて聞きました。こんなしょうむないのは京阪オフィシャルの歌とは思えませんが。ただ駅名を連呼しているだけですね。若い人向けに作られたものかもしれませんが、これはあくまでも「BGM」ですね。BGMであれば映像が主体で、バックに何が流れていようがまあいいわけですから。 「天満橋から三条へ」には単に特急のテーマソングにとどまらず、仰るように淀屋橋延伸前の京阪の躍動感みたいなものが溢れる、「イメージソング」だったと思います。 それにしてもよく色々なものを見付けられますね。ステイホーム時代の優等生だと尊敬いたします。 返信 ↓
私見ですが・・ CMソングは、売りたいものを歌に乗せてすり込むことを目的に作られている歌です。「天満橋から」はそれを見事に表現しています。乗ってみたいな京阪特急!行ってみたいな京都・琵琶湖!を絵葉書のように思い浮かばせてくれます。それに比べて「出町柳から」は、歌手の発声も滑舌もわるく、歌詞も使用説明書のようで面白くも乗りたくもありません。補助いすがどこから使えようと知った事ではない! 昔のCMソングはパンフレットの代用で、いまは歌手や音楽事務所とのコラボで作られ、商品として歌が売れるのに相乗効果を狙っていますから広告として明確な打ち出しが出来ません。 でも見落としてはならないのは、現在電車で旅行するのは高齢者で、若者は車でしか行かないのです。若者受けを狙って歌手とコラボしても彼らは京阪電車で琵琶湖へは行きません。われわれオジンとオバンは8000系の二階に乗って京津に乗り換え浜大津へ行くのを厭いません。そしてそのオジンとオバンには「取説ソング」は何を言ってるのか聞き取れないのです。 無印不用品さんや1900生さんが現役ならこんな無駄遣いはさせなかっただろうにと老婆(爺)心ながら思いました。 返信 ↓
「出町柳から」は初めて聞きました。頭に残ったのは「ダブルデッカー、そうでっか」。それぐらいですかね。ところで阪急のコマーシャルソングも検索したらありました。6300系バージョンです。やはり関西の電鉄会社コマーシャルソングは京阪と南海でしょう。阪急は「おお宝塚」ですし、近鉄はやはり「真珠の小箱」ですな。ところでなんで「ー京浜急行500系ー 三浦半島へ戦後の新風」が・・・誰がポイントを切り替えたんけ。 返信 ↓
どですかでん様 この件の犯人は私で~す。 最初の投稿文に、京急のコマーシャル・ソングを話題に出したのは私です。 手前の黄色と赤の旧形車(252)以下3連、特に腰の高い2両目の中間車に興味がありました。 その後、米手作市様からの投稿に有った小生にとっての謎の『じりりんピリピリポーポ』に小生が食い付いたのが原因で~す。(笑)
米手作市様 スキャンは、高校時代の同級生が同期生50名ばかりのネットサイトを『運営?』しており、今後母校に絡む話題展開を考えているので、在学時代の写真を供出せよと要請があったためです。 鉄道の方は、小生にしては『数が膨大』で結局のところ手付かず状態に近いままです。 思えば、カツテ貴殿が勧めていただいたお陰で『珍しい客車』のスキャンをして以来の感じでもあります。 『その内ネガが全部ダメになる』との恐怖感に苛まれております。(カラ―ネガは、ほぼ全滅) ところで、『おけいはん』の『天満橋から三条へ』ですが、聞けば聞くほど『逸品』ですネ。 反面、追加でアップしていただいた『出町柳から~』は『ダ~メ!』(笑) しかし、これも時代なんですネ。 近頃の若者の歌の世界は、まるで幼稚園の子がアットランダムに口ずさむような『つぶやき調歌詞』や平坦で早い旋律の『御経か?』みたいな曲ばかり。 仰せのとおり、営業・広報の能力が劣化しているようにも思えますが、現代の若者を中心とした『文化』や『礼儀作法』など全てについて幼稚化が目立ち、その最たるものが『歌の幼稚化』と嘆いております。 反面演歌や歌謡曲では、その歌詞に込められた『ヒネリ(捻り)』や聞く者への『投げ掛け』には時に惚れ惚れするものです。 ・・・ッテ、年寄りの悪~い癖がでましたか? 勿論、年寄りにも心の広~い人も居られ、現代の若者を絶賛する人も居られますので、NHK風の御断り・・・小生の意見は『絶対意見』ではありません。 アレ、えらい脱線しましたカナ? 返信 ↓
