エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part11  歴史が息づき、文明が交差する街、アスマラ

第5日目 9月28日 その2

① 午前;アスマラ駅構内と郊外走行撮影、市内観光
② 午後;機関区撮影

SL撮影後はアスマラ市内観光です。標高約2,350mに位置するアスマラは、年間平均気温が17℃と、訪問時も湿気もなく快適な気候でした。古くより商業の中心地で、1897年に首都となり、イタリアが第二のローマとして開発しました。市内には植民地時代に建築された多くのアールデコ建築物が、戦下に会わず数多く残されていました。

アスマラは、アフリカの奴隷制時代につけられた名前です。ティグリーニャ語で、その意味するところは、「女たちが男たちを団結させた」というものであり、これは、当時の(奴隷制時代の)女(母)たちが、奴隷商人から自らの娘や息子を守るために、男たちを団結させたという逸話からきているそうです。


▲ 市内のどこからでも見えるので、ランドマークにもなっているカトリック大聖堂、同行のドイツ人が執拗にシャッターをきっていたのは、世界でも有数の奇抜な建築物の一つ、1938年にイタリア人建築家Giuseppe Pettazziの設計で建てられた飛行機形のガソリンスタンドです。かつて「世界一豪華なガソリンスタンド」と呼ばれたそうで、支柱がない設計は、さすがクリエイティブなデザインに優れたイタリア作品と感心しました。

ブーゲンビリアやジャカランダが咲き乱れる街角には、美しい煉瓦作りのヴィラや、斬新な現代建築があちこちに見られ、イタリアの遺産とアフリカの風土が溶け合った独特の魅力を醸し出しています。建築や歴史の好きな人にはこたえられないでしょうね。


▲ すばらしい建築物には映画館もありました。市内には1930年代に建てられた4つもの映画館が残り、当時の香りを伝えています。劇場内には入れませんでしたが、ロビーにはかつての映写機が展示され、カフェではエスプレッツを飲みながらゆっくりと憩う、住民の方々がたくさんおられます。ここには、街の周囲の荒涼たる光景とは全く逆な世界がありました。


▲ 9月27日は、エリトリア正教 「テワヘド」のメスケル祭(聖十字架の日)でした。エルサレムでイエス・キリストのが掛けられた聖十字架が発見された事と、十字架にまつわる諸事を記念する祭です。街中心のスタンドもある広場には、どこから来たのかと思うほど、たくさんの熱心な信者の人々が伝統的な白い衣装に身を包んで、集まっておられました。そして、集団となって手をたたきながら、太鼓や笛の音とともに街を行進していかれました。

古来より宗教が共存してきた街でもあり、キリスト教以外にイスラム教も浸透しモスクもあります。異文化に寛容な懐の深い都市の魅力が感じられました。
今回の旅では、オクトーバーフェストといい、1年に1回の大きなお祭りに家内も大喜びでした。


▲  エリトリアは、食料の70%を国外からの援助で依存していますのに、小粋なレストランのガーデンで思わぬご馳走がランチに出ました。思わず地元産の白ワインを注文しましたが、1本が750ナクファ(約3,900円)。割り勘で飲みましたが、結構高いものでした。

まだエリトリアに来て半日しか経っていませんが、世界で最も貧しい国の1つと言われるイメージは感じられません。祭りを見たせいなのかも知れませんが、むしろ優雅で、庶民がゆったりと生活している余裕や活気すら感じざるを得ませんでした。これが本当の姿なのでしょうか、エリトリアという国が分からなくなってきました。

さて、昼食後は待望の機関区見学です。どんな車両たちがいるのか楽しみです。Part12では、これでもかとお見せいたします。  Part12  へ続く

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