満開の養老鉄道 600系は4連運転▲4月6日限定で運転された、もと近鉄電車の600系によるイベント列車「ようろう号」、ラビットカラーと京急カラーの4両編成が、桜も見える養老山地をバックに、絶妙の組み合わせで走り抜けた。美濃高田~養老
4月6日が“ようろう”と読めるところから、養老鉄道では、同日にイベント列車「ようろう号」を運転しました。もと近鉄車の600系によるD04編成+D06編成で、編成番号も「4」「6」の語呂合わとなり、弁当、オリジナルフリー切符付き4600円で参加者を募集、大垣~養老で往復運転されました。ほかにも、同鉄道で以前から気になっていた桜風景もあって、イベント列車の運転時に訪問しました。
▲ゼロキロポストがあったり、珍しいバッファ式の車止めが残る、見どころの多い養老鉄道大垣駅から、撮影地と目論んだ美濃高田へ向けて出発。▲ステンレス車両に置き換えが進んでいるとは言え、まだ近鉄から転籍した鋼製電車が多く走っているのが、養老鉄道の魅力。養老
▲養老では一時間の停車時間があり、参加者は車内で昼食タイム、正面には、両編成を描いた粋なヘッドマークが。▲▲開業以来の駅舎の前の桜も満開。
▲ラビットカラーのD06編成には、南大阪線時代のラビットマークも復刻されている。
▲13時ちょうど、折返し電車は、大垣へ向けて養老を発車した。左の京急カラーD04編成は、もと近鉄名古屋線1650、1950系由来で、かつてはベージュに青帯の近鉄時代のセンロク塗装で有名だったが、2019年からイベントなど提携している京浜急行色に合わせて、塗装変更された。右のラビットカラーのD06編成は、もと近鉄南大阪線6000、6850系由来で、ラビットカラーに復刻、両編成とも白線が揃っていて編成美がある。
▲午後からは揖斐方面へ乗り換え。下車したのは大垣から4つ目の東赤坂。▲▲しばらく歩くと、川の支流の土手堤に行き着く。揖斐川がすぐ近くにあり「輪中堤」と言われ、桜並木がずっと続く。▲桜並木は、やがて養老鉄道と並行するようになる。間はフェンスが設けられているが、一部は切れている箇所もあって、電車を入れて撮影できる。少しだけの菜の花を入れて、電車とのコラボを。
▲知り合いの高松市在住のKさんが、この地点で撮られた写真を鉄道雑誌に発表された。雨上がりの光景で、桜と菜の花が満載の美しさに目を奪われた。何とかマネをしたいと、Kさんから場所も聞いて臨んだが、桜はあっても、菜の花は見られなかった。▲気を取り直して、何とか菜の花も入れて、最後の撮影とした。この日、大垣~揖斐には鋼製のD編成の入線はなく、ステンレスのTQ編成ばかりだったが、余計なラッピングもなく、ほぼ東急時代のままの電車は、改めて養老鉄道の良さを再認識させてくれた。
近鉄時代の4両編成です。
昭和45年10月4日、西大垣駅、前身の養老電鉄から引継いだ木製車を鋼体化改造した車両です。
昭和46年7月25日、西大垣駅、南大阪線からの転属車の4両編成です。
藤本様
50年以上前の養老鉄道の写真、ありがとうございます。私はこの時期の養老線は、撮ったことも乗ったことも無く、以前、本を造る時には、ずいぶんお世話になりました。今でも、本家の近鉄、東急のお古ばかりですが、いずれも大事に使われています。特段、優れた風景はありませんが、年寄りにとっては、ガキに囲まれることもなく、一人でゆっくり楽しめる鉄道です。
ここは前身の前身が揖斐川水力電気で、100年前には多く見られた水力発電事業と、電灯と、電気鉄道、さらに化学薬品・肥料事業の会社で、その後の長い時代に、分離。鉄道は近畿日本鉄道の傘下になりましたが、本体の経営の関係上で分離され、今は苦労しながら経営を続けていますが、車庫のある西大垣駅の周辺にはこの春に「一部上場」の名称はなくなりましたが、半導体の素材メーカーとしてトップ企業のイビデンの工場が今も存続。一部の設備は煉瓦の工場だったり、非常に興味深いゾーンになっています。
もうちょっと鉄道マニアもこの100年続いた歴史事実や、西大垣周辺の工場群を見て歩き、養老線の今後について思いを持つこともいかがかなとよく思います。変なコメントで失礼いたしました。