河 昭一郎 様 いやいや、河様が京急のコマーシャルソングの話題を提供してくださったので、楽しいコメント合戦となったと思います。これがクローバー会の真骨頂であります。ありがとうございます。おかげで京阪出町柳バージョンのコマソンを初めて聞きました。また、阪急のコマソン(6300系バージョン)も検索して聞きました。これからもいろいろな話題を提供をお願いします。 返信 ↓
河 昭一郎さん、 どですかでんさんの言うとおり、談論風発、どこで脱線するか分からないのが当会の伝統です。これについてこれなくなったら老いぼれた証拠(?)だと言われます。 私は音楽の専門家ではありません(専門家どころか音符が読めない!)が、今の歌は「リズムあってメロディーなく、音量あって歌唱力なし」です。特に歌詞は自分よがりで聴く者の心を揺さぶる詩は書けません。仰るように文学力、特に語彙力がありません。阿久悠やなかにし礼などの有能な作詞家が活躍できなかったのは残念な限りです。 どですかでんさん ところで阪急のCMソング6300バージョンはどこにあるのでしょうか?ぜひぜひ聞きたいのですが。 『♪おー宝塚』は本当に阪急のCMソングなんですか? 返信 ↓
「おー宝塚」は宝塚歌劇団の歌です。阪急といえば宝塚歌劇となるので勝手に阪急のCMソングと思っているだけです。そして、近鉄といえば「真珠の小箱」。反射的にそうなってしまうのです。まあ、パブロフの近鉄ですな。昔、奈良市高畑町の新薬師寺界隈を歩いていると真珠の小箱のロケを見ました。番組の雰囲気そのままのゆったりしたロケでした。放映した番組は「奈良のわらべ歌」と題した番組だったように覚えています。 返信 ↓
最後に阪急と南海のCMソングを貼りますのでご覧下さい。 阪急はどですかでんさんのいう「6300バージョン」ですが私は知りません。 https://www.youtube.com/watch?v=2Zf7WwhUDok 南海は以前に話題になった『♪なーんなーん南海電車、南の海を走ってく』です。 返信 ↓
皆々さま さてさて大騒ぎ?を巻き起こした『昭和の電車・京浜急行500系』も、久々の大台?28件のフィードバックを持って沈静化するようで、『名鉄3900』に追われるように閉幕の模様です。 が、結局肝心の『黄色と赤の旧形車(252)以下3連、特に腰の高い2両目の中間車』の課題はウヤムヤ(笑)になってしまいました。 その話題を脱線させた犯人が小生だとは言え、『何だかナ!』と反省やら失望やら。 皆様、ご迷惑をお掛けしました。併せて今後共、よろしく。 返信 ↓
こちらこそです! せっかくの疑問にだれも答えず、CMソングの話ばかりで本当に申し訳ございません。京急は準特急さんか藤本さんが担当ですが、どうしているのか。 次回の会議で会長以下当該会員に猛反省をしてもらいます。 ところで『♪京急~フォーユー』は『happy birthday to you』のパクリですね? 返信 ↓
米手作市様 そうでしたか! 『happy birthday to you』のネェ。 又また、『早トチリの河』の本領を発揮しちゃいましたか!(悲) そう言えば前半のゴチャゴチャは聴かずにスル―して『Keikyu~ for you』のみが耳に付いてしまってたみたいです。 じゃあ『赤い電車に白い帯』のCMソングは変った訳ではないのかなぁ。 大騒ぎしてスミマセン!(恥) 返信 ↓
京急通の方
次の2葉の写真について解説をお願い致します。
国電狂の小生がスカ線取材時に京急を『序で撮り』(失礼!)したネガが有りました。
「♪赤い電車に白い帯、京浜、京浜、京浜急行~」から「♪京急ゥフォーユウ~」に変っている今、骨董品ではありますが、どなたか解説をお願いします。
特に、黄色と赤塗装の旧型車の解説をお待ちしております。
河 昭一郎さん、お久しぶりです。
ところでこんな歌があるのですか?
