昭和の電車 改訂版(253)ー南海電鉄2001系ー

これも前回は反応薄でした。南海ファンよ、奮起せよ!

2001型とペアを組むのがクハ2801型ですが、写真がありました。
京都島原の老舗、うすばねで有名な菱屋の藤田さんが撮っていた写真にあったので貼ります。

昭和の電車 改訂版(253)ー南海電鉄2001系ー」への7件のフィードバック

  1. 天王寺駅の天下茶屋線の電車が到着したので撮ったのですが、これは南海2001型ですか?鑑定のほどよろしくお願いします。

    • どですかでん様
      南海ファンか鉄道車両鑑定士に訊かないとよくわかりませんが、2001形が天下茶屋線に投入された記事は見たことがありませんし、車号の207がちらっと見えていますので柱の後ろに1が隠れていると想定し、1201形1207とみましたがいかがでしょうか。素人判断で申し訳ありません。

  2. 宮松コレクションに1枚だけあった南海が、この2017号でした。複写のようですが、堂々としたスタイルに圧倒されます。データが付いていないが、昭和11~15年位の撮影ではないかと思います。

  3. 1969年6月高校生の時です。水間鉄道に行った時に南海本線も少し撮っていました。2006と書いているようですが、何せ当時いい加減なカメラでハーフサイズでしたのでボケています。ネットで調べると2001形は晩年南紀直通列車の客車牽引に使われていたと書いていましたが、この写真は営業終了1年前で、難波―和歌山各停にも使われていたのでしょうか?

  4. 大津の86様
    よくカラーで撮られていましたね。あの頃の名車2001形は各駅停車の運用が中心であったようです。南紀直通列車サハ4801を2001形が牽引し、1両しかないサハ4801が工場入りの際などには国鉄オハフ33が代行で入っていました。写真は1969(昭和44)年3月の新今宮で2017先頭の2001形後部サハ4801です。新宮6時30分発の123列車で難波着は14時24分でした。

    • 準特急様
      小遣いもあまりなく、カラーで撮ったのはこのフイルム1本だけでした。この1本に1969年3月~6月までの間に撮った江若鉄道、京阪大津線、大阪市電、水間鉄道、そして南海の写真が入っていました。コダクロームでしたので退色は少なく、スキャンしたそのままの写真ですが、高いフイルムと現像代どこから工面したのでしょうか?

  5. もう一つ正面の写真を忘れていました。1969(昭和44)年2月20日今宮戎での2005先頭の難波行きです。この時代の関西大手私鉄には戦前の名車と言われる車両が数多く残っておりましたが、阪急京都線P-6(100系)、近鉄大阪名古屋線2200系(ほとんど3扉化されていましたが)、同じく名古屋線6311系、南大阪6601系、京阪1000,1100系、引退は少し早かったですが阪神851系等に急行運用が見られました。南海2001系は阪急神宝線900、920系等と同様に急行運用からの離脱はやや早かったような気がします。

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