山科の大写真展を拝見した後は紅葉の叡電や久しぶりの大和川散策を試みた。以前、レイル誌で武庫川、多摩川をめぐる鉄道を掲載させていただいたが、鉄道密度の濃い大和川周辺も興味は尽きない。11月15日朝、まずJR阪和線から海の方に向かった。最近はどこも家やマンション等が立ち並び防護柵等もあって撮り難く、その点、鉄橋は無難である。但し、編成中心の単調な写真になることは否めない。
JR阪和線杉本町-浅香
JR阪和線の大和川橋梁は浅香駅ホーム先端が格好の撮影場所であったが私鉄時代のホームなのか狭くて危ない。それに昨今の評判の悪い撮り鉄に見られないように即河原に出た。10年くらい前は103系や205系も見られたが、今はステンレスばかりで味気ない。
狭いホームから撮った2012.12.27の天王寺行き103系の後追い。▼
2021.11.15 225系8連の関空・紀州路快速▼
南海高野線我孫子前-浅香山
阪和線浅香の堤防に出てみて気付いたが下流の鉄橋を行く南海高野線の音がよく聞こえる。幸いなことにそちらに向かう途中は浅香山公園を歩くことになり、高齢者の散歩には適している。気楽な撮影にはお勧めしたい。
高野線では驚いたことに6000系がまだ元気に急行運用に入っていた。この車両は東急7000系、京王3000系と同じ頃の製造で共通点が多いが、南海の6000系は20m車である。6906を先頭とする橋本行き急行▼
泉北高速鉄道乗り入れの準急和泉中央行き7772▼ 2008.4.27と少し古いが、夕陽の頃の難波行き6200系 ▼
阪堺電気軌道阪堺線大和川-我孫子道
川の堤防の所に小さな駅があり駅名もズバリ大和川。この駅の位置を見ると名鉄の木曾川堤や西鉄の味坂を思い出す。川風の心地よい駅である。後追いの天王寺駅前行き605▼
2012.12.27 同じ位置の都電色の502▼
この頃は相互色交換が行われ、2010.9.18に都電飛鳥山で阪堺色の7511を撮った。飛鳥山は大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一ゆかりの地であり昔から展示館がある。▼
南海本線七道-住ノ江
今回は高速道路が邪魔ををして撮影不向きになっていたために諦めたので1969年3月に撮影したものを載せてみた。
ステンレスの高野線6000に似た本線通勤車7000系の難波行き急行で大勢のお客さんを乗せているのがわかる▼
1551形、1901形の難波行き。右には工事中の高速道路が見える▼
下りの貨物を牽引する凸型ED5201形で後方には当時は南海電鉄であった阪堺電車が見える▼
準特急さん、難和線の杉川町驛ちかくにある大和川橋梁に行ってこられたのですね。南海本線の方は掛け替えられたのですが、阪堺線と高野線の橋梁は明治時代に架けられたものが使われているようです。鉄橋の所では撮っていませんが南海本線七道駅そばにある赤レンガの建物と撮りました。元はダイセルの工場でした。すぐ横にイオンモールがあり、汐見橋線の写真を撮りに来たときにそこで食事をしたついでに撮ったものです。いま、ちょっと狙っている場所があるのですが近いうちに行ってみようと思っています。写真は赤レンガと南海本線の電車です。
どですかでんさん、有難うございます。南海本線の橋梁はかけ替えられたのですか。阪急神戸線の武庫川橋梁のような足回りの見えないのはダメですね。今どきの安全で耐用年数の長そうなコンクリートの橋梁は撮り鉄向きではないことは分かっているのですが、やはりゴーゴーと走行音が聞こえるようなむき出しの鉄橋が好きです。ところで難和線の杉川町驛近くは行っておりませんが、ひょっとして阪和線の杉本町でしたら行っております。大和川はこの先さらに上流に行けば数多くの橋梁が出てきます。そこはどですかでんさんのホームグラウンドですが、多少荒らしまわった足跡もご報告します。また、数々のご教示を賜りたいと思っております。最後にいつもながらどですかでんさんの鋭いカメラアイには凡鉄の私にはただただ驚くばかりです。赤れんがは素晴らしいですが、よく目を付けられましたね。馬堀の一つだけのっかった貨物など面白いなと思いました。
訂正とお詫びのお知らせ(誤)難和線杉川町駅とあるのは(正)阪和線杉本町駅の誤りでした、
準特急さんが撮影された1年後、1967年5月20日の大和川鉄橋です。
モハ12001形4両編成、羽倉崎発難波行普通です。
藤本哲男様
申し訳ございません。私の撮影は1966年ではなく1969年でした。原文は訂正しました。
阪堺電軌の大和川鉄橋では何度か撮影しました。先日も12月3日から復活運転に入ったモ161形の撮影に出かけた時に、大和川でも撮りたいと思っていたのですが、残念ながらその日の運用は我孫子道止まりでした。浜寺駅前まで足を延ばすこともあるようですので、次回はぜひ撮ってみたいと思っています。
最後の南海の貨物列車の写真いいですね。奥に見える阪堺線はモ161形でしょうか?
大津の86さん、有難うございます。
南海はご存じの通り、関西大手私鉄の中では線路幅が国鉄や近鉄南大阪線と同じ1067ミリです。電機に続く貨車も国鉄のものですし、南紀直通の客車サハ4801の検査入場等の際にはオハフ33がピンチヒッターで入っていました。これはデジ青投稿したことがあると思います。阪堺電車はよく車種がわからず、当時撮った218をのせてみました。以前、京都市電の1800がいましたが、これは見てみたいです。
先のモハ12001形4両編成の撮影日が間違っていました。正しくは、1969年3月2日です。
同じ日に撮影したモユニ1043です。
藤本哲男様
ひょっとして一緒に行ったのではないでしょうか。と申しますのは私のメモがその前後の記録から1969年3月2日ではないかと思われるからです。そして、藤本さん撮影のモユニ1043も私とほぼ同じ位置で撮られています。モニ1046も撮っていませんか。参考に貼り付けました。朝日新聞社世界の鉄道65年版の南海の車両諸元表を見ますとモユニ1043もモニ1046も出ていますが、モニの方は写真ではモハに見えるのですがどうなんでしょうか。以上、宜しくお願いします。
南大阪ネタは滅多に出ないので嬉しく拝見させていただきました。
準特急さま、藤本さまの昇圧前の南海、いいですね。
お書きのとおり本線の大和側橋梁は撮りにくいですが、今年5月、川沿いに散歩中にスマホで撮っておりました。イオンモールの対岸です。上流編も期待します。
宇都家様
そうですね。DRFCは南大阪は少々弱い所があるかもしれません。尊敬する先輩でも「汐見橋はどこや!」とわめきちらす方もおられました。最近は夜景に挑戦される方も多いようです。昼間とは違った発見があります。有難うございました。