私は「♪はしーる窓から眺めたら・・・じりりんピリピリポーポ・・・♪」しか覚えていません。
京急通の方へ
写真をもう1枚。
河様
これは京急初のカルダン駆動車だった初代700系(のちの2代目600系)ですね。正面の鼻筋の非常に細い2枚窓とクロスシートが特長です。私は600系となってから一度だけ、それも川崎~品川間ですが乗ったことがあります。(幸いクロスシ-トに座れました。)
この中では、正面に貫通扉を開け、2扉のままロングシートに改造して琴電へ行った仲間がいます。琴電でも最近は同じ京急の1000系や700系(2代目、4扉車)が主力で、この2扉車はイベント運転以外は出番も少ないようですが、私はこちらでも乗り、撮りしたことがあります。そのときの写真を添付します。(2013(平成25)年5月5日、琴平線仏生山~太田間にて)
米手作市様
唐突な『♪京浜、京浜、京浜急行~』の件、大変失礼致しました!
当地方では誰もが京浜急行をイメージする同社のコマーシャル・ソングですが、それが最近では『♪京急ゥ フォー・ユウ~(for you)』へと変り、時代の変化に伝統が押し流されるのを実感しております。
ところで、貴殿の「♪はしーる窓から眺めたら・・・じりりんピリピリポーポ・・・♪」のイワレは何でしょう?
正解はコレです!
思わず見とれました!
歌は楠トシエさんですか?時代を感じます。
有り難うございました。
マルーンさん、
阪急にもこんなコマーシャルソングありましたか?
むかし、朝日放送(ラジオ)で「漫才学校」というのがあってミヤコ蝶々が校長先生、秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいし他が生徒、南都雄二の用務員が『では、出席をとります。秋田Aスケ君!・・・男前のゆうさん!』で始まる公開録音番組でした。この提供が「阪急電鉄」で、『♪おー宝塚・・』の歌で始まりました。私はこれが阪急電鉄の歌だと長いこと思っていたのでした。でも、本当の阪急のコマーシャルソングは未だに知りません。
まほろばの鉄趣味住人様
早速の解説コメント、有難うございます。
カルダンでしたか。そう言えば静かな走りだったような。
クロスシートに「お得感」が有って、パチリと記録した気がします。
それにしても、琴電さんも新車と見間違うようなコダワリ改造をするんですネ。
殆どの地方私鉄は譲り受けた車には金を掛けず、手をあまり加えないで原形のまま使っていて、熊電の青ガエルの最低限の改造には感心したものです。
これは初代の「京阪特急」ソングですね。歌はマルーンさんの仰る通り楠トシエさん、作曲はなんと三木鶏郎さん(古いですね。知ってる方にはわかります)という豪華キャストでした。淀屋橋延長線開業前までこの歌詞でした。では淀屋橋開業後はどうなったでしょうか?
歌も懐かしいですが映像がまた素晴らしい。3000系が懐かしの疎水堤防を走っていますが、この歌が作られたのは1810系登場の頃でした。
余談ですが、手元にこの曲をブラバン演奏用に編曲した楽譜が残っています。ご希望の方はコピーしますのでお知らせ下さい。
ネットでこの歌を探しましたが、初期の『♪天満橋から三条へ』がなかなか見つかりませんでした。やっと見つけたこの映像も3000系特急で、1700や1800の映像ではないのが残念ですが、大目に見て下さい。
それより「阪急の歌」はまだかっ!
そんな古い話は、分かりません!
Aスケ、Bスケさんのお好み焼き屋さんが宝塚にあったことは聞いたことがあります。新芸座があったからですかね!?
米手作市様
折角、午前中に回答をいただいてたのに、今日に限ってネガのスキャンに夢中になっており、デジ青を見るのがこんなに遅くなりました。お許しを!
添付頂いたコマソンは軽快なテンポで最高! 中でも『枚方の菊人形』のクダリは、中学、高校の頃、家族で毎年のように行った大昔を思い出して、胸がジ~ンでした。
しかし、『♪じりりんピリピリポーポ』の意味は?なんですけど。(笑)
それにしても、漫才学校のミヤコ蝶々、秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいし、みな懐かしいですネ。
「阪急の歌」はまだかっ!・・・はケッサク!!
河 昭一郎さま
ご無沙汰しております。ひらかた大菊人形に何度も足をお運び戴き有難うございました。いまさらですが御礼申し上げます。実は小生、昭和56年から59年までの3年間、ひらかたパークで金庫番をしておりました。河様がご一家でおみえ戴いていた頃は菊人形も最盛期の頃ではなかったかと思いますが、小生はその頃の賑わいをいくらか残した、菊人形末期の頃の赴任でした。最盛期の頃は臨時急行が増発されていましたが、10月の紋日に上り急行が枚方公園駅に着いたものの、パーク入口から駅ホームまで長蛇の人波で、ホームに降りてもらうことが出来ず、そのまま次駅枚方市まで乗って行ってもらい、折返し下り電車で空いている下りホームに降りてもらったという、ウソのようなホントの話が伝わっておりました。
さてお訊ねの「ジリリン~」ですが、これは発車ベル~車掌の吹く笛を模したものですが、続く「ポーッポ」はSLの汽笛で、電車の発車時の音景を代用したもののようです。もちろん電車は昔から音色の差こそあれタイフォンの「プァ~ン」ですが、2度続けて歌うとなると「プァ~ンプァ~ン」では随分間の抜けた歌になってしまいますので、当時はまだ馴染みのあったSL音で代用したということでした。決して当時の京阪電車がポーッポと警笛を鳴らしていた訳ではありませんので、一言申し添えさせていただきます。
ところで最近本の整理をしておりましたところ、平成24年発刊のピク誌「こだまの時代」を発掘、河さまの151系急行「オリンピア」ほかの貴重な写真を見付けて拝見する機会がありました。当時も同誌にご投稿されていた写真等によって河さまを存じ上げたわけですが、半世紀近く経って再びこうして知己を得られることはたいへん有難いことと思うとともに、河さまの当時と現在迄の半世紀に亘るご活動に感謝の念を深くしております。
1900生様
そうですネ、あの頃は今の様に社会も豊か(を通り越して『贅沢』)では無く、慎ましやかな中での『一大イベント』でした。
小生はと言えば、1963(昭和38)年の春には憧れの京都にフラレタ身を引き摺って、泣く泣く関東に流れ着いた頃でした。
下りの臨時急行の乗客がホームが満杯で降りれず、次駅の枚方市まで行って
上り電車で折り返して来たお話、さも有りなんと頷きました。
ところで、『じりりんピリピリポーポ』ですが、ホトホト自分の勘の鈍さを知って唖然!でした。(笑)
ピク誌の件、お褒めにあずかり恐縮です。
とにかく理屈抜きで国電が好きな『国電バカ』を自称しております。
今後共よろしくお願い致します。
河 昭一郎さん、
スキャンされたネガの内容、気になりますね。
さて、『じりりんピリピリポーポ』は1900生さんの言を待つまでもなく、発車のベル・車掌の吹笛・発車のタイフォンの音でしょう。
この度この歌を改めて聞いてみて、なんというすばらしいCMソングだろう!と思いました。スピード感は鴨川堤をはしる特急のようで、沿線の魅力と季節感を盛り込んだ歌詞も秀逸。楠トシエさんの歌声は軽やかで発声は明瞭で聞きやすい。なんで京阪はこれを使い続けないのか不思議です。
反対に現在使われている「出町柳から」と比べれば天地の差です。営業・広報の能力が劣化しているのでしょうね。
参考までに『出町柳から』を聞いてみて下さい。
それにしても阪急にはCMソングはないのかッ!
米手作市さま
先のイメージソングをよくぞ発掘して戴いたと驚いていましたら、今度のこれは何ですかねえ。初めて聞きました。こんなしょうむないのは京阪オフィシャルの歌とは思えませんが。ただ駅名を連呼しているだけですね。若い人向けに作られたものかもしれませんが、これはあくまでも「BGM」ですね。BGMであれば映像が主体で、バックに何が流れていようがまあいいわけですから。
「天満橋から三条へ」には単に特急のテーマソングにとどまらず、仰るように淀屋橋延伸前の京阪の躍動感みたいなものが溢れる、「イメージソング」だったと思います。
それにしてもよく色々なものを見付けられますね。ステイホーム時代の優等生だと尊敬いたします。
私見ですが・・
CMソングは、売りたいものを歌に乗せてすり込むことを目的に作られている歌です。「天満橋から」はそれを見事に表現しています。乗ってみたいな京阪特急!行ってみたいな京都・琵琶湖!を絵葉書のように思い浮かばせてくれます。それに比べて「出町柳から」は、歌手の発声も滑舌もわるく、歌詞も使用説明書のようで面白くも乗りたくもありません。補助いすがどこから使えようと知った事ではない!
昔のCMソングはパンフレットの代用で、いまは歌手や音楽事務所とのコラボで作られ、商品として歌が売れるのに相乗効果を狙っていますから広告として明確な打ち出しが出来ません。
でも見落としてはならないのは、現在電車で旅行するのは高齢者で、若者は車でしか行かないのです。若者受けを狙って歌手とコラボしても彼らは京阪電車で琵琶湖へは行きません。われわれオジンとオバンは8000系の二階に乗って京津に乗り換え浜大津へ行くのを厭いません。そしてそのオジンとオバンには「取説ソング」は何を言ってるのか聞き取れないのです。
無印不用品さんや1900生さんが現役ならこんな無駄遣いはさせなかっただろうにと老婆(爺)心ながら思いました。
「出町柳から」は初めて聞きました。頭に残ったのは「ダブルデッカー、そうでっか」。それぐらいですかね。ところで阪急のコマーシャルソングも検索したらありました。6300系バージョンです。やはり関西の電鉄会社コマーシャルソングは京阪と南海でしょう。阪急は「おお宝塚」ですし、近鉄はやはり「真珠の小箱」ですな。ところでなんで「ー京浜急行500系ー 三浦半島へ戦後の新風」が・・・誰がポイントを切り替えたんけ。
どですかでん様
この件の犯人は私で~す。
最初の投稿文に、京急のコマーシャル・ソングを話題に出したのは私です。
手前の黄色と赤の旧形車(252)以下3連、特に腰の高い2両目の中間車に興味がありました。
その後、米手作市様からの投稿に有った小生にとっての謎の『じりりんピリピリポーポ』に小生が食い付いたのが原因で~す。(笑)
へ~!こんなのもあるんですね!
京阪はさすが! 凄い!
これらを探し当てられる嗅覚と実行力に脱帽です。
米手作市様
スキャンは、高校時代の同級生が同期生50名ばかりのネットサイトを『運営?』しており、今後母校に絡む話題展開を考えているので、在学時代の写真を供出せよと要請があったためです。
鉄道の方は、小生にしては『数が膨大』で結局のところ手付かず状態に近いままです。
思えば、カツテ貴殿が勧めていただいたお陰で『珍しい客車』のスキャンをして以来の感じでもあります。
『その内ネガが全部ダメになる』との恐怖感に苛まれております。(カラ―ネガは、ほぼ全滅)
ところで、『おけいはん』の『天満橋から三条へ』ですが、聞けば聞くほど『逸品』ですネ。
反面、追加でアップしていただいた『出町柳から~』は『ダ~メ!』(笑)
しかし、これも時代なんですネ。
近頃の若者の歌の世界は、まるで幼稚園の子がアットランダムに口ずさむような『つぶやき調歌詞』や平坦で早い旋律の『御経か?』みたいな曲ばかり。
仰せのとおり、営業・広報の能力が劣化しているようにも思えますが、現代の若者を中心とした『文化』や『礼儀作法』など全てについて幼稚化が目立ち、その最たるものが『歌の幼稚化』と嘆いております。
反面演歌や歌謡曲では、その歌詞に込められた『ヒネリ(捻り)』や聞く者への『投げ掛け』には時に惚れ惚れするものです。
・・・ッテ、年寄りの悪~い癖がでましたか?
勿論、年寄りにも心の広~い人も居られ、現代の若者を絶賛する人も居られますので、NHK風の御断り・・・小生の意見は『絶対意見』ではありません。
アレ、えらい脱線しましたカナ?
河 昭一郎 様
いやいや、河様が京急のコマーシャルソングの話題を提供してくださったので、楽しいコメント合戦となったと思います。これがクローバー会の真骨頂であります。ありがとうございます。おかげで京阪出町柳バージョンのコマソンを初めて聞きました。また、阪急のコマソン(6300系バージョン)も検索して聞きました。これからもいろいろな話題を提供をお願いします。
河 昭一郎さん、
どですかでんさんの言うとおり、談論風発、どこで脱線するか分からないのが当会の伝統です。これについてこれなくなったら老いぼれた証拠(?)だと言われます。
私は音楽の専門家ではありません(専門家どころか音符が読めない!)が、今の歌は「リズムあってメロディーなく、音量あって歌唱力なし」です。特に歌詞は自分よがりで聴く者の心を揺さぶる詩は書けません。仰るように文学力、特に語彙力がありません。阿久悠やなかにし礼などの有能な作詞家が活躍できなかったのは残念な限りです。
どですかでんさん
ところで阪急のCMソング6300バージョンはどこにあるのでしょうか?ぜひぜひ聞きたいのですが。
『♪おー宝塚』は本当に阪急のCMソングなんですか?
「おー宝塚」は宝塚歌劇団の歌です。阪急といえば宝塚歌劇となるので勝手に阪急のCMソングと思っているだけです。そして、近鉄といえば「真珠の小箱」。反射的にそうなってしまうのです。まあ、パブロフの近鉄ですな。昔、奈良市高畑町の新薬師寺界隈を歩いていると真珠の小箱のロケを見ました。番組の雰囲気そのままのゆったりしたロケでした。放映した番組は「奈良のわらべ歌」と題した番組だったように覚えています。
最後に阪急と南海のCMソングを貼りますのでご覧下さい。
阪急はどですかでんさんのいう「6300バージョン」ですが私は知りません。
https://www.youtube.com/watch?v=2Zf7WwhUDok
南海は以前に話題になった『♪なーんなーん南海電車、南の海を走ってく』です。
6300系バージョンは米手さんが貼り付けてあるURLのユーチューブの曲がそうです。
探しました。
南海のはどうです⇧?
皆々さま
さてさて大騒ぎ?を巻き起こした『昭和の電車・京浜急行500系』も、久々の大台?28件のフィードバックを持って沈静化するようで、『名鉄3900』に追われるように閉幕の模様です。
が、結局肝心の『黄色と赤の旧形車(252)以下3連、特に腰の高い2両目の中間車』の課題はウヤムヤ(笑)になってしまいました。
その話題を脱線させた犯人が小生だとは言え、『何だかナ!』と反省やら失望やら。
皆様、ご迷惑をお掛けしました。併せて今後共、よろしく。
こちらこそです!
せっかくの疑問にだれも答えず、CMソングの話ばかりで本当に申し訳ございません。京急は準特急さんか藤本さんが担当ですが、どうしているのか。
次回の会議で会長以下当該会員に猛反省をしてもらいます。
ところで『♪京急~フォーユー』は『happy birthday to you』のパクリですね?
米手作市様
そうでしたか! 『happy birthday to you』のネェ。
又また、『早トチリの河』の本領を発揮しちゃいましたか!(悲)
そう言えば前半のゴチャゴチャは聴かずにスル―して『Keikyu~ for you』のみが耳に付いてしまってたみたいです。
じゃあ『赤い電車に白い帯』のCMソングは変った訳ではないのかなぁ。
大騒ぎしてスミマセン!(恥)